学校が核となって人と人とを繋げていく。
奥村先生がおっしゃったまさにこの一言を僕は帰国2日目のあの日、目の当たりにした。剣道場を訪れ、そこで小関先生の教え子である岩井君と師匠である奥村先生にお会いしたことは既に書いた。その後、毎週水曜日の夜に行われている稽古会に参加するために続々と人が集まってきたのだ。県内に散らばった奥村先生のお弟子さんたちだ。その中には小関先生の姿もあった。以前、このブログに真摯な コメント を送ってくれた新任校の教え子たちを伴って。
前日、成田に到着してすぐ小関先生には挨拶の電話を入れてあったが、まさかそんなにすぐにお会いできると思っていなかったので嬉しかった。
それにしても、弟子、孫弟子たちが、それぞれの教え子たちを従えて師匠の下、一堂に会したその光景には強く心を打たれた。そこで見たのは、3代の教育者が何世代、何百年にも渡って脈々と流れてきた教えをしっかりと繋いでいこうとする姿だった。
その光景に心震わせていた時、後ろで、 「大裕先生!」 と呼ぶ声がした。振り向いたら、立っていたのは僕が初めて担任として送り出した代の女の子だった。この前紹介した 翼 の世代だ。今、教育実習生として母校でお世話になっているのだと教えてくれた。そして、もう一人後から挨拶に来た。二人とも親の匂いがする活発な子たちだったので良く覚えていた。
彼女たちは言った。
教員になりたい。
僕は心から嬉しかった。
「おまえもしっかり繋いでいくのだ」
きっと、僕にそう伝えようとした神様のいたずらだったのだろう。
(続く…)
大裕先生、ご無沙汰しております。草野中学校の小林理乃です。
返信削除前回のコメントから大分時間が経ってしまいました。この時間の間に、私たちの夏は終わりました。目標としていた関東大会にも出場できず、しばらくの間ぽっかりと何かが抜け落ちてしまったようになっていました。お恥ずかしい限りです。
今回の記事を読んで、大裕先生と初めてお会いした時のことを思い出しました。まだ水曜会に馴染んでおらず、大裕先生のことも道場の隅からチラチラと見ていることしかできなかった、情けない初対面でした。これでも人と関わることに以前の自分よりは積極的になったつもりでしたが…コミュニケーションとは本当に難しいものです。
私の人生は、宮原先生と出逢ったことで一度変わり、小関先生と出逢ったことでもう一度変わりました。もちろん大裕先生との出逢いも、私にとっては大きな大きな人生の節目でした。
「先生をもった」ことによって、自分の至らなさに気付き、そして夢をもてるようになりました。
私も夢を叶えて、先生の教えをしっかりと繋げたいと思います。
また今回も長々と乱文で失礼しました。どうも私は長い文章を書くと伝えたいことがうまく伝わらなくなってしまうようです…。
では、これからもブログの方を欠かさず拝見させていただきます。頑張って下さい。
大裕先生ご無沙汰しております平成18年度卒業生の者です。
返信削除学校の頃は何故か先生が好きになれ無かったのですが、
今になり先生が尊敬できる大人だと気づきました。
それと卒業アルバムに隠し文字で変な事かきました。
本当にごめんなさい
理乃さん、
返信削除夏に授業見学をさせてもらった時、うるさいクラスメイト達を注意し、そんなクラスの状態を見られて恥ずかしそうにしていたあなたの姿がとても印象的でした。
先生を持つこと - とても大変なことです。でも、小関先生がよくおっしゃる 「苦しいことが楽しいこと」 という言葉を思い出して精進して下さい。きっと人生の財産となることでしょう。
大裕
匿名さん、
返信削除勇気を出してコメントしてくれてどうもありがとう。「下手クソでも一生懸命やっていればいつか必ず返ってくる」という言葉は本当なんだなぁ、とつくづく思いました。…ということはやっぱり自分が下手クソだっただけなので、気にしないように。二十歳になったら一緒にお酒でも飲めるといいね。
p.s. 卒業アルバムのこと、当の本人は全く気付いておりませんでした。我ながらハッピーな性格…。
大裕