2015年7月15日水曜日

日本人のデモはお行儀が良すぎるのではないか ~ 『‎戦争法案廃案 強行採決反対 714大集会』に参加して ~



今、父が急病で倒れ、急遽一時帰国している。

しかしなんというタイミングだろうか。集団的自衛権に揺れる日本。何もしないわけにはいかず、昨日は父の看病の合間を縫って『戦争法案廃案 強行採決反対 714大集会』なるものに参加した

僕が着いた時には日比谷野外音楽堂には既にもの凄い数の人々がいて、中に入ることもできなかった。本当に色々な人がいた。でもやはりご年配の人々が多かった。若い世代に戦争の苦しみを味あわせたくない、そんな想いが伝わってくるようだった。



僕はアメリカでは数多くのデモに参加したことがあるが、日本では昨日がほぼ初めてと言っていい。以前にも日比谷公園であったデモに参加したが、それが何だったか覚えてもいない。昨日のデモに参加して幾つか気付いたことがある。



際立っていたのは、アメリカと日本の警察官の姿勢の違い。まずは、日本の警官はアメリカの警官のように威圧的じゃない。いかついサングラスをかけていないし、睨んでも来ない。



終始腰が低く、市民が指示に従ってくれるよう礼儀正しくお願いしている。アメリカではあり得ないことだ。そんなナイスなのに警官の皆さんにいちゃもんをつけるおじさんも中にはいて、気の毒にさえ思った。警察官の皆さん御苦労さま、ありがとうと感じたデモの参加者も多いのではないだろうか。

ただ、こんなことを言うとデモを主催した人には申し訳ないが、デモそのものはあまり効果がなかったように思う。デモの申請、警察との交渉、資金調達、協賛団体の確保、広報、メディアとのやり取りなど、一般の参加者にはわからない並々ならぬ苦労が陰であったことと思う。

ただ、一番の問題は、お行儀が良すぎて国家権力と闘う雰囲気に欠けていたのだ。



僕自身、JR総連の後ろについて行進したが、非常にあっけなかった。日比谷公会堂外から国会議事堂を見渡す地下鉄永田町駅まで、シュプレヒコールを唱和しながら歩き、目的地に着いたところで主催者団体の人に今日は解散、お疲れさまでしたー!と声をかけられる。そして待機していた警官に永田町の駅へと随時誘導されるのだ…。


   ...マジか?



いくら大規模とはいえ、政府には声の届かない所で集会を開き、事前に中央権力に許可されたルートを行進するのはあまり効果的とは言えない。それは、辛抱強く交通整理してくれる警察官に対する遠慮のせいでもあるのだろうか。でも、たったあれだけで、笑顔で「お疲れさまでしたー!」と帰るのはどうにも気持ちが悪い。それこそ「デモに参加した」という自己満足で終わってしまうのではないだろうか。


それで政治参加できているような幻想を国民らが抱いてしまうようであれば、はっきり言ってそれは逆効果だ。デモは、あくまでも国民らが自らの声を国家権力に届ける手段であり、目的じゃない。


日本国民がいくらお行儀良く市民の声を届けようとしても、国家権力が一向に国民の声に耳を傾けないのであれば、僕らはルールを破ってでも、なりふり構わず僕らの怒号を届けなければいけないのではないだろうか。




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2010年、ウィスコンシン州では労働組合の団体交渉権剥奪を試みた新知事に対して、市民らは州の議事堂を不法に占拠した。







議事堂に入れなかった人々は、議事堂の外で抗議し、








立ち退きを拒否した人々は、州議事堂の中で寝泊りする始末。





翌年、ウォール街にいいように操られるアメリカの
政治の在り方に不満を持った一握りの青年たちが、
ウォール街のはずれの公園で始めたキャンプ生活は





やがて「ウォール街占拠運動」となって全米に拡大し、
ニューヨークのデモ隊が不法にブルックリン橋を封鎖するなど、





新自由主義が生む経済格差の問題を政府が無視できない形で突きつけた。





2014年に起こったマイク・ブラウン青年の
白人警官による殺害事件では、警察による構造的な
人種差別に抗議する人々が、高速道路を封鎖する
などして都市部の機能を麻痺させることで、
自分たちの抗議の声を政権が無視できないものとした。















社会運動としても著名なNoam Chomsky博士は言う。





いかなる抗をも抑圧
方法は、議論範囲を制し、
その中で活気ある議論奨励することだ。(1)



僕らは、デモができることだけで満足してはいないだろうか。
政権は、狭い範囲の中で活発なデモを許すことで、
僕らの抵抗を抑圧しているのではないだろうか?




(1) Chomsky, N. (1998). The common good. Berkeley, CA: Odonian Press.

2015年3月27日金曜日

負けから学ぶこと Part II



部活での勝負は、単に勝ち負けがわかり易いというだけで、部活動の外で勝負がないわけじゃない。教科指導、学級指導、生徒指導、どこでも勝負はある。ただ、勝負をするかしないか、勝負と見るか見ないかは、教員しだいだ。授業の中に勝負があることに気付かない教員もたくさんいる。

思い返せば、小関先生は授業が始まる前から勝負を仕掛けていた。授業前、生徒たちが席について先生を待つ。次の授業が数学だと気付き、一人の男子生徒が、慌てて机の横に置いてあった鞄をロッカーに入れに行くと、他の生徒数人がそれに続く。チャイムが鳴り、ドアが開くと、クラスに緊張が走る。小関先生が生徒たちを見渡しながら教壇につくと、日直が号令をかける。

   「きをつけー」

   「やり直し。」

   「はい。きをつけー」

   「やり直し。」

困ったように、日直がクラスメイト達を見渡す。

   「きをつけー」

   「...」

   「礼!」

   「よろしくお願いしまーす!!」

生徒たちが一斉に礼をし、顔を上げる。

   「...」

小関先生は何も言わない。ただじっと生徒たちの方を見ているだけだ。気まずい沈黙が続く。

ハッとして、最後の一人が先生の方を向いたところで、初めて先生は沈黙を破る。

「はい、よろしくお願いします。」

生徒たちの姿勢はできた。勝負ありだ。

その後の授業も驚きだった。生徒たちは先生の言うことを黙って聞くだけかと思えば、そんなことはなく、今まで見たこともないような活発な数学の授業だった。生徒たちは先生を恐れる様子もなく、先生に自由に質問をしたり、発表をしたりしていた。何と言ったらいいか、生徒たちが、先生の引いたラインをよくわかっていて、その中で安心して飛び跳ねているような、そんな不思議な雰囲気だった。

前回の、『負けから学ぶこと』にコメントをくれたのは、全て小関先生の門下生達だが、皆、それぞれの形で勝負に挑み、負け、学んでいる。

勝負をしなければ、負けを突きつけられることはない。

だが、そのかわりに、勝利の味を経験することも、誰かの「教師」になることもないだろう。

だが、もっと言えば、何十年勝負しても、きっと負け続けるのだろう。

それはきっと、「守・破・離」という技を極めるプロセスのほとんどが、最初の「守」であることと、似ているのかもしれない。

          俺なんか、ずっと守ってばかりだ。

いつもそう語っていた小関先生の顔は、どこか有り難そうだった。



2015年3月19日木曜日

負けから学ぶこと

恩師、小関康先生の文章。
中学校剣道で、監督として日本一も経験した彼が選んだテーマは、「負け」についてだった。「行間を読んで欲しい」、と一言添えて、シェアしてくれた。今日の教育を考えるにおいて、示唆に富んだ文章だと思う。後でゲンコツを喰らうかもしれないが、この場で勝手にシェアさせてもらおう。
 読みながらふと思った。きっと言いたかったことの3分の1も言えなかったのではないだろうか。自分の意志に反して現場から離れ、行政の場から語る言葉には、立場上語れぬ想いとの葛藤が窺われる。それと同時に、数少ない言葉からは、教育者としての語り尽くせぬ経験、知恵、そして感性が感じられる。この場で小関先生のメッセージについて議論していければありがたい。わからなかったこと、読んで思い出したこと、行間に隠された想いの解釈等、コメントお待ちしています。長文大歓迎です。 






負けから学ぶこと
千葉市教育委員会保健体育課
小関 康

 日本一にならない限り、生徒と共に挑む最後の公式戦は必ず負けで終わる。

 教わった言葉に、「勝ちに不思議の勝ちあり、負けに不思議の負けなし」がある。

偶然の勝ちはあっても負けは必然であるということ。随分厳しい言葉だと思いつつ、なぜこの「負け」が必然であったのか、必死に考えるといつも原因は自分の指導にある。

 単純に技術指導ができずに負けた。

   練習をさせ過ぎ、故障者を出して負けた。

   自分の思いばかりを伝え、生徒の思いに耳を傾けなかった結果、多くの生徒が部を去り、負けた。

   生徒同士の人間関係が把握できず、不信感の中で試合をさせて負けた。

   生徒を信頼できず、試合中指示を出し過ぎ、生徒を混乱させて負けた。

   ローカルルールを理解せず、采配を間違えて負けた。

   生活指導が甘かった結果、審判を敵にして負けた。

   大会の雰囲気に舞いあがり、選手を動揺させて負けた。

多くの負けから多くの学びを得ることができた。本当に感謝している。そして、この学びは教科指導、学級指導、生徒指導に通ずるとも感じている。

 いうまでもなく、勝つことも運動部活動の大切な目標である。勝ちにこだわり、必死に努力するからこそ、負けもいっそう悔しく、価値あるものになり、生徒にも価値ある何かを残す。


 学校現場を離れた今、指導が至らず申し訳なかったと思いながらも、かつての生徒達と「負け」を語り合うことができる、それを幸せだと感じている。





2015年3月7日土曜日

Are we not forgetting to talk about freedom?

Pineville Junior teacher sues over Common Core post



In the pursuit of "national security," we forget to talk about freedom. In the pursuit of "global standards," we do not talk about academic freedom. And while watching the Obama administration abuse The Espionage Act to criminalize whistleblowers who leak information regarding the Government's unconstitutional activities, we forget that the United States of America was actually founded on speaking out. What's the use of education, if not for cultivating a capacity to speak truth to power? And, is such education possible when teachers are deprived of the very freedom?

2015年2月25日水曜日

Zygmunt Bauman on questions


“Not asking certain questions is pregnant with more dangers than failing to answer the questions already on the official agenda; while asking the wrong kind of questions all too often helps to avert eyes from the truly important issues. The price of silence is paid in the hard currency of human suffering. Asking the right question makes, after all, all the difference between fate and destination, drifting and travelling. Questioning the ostensibly unquestionable premises of our way of life is arguably the most urgent of the services we owe our fellow humans and ourselves.” - Zygmunt Bauman