されど知る、天空の深さ
優れた指導者とは、教育を子どもの人生という長いスパンで考えられる人のことを言うのだと思う。
現代教育に蔓延っているビジネスコンセプトには、 「教育」 をテストスコアに閉じ込め、しかも短期的なビジョンのものが多い。どれだけ点数がアップするのか、どれだけ進学率が上がるのか、どんな学校に進学したのか…。教育があまりにも短期的なスパンで考えられているように思う。
僕は勉強することが悪いこととは決して思ってない。実際、自分自身が猛烈勉強中の身だ。受験勉強に没頭することも悪いこととは思わない。受験勉強中、多くの若者が様々な壁にぶつかり、自分の弱さと闘い、思考錯誤を繰り返しながら自信をつけていく。皆が頑張っている時に自分だけ手を抜くようであれば、 「受験勉強なんてしたって」 という言葉は負け犬の遠吠えにしか聞こえないだろう。
でも、同時に、受験勉強を頑張ることが成功への唯一の道とは思わない。友達が勉強する以上に打ち込めるものがあるのならそれで良いと思う。極めてその道の一流として食べていけるよう頑張ればいい。他とは違った道にて日々精進している人が、 「普通」 の道で頑張ってる人より頭が悪いとは思わない。実際、職人と呼ばれる人たちには賢い人が多い。
ある時、 「井の中の蛙、大海を知らず」 という荘子 (そうし) の言葉には実は続きがあると聞き、驚いたことがある。
井の中の蛙、大海を知らず
されど知る、天空の深さ。
それを聞いた瞬間、僕は深く感動したのを覚えている。後になって調べてみると、出所は曖昧で、おそらく誰かが荘子の言葉に勝手に付け加えたのであろうということがわかった。でも、そんなことはどうでも良い。僕はプロフェッショナルという番組が好きで、時々You Tubeで見たりするが、そこに登場する人たちからは本当に学ぶことが多い。外にある大海はしらないかもしれないが、ずっと見続けている空の深さは誰よりも知っている人たちだ。
勉強にも旬がある
もう一つ、僕は食べ物がそうであるように、勉強にも旬があると思っている。勉強をしたくなる時期というのが人にはあって、それは人によって違うと思っている。その旬が中学生でやってくる人もいれば大人になってからくる人もいるだろう。旬が来た時に思いっきりやれば良いと思う。子どもの人間性を犠牲にしてまでテスト勉強に没頭させて教育と言えるのだろうか。進学校に通ったからといって幸せな人生が送れるのか?
『人生の勝者となること』 でも書いたように、小関先生の教え子には世間的に見て 「遅咲き」 の子も多い。高校ではスポーツ重点校に行き、そこから有名企業に勤める子は数多くいる。それに、彼が成績にこだわらなかったがために救われた子も何人もいる。
小関先生は平気で言う。
「お前は勉強なんかできなくてもいい。その人柄で生きていけるぞ!」
だからこそ、のびのびと、卑屈にならずに成長できた子がどれだけいることか。今まで子どもが勉強ができないことでさんざん嫌味を言われてきた親が解放され、子どもの良さを自信もってサポートできるようになった家庭も多い。そしてそんな子たちが自分の人柄を武器に社会で活躍しているケースも珍しくないのだ。
また、小関先生は全ての子どもが学校に来なくてはいけないとも思っていない。いろいろな道を考えたあげく、どうしても不登校を選んだ子の決断をサポートすることもある。
「80年と言われている人生のたった一年だ。なんてことはない。」
『教育におけるビジネスコンセプトの導入』 で、現代の教育に蔓延るビジネスコンセプトの多くが結果至上主義の上に成り立っていると書いたが、更に言うと、すぐに結果を求めようとする。つまり、短期的なビジョンでしか教育の成果を評価できないのだ。そのような評価基準では、心から子どもの幸せを考え、日々真摯に 「教育」 をしている指導者たちが報われることはないだろう。それは間違っている。人間の教育とは複雑で、時間がかかるものなのだ。
井の中の蛙・・・のくだりですが、確かに荘子の秋水篇から生まれたことわざですが、空の深さ・・・のところも、荘子に似たようなことを言っているところがあったと思います。が、忘れてしまいました笑
返信削除「お前は勉強なんかできなくてもいい。その人柄で生きていけるぞ!」
いやー、いい先生ですね。僕も勉強しろと人に言ったことは人生で一回しかないです。僕自身、机の上の勉強よりも多くの物を他のところで学んできたし、何よりもほとんどの児童は勉強以前のところで問題を抱えていて、勉強がそうした問題の解決になり得るケースはあまり多くないからです。
勉強以外でもスポーツだろうが、芸術だろうが、友達と遊ぶことだろうが・・・、人生に対するきちんとした心構えを涵養することが大切だと思います。勉強をすることは社会的には大切ですが、社会的な評価が自己の内面への評価になる事が、人間を不幸にすると思います。心理学のハワード・ガードナーのいう多重知性理論は正直まだ僕は懐疑的なんですが、Intrapersonal skillとinterpersonal skillを分けて考えているところが好きですね。いろいろと研究への示唆のある箇所でした。
>勉強以外でもスポーツだろうが、芸術だろうが、友達と遊ぶことだろうが・・・、人生に対するきちんとした心構えを涵養することが大切だと思います。
返信削除同感です。これを読んでいて、小関先生が「聞く姿勢」にこだわっておられたのを思い出しました。次に書いてみたいと思います。いつもありがとうございます。
p.s. 僕はハワード・ガードナーのいう多重知性理論は好きです。小関先生が「お前はその人柄で生きていけるぞ!」と言うのも、ガードナー的に "intelligence" を見ているからだと思います。
大裕
大裕さん
返信削除ご無沙汰しております。美帆です。
荘子の作品について、とても感動しました。本人がよんだかどうかはとにかく、誰かがあとから付け加えたのだとしても、素敵な感性の持ち主だったのではないかなあと察します。
>「お前は勉強なんかできなくてもいい。その人柄で生きていけるぞ!」
高校生の頃、担任の先生に、同じような言葉をかけてもらった記憶がよみがえってきました。初めて自分を認めてもらえた気がして、こんな風に言ってもらえた私は、最高に幸せ者だと感動したことを思い出しました。
最後に一言。大裕さんのおっしゃる、勉強の旬、私まさに今だと思います。20歳、すごく良い時期だと思っています。知ることで、どんどんいろんなことを理解し、認め合い、受け入れられるようになり、そんなことで繰り返されている毎日です。そしてこのことに気づけたことで、ますます幸せになっていくんです。なんだか、不思議なんですけどね。。。:)
美帆さん、
返信削除「されど知る…」僕も同じように感じました。教員時代、野球部の子たちと何度もシェアしてきた言葉です。その人の言葉をもっと聴きたかった。
勉強の旬についても良くわかります。自分の心が広がっていくような感覚だよね。これは書かなかったことだけど、俺は高校の時からずっと勉強の旬が終わってない気がする。「もっと知りたい」の繰り返し。どんな仕事を選択したとしても、美帆さんにとっても旬の終わりは来ないかもしれないね。
大裕