盲目の和太鼓奏者、片岡亮太君とのかかわりを通して出会ったマサさんからのコメントをピックアップしたいと思います。
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70年代終わりに始まり、まだ30年の歴史しかない現代和太鼓演奏というのは、甚だ新しい芸術で、鼓童というグループが作った「和太鼓」というイメージを追って、和太鼓音楽は行き詰まりをみせています。
その大きな理由には、多くの人々がそれまでの古典・伝統邦楽(祭囃子・能囃子・歌舞伎黒御簾音楽を含む)を学ばないため、伝統楽器である和太鼓の可能性や意味に気づいていないというのがあると思います。
亮太と僕の師匠である仙堂新太郎先生は「汝の足下を掘れ」と常におっしゃり、古典を学ぶ重要性を説きます。能には四拍子と呼ばれる、笛・小鼓・大鼓・締め太鼓の囃子方が舞台後方に並びます。その締め太鼓の打ち方(3つ目の動画)は独特で、正座し、両腕を前方に延ばし、短いバチを手のひらの中に収める形で握ります。
それはunreasonableな打ち方に見えるのですが、熟練者の太鼓から響く澄んだ音、そして持ち方からは想像もできない信じられないスピードがそこで生まれます。入門者がその持ち方をすると数時間で肩がばりばりに固まり、腕が上がらなくなる。ただ、それを毎日続けていると、次第に解きほぐれてきて、いつしか音が鳴るようになる。そして、それは腕先だけではない、肩甲骨と肋骨を使ったすばらしいストロークであり、どんな打楽器にでも応用が可能な普遍的な打法だということを理解するのです。
「不自由無くして自由は生まれない」、そのアナロジーとして、古典的奏法から得られる身体運動の無限の可能性を思い浮かべました。
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