2012年9月23日日曜日

教員の落とし穴



今日、小関先生の一言で、教員駆け出しだった頃の自分を振り返った。


希望いっぱい夢いっぱい、全ての子ども達の人生を変えられると信じていた、教えたがりの自分。


生徒を目の前にする度に、何か伝えなくちゃ、教えなくちゃという焦りがつきまとった。


頼まれてもいない説教や、いろいろな人のありがたい話。


口だけの、薄っぺらい話。


自分の言葉ではない。


子どもは、そういうこともちゃんと感じ取る。


言葉はどんどん軽くなり、話すことがなくなっていく。




3年ほどの月日が経ち、やっとわかったこと。


「教えられることなんか何もない。」


それに気付いた時、初めて自分の「教え」は始まった。


ある時、教えられずに悩む自分に小関先生が言った。


「悩みながら学んでいる自分の姿を生徒に見せればいいじゃないか。」


「教える」こと、それは自分が学ぶことだった。




小関先生は、僕によくこう訊いてきた。


「語ってるか?」


もし、今自分が教員に戻ったら、僕は子どもに耳を傾けることから始めたい。


小関先生の恩師、奥村先生が教えて下さった言葉。


「傾聴と会話」


僕は、生徒との会話の中で、大いにありのままの自分を語るだろう。


学校や、社会に対する憤り、未来への可能性、自分がやろうとしていること、自分がわからないこと、大人や一教員としての苦悩、そして希望…。


きっと口数は少ない代わりに、体で、行動で多くのことを語るだろう。

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