こんなニュースが僕の目にとまった。
ニューヨークにいても、橋本さんの教育に関する動きには危機感を抱いている。市場原理のみで教育を改革しようとする今日のアメリカに多い指導者の動きに非常に似ているからだ。こうしたらこうなる、ああしたらこうなる、だからこうするべきだ…。あまりにもわかりやすく、単純で、危険だ。以前書いたが、こういう指導者の言う言葉からは、子どもの匂いも表情も感じられない。
(ちなみに、以前にもこんな記事があった。『維新の会、教育への政治関与強める 条例案提出を正式表明(日経)』)
もし、橋本さんが今、校長をやったら、学校は確実に荒廃するだろう。
精神を病む教員が増えるだろう。
先生も生徒も、挑戦すること、冒険することをやめ、日本をグローバルな視点から考えられる、大胆で豪快な子どもは育たないだろう。彼らが活躍できるのは、しょせん教育者の器の中だけなのだから。
求められるのは「良い」生徒。最初から「できる」教員。
育てようなんて視点は最初から無い。
小関先生が言っていた。
「俺の夢は、自分を超える生徒を育てること。」
この言葉の意味が、橋本さんにわかるだろうか?
そもそも、目の前にいる自分を超える子に、橋本さんは気付くだろうか?
気付いたところで、彼はそんな子を評価し、関係を築くことができるだろうか?
締め付けで人間は育てられない。
「完成品」の教員を集めたところで、子どもたちの信頼を得ることも、彼らを伸ばすこともできない。
指導者として大事なのは、部下に教育させるのではなく、まず自分が教育すること。
自分の信ずる教育理念を、自分の生き様を通して
他の誰よりも自分に厳しく追及し、それを伝え、
自分の下に集まった教員を信じ、委ね、
命令ではなく人柄と温もりで人を動かすような、
人間としての器の大きさが求められている。
信じること、委ねることを知らない政治家に「教育」を決めさせてはいけない。
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