2012年6月21日木曜日

Edu4 ~ 僕らのビジョン ~




*この投稿は、Edu4 ~いざ、バンクーバーへ~』の続きです。



Maxineのビデオインタビューを放映した後、僕は彼女が触れた「public space(パブリックスペース = 公共空間)」と「自由」の関係性に絞って話をした。僕らが思い描くEdu4とは、一言でいえば教育者たちによる教育運動のためのパブリックスペースだ。だから、僕らが「パブリックスペース」をどう定義するのかは、このプロジェクトの方向性そのものを意味する。



ここでは少し端折って説明したい。



「パブリックスペース」と聞くと、人は何を思い浮かべるだろうか。おそらくそれは、公園、広場、公民館などではないだろうか。一般的には、国や行政によって与えられ、誰でも自由に出入りでき、皆で共有するための空間、という認識であるように思う。



しかし、それは間違っているとMaxineは僕に教えてくれた。



第一に、パブリックスペースは、公園などの単なる「箱」ではない。人なしのパブリックスペースはあり得ない。



第二に、パブリックスペースとは、国や行政が造り、人々に与えられるものではない。人と共に生まれるものだという。



「ただ」と、MaxineHanna Arendt教えを呼び起こす。



“It is not a space filled with individuals, but in between them.”

「それは単に人々で埋めつくされたスペースではなく、人々の間に生じるものだ。」



この考え方は、Maxineの自由の考え方と切り離して考えることはできない。なぜならば、自由も、国家によって保障されたり人に授与されたりするものではないからだ。また一人の人間が所有できるものでもなく、一人で完結できるものでもない。真の自由とは、自分自身の決断に従い、リスクを冒し、与えられた現実の変化を求める人と人との関係においてのみ生じるものだとMaxineは教えてくれる。



その意味で、『ウォール街占拠運動』のOccupiers(占拠者)がZuccotti Parkというウォールストリートの外れにあった公園を占拠し、共に暮らして行く中で “Liberty Plaza” と改名したことは注目に値する。



それは、紛れもなく、Zuccotti Parkがパブリックスペースとして正式に生まれ変わった瞬間だった。



僕らが構想するEdu4とは、組織ではない。教育学者、教員、親、学生、ジャーナリスト、弁護士、アーティスト、そしてその他の多様な「教育者」たちによる、教育運動のためのパブリックスペースだ。僕らが与えることはできない。ただ、そんな空間を演出することはできる。場所を造り、理念を打ち立て、人を集め、出会いをつくり、活動を仕掛け、会話を繋げることはできる。そして、その過程で、「自由」を分かち合えたらと思う。



あの日、プレゼンテーションの会場で、僕はいかにMaxineと出会い、彼女の哲学を生きようとした結果、こんなビジョンにたどり着いたということを、精一杯語ったのだった。



(続く…)

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