2015年3月27日金曜日

負けから学ぶこと Part II



部活での勝負は、単に勝ち負けがわかり易いというだけで、部活動の外で勝負がないわけじゃない。教科指導、学級指導、生徒指導、どこでも勝負はある。ただ、勝負をするかしないか、勝負と見るか見ないかは、教員しだいだ。授業の中に勝負があることに気付かない教員もたくさんいる。

思い返せば、小関先生は授業が始まる前から勝負を仕掛けていた。授業前、生徒たちが席について先生を待つ。次の授業が数学だと気付き、一人の男子生徒が、慌てて机の横に置いてあった鞄をロッカーに入れに行くと、他の生徒数人がそれに続く。チャイムが鳴り、ドアが開くと、クラスに緊張が走る。小関先生が生徒たちを見渡しながら教壇につくと、日直が号令をかける。

   「きをつけー」

   「やり直し。」

   「はい。きをつけー」

   「やり直し。」

困ったように、日直がクラスメイト達を見渡す。

   「きをつけー」

   「...」

   「礼!」

   「よろしくお願いしまーす!!」

生徒たちが一斉に礼をし、顔を上げる。

   「...」

小関先生は何も言わない。ただじっと生徒たちの方を見ているだけだ。気まずい沈黙が続く。

ハッとして、最後の一人が先生の方を向いたところで、初めて先生は沈黙を破る。

「はい、よろしくお願いします。」

生徒たちの姿勢はできた。勝負ありだ。

その後の授業も驚きだった。生徒たちは先生の言うことを黙って聞くだけかと思えば、そんなことはなく、今まで見たこともないような活発な数学の授業だった。生徒たちは先生を恐れる様子もなく、先生に自由に質問をしたり、発表をしたりしていた。何と言ったらいいか、生徒たちが、先生の引いたラインをよくわかっていて、その中で安心して飛び跳ねているような、そんな不思議な雰囲気だった。

前回の、『負けから学ぶこと』にコメントをくれたのは、全て小関先生の門下生達だが、皆、それぞれの形で勝負に挑み、負け、学んでいる。

勝負をしなければ、負けを突きつけられることはない。

だが、そのかわりに、勝利の味を経験することも、誰かの「教師」になることもないだろう。

だが、もっと言えば、何十年勝負しても、きっと負け続けるのだろう。

それはきっと、「守・破・離」という技を極めるプロセスのほとんどが、最初の「守」であることと、似ているのかもしれない。

          俺なんか、ずっと守ってばかりだ。

いつもそう語っていた小関先生の顔は、どこか有り難そうだった。



4 件のコメント:

  1. 始まりの挨拶、大切ですね。ここから頑張ってみようと思います。負けてました。何が大切か、考え続けて行って、生徒と関わっていかないといけないですね。

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  2. 里枝さん、いつもコメントありがとうございます。生徒のことをやっつけることしか考えていない生徒指導が多い中(正直言って僕も最初はそうでした...)、生徒のために勝負を挑む、そんな「凄み」を小関先生からは感じました。里枝さんがY君との係わりの中で挑んできた勝負のことが思い出されます。きっと他の子たちはY君と本気で向き合おうとしていた里枝さんの姿から、いろいろなことを感じていたと思います。

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  3. お久しぶりです。
    4年ぶりに投稿させていただきます。
    惣川美玖です。
    ブログ等いつも拝見させていただいております。

    きっと大雄先生が書かれた今回の投稿のような状況は、小関先生の部活の生徒さん達がかもし出す雰囲気や、その生徒さんと先生との関わり方を見て、自然と周りの生徒が続いていって出来た授業風景なんだろうなぁと思いました。
    そして今回の大雄先生の投稿を読んで、自分の中学時代を改めて思い返しました。
    小関先生が私達の中学校に移動されたあとのことです。
    当時の母校の風紀は底辺でした。不良になりきれない不良達ばかりで、正直周りの先生達には手におえない状況だったと思います。私はそれを見て、小関先生はいつ怒るんだろうと様子を伺いつつ、怒らせてはいけないと必死にクラスメイトに声をかけて時には怒りながら日々を過ごしていました。
    しかし、小関先生はいつも遠目で見ていました。ある時、先生は怒らないんですか?と聞くと、
    「急に移動してきた俺が叱ってもただ怒鳴っている先生にしかならない。」と言いました。
    改めてこの先生はほかの先生とは違うと、感じた瞬間でした。
    信頼関係あってこそ、小関先生が初めて生徒を叱るのだと思いました。
    また、直接言うことはなくても小関先生は移動してきたばかりなのに、生徒それぞれの事情を誰よりもよく知っていました。

    だからお前たちがクラスを変えればいいんだ、担任の先生を助けるのはお前たちだ、そこからが俺の出番だと何度も言われましたが、結局それは達成することができませんでした。
    今人生で後悔していることはと聞かれたら、私は小関先生の良さを中学時代のクラスメートに伝えられなかったことだと答えます。
    以前は、言うことを全然聞いてくれなかった当時のクラスメートを、あの子たちのせいで満足のいく学校生活を送れなかったと、恨むことしか出来ませんでした。
    しかし、今はあの時私がもっと頑張って
    クラスを少しでも変えることができれば、せっかく出会うことのできた小関先生の素晴らしさをあの子達も知ることが出来たのにと、謝りたい気持ちです。

    それくらい、部活を続けていない今でも自分の中で先生と呼べる人がいることの有り難さを実感しています。

    長文失礼しました。

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  4. 惣川さん、久しぶりに声が聞けて嬉しいです。
    そっか、惣川さんにはこのような授業風景が新鮮に映ったんだね。指摘通り、小関先生と剣道部の生徒たちとの係わりを見て、周りの生徒たちも自然とそうなっていったものだと思うよ。勿論、剣道部の生徒たちだけではなかったけどね。ただ、その意味でも、剣道部の子たちは大変だったと思うよ。完全に周りから浮いていたし、周りに流されない強さを持つこと、大人になることが求められていたからね。特に幕張本郷の初期の生徒たちは、からかわれることもあっただろうね。でも、すぐに結果が出始め、プライドがつき、「不良」と呼ばれるような生徒たちも、剣道部はひと味違うと気付くようになった。そこら辺からじゃないかな。どんな形にせよ、こうして今でも中学校時代のことを鮮明に覚えていて、色々な想いをそこに感じるのは、とても幸せなことだね。いつでも胸を張って先生に会えるような、そんな自分であり続けたいね。
    大裕

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