ラベル 出会い の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
ラベル 出会い の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示

2010年9月13日月曜日

63歳で留学の夢を果たしたある社長の話

 2008年に再渡米してから、毎日のように僕が通って来た場所がある。コロンビア大学Teachers College(TC)の図書館だ。授業の有無にかかわらず、最初の2年間はたいていそこで勉強してきた。



 TCはアメリカで最古にして最大の教育大学院。1889年創立、100以上のプログラムがある。マンハッタンの120丁目、Amsterdam AvenueとBroadwayの間に位置するが、その中央部にそびえ立つ古いレンガ造りの建物が図書館だ。



 1階は本の貸し出しカウンターがある他、コンピューターが並んでいる。2階はディスカッションできるオープンスペースになっている。グループワークをしたりする時に便利だ。3階は静粛な雰囲気で勉強できるスペースとなっている。6人掛けの大きなテーブルが大部屋に左右均等に並べられ、両端の窓際には、より隔離された雰囲気で勉強したい人用に、サイドに仕切りのある勉強机が並べられている。日本の建築では優に2階分のスペースを取るほど天井が高くて気持ちがいい。



 2階と3階の間の踊り場の床石には小さな窪みがある。最初からそうだったのか、誰かがよほど重い物を落としたのか、それとも長年人々に踏まれ続けその重みに耐えかねたのかは分からないが、いつもその窪みを踏んで3階に登るのが僕の習慣になっている。きれいに統一された筈のデザインの中に存在するそんな一つの不規則が愛嬌となり、人に愛着を持たせる。



--------------------------------



 2010年2月、TCの図書館で威光を放つ白髪のアジア人男性がいた。少なくとも50歳後半はいっていると思われた。髪は短く、推定年齢の割にはがっちりしていて、背も高く、アジア人離れした体型をしている。今年に入ってから図書館でほぼ毎日見かけるようになった。



 時折席をはずすことはあったが、たいていは朝早くから夕方まで、常に3階の僕の定位置の後ろ斜め右の席で書物やパソコンと向き合っていた。



 何をしている人なのだろうか。きっと教授に違いない。でも何故毎日ここで勉強しているのだろう。教授だったら自分のオフィスがあるだろうに。まさか学生じゃないだろう…。



 いつからか僕はこの男性のことがとても気になり始めていた。相手も僕がいつもそこにいることを認識していたようだ。



 ある時から互いに会釈を交わすようになっていた。いかにもアジア人らしい、何とも言えない微妙な距離感。周りのアメリカ人にはどう映っていたのだろう。



 ある日、トイレに行く途中すれ違った。僕は思わず話しかけていた。



    “Hi, we have seen each other so many times. My name is Daiyu.”



そう言って僕が握手を求めると、彼も嬉しそうに、 Nice to meet you, too. と握手してくれた。そして今度は Where are you from? と彼が訊いてきたので、Japan と僕は答えた。



 すると、その男性は笑顔で細めていた目を丸くさせて、Oh! と言い、今度は両手で握手を求めてきた。



 まさか、と僕は思ったが、そのまさかだった。



 日本人だったのだ。しかもコロンビアの国際公共政策大学院(School of International and Public Affairs)の修士課程所属の留学生だというではないか。



 がっちりした外見といい、行動といい、僕のデータに無いタイプの日本人だったので僕は仰天した。



 そこでは簡単な挨拶にとどめ、詳しくは後日ランチでもしながら、ということになった。貰ったコロンビア大学の名刺には佐々山泰弘と書かれてあった。





--------------------------------





 数日後、いつものように背中合わせの形で勉強していた僕らは、12時になると荷物をまとめてTCのカフェテリアに向かった。



 この日は終始日本語での会話だったが、まず驚かされたのは、佐々山さんの声の大きさだ。その大きな体から、少ししゃがれた重低音が響いてくる。毎日同じ席に着き、静かに勉強し、静かに帰る、そして顔を合わせた時は目を細めて会釈する…。そんな佐々山さんの姿しか知らなかった僕は、勝手にシャイな男性を想像していた。だが実際の佐々山さんは全く違っていて、いかにも体育会系でパワー溢れる人間だった。



 日本人にしては随分大柄でいらっしゃるけど何かスポーツをやっていらしたのですか、と僕が尋ねると、学生時代にウェイトリフティング部で鍛えたと教えてくれた。これは後で分かったことだが、佐々山さん、実は国体3位という実力の持ち主だ。



 留学する前は何をしていたのかという質問に対しても面白い答えが返ってきた。「Mac Fan」や「PCfan」などの出版でも知られる毎日コミュニケーションズの社長を長年務めた後、最高顧問などのポストに就きながら、最後はその子会社である毎日オークションの社長を務めていたそうだ。



 そんな輝かしい経歴を持つ佐々山さんだが、彼には大学生時代から持ち続けた一つの夢があった。



 それがアメリカ留学だったのだ。



 社会人になった佐々山さんはその夢を持ち続けた。英語の雑誌を購読したり、留学のことを調べたりしながら、しまいには自分の会社で留学ガイド作成の事業部を立ち上げてしまい、それにかこつけてアメリカ中の大学を取材して回った。そうしてできたのが『毎日留学年鑑』という、日本初の包括的留学ガイドだった。



 そして2008年、毎日オークションの社長を務めながら63歳でコロンビア大学School of International and Public Affairs (SIPA)に合格、その結果をもって定年退職を志願した。親会社である毎日コミュニケーションズで当時社長を務めていた元部下には、「コロンビアに受かったから辞めさせてくれ」と言ったそうだ。



 40年越しの夢を叶えた佐々山さんの専攻は、「ずっと知りたかった」 という近代アジア史。でもやはり英語がネックだと言う。



 授業の英語はリーディングをやっていれば何とかなるけど、日常会話がなかなかうまくならない。「若い人は羨ましいですよ。」 そう笑いながら年齢の不公平を訴える佐々山さんは、とても無邪気に見えた。





--------------------------------




 
 図書館での出会いから3ヶ月後、佐々山さんは晴れて修士号を取得した。卒業式には日本に残してきた奥様だけじゃなく、大学時代の友人3人も日本からツアーを組んで駆け付けた。



 コロンビア特有の卒業式用の水色ガウンに身を包み、卒業証書を受け取る彼の姿を見届けたご友人たちはさぞ誇らしかったことだろう。



 また、自分の夢を追いかけるために63歳で勇退し、実現した社長の後ろ姿を元部下たちはどんな想いで見つめているのだろう。佐々山さんの生き様からはこんなメッセージが見えてくる。



問題なのは、夢を叶えるか叶えないかではなく、いつ叶えるか。



先生なんだな、と僕は思った。



 くじけそうな時、満足してしまっている時、教え子は前を走る先生の背中を見て苦笑いするのだ。



    「まだまだ!!」





あとがき

 先日、佐々山さんから届いた一通のメールを見て僕は思わず吹き出してしまった。



 「メールありがとうございます。
小生の方は日本に帰ってはや2ヶ月がたちました。
怠惰な老年生活を送るつもりでありましたが、
早くも体の底から何かがうごめき始め、
昨日から上智大学の朝鮮語講座に通い始め、
日本のPHD過程で東アジアの勉強を続けてみようかと、
幾つかの大学のApplication書類を取り寄せ準備を
始めたところです。」

2010年7月3日土曜日

託すのではなく ~バーチャルからリアルへ2~




 人はちょっとしたきっかけで仲良くなれるもんだ。
そんな自分の考えを実証してくれる今日の 『分かち合いたいこと』 のオフ会だった。



 東は新潟、西は四万十川から、実に様々な分野の人たちが駆け付けてくれた。共にジャーナリズムに興味を持つ大学生2人、公務員からキャリアチェンジをして看護大学に通う女性、経営コンサルタントをしつつ留学及びキャリアチェンジを目指す男性、田舎にて癒しの宿を営む女性、財団に身を置きバングラデシュやミャンマーで現地NGOとの遠隔教育や教育トレーニングに携わっている女性、僕の元同僚であり中学校で美術を教える先生、アメリカで教育経済学と教育社会学を学ぶ大学院生2人、自分を含めて計10人が集まった。



 時折席替えをしては、まだ話してない人との会話を求める姿が見られた。てんでんバラバラな人たちが互いの話に関心を持ち、聴き入っている姿は、きっと周りから見たら不思議な光景だったに違いない。1次会で語り尽くせるはずもなく、神保町にて仕切り直しをすることになった。






 今日集まった人たちに共通すること。それは 「動」 ということではないだろうか。皆、現状に満足せず、前を目指して自分探しを続けている人たちだ。それが嬉しかった。





 日本の社会は、いとも簡単に夢を若い世代に託そうとするところがある。それは無責任だ。大人こそが夢を主張すべきだ。大人が挑戦しないのに子どもがチャレンジできるだろうか?大人が人生を楽しまずして子どもが大人になりたいと思うだろうか?大人が失敗する姿を見せずして子どもが自分の失敗を受け入れ立ち上がることができるだろうか?



 大人だって夢を追いかける。だからこそ悩むし、失敗だってする。いいじゃないか。そんな生身のドロ臭い姿を子どもに見せるべきだ。それもできない大人たちが語る 「生きる力」 はあまりにも空虚だ。



 「夢を持て」 そう訴える自分の言葉が、子どもにとって世界中の意味をもつような、そんな生き方をしたいと思う。







あとがき

 最初は半信半疑で始めたこのブログだが、このような素晴らしい出会いを与えてくれたことに感謝している。おかげさまで決意を新たにすることができた。リアルな繋がりのきっかけとしてのバーチャル。そんな位置づけがふさわしいのではないかと思う。

2010年6月17日木曜日

人と人とを紡ぐ時代に

 出会いなんてどこにでも転がっているものだ。
ただ、 「すれ違い」 を出会いと見るか見ないかの問題だと思う。



思えば、今までも不思議な出会いがたくさんあった。



 去年の冬休みに泊めてもらったピンク夫妻(Mr. & Mrs. Pink)は、元はといえば、僕が通ったアメリカの高校のキッチンでバイトをしていた地元の大学生、アンの両親だ。アンは元気を絵に描いたような女の子で、笑顔がとてもすてきな子だった。いつも腹をすかせていた僕が何度も何度もおかわりに行くうちに仲良くなった。2年くらいが経ち、彼女が急にいなくなったのでキッチンの他のスタッフに訊いたら、急に癌に侵され、大学も休学してNYの実家に帰ったという。アンが亡くなるまでの2年間、何度も手紙や電話でのやり取りをしているうちに、ご両親とも仲良くなった。そのピンク夫妻とは、その後も毎年一回、アンの命日に電話で話す関係を続けていた。そして、去年、16年越しの関係を経て、初めてお会いすることができた。僕が妻と子どもを連れて来たことをひどく喜んでくれ、自分の家族のように受け入れてくれた。一つ、大きな約束を果たしたような気がした。


ピンク夫妻と


 このブログに投稿してくれた四万十川のさっちゃんも、元はといえば僕が四国を一人旅した時にお世話になった四万十川ユースホステルのオーナーさんだ。導かれるように四万十川に辿り着き、1泊の予定が3泊した。さっちゃんは予知夢をみたり、自分の前世を知っていたり、料理の仕上げに必ず念力をかけたり、とにかく不思議な能力を持っている人で(旦那さんいわく「宇宙人」)、最初から心を完全に解き放って語ることができた。その後も電話をしたり、手紙を書いたり。実際に会ったのはもしかしたら10回にも満たないかもしれない。でも、今でも自分が夢を追い続けていられるのは彼女の言葉が僕に魔法をかけているからでもある。「大丈夫。大裕ならきっとできるよ。」



 時折コメントをくれる、Teachers Collegeの大先輩のかおるさんとも、実は日本にいた時からの古い友人だ。もう13年の友情になる。僕が大学を卒業し、一時帰国中、雑誌 『教育』 読者の会というのに参加していたことがある。そこで、 「君みたいにアメリカの大学で教育学を学び、先月号に記事を書いた女性がいるよ」 と聞き、すぐに電話してその日のうちに会うことになったのだ。すぐに意気投合、時間を忘れて語り合った。僕が今コロンビアにいるのはかおるさんがいたことも大きい。一緒に学べたらいいねとは言っていたが、まさか同時期に同じ場所で学べるとは思わなかった。NYの我が家にも何回も泊りに来て、娘の愛音にとってはGod Motherのような存在だ。そんな彼女も今年晴れて卒業。嬉しくもあり、寂しくもある。


かおるさんと愛音


 今度詳しく書こうと思っているケヴィンや佐々山さんなどは、図書館で顔を合わせているうちに仲良くなった人たちだ。人の縁とは不思議なものだ。僕は、最終的に世の中を変えるのは、お金や理論など形あるものではなく、人と人との繋がりだと思う。



 ここ最近も、それを痛感させる出来事があった。



 『人生の勝者となること』 にコメントをくれたhoshinoさんそしてmasaさんと飲みに行ったのだ。元はといえばhoshinoさんは僕と同じTeachers Collegeの先輩、masaさんはフルブライト同期生だ。夕方5時に学校近くのバーで会い、軽いhappy hourのはずが夜中の12時頃まで語り合った。二人とも、とにかく物知りで、政治や経済の話など、何も知らない自分に優しく丁寧に教えてくれた。何よりも嬉しかったのは、二人とも日本のことを真剣に考えていて、教育に対する熱い想いをシェアできたことだ。最後にBroadwayの焼き鳥屋で食べたラーメンは、妙に美味く、日本を恋しくさせた。



 その二日後、今度はhoshinoさんから 「面白い男がいる」 と言われ、コロンビアで物理学のドクターをやっている竹越さんという人と会うことになった。気持ちの良い日曜日の朝9時、まだ静かなキャンパスの広場を見下ろす階段に座り、僕たちはコーヒーをすすった。



 世の中には必ず、国の言語とは関係なしに同じ言語を持つ人間がいるものだ。そんな人とは何の駆け引きも説明も必要ない。心をワイドオープンにして、ただ流れに身を委ねればいい。



   「そう、そうなんだよね!!」

   「ああ、それ良くわかります。」



 そんな感じで次から次へと話が発展するのだ。この日も、短時間で実に様々なことについて話した。自分たちのバックグランド、今やっている研究、科学と芸術の類似性、日本の教育、日本の若者、政治、人生の師…。久しぶりに時間が止まるのを感じた。







 博士課程2年目も終わり、そろそろ博士論文の方向性もその後の進路も真剣に考えていかなければならない。だが正直なところ、今はまだ確信の持てる方向性は見えてない。将来どんなポジションに身を置けば、自分の良さというものを最大限に生かして恩返しができるのか…。ずっと悩み続けている。



 ただ、これだけははっきりしている。自分の仕事は人と人とを繋ぐこと。そして、そのためには自分自身が人間の良さを信じ、多くの人と繋がっていきたいと思う。



以前 『Something Beautiful ~花~』 で紹介した、中孝介の 『花』 にこんな一節がある。





    人と人 また 人と人

    紡ぐ時代に身をまかせ

    それぞれの実が 撓わなればと





 たとえ今は互いに違う方向を向いていても、いつかどこかでお互いの道がクロスする時が来る。そう信じて、今この瞬間に精いっぱいの花を咲かせるのみ。

2010年1月11日月曜日

バーチャルからリアルへ



 先日、初の『分かち合いたいこと』の会を開きました。

 四万十川YHのさっちゃん、新吾さん、和宏さん、穴澤さん、てるみさん、そして自分という、職種も年齢もバラバラな6名が集まりました。僕以外は全員が初対面。話しているうちに、「あ、あれを書いていたAさん?」などと、バーチャルの世界がリアルな世界へと融合していくのが感じられました。他にも、「これが網棚に忘れた例のリュック??」なんていうのもありました…。



 でも、写真を撮るのも忘れ、2時間半は本当にあっという間に
過ぎてしまいました。もっともっと話したいことはあったのに…。



 「分かち合いたいこと」の会、また夏にやりたいと思います。
どうしてもブログ上で出会うのと、実際に出会うのとは違うから。
もっと言えば、書くこととやることは絶対に違うから。
書くことだけで満足したくない。語る言葉を実際に生きること、
大事にしたい。



 このブログを訪れてくれる多くの人が、自身のポジティブな
エネルギーを活字にしてくれています。それを読み、ずっと
ワクワクしながら想いを馳せていることがあります。
ここから何が産まれるのだろう?



 いつの日か、ここに集った人たちのエネルギーを、
何かの形にできたらと思います。

 

 変化のためのコミュニティーづくり、一緒にやっていきませんか?

2009年10月14日水曜日

形にできない想いを乗せて

Fulbright Enrichment Seminarにて (一番左がJana)


 去年、渡米直後に参加したフルブライトのセミナーで、チェコ人のヤナ(Jana)という親友ができた。心震える出会いだった。

 セミナー二日目。お楽しみアクティビティーとして、僕らはデンバーの郊外にある山に登り、そこからデンバーの街並みを見渡した。周り一面に広がる美しい平野。その真中には、人工的で醜いビル街が、空を主張するように競い合って立っていた。

 何台もの観光バスが乗りつけた展望台は、世界中から集まったフルブライターでごった返していた。肩を組み合って写真を撮ったり、双眼鏡を覗いたりして、見慣れない光景を前に皆はしゃいでいた。

 周りの皆と同じメンタリティーになれなかった僕は、同じようにつまらなそうにしているヤナを見つけ、声をかけた。


   「ねえ、ヤナ。ちょっと散歩しない?」


 舗装された駐車場の裏は、なだらかな丘になっていた。僕たちは無言で歩き始めた。
 少し歩くと急に人気がなくなり、つい先程までの喧騒が嘘だったかのように、静けさが僕たちを包んだ。


 横を見ると、ヤナもその心地よい静けさに聞き入っているようだった。


 沈黙を埋める無意味な言葉は必要なかった。

 
 そして、時計の針が止まった。


 時計の束縛から解放されて自由になった時間が、二人の心を膨らませた。僕はヤナと、以前 『時間について』 でも紹介したウィリアム・フォークナーの言葉をシェアした。

“Father said clocks slay time. He said time is dead as long as it is being clicked off by little wheels; only when the clock stops does time come to life” (「お父さんが時計は時間を殺すと言っていた。小さい歯車にカチッ、カチッとはじかれている限り、時間は死んでいる。時計が止まって初めて時間は命を得るのだよ、って。」『The Sound and the Fury』より.) 


 ヤナは僕が言わんとすることを、僕が選んで発する言葉以上に分かっていた。


 宇宙、無限、悠久、時間、命のサイクル、その一部である自分…。
 その後も、時を忘れていろいろな話をした。


 来た道を戻り、展望台の人ごみの騒音が聞こえてくると、思い出したかのように時計の針がまた動き始めた。


 ものの15分だったのだろうか。二人が分かち合ったその一瞬は、永遠のように感じられた。


 人生とは不思議なものだと思った。出会って間もないチェコ人のヤナと、アメリカのコロラド州デンバーの山で、魂が触れ合う経験をしたのだ。

 二人とも英語は母国語ではない。でも、お互い、共通の言語を持っているかのように感じている。彼女と対話している時は英語で話していることさえ忘れてしまうのだ。言葉はただのきっかけに過ぎない。

 だからこそ、なのだろうか。言葉の限界を感じる。今は既にチェコに戻っているヤナとの交流はメールのみなのだが、彼女にメールを打つ時、普段使わないエネルギーが必要となる。彼女に対する特別な想いを活字に綴ることに戸惑いを感じるのだ。自分が選ぶ言葉は、自分の感謝と喜びに値するのだろうか?自分の表情や形にできない想いを正確に運んでくれるのだろうか?

 心震える想いというものは言葉にし難い。形のない、何とも言えない想いだからこそ心が震えるわけであって、それを自分の祖先たちがつくり上げた言葉という形にはめるのは所詮無理な話なのかもしれない。

 自分自身にとっての「書く」ことの意味については 『人生の先生』 でも語った。少なくとも僕にとっては、書くという行為は妥協の連続である。自分の限られた言葉の選択肢の中で、ああでもない、こうでもないと繰り返し言葉を当てはめてみて、自分の真実に最も近いと思われる言葉を選ぶのだ。やっとの思いで選んだ言葉が、最初に感じた想いやイメージと完璧にシンクロすることはないように思う。その誤差は、形のないものに形を与えようとする者の宿命として受け止める他はない気がする。

 形にならない作者の複雑な想いをより正確に伝えるには、ドキュメンタリーより小説、小説より詩の方が適していると思う。言葉は少なければ少ない方がいい。数少ない言葉を手がかりにして、その言葉に含まれるニュアンスや、その言葉が背負う歴史や文化のイメージを彷彿させ、自らの想いを映し出すのだ。

 その意味で、僕は日本の俳句を心から誇りに思う。作者たちは、5、7、5の限られた枠からは想像もできないほどの大宇宙を描き出す。


   夏草や 兵どもが 夢の跡 (なつくさや つわものどもが ゆめのあと)


言わずと知れた松尾芭蕉の詩である。もちろん、間違っているかもしれない。でも、僕には芭蕉が目にした真夏の光景が鮮やかに見えるような気がする。

 高校時代の恩師に文学の面白さを教わった自分も、比較文学の博士号を追及しているヤナも、言葉の限界を感じつつも、そんなインパーフェクトな言葉を愛している。作者たちが、様々な言葉を紡ぎ、一生懸命自分の真実を伝えようとする。そんな人間臭さこそが美しくもあり、愛おしくもある。

2009年8月21日金曜日

小関先生 1 ~先生との出会い~

 「なんで教員になったの?」
 

 この一言で僕のスパイとして学校に潜伏する計画は音をたてて崩れ去った。

3月末の日曜日、4月から働くことになった中学校を訪れた日だった。

がらんとした学校を案内してくれていた校長先生が初めて紹介して下さった教員が小関先生だったのだ。

5分前に会ったばかりの人間から、そのような核心を突いた質問が来るとは予想もしていなかった僕は、ひるんでしまった。剣道で言えば面を打たれた気分だった。

剣道場の控室の畳に二人向き合って座り、外では彼の指導する剣道部が沈黙の中、足さばきの練習に打ち込んでいた。控室の空気は一気に緊張した。

僕は、逃げられないと感じると同時に、彼が単なる興味本位で訊いているのではなく本気であること、彼には本当のことを言えそうだということを本能的に感じていた。

僕は全てを話す決意をした。

16歳の時から一人でアメリカに留学をしていたこと、ニューハンプシャーの高校で経験した教育が自分の人生を変えたこと、それがきっかけで日本の教育に疑問を持ち始めたこと、いつの日か日本の教育改革に携わりたいと思うようになったこと、大学院からいきなり学者になるのではなく、日本の教室では実際に何が起こっているのかを自分の目で観ておきたかったこと…。



どんな答えが返ってくるのだろうとドキドキしていたら、また驚かされた。


「なかなかいいセンスしてるよ。」


2009年8月20日木曜日

人生の先生

Norman Walker 先生と奥さん(ちなみに、彼は詩集も出版している。)


 Tuesdays with Morrie(邦題『モーリー先生との火曜日』)という本の中で、Mitch Albomがこう尋ねている。
 
 
 「あなたには本当の先生がいますか。知恵で磨けば誇らしい輝きを放つであろう宝石の原石をあなたの中に見つけてくれた人が?」
 
 
幸運にも、自分にはそんな人生の先生が二人いる。


 最初の先生は、16歳の時、初めての留学で出会ったニューハンプシャー州の高校の英文学教師、Walker先生だ。彼は自分が日本で出会ったどの先生とも違っていた。それは、彼がアメリカの高校生をも圧倒するくらい大柄で、ニューイングランドで有名なアメフトのコーチだったからではなく、彼が求めたのは、暗記よりも自分で考えること、用意された答えよりも僕だけの真実だったからだ。

「俺は今、生まれて初めて学んでいる。」 

彼と会ってそう気づいた時のことを今でも鮮明に覚えている。
 Walker先生は厳しく、生徒から常にベストを求める人だった。僕は決してそれが嫌ではなかった。彼の教えに対する姿勢は、その教室で僕たちが格闘していることが、この世で最も重要なことだと思わせてくれた。また、彼が僕に言葉の大切さを教えてくれた人でもある。今、これを書きながらも、ああでもない、こうでもないと、真実を伝えるために言葉に迷う自分がいる。

どんな言葉を選び、発するのかがその人物の人間性を物語る。そして、次の言葉を選ぶのに最善を尽くした時、我々はその一瞬に意味を見出すことができる。我々はそうして各々の人生を綴っていく。

Walker先生が教えてくれたのはそんなことだった。

 たった数行の文章を書くのに幾晩徹夜したことだろう。彼に認めてもらい、自分がやっていることは間違っていないと知ることが、自分が存在する意味さえ教えてくれるような気がしていた。彼から容赦なく投げかけられる批判からは自分が期待されていることを知り、時折頂いた賛辞からは、僕でさえこの世に貢献できる大事な何かを持っている、そう思わせてくれた。Walker先生との出会いが、僕に教育の道を選ばせたのだ。

 二人目の先生は、教員になってから出会った恩師、小関先生だ。彼からはここで語り尽くせぬ程のことを教えて頂いたが、そんな中でも、教えるということ、愛するということ、先生になるということの意味を教えて頂いた。

自分が生徒たちと分かち合いたい人生のレッスンはいくらでもある。でも、それら全て、一つのことに集約できるように感じる。

人生の先生を持つことだ。

それがどれだけ幸せなことか。

以前、生徒がいるからこそ頑張れると書いたが、その生徒を持たせてくれたのは、自分の二人の先生だ。人生の先生とは、頑張るためのモチベーション、無知な自分に対する謙虚さ、知らないことに対する敬意とそれに挑もうとする勇気、自分の未知なる可能性に対する前向きな姿勢、責任、そして愛、それら全ての源となる。

教員として、自分が目指したのはそんな人生の先生であるし、いつの日かそうなりたいと今でも願っている。