野球部の部員たちと再会した後、僕は剣道場に向かった。誰かが道場の入り口に立っている僕を見つけて挨拶をすると、全員が元気な声で 「こんにちは!!」 と言ってくれた。小関先生が育てた剣道部らしい、形だけではなく心のこもった挨拶だ。
大会前の練習の邪魔をしないように控室に行くと、今年から小関先生の後を任されている岩井君が防具をつけようとしていた。実は彼、小関先生の教え子だ。
小関先生の指導の下、9年間で全国区として定着しただけでなく、個人ではあるが全国制覇まで果たした剣道部を誰に任せるかというのは、千葉市の剣道界にとっては非常に切実な問題だった。首脳陣がさんざん悩みぬいた果てに、彼しかいないだろうということで抜擢されたのが岩井君だった。子どもたちが全国レベルであれば、親もまた全国レベルだ。一家を挙げて子どもの剣道に懸けている親たちが勢揃いして待っている所へ、中途半端な指導者が来ようものならその指導者自身が潰れてしまうだろう。
僕は以前何度か岩井君に会ったことがある。その時は会話は交わさなかったが、最初に会ったのは5年前に小関先生にとっての母校である、埼玉大学剣道部の寒稽古に参加させてもらった時のことだ。小関先生は毎年自分の剣道部を連れて参加していたが、お誘いを受け、僕も自分の野球部のリーダー達数人を連れて行った。岩井君は当時の埼玉大学エースにして主将を任されていた。
一年生が 「大将」 やら 「大当たり」 やら、わけのわからない印をわざと防具につけて上級生やOBのしごきを受けていた。どうやら埼大剣道部の恒例らしい。
そこはまさに修羅場だった。大体育館にて何百人という剣道家たちが剣を交えている。奇声が飛び交い、大学生たちがそこら中にのたうちまわっていた。馬乗りされて最後には面を剥がれている者も少なくなかった。そんな修羅場で君臨していたのが主将の岩井君だった。
小関先生は数年前から、 「ここを任せられるのは岩井しかいないだろう」 と僕に漏らしていた。しかし、そのように小関先生にも認められた岩井君でさえ、この夏会った時には大学時代の自信に満ち満ちている面影は全くなかった。
僕が、 「大変だね。」 と言うと、
「いや~。もう本当に何もわからなくて。昨日も女子にこてんぱんにやられてしまって…。」 と答えた。
そう言う彼の表情からは、彼が心底悩んでいることがうかがわれた。
無知の知ってやつだね、と僕は言った。
「ほんとにもっと早く小関先生にいろいろ聴いておけば良かったです。」 と言う彼からは、ここ数年間、小関先生から距離を置いていた自分を悔やんでいるように感じられた。
実は、小関先生は、彼のことを認めながらも、この数年間ずっと彼のことを心配していた。
「あいつは俺に寄って来ない。」 そう言っていた。
やはり大学の剣道部で主将をやるということは王様になるようなものだし、教員としては部活だけでなく生徒指導もできるだろうし、ちやほやされてわかった気になってしまってるのだろうとのことだった。
その岩井君、今では毎日のように小関先生に電話しているそうだ。
最初に小関先生の後釜が岩井君に正式に決まったと聞いた時、僕は全身に鳥肌が立ったのを覚えている。岩井君が小関先生から距離を置いていたことも、小関先生が彼を心配していたことも、いざ始まれば彼が相当苦労するであろうことも知っていた。
これが俺が築き上げてきた財産だ。全部お前にやる。好きなようにやってみろ。
小関先生から岩井君へと繋がれたバトンには、そのようなメッセージが込められていたように思う。
ちなみに、これもまたすごいめぐり合わせなのだが、小関先生が新しく赴任した中学校の剣道部の前任顧問もまた、彼の直の教え子だ。俺は感謝の心を宮原から学んだ、と小関先生が言っていたことがあり、今でも彼の机には彼女の最後の試合の写真が飾られてある。
自分の後釜に自分の恩師が来ると知った彼女はいったいどう思ったのだろうか。想像を絶するプレッシャーだったのではないかと思う。彼女にとってもまた、最高の教えの機会となったことは間違いない。現に、この夏彼女に会った時、小関先生に毎日のように叱られてあげくの果てに見放されていると嘆いていた。
2010年7月下旬のある日、千葉市中学校総合体育大会剣道女子団体の決勝戦が行われた。勝ち上がってきたのは、小関先生の前任校と新任校の両校だった。そして、前年度関東大会出場を果たし、今年度は全国大会出場を狙う小関先生の前任校が優勝という結果となった。小関先生にしてみれば、市内大会は勝って当然というチームを作ってきたつもりだったし、それに最後の最後まで食らいついた新任校の子たちは良くやったと言える内容だった。
数日後、千葉県大会があり、岩井君率いる小関先生の前任校は決勝まで駒を進め、勝てば全国大会という所まで行ったが、あと一歩及ばなかった。試合後、小関先生は岩井君に惜しみない賛辞を贈った。
「ジュンは良くやった。」
(続く…)
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