2009年9月5日土曜日

人が育つ社会の在り方 ②

           古城からみた城下町



              白鳥のお城

1.ドイツ社会と「自己責任」  
 今年の夏、生まれて初めてヨーロッパに上陸した。妻の友人の結婚式に呼ばれ、ドイツに行ったのだ。衝撃だった。驚くことは多々あったが、何よりも驚いたのはドイツ社会の成熟度だった。    最初に訪れたのはベルリン。繁華街の中心を堂々と、しかも歩行者や車をかき分けるように走るトラムに目を見張った。道路に埋め込まれた線路があるのみで、その前を歩行者が平気で歩いているのだ。よく事故が起こらないなと不思議だった。地下鉄の駅を見つけ、地下にもぐった。どこを探しても改札らしきものもなければ駅員も見当たらない。階段を下りるとすぐにプラットフォームがあり、あるのは2台の券売機だけだった。訊いてみると、自分で切符を買って、それで来た電車に乗るのだと言う。言われた通りにしてみた。もちろん電車の中で車掌さんが切符を確認しに来るのだろうと思っていたら、甘かった。全て自己責任なのだ。みんなが買わなかったがどうなるのだろうと心配になったが、現地の友人に尋ねるとそんなことはあり得ないらしい。実際、ごく希に切符のチェックがあるそうだ。ただ、そんな時に切符を持っていないのは旅行者だけだと教えてくれた。小さい頃からそのような環境で育つわけだから、ドイツ人にとって切符を買うことは当然のことらしい。日本で同じシステムをとったらどうなるのだろう、ふと考えてしまった。皆ちゃんと切符を買うのだろうか。何よりも電車への飛び込み自殺に歯止めが効かなくなるのではないだろうか。田舎町ではなく、首都のベルリンでこのような社会形態を見つけたことは、驚きの一言だった。  「自己責任」 この言葉が気になりだした。
2.ドイツとアメリカの警察官の違い   
 そのようなレンズでドイツ社会を観察すると、他にも気づくことがたくさんあった。ベルリンを去り、ハイデルベルグ、ウルム、ミュンヘンと旅を続けたが、警官がいないのだ。もちろん、全くいないわけではない。ただ、3週間の旅行で警官またはパトカーを見かけたのは、計3回だけだった。こんなにも警官の存在感の無さが気になったのは、自分がニューヨークから来たことも大いに関係している。ただでさえ警官の存在感が強いアメリカで、9.11の舞台となってしまったニューヨークの警官の数は半端なく多い。今、僕はハーレムの南端に住んでいるが、ハーレムの中心部である125丁目など、ブロックごとに警官が立っているようにすら感じる。もちろん、けん銃やこん棒を携え、非常に威圧的な格好をした警官たちだ。地下鉄の改札では、そんな警官たちが無銭乗車をする人を取り締まっている。 警官のいないドイツの街並みをゆっくり歩くと、とても優しい気持ちになった。

3.ビアガーテン
 僕は、旅行をするとその土地の地ビール工場に見学に行くほどビールが大好きだ。だからドイツのビアガーテン(ドイツ風の発音)に行くのを楽しみにしていた。無ろ過のビール、ハーフバイツェンの美味しさにも驚いたが、どのビアガーテンにも子どもがいることにびっくりした。それもそのはず、ほとんどのビアガーテンは中に子どもが自由に遊べる公園があるのだ。子連れで来園し、子どもは公園で遊び、親はビールと会話を楽しむ。なんて健全なのだろうと感心した。大人と子ども、子持ちの親とそうでない親、皆で子どもを見守ろうとするドイツ社会を支える信頼のようなものを感じた。

4.ドイツとアメリカ
 それに比べ、アメリカはどうだろう。道端でビールを飲むだけで警官に取り締まられてしまう。子どもが遊ぶ公園は、安心確保のために高い柵で囲まれている。まるで檻のようだ。自宅の前にも大きな公園があるが、夜10時以降は犯罪防止のために封鎖されてしまう。ドイツと比べ、基本的に社会が市民を信用してないように感じるし、「信頼されていない」というメッセージが警察に対する市民の反発を生んでいるようにも思う。そんな環境で育つ子どもは、「いつかは国のために」と思うのだろうか。

5.大人なドイツ、若いアメリカ
 確かにアメリカは、ドイツとは比べ物にならないほど歴史が浅く、多民族国家であるし、それに伴う差別、貧富の差、犯罪率の高さなどという多くの問題を抱える。だから、短絡的にもっと市民を信頼して警官を減らそう、なんて議論は通用しないだろう。それに、ヨーロッパとは全く違うアメリカの良さは、その若さゆえの爆発的なエネルギーでもある。
 ただ、今回の旅行で一番考えさせられたこと、それは信頼する社会と抑えつける社会、それぞれが人間の教育にどのような影響を及ぼすのかということだった。

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