2015年3月19日木曜日

負けから学ぶこと

恩師、小関康先生の文章。
中学校剣道で、監督として日本一も経験した彼が選んだテーマは、「負け」についてだった。「行間を読んで欲しい」、と一言添えて、シェアしてくれた。今日の教育を考えるにおいて、示唆に富んだ文章だと思う。後でゲンコツを喰らうかもしれないが、この場で勝手にシェアさせてもらおう。
 読みながらふと思った。きっと言いたかったことの3分の1も言えなかったのではないだろうか。自分の意志に反して現場から離れ、行政の場から語る言葉には、立場上語れぬ想いとの葛藤が窺われる。それと同時に、数少ない言葉からは、教育者としての語り尽くせぬ経験、知恵、そして感性が感じられる。この場で小関先生のメッセージについて議論していければありがたい。わからなかったこと、読んで思い出したこと、行間に隠された想いの解釈等、コメントお待ちしています。長文大歓迎です。 






負けから学ぶこと
千葉市教育委員会保健体育課
小関 康

 日本一にならない限り、生徒と共に挑む最後の公式戦は必ず負けで終わる。

 教わった言葉に、「勝ちに不思議の勝ちあり、負けに不思議の負けなし」がある。

偶然の勝ちはあっても負けは必然であるということ。随分厳しい言葉だと思いつつ、なぜこの「負け」が必然であったのか、必死に考えるといつも原因は自分の指導にある。

 単純に技術指導ができずに負けた。

   練習をさせ過ぎ、故障者を出して負けた。

   自分の思いばかりを伝え、生徒の思いに耳を傾けなかった結果、多くの生徒が部を去り、負けた。

   生徒同士の人間関係が把握できず、不信感の中で試合をさせて負けた。

   生徒を信頼できず、試合中指示を出し過ぎ、生徒を混乱させて負けた。

   ローカルルールを理解せず、采配を間違えて負けた。

   生活指導が甘かった結果、審判を敵にして負けた。

   大会の雰囲気に舞いあがり、選手を動揺させて負けた。

多くの負けから多くの学びを得ることができた。本当に感謝している。そして、この学びは教科指導、学級指導、生徒指導に通ずるとも感じている。

 いうまでもなく、勝つことも運動部活動の大切な目標である。勝ちにこだわり、必死に努力するからこそ、負けもいっそう悔しく、価値あるものになり、生徒にも価値ある何かを残す。


 学校現場を離れた今、指導が至らず申し訳なかったと思いながらも、かつての生徒達と「負け」を語り合うことができる、それを幸せだと感じている。





4 件のコメント:

  1. 僭越ながらコメントさせていただきます。野球部の顧問を通じ、たくさんの負けを毎年、練習試合では毎週のように生徒たちとともに経験させてもらっています。30歳になった今、そのような経験をさせてもらっていることに感謝しています。今年もたくさんの負けを経験しています。全ては私の指導力不足、勉強不足が原因です。今年は野球ノートを通じ、生徒とのコミュニケーションを増やしています。ノートからは今までは気づけなかった生徒たちの思いや考えを知ることができました。一つの物事に対して自分より一生懸命考えている子がたくさんいることに今更ながら気がつきました。逆に伝えられていないこともたくさんあることにも気づかされました。改めて今までの自分と生徒のコミュニケーションの希薄さに気づかされました。小関先生がとっていたコミュニケーションの重要さや凄さに今になって少しずつ気がついたのです。生徒たちの持っている思いをどれだけ尊重し、可能性を伸ばしてあげられるか。それが今考えていることです。そしてそういった場面は日々の中にたくさん埋まっています。その場面に気づく力が指導者には必要だと思います。大裕先生の望んだコメントかどうかは分かりませんが自分が感じたことを述べさせてもらいました。長文失礼しました。

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  2. 「精一杯やって負けたならしかたない、よく頑張った。」といって終わるのでは同じことの繰り返しになってしまう。どんどん強くなっていく、育てていける指導者になるためには、謙虚であり冷静に分析すること、学び続けることが大切であると感じました。このことは部活動だけでなく全てに通じ、ひとつのことを極めている方に共通した人格に通じる気が致します。常に成長しようとすることは、実に厳しい毎日にはなりますが、それができる指導者には、そのような考えかた、行動のできる子供たちが育つということを小関先生にの教え子とお会いして感じます。彼ら、彼女たちはうまくいかなかったことを人や環境のせいにはしません。どんなに辛いときもやるべきことを見極め、目標を定めたらその達成に向けて行動しています。その結果、リーダーになったり大切な仕事を任されるようになっています。学生時代の経験がその後の人生を左右することを実感しています。「勝つことにこだわる」ことを堂々といってはならない、結果よりも過程が大切である。という考えや、一つのことばかりにうちこむとよくない、広い視野で色々なことをしたらよいということもいわれますが、一つを極めると全てに通じるものが身につくように感じます。私も、長文になりました。どのような指導者に出会うかはとても重要であると感じています。負けた時に子どもたちではなく、自分のせいだと受け止めることはできそうでできていないことかもしれないと感じます。教員という仕事をしているだけに、頑張らねばと思います。

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  3. 今までいかに何も考えずに、勝負の大切さもわからず、こだわらずに生きてきたか痛感します。
    考えていないからこそ、都合のいいつまらない人になっていたなとも思います。
    講師を含め、初めて3年間同じ学校で過ごさせていただき終わりを迎えようとしています。今振り返ると、子供達に「申し訳なかった」という思いが一番にあります。
    なぜなら、負けたこと、可能性を伸ばしてあげられなかったことなどは全て自分の至らなさが原因だと思うからです。
    人間関係を築けなかったこと、教員や親などをうまく取り込み環境を整えられなかったことなど、反省ばかりです。

    でもそう思えるのも、小関先生の存在があるからです。純粋で真っ直ぐな先生の思いや生き様が私を支え、「まとも」な感覚へと導いてくれるのです。
    今まで人に怒られたり、嫌われたり、大きな失敗をしたりすることなく生きてきて、この3年間で沢山経験しました。失敗してみて初めてわかることばかりで、やってきたことに後悔はありません。反抗する子供の気持ちも少し理解できるようになりました。
    でも、小関先生が言う「勝負」の意味をまだ理解しきれていないし、やっていないと思うので、私の失敗(負け)はまだまだですね。
    なんだかまとまりませんが、今思うことです(^_^)

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  4. 大裕先生、お久し振りです。

    私は、生徒として沢山の「負け」を経験しました。
    中学生の頃は、皆で「関東制覇」という目標を掲げて、目標に向かっていましたが、私達の最後は「負け」でした。
    悔しさや自分を責める気持ちから涙が出ましたが、それらよりも一緒に戦ってくれた仲間、支え続けてくれた家族、保護者の方々、そして私達の可能性を信じ、指導してくれた先生への感謝で胸がいっぱいになったのを今でも覚えています。
    これは、「負け」から得た学びのひとつなのだと思います。

    そして「負け」から得た学びは、未来に向けて活かされていくものだと感じます。
    今まで生徒側から得た学びを次は、教師側からいかに伝えていくか、しっかり考えてこれから精進していきたいと思います。
    小関ブランドを背負って、勝負の世界で自分なりのやり方、自分にしか出来ないことにどんどん挑戦していきます。
    どうぞ、これからもよろしくお願いいたします。

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