今日、こんな記事を目にした。
それによれば、お笑いコンビ、ダウンタウンの松本人志が、安保関連法案に対して日本各地で展開されている反対デモに、以下のような苦言を呈したという。
「いま、安倍さんがやろうとしていることに対して『反対だ』って言うのって、意見じゃないじゃないですか。単純に人の言ったことに反対しているだけであって、対案が全然見えてこない。じゃあ、どうするのっていうのが。このままでいいわけないんですよ。もし本当にこのままでいいと思っているのであれば、完全に平和ボケですよね。世界情勢は確実に変わっているわけやから。何か変えないといけない。なんかいまいち、だれもそれを言ってくれない」
はっきり言って僕は松本さんの意見には反対だ。でも、何よりも、お笑い芸人である松本さんがこのような政治的発言をするのはとても大事なことだと思う。これについては後で触れようと思う。
まず、なぜ僕が松本さんの意見に反対するのか。
「世界情勢は確実に変わっている」というのはその通りだ。
ただ、戦後70年間で何が一番変わったかと言えば、それはアメリカを目の敵にする国や人々が世界で激増したことではないだろうか。
安保関連法案の国会審議で、僕が何より違和感を覚えるのは、アメリカが「正義」であり、そのアメリカの軍事活動を支援するという前提で話が進められており、その前提そのものの妥当性が野党からも十分追求されていないことだ。
誤解が無いように言うが、僕はアメリカという国は大好きだが、アメリカという国家は大嫌いだ。
途中、間は空いたものの、僕のアメリカでの生活は今年で計15年になる。アメリカ政府からの寛大な奨学金も頂き、アメリカが世界に誇るエリート教育の恩恵を受ける中、どんなに劣勢でも自分の頭で考え、しっかりと意見を述べることの大切さを教えてもらった。だから、たとえ相手がアメリカ国家であろうとも、間違っていると思えばちゃんとそれを指摘することが自分なりの恩返しだと思っている。もし人間の自由と平等の理想の下に建国されたアメリカ国家が、他国の人々の自由と権利を侵害しているのであれば尚更だ。
皮肉なことに、世界におけるアメリカ国家の横暴ぶりは、日本よりもアメリカ国内での方がよく認識されている。だから、アメリカが世界中で憎まれていることを、アメリカの知識層の方が日本人よりもよっぽど良く理解しているし、アメリカにいる私の数多くの友人達は、日本が同盟国として積極的にアメリカ軍と行動を共にすることが日本にとってどれだけ危険なことなのかをわかっている。
アメリカはこれまで、様々な国のクーデターや、アメリカの民主主義とは正反対の独裁政権を自国の利益のために支えてきた。
南米だけでもチリ、アルゼンチン、ホンジュラス、ボリビア、ベネズエラ、メキシコ…まだまだある。中東やアフリカでも、ヨルダン、リビア、チュニジア、エジプト、イエメン…、リストはまだまだ続く。
また、9.11後は、「テロとの戦争」を掲げ、テロという見えない脅威を敵とすることで、どこの国でも国境かまわず自由に乗り込んで行けるパスポートを手に入れた。数々の賞を受賞しているアメリカ人ジャーナリストのJeremy Scahillは、アメリカは「テロとの戦争」を宣戦布告したことで「世界中を戦場へと変えてしまった」と指摘している。そして、世界各地でアメリカ軍やCIAやドローンが活躍するたびに、テロとは全く関係のない女性や子どもを多く含む市民を巻き込み、新たな敵を作ってきたのだ。
また、アメリカ国家安全保障局(NSA: National Security Agency)による日本を含む他国政府や企業を対象にした諜報活動や、テロ関与の疑いがある者を法的手続きを踏まずに無期限に拘束して拷問を与えてきたグアンタナモ収容所の存在などは、明らかに国際法違反だ。あなたは、無実のジャーナリストや、友人の結婚式に出るためにパキスタンを訪れていた3人のパキスタン系イギリス人青年が不当に拘束され、繰り返し拷問を受けていたことを知っているだろうか。
世界のリーダーを自負するアメリカが積極的に国際法を無視し、罪の無い人々までをも殺しているこれらの事実を認識せずにアメリカ軍と行動をともにする道を安易に選択する方が、僕はよっぽど「平和ボケしてる」と思ってしまう。
-----------------
さて、ではなぜ僕がお笑い芸人である松本さんがあのような政治的発言をするのが大事なことだと思うか…。
久々に日本に帰国してテレビをつけると、まるでテレビを独占しているかのような活躍を見せているお笑い芸人たち。彼らは、戦後最大の転換期にある今の日本の政治状況をどんな気持ちで見ているのだろうか、とちょうど気になっていたところだ。
このような国の大転換期に日本の人々がお笑いに夢中になっている姿は、少なくとも僕の目には異様な光景にしか見えない。大衆が笑いこけている間に、安倍政権は民主主義を無視するような形で、国の根幹に関わる様々な大改革を断行してきた。薄々は気付いてはいるものの、みんなそのような暗いことからは目を反らして一瞬の娯楽に走っている…そんな感じに僕の目には映っている。
一つ思い出すことがある。先に紹介したジョージ・W・ブッシュ大統領をロンドンでのコンサート中に公然と批判したアメリカの人気女性カントリーバンド、Dixie Chicksのことだ。それがロンドンの雑誌で大きく取り上げられ、そのニュースはアメリカにも伝わった。彼女らがブッシュ大統領と同じテキサス州出身ということも手伝ってか、Dixie Chicksはひどいバッシングを受けた。予定されていたツアーは中止され、彼女らのCDを一斉に破棄する集会までが催された。「問題発言」をしたリードボーカルの下にはたくさんの脅迫状が届いたが、中には「おまえは黙って歌ってればいいんだ!」という心ないものも少なくなかった。
Dixie Chicksはぱったりとメディアに姿を現さなくなったが、その2年後、彼女らの憤り、不安、葛藤などを赤裸々に歌ったアルバムがリリースされ、アメリカの民衆の共感を呼んだ。そのアルバムからは、プロのミュージシャンである自分たちと、世界の反感を買っているアメリカという国に生きる人間としてのアイデンティティの狭間で揺れる彼女達の姿が見えてきた。ブッシュへの風当たりが強くなっていたことも幸いしたが、アルバムは爆発的なヒットを記録し、その年のグラミー賞も総なめにした。この一連の様子は、ドキュメンタリー映画にもなっている。
今のお笑い芸人達はどんなことを今の政治に感じているのか、それを僕は全く知らない。あまりテレビは見ないので、もしかしたら松本さんの他にも発言している人たちはたくさんいるのかもしれない。でも、もし松本さんのように意見を述べるお笑い芸人が少ないのだとしたら、それ自体がとても異様なことだと思う。
もし彼らも、「黙ってお笑いだけしてろ!」というプレッシャーを世間から感じているであれば、そんな恐ろしいことはない。多くの高校生までもが安保関連法案にこんなに危機感を持っている中、お笑い芸人たちが全く何も感じていないとは思えない。だとしたら彼らはその想いをどう表現するのだろうか。今、この国に生きる人間としての彼らの想いを僕は聞きたい。
さっき、僕はアメリカという国が好きだと言った。本当に面白い国だと思う。その一つの理由は、コメディアン達の中には平気で大統領を笑いのネタにしたり、国民の政治的関心を笑いの中で高める力を持った人たちがいるからだ。
真正面からの批判や説教は人々の反発を呼ぶ時もある。でも、ユーモアには人の心を開く力がある。そして、心を開くということは、お互いの間にどれだけの隔たりがあったとしても、人間としての相手の存在を認めることだと僕は思う。
みな、様々な仕事や肩書きを持っている。だからといって、身の回りで起こっていることには何も感じないロボットではない。人によって手段は違うだろうが、それぞれが感じ、考えている様々なことを表現できればいい。みんながそれぞれの意見を言えば、ぶつかるだろうし、収拾がつかなくなるかもしれない。でもそれでいいんだと思う。
お互いを人間として認め合うこと、そんなことから平和は始まるのだと思う。
お互いを人間として認め合うこと、そんなことから平和は始まるのだと思う。
0 件のコメント:
コメントを投稿