2012年8月8日水曜日

ウルム大聖堂前で




昔のものは、贅沢につくられているものが多い。



そう感じるようになったのは、以前 『サンクチュアリー』 で紹介したコロンビア大学のUnion Theological Seminaryに行くようになってからだ。



古い建物で、柱はもちろんのこと、階段の裏側まで施される凝った細工からは、贅沢に使われた時間と資源、そして昔の建築家のプライドが感じられる。



そのSeminaryが建築されたのは1908年。今訪問しているウルムにある大聖堂の建築が始められたのは実に1377年(完成は1890年)だ。歴史の深さも違えば、贅沢さのスケールも違う。







今回改めて感じたのは、スペースの贅沢さだ。



ウルムの大聖堂の前には、半径100mくらいはあるかと思われる大広場があり、そこではコンサートなど様々なイベントが行われる。



そして毎週土曜日にはその大広場に市が立ち、ところ狭しと出店が並ぶ。僕らが行った時も大勢の人々で市場は賑わっていた。



生き生きとした、色とりどりの花、バター、牛乳、チーズなどの乳製品、実にバラエティーに富んだハムやソーセージ、そして新鮮なフルーツと野菜…。



実に活気がある。



昔の人はなんて先見性があったのだろうと思う。



このような大広場を、仮に今、街の中心につくろうとしても実現しないだろう。



効率性と利益ばかりを追求しがちなこの世の中では、そんなことをするくらいだったら、一大ショッピングモールをつくれ、いや高級住宅地にしよう、などと反対されるのは目に見えている。



でも昔のヨーロッパの人々は、街の中心には当然のように人々が集まれる広場をつくってきた。これはイタリアに行った時にも感じたことだ。Platz(プラザ)と呼ばれる広場がなんと多いことか。そして、それらは今でも多くの人々の憩いの場となっている。



本を読んだり、アイスクリームを食べたり、恋人と寝そべったり、大道芸人の技に見入ったり…。実に時間がゆっくりと流れ、平和を実感させてくれる。







以前、小関先生の恩師である奥村先生が仰っていたことを思い出した。



これからの日本は、人間関係が築けなくなった人々を、学校が地域の核となって結び付けていくしかない。



むろんそれは、教育力の低迷する日本の学校と教員たちへの叱咤激励を込めてのことだ。



でも言えるのは、日本に地域の核となり得るものが消えてきているということだろう。



もっと言えば、社会が社会として機能していないということだと思う。



核のない社会。



必要性に基づき集まったわけではなく、どうして一緒に暮らしているのかもわからない。



一緒に暮らしているという実感すらないかもしれない。



人々が集まり、共にコミュニティーのことを考える、そんなパブリックスペースの構築が今、必要とされている。



そんなことを、ウルム大聖堂前の広場に思った。




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2012年8月5日日曜日

旅人と教会

今、ドイツのウルム(Ulm)という所に来ている。高さ世界一を誇るウルム大聖堂で知られる都市だ。




ウルムでは、ドイツ人研究者と結婚した妻の姉の家でお世話になっている。




昨日の朝、どこに行く当てもなく、一人で走りに行った。




家を出て、しばらく坂を下るとドナウ川に出る。




ドナウを上り、ウルムの町まで走るか、反対にドナウを下るか。




僕はまだ行ったことのない道を走るのが好きだ。ドナウが次にどんな景色を見せてくれるのか知りたくて、下ってみることにした。




しばらく走ると、道はドナウを逸れ、目の前に広大な農地が現れた。





トウモロコシと小麦畑が広がる、ドイツらしい景色だ。




どこへ向かうのかさっぱりわからないまま、ほとんど車も通らない田舎道を走る。




遠くに教会らしいものが見えてきたので、僕はその方角に走った。



写真中央より少し左側に、教会と思われる建築物のてっぺんが見えるのがわかるだろうか。

教会は町で最も高い建築物であることが多い。人々がお金を出し合い、町の威厳をかけて、立派なものを作ろうとするからだろう。




そしてきっと、ヨーロッパでは、何百年にも渡り、教会は旅人を町へと誘導する役割を果たしてきたのだろう。岬にある灯台が方角を知らせ、船を安全に誘導するように。




そんなことを考えるうちに、僕は自分が中世の旅人であるような錯覚におそわれた。




教会のふもとにある町は、どんな所なのだろう。




人々はどんな暮らしをしているのだろう。




日本人はいるのだろうか。




僕は受け入れてもらえるのだろうか。










辿り着いたのは、Neu Ulmという都市の離れ町だった。




こぢんまりとした、かわいい町だった。




アジア人どころか、黒人も一人もいない。




それでも、通りすがった人たちは僕に挨拶を返してくれた。




商店街と思われる所に、一軒の可愛らしいパン屋さんを見つけた。







おいしそうなパンばかりだ。




その中から、焼き立てと思われる小さな丸いパンを選んで買った。




プレッツェルのような、シンプルでも味わい深いパンだった。




その町に暮らす人々のことを、ほんのちょっとだけ、知ることができた気がした。