マサさんの見解やシェアして下さった動画から、締め太鼓の古典的奏法が、一見不自然に見えつつ、実は理にかなっていて様々な応用が可能なすばらしい打ち方であることが分かる。
この気付きに表れているのは、武道や芸能における 「型」 の重みだと思う。そして、この理解こそが、マサさんが危惧する現代和太鼓音楽の行き詰まりや、源了圓氏が指摘する高度成長の激動で日本が陥った「型なし状態」の危険性を打破するために欠かせないものなのではないかと考える。
「守・破・離」の前の「信」のコメントで竹越さんが、「過去の叡智の積み重ねの上に成り立っているサイエンス」 における 「守」 の必要性についてシェアして下さった。また、それとは別に、最近仲良くさせて頂いている伊喜利さんが、型を 「最大公約数」 という表現で理解されていた。
ここで大事なのは、型を静的で arbitrary なものとして理解するのではなく、長い長い歩みの中、先達によって積み重ねられ、時代の流れに合わせて進化してきたとする理解だ。その意味で、竹越さんが紹介して下さった、ニュートンの "Standing on the shoulders of giants." という言葉は非常に的を得ている。大事なのは、"Standing on the shoulders of giant." ではなく "giants" となっている所なのではないだろうか。思い描かれるのはたった一人の偉大な創始者ではなく、各時代を築き、繋いできた巨匠たちの姿だ。
逆に、伝統や型を無視するということは、先達が歩んできた道を否定し、積み重ねてきた叡智を無視することになるのではないだろうか。マサさんの 「入門者がその持ち方をすると数時間で肩がばりばりに固まり、腕が上がらなくなる。」 という指摘からも分かるように、そもそも、型の真の大切さは守りきった者にしか分からないのだと思う。だから入門者には有無を言わさずやらせるしかない。それを最初から、型が何故大事なのかと問うたり、型を避けて通るのは間違っている。
最近僕が格闘し続けているHannah Arendtは、次のように主張する。大人たちは、自分たちの生き方や先祖から受け継いできた伝統を子どもたちに有無を言わさず教え込むのだ。そうして型にはめることによって初めて子どもたちは、いつしか自分たちが受け継いだ世界の美しさや守るべき善だけでなく、醜さや改善すべき悪をも理解するだろう。そこに新しい光がもたらされる。立ち止り、進化を止めれば死にゆく運命にあるこの世界も、子どもたちが持って生まれる natality (産み出す力) によって変わることができる。それが世界が生き続ける唯一の方法なのだ。
だから彼女は、子どもたちが為すべきことが Creation (新しい世界の創造) だとは言わない。常に Re-creation なのだ。そのこだわりに託されたのはこんなメッセージではないだろうか。
世代交代によって新しい世界が創られるわけではない。
新しい世界へと創り変えられるのだ。
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