tag:blogger.com,1999:blog-2590802744343638524.post4857843946865332989..comments2023-07-06T06:22:11.047-04:00Comments on あなたと分かち合いたいこと: 宗教における守破離 ~「自由」を捨てて自らを解き放つ 6~Daiyuhttp://www.blogger.com/profile/02098600740143779289noreply@blogger.comBlogger1125tag:blogger.com,1999:blog-2590802744343638524.post-54819171393496917142016-02-06T08:09:55.230-05:002016-02-06T08:09:55.230-05:00私たちの社会に生じている一つひとつの現象は、多くにおいて構造的でありながらその反面、観念的(意味の塊...私たちの社会に生じている一つひとつの現象は、多くにおいて構造的でありながらその反面、観念的(意味の塊)であるのかもしれません。言語、文化、政治、経済、国家、人種、民族、男と女、子供と老人、幸福と不幸等々どれをとっても固定的に推し量れそうな存在でありながら、その反面恣意的な個々人の解釈の集まりであるという脆弱性も持っています。<br />つまり私たちの社会現象が常に意味の集合体であるということは、僅かながら揺らいで変化するものであるともいえます。<br />目の前の確固たる構造を覆す「新たな意味」を手に入れた瞬間に社会に変化が起きます。既存の宗教であっても同じです。<br /><br />大裕さんのいうように、私たちはよりよい社会に向けて常に「神に挑戦」しているのかもしれません。「神と対決」しているのかもしれません。時には実力不足で打ち負かされて、ボロボロになりながら、下を向くこともあるけれど、その中で勝ち取ったものも多くあるはずです。それらが僅かながらも社会に揺らぎを起こしていきます。<br />今回の大裕さんのロジックは大変分かり易く気に入っています。ありがとうございます。<br /><br />また浦安でお会いできることを楽しみにしています。<br /><br />追伸:FBの友達登録ありがとうございました。<br />Takeshi Sakamotonoreply@blogger.com