ラベル 留学体験 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
ラベル 留学体験 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示

2012年9月11日火曜日

9.11 ―危機における教えと学び― (編)


セントラルパークから見えたグランドゼロの光線

 


今日、911日はMaxine Greene教授との今学期最初の授業だった。彼女のアシスタントとなって2年目の今年は、彼女の方から「一緒に教えよう」と声をかけてくれた。彼女が94歳という高齢なこともあり、やることは尽きない。今はほぼ2日に1度の頻度で彼女に会っている。

 

それにしても、最初の授業が911日とは、何という偶然だろう。

 

Maxineと話し合い、9.11にちなんで、今回のテーマを、 “Teaching and Learning on the Verge”(瀬戸際の教えと学び)と名付けた。

 

扱った題材は3つ。

 

Forever After: New York City Teachers on 9/11 (Preface by Maxine Greene, 2006, TC Press)

Dialectic of Freedom, Chapter 1 (Maxine Greene, 1988, TC Press)

“Teaching in a moment of crisis: The spaces of imagination” (Maxine Greene, 2005, The New Educator)

 

今学期は生徒が26人もいるので、ありきたりの自己紹介ではなく、「9.11と自分」というテーマで、あの日あの時の自分を話してもらうことにした。

 

年代も20代前半から50代、国籍もアメリカ人の他に日本、中国、エクアドル、コロンビア、イスラエル、バーレーンと実に多様なグループだ。

 

知人をなくした人もいれば、テスト中にそのニュースが教室に届けられたにもかかわらず、何事もなかったようにテストを続けるように指導されたアメリカ人学生、当時イスラム教原理主義の学校に通っていて、学校全体が祝福ムードとなったというバーレーン出身の女性もいた。

 

場所も年代も異なり、しばしばぶつかり合う世界中の様々な観点。それらを持ち寄り、9.11という悲劇を一つのモザイク画にする…。その絵が完成することはないが、新たな観点が寄せられる度に、空白が埋められていく。

 

Maxineのある言葉を思い出した。

 

 

 

“No one of us can see the whole or sing the whole. Since I was a little child, I have known that all perspectives are contingent, that no one’s picture is complete.”         Maxine Greene

Releasing the imagination: Essays on education, the arts, and social change.

 

「全てが見え、全てが歌える者は私達の中には一人もいない。全ての視点は環境次第であり、誰の絵も、完全なものはないということに、私は幼い頃から気付いていた。」 マキシーン・グリーン 

『イマジネーションを解き放つ ~教育、芸術、社会変革についてのエッセイ集~』

 

 

 

これは僕の博士論文とも深くかかわってくる。

 

9.11をとってもわかるように、僕らには一人ひとり違った物語がある。

 

でも、なぜ僕らは自分達が語る物語を語るのか。その物語が生まれる背景にはどんな力が働いていたのか。それを追求した時、どんな世界が見えてくるのか…。

 

 

 

 

幸い、リスクをとることを恐れない、勇気ある生徒達だ。

 

次はAlbert CamuThe Plagueという小説を皆で読む。

 

当たり前の日常が音を立てて崩れ去った時、人々はどうするか。

 

生きること、そして 「自由」 の意味を考えていく。

 


Posted by Picasa

2012年4月8日日曜日

再開の時 ~Time to begin again~

2009年、8月に始めてから、今までこんなにブログから遠ざかったことは一度もなかった。最後に更新したのが昨年1217日、あれから4ヶ月が経とうとしている。別に病気だったわけではない。あまりにも忙しすぎて気持ちがブログに向かなかったと言った方が正しい。



最近になり、自分より若い世代からあいついで熱いメッセージをもらった。それらがブログ再開のきっかけを僕にくれた。



一人は、NHK 『白熱教室』 に出ている僕の姿を見たという僕の中学校教員時代の生徒。「教室の一番前で熱心に講義に参加する先生に久しぶりに心を動かされました。そして、無性に先生に今の自分の話をきいてほしくなり、勝手ながらまたご連絡させていただきました」 と書いてくれた。そして、大学で毎日本当に充実した日々を送っているという彼は、メッセージの最後にこう書いている。



「高校でもまれて、大学でたくさんいろんなことを感じて、こうして成長できているのも中学の頃のバカな自分がいたからで、小関先生から言われた 「大裕ががっかりしてたよ」 があったからかなーとも思います・・・()



もう一人は、 「教師を目指し、子育てをしながら勉強している」 という小関先生の元教え子。当時は、「根性もなければ、意志も弱く、いつも泣いてばかりいる生徒」 だったという彼女。そんな彼女にとって、このブログで読む小関先生の姿は衝撃的だったそうだ。



「中学生の私には見えていなかった小関先生の教師としての姿を見たような気がした。」



大人になった彼女は、最後に力強い決意を綴っている。



「私は、小関先生に信念を持って目標に向かって努力すること、それは周りに支えられて初めてできることを学びました。その生き方を、小関先生が背中で教えてくださったように、私も私の一生懸命生きる背中で将来子どもに示せる教師になりたいと思っています。」



教師という仕事の面白さは、自分の努力の成果がいつになって表れるかわからないところだ。この生徒から、教師になりたいと思うと相談された小関先生は、「今になってかえってきた」 と、心から喜んでおられた。僕自身、先に紹介した生徒からメールがあった時は、嬉しくてすぐに小関先生にメールを打った。



「へたくそでも一生懸命やっていればいつか必ず返ってくる。」 小関先生の言葉通りです。



小関先生は、彼の生徒との係わりを通して、僕にこう教えてくれる。



先生というのは 巣立っていった生徒たちが 
いつでも帰れる心の家。



新たな道へ進もうとしている二人に、そして、どこでこれを読んでいるかもしれない教え子たちに、心からエールを送りたい。頑張れ。







思い返せば、このブログは小関先生の学びを振り返る場であるとともに、自分の中学校教員時代の生徒たちに対して、決して満足のいくことのなかった自分の教えを継続する唯一の場所でもあった。『白熱教室』 に出たのも、日本人留学生は外人に負けてなんかいないということを行動で見せるため、そして願わくば元教え子たちに自分がアメリカで頑張っている姿を見せたいという想いからだった。こちらでの僕の激しい日々を全て言葉として記録することには限界があるが、また少しずつ分かち合っていきたいと思う。



さて、今更という感じはするが、おかげさまで2011年も 「人生最良の年」 を更新することができた。「激動の年」 と呼ぶにふさわしい一年だった。



2010年の年末にチュニジアで端を発した 「アラブの春」 は瞬く間に近隣諸国に飛び火し、自らの命を顧みずに自由を求めるアラブの民の姿は、世界中に衝撃と勇気、そして革命の機運をもたらした。






アメリカで最初に立ち上がったのはウィスコンシン州の人々だった。2010年のアメリカ中間選挙で就任したばかりの新知事の過激な労働組合解体法案に対し、実に10万人以上の人々が州議事堂に詰め寄せ、デモ運動を繰り広げた。その光景に心動かされた僕自身、もう一つのブログ、 『アメリカ教育最前線』 を通してその模様を日本に必死に伝えた。労働組合が解体すれば、政治において年々力を増しているコーポレートマネーに対抗できる力が失われるの必然、そしてこれは日本にとって決して関係のない話ではないと感じたからだ。



そしてそんな最中に起きたのが東日本大震災だった。ウィスコンシンの人々の多くは、問題の労働組合解体法案が明るみに出たとき、「これこそが我々の瞬間」 と口々に言い、エジプトの人々に彼ら自身も立ち上がったというメッセージを伝えている。だから、3.11のニュースを聞いた時、「今度は自分の番だ」 と僕が感じたのは決して不思議なことではなかった。それから一年、実に様々なプロジェクトにかかわってきた。『世界から日本へ1000のメッセージ』



コロンビア大学での様々な募金活動

日経新聞 3月27日





その中でも、震災直後からかかわってきた取り組みの一つにConsortiumfor Japan Relief (CJR) というものがある。最初は、単にコロンビア大学における様々な復興支援活動に取り組んでいる各団体のリーダーたちが集まって状況報告をする場所だった。それが時の経過とともに、一つの組織となっていった。様々なスクールの学生と教授らが分野や年齢の枠を超えて共に活動する、実にダイナミックな組織だ。



CJRの活動はまだまだ終わってはいない。昨年10月、震災から半年後を機に、政治、経済、災害対策、放射能、メンタルヘルスの5分野から多角的に東日本大震災を検証したシンポジウムに続き、つい今週、4月の4日には震災から一年を期して、東北や9.11後のニューヨークで活躍するの専門家を呼び、メンタルヘルスにフォーカスを置いたシンポジウム(ニュース報道映像)を行った。それと同時に、日本だけでなくタイ、ハイチ、インドネシアを中心とした、近年大災害に見舞われた国の学生を集め、UnitedStudents for Disaster Relief/Recovery という復興支援サイトを立ち上げた。自分たちが展開した復興支援活動を通してそれぞれが得た知識と経験を形として残そうじゃないかという呼びかけから始まった。まずは各国の学生たちがそれぞれの活動を振り返り、そのクロス分析から得られるレッスンと、次に大規模な自然災害が起きた時にすぐにでも使えるノウハウを提起した復興支援専門のウィキだ。



僕らは、このサイトを 「会話の始まり」 だと考えている。今回は、44日のシンポジウムにおけるプレゼンに合わせ、コロンビア大学内での義援金収集活動に焦点を絞ったが、今後、復興支援活動のその他の側面、そして他大学、他団体による活動にまで輪を広げていけたらと願っている。誰でもメンバーシップを申請できるので、一人でも多くの人に会話に参加して頂けたら幸いだ。このような形で、自然災害にまつわる活動のリーダーシップを取っていくのは、災害大国日本に与えられた使命なのではないだろうか。



今回のイベントを行うにあたり、僕はCJRの初代代表という大役を任せて頂いた。メンバー全員が学生や教授という立場から、このイベントは皆が各々の自由な意志に基づき、空き時間を無理やり作って初めて成し遂げられたイベントだった。多くの時間とエネルギーが費やされた。その甲斐あって、当日は日本総領事館の廣木大使を始めとする150名程が会場に訪れ、終了後には多くのポジティブなフィードバックを頂いた。CJRは、あの大震災に何か意味を見出そうとした人々が集まってできた組織だ。きっと、亡くなった方々や今も苦しむ被災者に想いを寄せ、こうして会話を続けていくことに最大の意味があるのではないかと思う。



今回のイベントは、僕に人と人との繋がりの大切さと喜びを再確認させてくれるものだった。実に多くの人が手を貸してくれた。中でも、ウィキの作成に当たり、同じTeachers Collegeの佐伯さんとSIPAの兼松さんが、授業や課題で詰まった過密スケジュールの合間を縫って力を貸してくれた。何度もミーティングを繰り返し、議論を重ねた。何よりもお二人の友情に感謝したい。



傍から見れば、このような活動は大学院生である僕にとって 「余計」 なことなのだろう。でも、もし大学院生の仕事が 「学び」 であれば、余計なことは一つもない。



実は、これら日本の復興支援活動とは別に、更に大きなプロジェクトに現在取り組んでいる。間違いなく、これまでで人生最大のプロジェクトだ。実際、どこから話し始めたら良いのかわからずに今まで書けずにきた部分が大きい。来週火曜日から一週間カナダに学会に行く。その前に少しでも書き始めればと思う。

2011年11月27日日曜日

Occupy Wall Street と Maxine Greene教授 Part 2

ティーチャーズカレッジの日本人の仲間と始めた『世界から日本へ1000のメッセージ』に寄せてくれたMaxineのメッセージ。




ある時、Maxineが僕にこう訊いた。(*ちなみに彼女はDr. Greeneと呼ばれるのを嫌い、多くの人々に親しみをもってファーストネームで呼ばれている。)

“What do you hope to do when you finish your dissertation?”

 「博士論文を終えた後あなたは何をやりたいの?」
“Well, I’m not sure, but I don’t want to be an academic. I want to be an activist.”
「ええ、まだはっきりとはしてないのですが、学者にはなりたくないと思っています。活動家になりたいですね」、と僕は正直に答えた。

すると、Maxineはこう応えた。

“I hope an academic can be an activist as well.”
「学者でも活動家になれると思いたいわ。」

 唸る想いがした。

確かにそうだ。それはMaxine自身が身をもって示している。学者である前に一人のアクティビスト(活動家)である彼女は、アメリカ社会を蝕む無関心を危惧し、既に1970年代から哲学を通して人々の麻痺した意識の改革に取り組んできた。

1973年出版の名著、Teacher as Stranger(日本語にしたら『よそ者としての教師』という訳が一番近いように思う)では、「哲学をすること」(“to do philosophy”)の重要性を次のように説いている。


“To do philosophy, then, is to become highly conscious of the phenomena and events in the world as it presents itself to consciousness. To do philosophy, as Jean-Paul Sartre says, is to develop a fundamental project, to go beyond the situations one confronts and refuse reality as given in the name of a reality to be produced.”


「哲学をすることとは、世界が自分の意識の前に姿を現す時、そこで起こる現象や出来事に対して高い意識をもつことだ。哲学をすることとは、ジャン=ポール・サルトルが言うように、根源的なプロジェクトをつくることであり、対峙する日常を超え、創られるべく現実の名の下にあたりまえの現実を拒むことだ。」*強調は僕のもの。)


『よそ者としての教師』とは何とも妙なタイトルだと思うかもしれないが、「よそ者」というのは意識の状態を指している。

「よそ者」には変化の無い日常にどっぷりとつかった地元の人間には無い意識の高さがある。我々は、新しい土地に行く時、馴染みのない文化や制度、新しい人々や生活スタイル、見慣れない地形や物事に触れ、何もかもが新鮮に見える。その土地の良い所もたくさん見つかれば、気に入らないことも見つかるかもしれない。そして必然的にたくさんの「なぜ?」という疑問が生まれる。よそ者にとって、目の前の現実とは、地元の人にとってそうであるように、あたりまえなものとは程遠い。
きっとMaxineはこう言いたいのだと思う。

もし我々が、大人には予想もできない子どもの無限の可能性を本当に信じるならば、彼らと接する教師がそのような高い意識で日々の生活を送らねばならない。目の前の現実を、ただ当たり前と受け入れるのではなく、一時的な、これから創られるべく現実としての未知なる可能性を信じ、生徒に教えなくてはならない。

僕が今、Occupy Wall Street (OWS) に参加しているのは、Maxineの影響が強い。
残念ながら今学期初めに肺炎を患い、今でも外部から鼻に入る管によって酸素を摂取している状態のため、彼女は自宅から出ることができない。でも、OWSのような運動を前にして、Maxineの活動家の血が騒がないはずがない。

 もし彼女が元気だったら、すぐにでもLiberty Plazaに駆け付けているだろう。彼女の視点に立って「現実」を見てみたい…。そんな想いが僕の背中を押した。





ブログランキングに投票
ブログランキングに投票

Occupy Wall Street と Maxine Greene教授

“Do not wish to be a student in contrast to being a man. Do not study as a student, but as a man who is alive and who cares.”



「生徒であろうとする前に、人間であろう。一人の生徒としてではなく、命の通った、愛情深い一人の人間として勉強しよう。」



これは、Thomas Hayden(トーマス・ハイデン)という一人の学生の言葉だ。彼は、1960年代にアメリカの公民権運動で活躍したStudents for a Democratic Society(民主的社会を目指す学生の会)の創始者で、これは1962年のミシガン大学でのスピーチからの抜粋だ。



この言葉を教えてくれたのはこのブログに何度か登場しているMaxine Greene(マキシン・グリーン)だ。一か月以内に94歳になる彼女は、今いるコロンビア大学ティーチャーズカレッジの名誉教授(教育哲学)で、現役の教授の中ではダントツの最年長だ。実に1917年生まれだ。今を生きる我々の多くにとっては歴史上の人物であるJohn Dewey(ジョン・デューイ)の元隣人であったり、Paulo Freire(パウロ・フレイレ)の誕生パーティーを2回ほど家でやってあげたりしたと言うから驚くばかりだ。



ただ長生きしているだけではない。American Educational Research Association (AREA), Philosophy of Education Society, American Educational Studies Association (AESA), and the Middle Atlantic States Philosophy of Education Societyという4つの学会の会長を歴任、現在11の名誉学位を持つスーパーウーマンだ。(詳しくは彼女財団のHPから)



彼女との最初の出会いは15年前、僕がまだ学部生の時に読んだ彼女のThe Dialectic of Freedomという本だった。様々な文学やアートを織り込んで描き出す独特な哲学観は僕に大きな衝撃を与えた。



2008年にティーチャーズカレッジに入学した時、僕が真っ先に取ったのは言うまでもなく彼女の授業だった。週一回、5th Avenueのセントラルパークが一望できる彼女のマンションで行われる授業では、幅広い年齢層で実に多様な歴を持つ人々がそれぞれの肩書を捨てて集まり、文学やアートが創りだす創造的な空間の中で、人間の根源的な問題を語り合った。



それ以降、何か機会がある度に彼女とダイアローグを続けてきた。






そして今、僕は彼女の助手をしている。

2011年春。卒業式の前に。

(続く…)

ブログランキングに投票
ブログランキングに投票

2011年11月26日土曜日

11月27日(日) NHK 『コロンビア白熱教室』に出ます



明日、11月27日(日)オンエア予定のNHK 『コロンビア白熱教室』という番組に出る。教授は、『選択の科学』で知られる盲目の女性教授、シーナ・アイエンガー。第1回のテーマは、「あなたの人生を決めるのは偶然?選択?」だ。



2008年に教員の仕事に区切りをつけて再留学して以来、自分の生き方を通して、生徒たちに伝え切れなかったことを伝えようとしてきた。このブログもその意味合いが強い。こちらで勉強しながら、自分が頑張っている姿を生徒たちに少しでも見せることができたらと思ってきた。



この度、コロンビア大学のビジネススクールの方から、NHK特集する授業に参加しないかとのお誘いを頂き、絶好の機会と思い参加した



授業中は一番発表したうちの一人だったので、もし編集されていなければ少しは映るだろう。



詳細は以下の通り。



Eテレ 

午後6時から6時58分


*ちなみに、5回に渡って放送されるが、5回目、12月25日オンエアの授業にも参加した

ブログランキングに投票
ブログランキングに投票

2011年11月21日月曜日

Occupy Wall Street 最大の意義

March on Brooklyn Bridge (NY Times)

  様々なメディアで報じられている共通点として、次に、この運動を通して何をしたいのか、その目的がはっきりしないということがメディアで批判されている。


99% vs. 1%という大きな枠組みはわかる。でもWall Street近くのZuccotti Park‘Liberty Plaza’)を占拠していったい何になるのだ?」と彼らは問う。


僕自身も最初はわからなかった。しかし、デモに参加し、いろいろ調べていくにつれ、これも的外れな批判であることがわかってきた。

 第一に、Zuccotti Parkの占拠は象徴的なアクションに過ぎない。だからどうだというわけではないのだ。


 Wall Streetの占拠というのも、別にウォール街を金融街として見ているわけではなく、アメリカ社会における権力の象徴と見ているのだ。もちろんウォール街で何かをいじくったところで政治が動かなければ何も変わるわけはない。でも、その政治を動かしているのはウォール街の中枢にある大銀行や証券会社のトップや金融ロビーイスト達だ。そこまで見据えて首都ワシントンではなくあえてウォール街を選んだのだと僕は思っている。


Liberty Plazaテント村の強制退去後、高層ビルの上からその汚さに文句を言う1%

「わかった。だとしても、ウォール街でデモをしていったい何が変わるのだ?」と思うかもしれない。


 しかし、目的がはっきりしないのではなく、目的をはっきりさせていないのだと僕は思っている。目的をはっきりさせてしまえば、それは運動を狭めることになる。しかし、99% vs. 1%という枠組みだけを打ち出すことが、多様な人々をも巻き込むことに繋がっているのだ。そしてこのルースな枠組みこそが、広がるばかりの格差を同じように肌で感じている多くの国々の人々に響いたのだ。
 ピューリッツァー賞受賞ジャーナリストChris Hedgesは、具体的な要求を出していないのはこの運動の強みであるし、要求リストを作るには時期尚早だと言う。どこまでこの運動が膨らみ、どんな大きな要求を提示できるのか、今は様子をうかがうべきだ、と。


Occupy Wall Streetの最大の意義…。


僕が思うにそれは、Corporate State — 企業による企業のための国家 が生み出した、政治さえもお金で買われてしまう民主的空白に、民意を反映できる新しいスペースを創ったことにある。


彼らが創ったそのスペースは今、Zuccotti Parkという公園の枠を遥かに超え、多くの都市、国々、インターネット、数え切れないほどの人々の意識の中まで広がりつつある。


そしてそれは社会的なダイアローグと変化のためのパブリックスペースに他ならない。

(続く…)

2011年11月20日日曜日

Occupy Wall Street 百聞は一見にしかず



11月17日、OWS運動開始2か月記念日のNYのデモの様子


日本では、Occupy Wall Street運動 (OWS) はどのように報道されているのだろうか。日本のGoogle Newsを自分のコンピューターのホームページに設定しているが、それを見る限りではたいして取り上げられていないように感じる。それが自分の勘違いなら喜んで自分の非を認めたいところだが、とりあえずは、「日本よ、世界の波に乗り遅れるな」という気持ちでこれを書いている。

アメリカ国内では、OWSに関する情報が明らかに氾濫している。加えて、矛盾する情報が多すぎることが、たくさんの人々を「傍観者」の立場に追いやっているきらいがある。

ただ、それらの情報にも幾つかの共通点がある。それらを足がかりにOWSを考えていきたいと思う。

各メディアに見られる共通点、そこから生まれる疑問

まずは、9月17日に始まったばかりのこの運動が、2カ月も経たないうちに多くの都市、そして国々に飛び火したということ。参加者も多様化してきていて、開始当初は若い白人男性が多かったというのが僕の理解だが、今では実に様々な人種、ジェンダー、年齢層、政見の人々がテレビや新聞に映っている。そして、この運動を通して何をしたいのか、その目的がはっきりとしないこと。また、最近特に目立つのは、政府との衝突が増えていることだ。

今大事なのは、これらの現象に対する「なぜ?」という問いであるように思う。そしてその答えを自分がこの運動に参加し、この目で見たことから探してみたい。


NY市長ブルームバーグの指示によって強制退去させられる前のLiberty Plaza

 OWSがこれといったリーダーもいなく、非常につかみどころのない集団だということは、事前に僕の耳にも入っていた。しかし、ちょうど1ヶ月くらい前の10月中旬、僕が初めてOccupy Wall Street運動の中心地である‘Liberty Plaza’ (正式名はZuccotti Park) を訪れた時にまず驚いたのは、そのつかみどころのなさが可能にする参加者の多様性だった。

その多様性の高さは、格差解消や1%の富裕層に対する増税を訴えている人たちが「普通」に見える程で、例えばアメリカ先住民たちの「ウォールストリートの非植民地化」(“Decolonize Wall Street”) を訴えるグループ、イラクとアフガニスタンからの軍隊の撤退を求める退役軍人のグループ、





子どもにフォーカスを当てた「公教育支援」(“Support Public Education”) や 「イノセンスのための占領」 (“Occupy for Innocence”) を訴えるグループ、





遺伝子組み換え食品に反対する 「反GMO (Genetically Modified Organisms) シェフ同盟」(“Chefs against GMO’s”)





それにホームレスや60年代からタイムスリップしてきたヒッピー達…。歩きながら思わず笑ってしまう程めちゃくちゃな集団だった。

だからといって、これをOWSのマイナス要素と思ったら大間違いだ。なぜこんなに短期間に多くの都市、国々、そして人々に飛び火したのか、という疑問の一つの答えがここにある。この運動を一番最初からカバーしてきた数少ないインディペンデントニュース番組、Democracy NowのキャスターであるAmy Goodmanは、このつかみどころのなさ、ルーズな組織の在り方こそがOWSの強みであり、世界中の様々な運動を繋げているのだと主張する。その通りだと思う。

もう一つ注目すべきは、このように異なるだけでなく時には対立する主張を唱えるグループが共存しているにもかかわらず、コミュニティーとしての様々な決定が日々行われる全体集会における合意形成を通してなされていることだ。そんなことが可能なのかと疑ってしまいたくなるが、彼らは最初からそうしてきたし、その困難な意志決定プロセスに耐える気持ちのある者たちが新たに加わってくるのだ。それぞれのグループが思い思いの主張をするだけではなく、そこには「コミュニティー」としての確かな前提がある。

ある意味、このやり方は必然だったのかもしれない。OWSに参加する者のほとんどは、自分たちの声が政治に反映されない今日のアメリカの「民主主義」の在り方に不満を抱いている人々だ。OWSに批判的な人たち、特に政治家たちは、何故彼らは政治の場で、個人の投票権を活かして自分の立場を主張しないのか、と的外れなことを言う。彼らがストリートを活動の場に選んだのは、政治の場ではもはやそれが不可能になっているからだ。


2010年、米国連邦最高裁は、Citizens United v. Federal Election Commissionという裁判で、企業は個人であり、お金はスピーチと同じと見なされるという判決を出し、以降アメリカでは企業は際限なく政治家に献金できることになってしまった。(より詳しくはこちらの記事を参照。)同時に、現在「自由の国」アメリカでは、貧しい人にとっては投票することさえ難しくなっている。2008年の大統領選でオバマが以前は選挙日に投票さえしていなかった貧困層、マイノリティー、そして学生たちから指示を得たことが最大の勝因と分析されたことを受け、共和党が複数の州で「不正投票防止」の目的で、投票手続きをより複雑でお金のかかるものにしているのだ。中には、申請にお金や時間がかかる州独自の新たな身分証明書の提示を投票所で求めたり、仕事のため時間的に制限があり投票が困難な人々のために設けられていた簡易投票所を廃止したりと、あの手この手で投票するためのハードルが上げられている。(詳しくはこちらのビデオで。)


こんな状況の中、Occupy Wall Street 運動は、多くの人にとって自分の主張や不満を表現できる唯一の場所であり、彼らにとっての民主主義の形そのものなのだ。



(続く…)