2010年1月1日金曜日
人生最良の一年
みなさん、明けましておめでとうございます。
この場をもって2010年、新年のご挨拶をさせて頂きたいと思います。
振り返れば、2009年も人生最良の年だった。2年目の生徒が受ける博士課程認定試験(Doctoral Certification Exam)の合格、引っ越し、初のヨーロッパ上陸、初のTA(教授のティーチングアシスタント)、次女の誕生…。数多いハイライトの一つに、ブログとの出会いがあった。
ブログを始めたのが8月中旬。4カ月が過ぎた。まだ4カ月か、といった感じだ。もっと古い付き合いのような気がする。僕にブログを始めるようにずっと勧めてきてくれたあきこさんや妻に今では感謝している。
僕が思うに、ブログには教員の仕事と重なっている部分が多分にある。
以前も言ったように、僕は教えることとは感動の分かち合いだと思ってきた。感動したら、それを人と分かち合い、生きることの喜びを共有する。人生から学んだり、恩恵を受けたりしたならば、それを今度は人に返す。分かち合いの媒体としては、教えもブログも変わりはない。
僕は、離れた今でも、教職というのは素晴らしい仕事だと思っている。それは、尊いだけではない。僕が教職を愛する理由の一つ - 教員は常に自分自身を高めることができる。
教員は教科を教えるだけではない。生徒との日々の係わりの中で、彼らの大人への成長の補助をすることが役目だ。そして、それは想像以上に難しい仕事だ。教員は、「大人」と「子ども」の違い、「善いこと」と「悪いこと」、「すべきこと」と「すべきでないこと」などの複雑な問題を問い続けなくてはならない。そして、子どもの生活において最も身近な他人の「大人」として、自分がその「大人」の見本とならなければならない。「夢を持て!」と生徒に語るのなら、自分自身が夢を持たなければいけないと思う。「自分に厳しく!」と言うのなら、自分が常に自身に厳しくいなくては嘘になる。だから、教員が教室や学校という公の場で、道徳や自分の学び、失敗、夢や決意を語ることは、自分を律するということでもあるのだ。
人に語る言葉は全て言質として自分に跳ね返ってくる。その分、発した言葉は、自身の行動で命を吹き込んでやらなければならない。これはブログも一緒だ。想いを活字にすることは、僕自身の気持ちを引き締めてくれる。
博士課程2年目に突入した去年は、「発信すること」を自らの課題として、しっかりと取り組むことができたように思う。今年は、その課題を引き継ぎつつ、「世界を広げること」を新たな課題としたい。どんな学びや出会いが待っているのか、今から楽しみだ。今年が終わる時、また、「人生最良の一年だった」と言えるようにしたい。
最後に…。
今年もどうぞよろしくお願い致します。
2010年が皆さんにとって人生最良の一年となりますように。
鈴木 大裕 2010年 元旦
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あけましておめでとうございます。
返信削除年末から今日まで実家に。
久しぶりにブログを開きました。
愛音ちゃんの成長をみると、
時間、早いものだな~と。
余りにも目が澄んでいる
子どものくったくない笑顔は、
圧倒されますね。
お正月は、スポーツTV観戦三昧。
真剣に取り組んでいる選手の目も力強くて、
この一瞬にかけてるその裏の努力が、
想像されます。
目の輝き、正直に心をうつすものだと、
お正月は反省するものの、
その先、自分に反映されないのが…。
そんなことの繰り返しの1年、
また始まりました。
今年もNY生活、
エッセイを楽しみにしています。
AKI