2010年12月19日日曜日

進化論

生徒は先生の器の中でしか育たないという。



確かにそうだ。



「それでも、自分を超える生徒を育てなければいけないんだ。」
と久し振りに電話で話した小関先生が言った。



「進化論だよね。進化してなんぼだから。」



  それが教員にとっての 「破」 なのだろうか。

4 件のコメント:

  1. あなたに神を愛しています。聖書を読んでください。

    返信削除
  2. Dear Mr. Patmos,
    Thank you for your comment and sending me love of the god. Yes, I have read the bible many times. But I wonder if you have read my previous posts. If not, I'm very sorry that you commented in that manner because you perhaps responded automatically to your key word...which I hesitate to write again. Please read what I wrote before - 宗教における守破離 ~「自由」を捨てて自らを解き放つ 6~
    (http://daiyusuzuki.blogspot.com/2010/11/blog-post_14.html), then I will be open for further discussion.

    Sincerely,

    Daiyu

    返信削除
  3. 弟子の義務であり、責任であり、唯一できる恩返しは、師匠を超えること。今の親方(指導教授)についたときに一番最初に言われました。ぼくも、自分の生徒にそう思ってほしいです。

    あと、ちょっと話がそれるのですが、小学生と高校生と手紙をやり取りしていて、「先生は生徒が育て、恩師とは生徒自身がつくる」という一面といいますか、方法があることも知りました。もちろん、どんな生徒も関係なくすごい先生はいるでしょうが、少なくともぼくは教えながら教えられる、生徒という器で育てられるタイプなのかなと思いました。

    返信削除
  4. 竹越さん、
     生徒によって教えている側が成長させられるということ、とても良くわかります。僕自身も教員を辞めた今でも生徒たちにそのような体験を味あわせてもらっています。生徒に言葉を発するたびに、それが自分に跳ね返ってきて、身を引き締めます。だからこそ、真の意味で生徒をもっている人間は、自分に厳しくいられるのだと思います。

     最初の点に関しては、先日、小関先生とお話をさせて頂いていた時に、僕自身の中で大変な勘違いがあったことに気付かされました。また改めて書かなくてはと思っております。いつもありがとうございます!!

                       大裕

    返信削除