2013年1月27日日曜日

「計算」〜 ヨネ2 〜 



『翼』、そして丸』と、これまで二人の生徒との再会をシリーズものとして書いた。やっともう一つ、書けそうな気がする。思えば、翼の時は、ある問いに対する答えを出すため、丸の時は、自分の教え子というより、小関先生の愛弟子として、彼女から学ぶため、自分が反省するために会いに行った。今回の米倉との再会もまた、全く違った意味合いを持っていた。



待ち合わせしたのは海浜幕張駅。あれこれ考えたあげく、ぶっ飛ばすこともなきにしもあらずと思い、ジーンズとラガーシャツといった体育会系な格好で行くことにした。

来る前、あいつにどう接しようか迷っている自分がいた。

どんな表情をすべきか。第一声はどうするか。どういう口調で話すか。どんな風に待ち構えようか。

そんなことを考えながら、とりあえずは背負っていたリュックは地面におろし、両手をジャケットのポケットに突っ込み、背筋を伸ばした。

ただ、他のことに関しては、予め決めた態度で臨むのはやめにした。考えてみれば、以前はそうしてしくじることが多かったように思う。まずは数年ぶりに会う米倉をよく見極めた上で自分の態度を決めることにした。

そして、とりあえずは、今まで持てなかった愛情をもって、米倉の手綱を引き締めることを自分の目標とした。

米倉を待っている間に、小関先生に確認の電話をすることにした。

思い返せばいつもそうだった。中学校教員時代、何か大事な指導をする前には、必ずそうして小関先生に確認していた。

「先生、これで行こうと思うんですけど、どうですか。」

そんなことを思い返していたら、放課後、薄暗くなった校舎のイメージのあの懐かしい感覚が自分に戻ってきて、どこか嬉しかった。

先生が電話に出た。

今まで持てなかった愛情をもって、米倉の手綱を引き締めるという方向でやろうと思うと告げたところ、「いいんじゃないの。」という返事が返って来た。

そしてこう足した。「ま、うぬぼれるな、というところだろ。」

米倉に関しては、既に小関先生を通して風の噂が入ってきていた。その噂では、キャバクラを3店舗経営しているとのことだった。

昼飯はどこで食おうかといろいろ考えたが、懐かしの道を通って、二人にとって思い出ある一軒の店に連れていくことにした。

使えるもんは全部使う。小関先生の教え通りだ。

そういえば昔、地元の番長だった  の兄•ダイキとの関係をつくる時に、わざわざ渋谷まで連れて行ったこともある。

ちょっと前に偶然新検見川の飲み屋で遭遇してしまった時、ダイキにとってお酒はあまり経験のない世界であるのはわかっていた。だから、あえて大人の世界に連れて行き、そこで男同士の話をすることにした。

情けないが、これは裏返して言えば、当時の自分には普通の状況でダイキとさしで話をする器量はなかったということだった。 

連れて行ったのは渋谷の『汁ベえ』。よく使った店だった。

今でこそメジャーになってしまったが、当時は知る人ぞ知る隠れ家だった。え、こんな所に店があるの?というようなビルの裏の狭い渡り廊下を通り、かがまないととても入れない小さな入り口の奥に広がる大人の空間。

そこに入った瞬間、勝負はついていた。

「俺こうゆうとこ来たことないんだよね。」

日頃、怖いもの無しで地元を仕切るダイキが、少年の目つきでそう言った。

そこからは完全にこっちのペースだった。ビールから始め、竹酒を飲み、ガスバーナーで炙る汁ベえ名物のシメ鯖を喰らい、それでも熱く弟の翼のことを話し合った。 

あいつは今のままじゃこの先生きていけない。
兄貴としてお前はどうするのか。 

ダイキもだてに地元をまとめてるわけじゃないから、ちゃんと話せば話のわかる男だった。あいつなりに弟のことを愛してるし、当時の翼に満足してるはずもなかった。さんざん飲んで語ったあげく、力を合わせていこうということになった。

最後には、ダイキの中学校時代の悪事の数々に話が及び、その場の勢いで気持ちよく頭をはたかせてもらった。今になってダイキに打ち明けるのは心許ない気もするが、実は、ダイキの頭をはたくというのは、「ここまでもって行ければ」といった、自分の中の目安だった。だから狙い通り。自分としては上出来だった。地元での立ち話だったらまずあり得なかったことだろう。

でも、あの時の飲みがなければ、ダイキの協力がなければ、翼もその下の弟の夢(ユメ)もどうなっていたかわからない。兄弟だけじゃない。地元で面倒くさい奴らはダイキにひとこと言うだけですぐに何とかしてくれた。だから感謝している。

そのダイキ、最後に直接話をしたのは数年前のことだ。『翼』を書いた夏、日本に一時帰国する前に翼に連絡を取るため、ダイキに国際電話をかけた。自分のこともいろいろ話してくれた。親父さんの会社で塗装の仕事をしていて、今では現場を任されているとのことだった。話の流れから、当時友人に勧められて読んでいた、『木の命、木の心』という法隆寺の宮大工の棟梁の本を紹介し、贈ってやることにした。

その年の9月、ダイキと翼の弟であるユメの担任を任され、「小関塾」(?) 門下生でもある辻さんから、こんなメールが届いた。

今日子守り神社の祭に行きましたダイキ兄ちゃんすぐ近くにいるよと私にえてくれたことで初めてダイキ君としました。「大裕先生に本ありがとうございましたとえてくださいが高校にいきたいといってます学校ではどんな子ですかよろしくおいします 。」と言ってました。『木のいのち木のこころ私もんだよと言いそびれましたがダイキ君色々感じとったから今日の言が出たんだと思いますダイキ君が高校などでつらいによい方向にアドバイスしてくれそうだと感じましたそしての良さが発揮できる先生や友とのよい出会いがあるようにと心から私も情を集めようと思っています大裕先生ダイキ君は素なお兄さんでしたのことも私のこともダイキ君して下さっていたことしています。  

心がいっぱいになった。 

(続く

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