2011年5月29日日曜日
「ぶちこぉわせ!!オーイェーっ!!」
『お母さんといっしょ』というテレビ番組を観たことあるだろうか。
そう、「歌のおねえさん」、「歌のおにいさん」、そして「体操のおにいさん」などが出てくる子どものための番組だ。うちにはテレビはつながってないが、たまにビデオが見れるようにテレビのスクリーンだけはある。愛音も美風も『お母さんといっしょ』が大好きだ。
番組の中に、「メタラちゃん」という悪役がいる。と言ってもそんなに悪いやつではないわけで、意地悪でしか愛情を表現できない、実はちょっとさびしがりやな女の子だ。
これは結構前のことだが、ちょっとギョっとしたことがある。
洗面所で、顔を拭いていた時のこと。少し開いたドアの間から、朝からパワー全開の愛音が美風を後ろに従えて歩いて行くのが見えた。
「ぶちこぉわせ!!オーイェーっ!!」
なんだなんだ、反乱か!?と思ったが、
愛音が歌っているのはメタラちゃんの歌だった…。
2011年5月28日土曜日
Re: 愛おしきは 流れそのもの ~里枝さん~
時が緩やかな流れに変わった気がしました。
人が決めた時間の区切りではない、
もっと大きな流れに身を任せ、
二度と同じ瞬間はない、今という時を
いかに過ごすかを考えました。
目の前にいる人や物からのメッセージを受け取り
温かく返していきたい。
愛おしいと感じる瞬間を
つなげて流れとなるように。
光として照らす・・・。
気づかせる、明確にすることはあっても、
こうすべきだと強制することはなく
自らの意志で動き出すことを待つような。
そんなゆったりした生き方をしたい。
そんなことを感じました。
この詩が、日々慌ただしくすべきことをこなし、
守るべきことを守らせようと、
子供にも生徒にも自分自身にも
必死になり、心を亡くしかけていたところに
ブレーキをかけてくれたかもしれません。
「最近、先生が嫌いになってきた。」
とつぶやいたY君は実に鋭い。
自分でも自分が嫌いになりかけていたから当然のこと。
周りの基準に合わせると
何か大きなものを失うこともある。
大切なことは目に見えないもの
数値ではかれないことが多い。
はかれることが人生の第一の基準である人にとっては
目に見えないものを大切に思っている人など
理解できるはずはなく、
期待に応えようとすればするほど
自分の思いとかけ離れていく。
大裕先生がいいなと思ったものを
またお伝え下さい。
とんちんかんな解釈をしてしまうことが
あるかもしれませんがお許し下さい。
「アルケミスト」読み終え、
「第五の山」読み始めました。
またいつかお会いできますように。
里枝
人が決めた時間の区切りではない、
もっと大きな流れに身を任せ、
二度と同じ瞬間はない、今という時を
いかに過ごすかを考えました。
目の前にいる人や物からのメッセージを受け取り
温かく返していきたい。
愛おしいと感じる瞬間を
つなげて流れとなるように。
光として照らす・・・。
気づかせる、明確にすることはあっても、
こうすべきだと強制することはなく
自らの意志で動き出すことを待つような。
そんなゆったりした生き方をしたい。
そんなことを感じました。
この詩が、日々慌ただしくすべきことをこなし、
守るべきことを守らせようと、
子供にも生徒にも自分自身にも
必死になり、心を亡くしかけていたところに
ブレーキをかけてくれたかもしれません。
「最近、先生が嫌いになってきた。」
とつぶやいたY君は実に鋭い。
自分でも自分が嫌いになりかけていたから当然のこと。
周りの基準に合わせると
何か大きなものを失うこともある。
大切なことは目に見えないもの
数値ではかれないことが多い。
はかれることが人生の第一の基準である人にとっては
目に見えないものを大切に思っている人など
理解できるはずはなく、
期待に応えようとすればするほど
自分の思いとかけ離れていく。
大裕先生がいいなと思ったものを
またお伝え下さい。
とんちんかんな解釈をしてしまうことが
あるかもしれませんがお許し下さい。
「アルケミスト」読み終え、
「第五の山」読み始めました。
またいつかお会いできますように。
里枝
2011年5月26日木曜日
愛おしきは 流れそのもの
今日、すてきな言葉に出会った。
古代ギリシャの哲学者、Heraclitus(日本語ではヘラクレイトスと呼ばれているらしい)の言葉だ。
この言葉を引用しているJeffrey Henigは、同じ本の中で次のようにも書いている。
“History can inform the present, but it does not dictate it.” [1]
「歴史は現在に光を与えることはできるが、それに指令を出したりはしない。」
古代ギリシャの哲学者、Heraclitus(日本語ではヘラクレイトスと呼ばれているらしい)の言葉だ。
“You could not step twice into the same river; for other waters are ever flowing on to you.”
「人は同じ川に二度入ることはできない。他の水がとめどなく流れてくるのだから。」
この言葉を引用しているJeffrey Henigは、同じ本の中で次のようにも書いている。
“History can inform the present, but it does not dictate it.” [1]
「歴史は現在に光を与えることはできるが、それに指令を出したりはしない。」
愛おしきは、流れそのもの。
[1] (Henig, J. (1994). Rethinking school choice: Limits of the market metaphor. Princeton, NJ: Princeton University. p. 102).
2011年5月24日火曜日
Re: 日本への警告 ~宮澤 かおるさん~
3年前からアメリカ東部の大学で教育学のコースを教えはじめ、クラスでもNCLBのことを話している。そしてどのクラスでもまだ高校を卒業したばかりの若い生徒たちに同じ質問をされる。
「NCLBの意図は理解できません。どうして既に経済格差、社会的な差別に苦しんでいる人たちに更に制裁を加えるようなことをするんですか?どうして苦しんでいる人たちを助けないんですか。」
かなり的を得ている問いだ。同時に彼らの純粋な熱い思いが伝わってくる。
今学期はこのブログの影響もあっって生徒たちにヒントを与えながらNCLBを読み直したり、今の公教育の現状を批判的に見つめる参加型の授業を進めてみた。すると学期末のリサーチペーパーにはこのブログで大裕君が書いていた引用と同じ、 「NCLBは教育の民営化を正当化するためにデザインされたシステムのようだ」 という結論がぼちぼち表れた。そんな結論を見て私自身が驚いていたところだ。私が教えているのは保守的な大学なので発言や内容やトピックの提示の仕方にはかなり気を使ってきたからだ。 「言ってないことまでわかってもらってうれしい」 、 「10代にしてなんてすばらしい批判的思考力を持っているんだろう」 と感動に浸ると同時に既に同僚やアドミニストレーションの目が気になる。
来学期から教育実習にいく生徒からは、「こういう現実がわかったのはいいけれど、実際に教員として生きていくためにはシステムに従うしかない。教育実習先に挨拶に言った後どうしていいかわからなくて涙がとまらなくなりました」 と言われた。
本当のことを知ることはつらくて孤独な体験だ。そして本当のことを伝えるにはリスクが伴う。そう思うと決して生徒を煽動するようなことをしてはいけないと思う。と同時に 「どうして苦しんでいる人たちを助けないんですか」 という若い生徒たちの純粋な問いに彼ら自身が答えられるよう導かなければならないと思う。このブログが提示してくれた数々の情報と洗練された解釈は、今学期そのような試みを続ける私にとって大きな支えとなった。今後とも最前線の情報そして数々の情報が示す社会的教育的現象を批判的に読み解くcutting edgeなヒントをこのブログが与えてくれることを期待したい。
宮澤 かおる
「NCLBの意図は理解できません。どうして既に経済格差、社会的な差別に苦しんでいる人たちに更に制裁を加えるようなことをするんですか?どうして苦しんでいる人たちを助けないんですか。」
かなり的を得ている問いだ。同時に彼らの純粋な熱い思いが伝わってくる。
今学期はこのブログの影響もあっって生徒たちにヒントを与えながらNCLBを読み直したり、今の公教育の現状を批判的に見つめる参加型の授業を進めてみた。すると学期末のリサーチペーパーにはこのブログで大裕君が書いていた引用と同じ、 「NCLBは教育の民営化を正当化するためにデザインされたシステムのようだ」 という結論がぼちぼち表れた。そんな結論を見て私自身が驚いていたところだ。私が教えているのは保守的な大学なので発言や内容やトピックの提示の仕方にはかなり気を使ってきたからだ。 「言ってないことまでわかってもらってうれしい」 、 「10代にしてなんてすばらしい批判的思考力を持っているんだろう」 と感動に浸ると同時に既に同僚やアドミニストレーションの目が気になる。
来学期から教育実習にいく生徒からは、「こういう現実がわかったのはいいけれど、実際に教員として生きていくためにはシステムに従うしかない。教育実習先に挨拶に言った後どうしていいかわからなくて涙がとまらなくなりました」 と言われた。
本当のことを知ることはつらくて孤独な体験だ。そして本当のことを伝えるにはリスクが伴う。そう思うと決して生徒を煽動するようなことをしてはいけないと思う。と同時に 「どうして苦しんでいる人たちを助けないんですか」 という若い生徒たちの純粋な問いに彼ら自身が答えられるよう導かなければならないと思う。このブログが提示してくれた数々の情報と洗練された解釈は、今学期そのような試みを続ける私にとって大きな支えとなった。今後とも最前線の情報そして数々の情報が示す社会的教育的現象を批判的に読み解くcutting edgeなヒントをこのブログが与えてくれることを期待したい。
宮澤 かおる
2011年5月23日月曜日
公立学校の解体 ~日本への警告 7~
(5月22日アメリカ教育最前線から)
結果的に、ニューオーリンズ市の学校システムはこの主張の通りに再構築される形となった。2005年11月、カトリーナ後3カ月というスピードで、Act 35という一つの法がルイジアナ州政府によって採択された。“the state takeover bill”(州乗っ取り法)との異名をとるこの法案は、復興支援法案であるにもかかわらず、「成績不振」校の基準を上げることにより、ニューオーリンズ市のほとんどの学校を成績不振校として州教育委員会の管理下に置くことに成功した。Act 35以前の基準であれば、該当はたった13校であったはずなのに、2005年11月には全128校のうち107校が州の管理下に置かれることになった。
また、これと時を同じくして4000人の教員(そのほとんどは黒人、ベテラン、組合員)が、災害による財政カットの名目で一斉解雇され、最終的には2006年1月までに7000人いた職員のうち61人以外全員が解雇されるに至った。この同じ月に、ニューオーリンズ市長が、世界レベルの教育を目指すべく完全チャーター制学区の形成を提案したところ、そしてブッシュ政権が$488 million(約400億円)もの予算をバウチャー制度導入に提示したところを見ると、従来の学校システムの再建は、新しいニューオーリンズ市の教育ビジョンには最初から含まれていなかったことがうかがえる。
実際に、カトリーナから4カ月が経過したこの時期に、再び開校にこぎつけた学校は市内128校のうちのたった20校、学校に復帰できた生徒は62,227人中10,000人強に過ぎなかった(Capochino, 2007)。その後、十分な数の座席が確保されなかったこと、貧しいアフリカ系アメリカ人や障害を持った生徒など、一部の生徒が学校に受け入れられなかったことで数多くの訴訟が発生した。しかし、これらの学校の再建は一向に進まず、カトリーナ後1年経ってもまだ、これらの学校の生徒たちの多くは、教えてくれる先生はおろか、本や勉強するための施設さえも与えられない状態が続いた(Buras, 2009)。
ここで、先に紹介した保守的シンクタンクの一つであるUrban Instituteが発表した「ニューオーリンズの公教育の未来」レポートで掲げられた5つの主張が、今日アメリカの多くの州で現実となっていることを指摘しておくべきであろう。
「現実の、あるいは仮想の危機だけが真の変化を生む」
ハリケーン・カトリーナ後のニューオーリンズの教育政策で明確なのは、従来の学校システムの解体が、極端な規制緩和と民営化を可能にしたということだ。もともと州の不十分な教育予算のために貧しいコンディションにあったニューオーリンズの公立学校だが、その80%は、カトリーナにより壊滅的な被害を受けた(Buras, 2009)。しかし、瀕死の状態であった従来の学校システムが求めていた支援の手は、いつまで待っても来ることはなかった。
カトリーナ直後、ミルトン・フリードマン(Milton Friedman)を始め、Heritage Foundationなどの保守的シンクタンク等に所属する彼の崇拝者たちが、システムが完全にダウンしているその機会に、民営化、規制緩和、そして公的部門の大幅財政カットという、ショック・ドクトリンのトレードマークとも言うべき3本柱を軸とした劇的な教育改革に取り組むべきだと主張したことは既に書いた。カトリーナから5か月後の2006年1月、教育民営化論者として知られるUrban InstituteのPaul T. Hill and Jane Hannawayは、The Future of Public Education in New Orleans(ニューオーリンズの公教育の未来)というレポートにて、全国の学校システムのモデルとして新しいニューオーリンズ市学校システムのビジョンを描き、以下の点を主張した(Saltman, 2007)。
1. 従来の公立学校の再建を拒否
2. 教員の一斉解雇
3. 教員組合の解体
4. 教育における中央集権の撤廃
5. エジソンスクールなどの営利目的の教育企業及びその他の組織などによる学校運営の承認
1. 従来の公立学校の再建を拒否
2. 教員の一斉解雇
3. 教員組合の解体
4. 教育における中央集権の撤廃
5. エジソンスクールなどの営利目的の教育企業及びその他の組織などによる学校運営の承認
結果的に、ニューオーリンズ市の学校システムはこの主張の通りに再構築される形となった。2005年11月、カトリーナ後3カ月というスピードで、Act 35という一つの法がルイジアナ州政府によって採択された。“the state takeover bill”(州乗っ取り法)との異名をとるこの法案は、復興支援法案であるにもかかわらず、「成績不振」校の基準を上げることにより、ニューオーリンズ市のほとんどの学校を成績不振校として州教育委員会の管理下に置くことに成功した。Act 35以前の基準であれば、該当はたった13校であったはずなのに、2005年11月には全128校のうち107校が州の管理下に置かれることになった。
また、これと時を同じくして4000人の教員(そのほとんどは黒人、ベテラン、組合員)が、災害による財政カットの名目で一斉解雇され、最終的には2006年1月までに7000人いた職員のうち61人以外全員が解雇されるに至った。この同じ月に、ニューオーリンズ市長が、世界レベルの教育を目指すべく完全チャーター制学区の形成を提案したところ、そしてブッシュ政権が$488 million(約400億円)もの予算をバウチャー制度導入に提示したところを見ると、従来の学校システムの再建は、新しいニューオーリンズ市の教育ビジョンには最初から含まれていなかったことがうかがえる。
実際に、カトリーナから4カ月が経過したこの時期に、再び開校にこぎつけた学校は市内128校のうちのたった20校、学校に復帰できた生徒は62,227人中10,000人強に過ぎなかった(Capochino, 2007)。その後、十分な数の座席が確保されなかったこと、貧しいアフリカ系アメリカ人や障害を持った生徒など、一部の生徒が学校に受け入れられなかったことで数多くの訴訟が発生した。しかし、これらの学校の再建は一向に進まず、カトリーナ後1年経ってもまだ、これらの学校の生徒たちの多くは、教えてくれる先生はおろか、本や勉強するための施設さえも与えられない状態が続いた(Buras, 2009)。
ここで、先に紹介した保守的シンクタンクの一つであるUrban Instituteが発表した「ニューオーリンズの公教育の未来」レポートで掲げられた5つの主張が、今日アメリカの多くの州で現実となっていることを指摘しておくべきであろう。
まず、今のトレンドは、従来の公立学校の「解体」であって、成績の伸び悩む学校を「改善」することではない。連邦政府教育長官のArne Duncan(アーン・ダンカン)は、よく “school turnaround” という言葉を口にするが、彼の理念は実際には学校を一度閉鎖し、チャータースクールとしてリオープンすることで、“school takeover”と呼んだ方がふさわしい。現に、シカゴ市の教育長を務めていた時代に彼が主導したRenaissance 2010というプロジェクトは、成績の悪い100の公立学校を閉鎖し、営利・非営利目的のチャータースクール、コントラクトスクール、マグネットスクールとしてリオープンし、学区の規制に捉われずに運営することを承認するものだった(Saltman, 2007)。アメリカ教育界を翻弄している連邦政府主導のNo Child Left Behind (NCLB)も基本的には同じ路線だ。NCLBは、成績の悪い学校に対してはサポートではなく、段階的な罰を与える。そして、最終的には学校閉鎖、そしてチャータースクールとしてのリオープンに至る仕組みだ。また、NY市でも今年だけで合計27の学校が閉鎖されていて、そのほとんどは来年度からチャータースクールにとって代わられることになる(Gotham Schools, April 29, 2011)。
NCLBに関して、Alfie Kohnが次のような指摘をしている。
“NCLB itself appears to be a system designed to result in the declaration of wide-scale failure of public schooling to justify privatization.”[1]
「NCLBは、民営化を正当化するために、公立学校教育が広範囲で成績不振の結果を生みだすようにデザインされたシステムのようだ。」
言うまでもないが、これは先に紹介したAct 35の説明そのものであり、Saltman (2007)やTaubman (2009)が、NCLBを教育政策におけるショック・ドクトリンの適用 ― つまりアメリカの教育が危機的状況にあるということをNCLBが証明することによって劇的なショックトリートメントを可能にすること ― と分析するのは、まさにこのような理由からだ。フリードマンの言葉が思い出される。
「現実の、あるいは仮想の危機だけが真の変化を生む」
変化は確実に起こった。現在、既に都市としてアメリカで最多のチャータースクールを誇るニューオーリンズだが、2012年までにはおよそ75%の公立学校がチャーター化されるという。
あとがき
ここまで、いかに従来の公立学校システムの解体がバウチャー制度やチャータースクールの大規模な導入による劇的な教育改革を可能にしたかを述べてきた。今後、これらの取り組みが生む教育機会の不平等を考えていきたい。
[1] NCLB and the Effort to Privatize Public Education, in Many Children Left Behind, Deborah Meier and George Wood (Eds.), Boston: Beacon, 2004, pp. 79-100.
2011年5月22日日曜日
公教育における「公」と「私」の境界の不透明化 ~日本への警告 6~
真の“パブリック(公共)”という概念そのものだ…。」
(“In fact, the very concept of
a truly ‘public’ education is at stake…”)
a truly ‘public’ education is at stake…”)
これは、Kristen Burasの2009年の論文(We have to tell our story’: Neo-griots, racial resistance, and schooling in the other south.)からの引用だ。「公教育」とその「概念」とを区別しているところが実に興味深い。
2005年のハリケーン・カトリーナ後、ルイジアナ州ニューオーリンズでは、州政府だけでなく、連邦政府やその他学校選択制及び民営化の実現を追求する様々な組織の支持を受け、アメリカ史上最大の公立学校チャータースクール化が進められた。非営利団体だけでなく、営利目的の会社も広く招かれ、公的資金により実に多くの学校が新設された。それにより、学区制は廃止され、選別されることなく誰でも地元の学校に入れるという伝統的な公立学校の概念はもはや過去のものとなった。
あれから6年、今ではチャータースクールのない学校システムを想像する方が難しいほど、チャータースクールは着実にアメリカの教育システムの中で市民権を得てきた。チャーターの他にも、私立学校に通う子どもを持つ家庭に公的資金からの補助金や免税が与えられるバウチャー制度なども、公教育のディスコースの中でよく語られるようになった。つい昨日も億万長者によって展開されるバウチャー制度のこんな記事があったばかりだ。まさにここに見られるのは「公教育」という概念の変遷と拡大であり、「公」と「私」の境界の不透明化だ。これは、今日のアメリカ教育を支配する新自由主義的市場型教育改革を分析するにあたり非常に重要な視点だと考えている。これ念頭に置き、話を進めていきたいと思う。
(続く…)
2011年5月21日土曜日
今日の教育情勢を読み解く鍵 ~日本への警告 5~
(5月21日 アメリカ教育最前線から)
社会を取り巻く大きな流れが、
教育という場でいかなる形にて表現されるか。
教育を社会から切り離して考えることはできない。だからこそ、ある教育政策や教育問題を見つめる時、それを取り巻く社会的、政治的、文化的、歴史的背景の中に位置づけることが必要となってくるのであり、時空から独立した一つの点として教育だけを抽出してみても、問題の本質もわからなければ、その解決にもならない。
過去4回、カナダ人ジャーナリスト、ナオミ・クラインの世界的ベストセラー、『ショック・ドクトリン』をレンズとして、1973年のチリのクーデターに始まり、2003年のアメリカによるイラク進出、2004年のスマトラ沖地震、2005年のアメリカ本土を襲ったハリケーン・カトリーナなど、一見「アメリカ教育最前線」とは何の関係もなさそうなことについて書いてきた。『ショック・ドクトリン』の最大の意義は、これらの事件を通して見えてくる新自由主義の世界的な広がりを綿密な調査と膨大なデータに基づき、実に約600ページに渡って描き出す(引用されたデータは全てウェブにアップされている)ことで、教育など、今日のアメリカ事情をその大きな流れの中で分析する術を与えてくれることだ。
現に、クラインのセオリーはノーベル経済学賞受賞経済学者のJoseph E. Stiglitz(2001年受賞)やPaul Krugman (2008年受賞)を始め、様々な学術分野で広く引用されている。教育学も例外ではない。若手のKenneth Saltmanや2010年のAmerican Educational Research Association (AERA)並びにAmerican Association for Teaching and Curriculum (AATC)両団体の年間最優秀賞を受賞したPeter Taubmanも、受賞作品Teaching by Numbersの中でショック・ドクトリンがいかにして教育の場で用いられてきたかを綴っているし、クラインの分析はHenry Giroux(Beyond the biopolitics of disposability: Rethinking neoliberalism in the New Gilded Age)やCameron McCarthy(The new neoliberal cultural and economic dominant: Race and the reorganization of knowledge in schooling in the new times of globalization)などの巨匠の研究をもインフォームしている。
ちなみに、過去4回の投稿が、過激すぎる!偏っている!日本の人々の不安を煽っている!最初の主旨からずれている!アカデミックじゃない!一緒にされたくないっ!!とのお叱りをこのブログの編集仲間たちから頂戴し、この一週間、人知れず大いにへこんでいたところだ。また、「ニューオーリンズに行ってから変わった」との指摘も受けた。確かに心当たりはある。今回そこら辺から始めようと思う。ただ、シリーズタイトルの「日本への警告」に関しては、色々考えたがそのまま残しておきたいと思う。実際、少しでも日本の人々の危機感を高めることができたなら、という気持ちでこれを書いている。書かずに後で後悔するくらいなら、オーバーリアクションと取られた方がよっぽどましだ。ナオミ・クラインは、ショック・ドクトリンに立ち向かうには、我々が「ショック・レジスタンス」(ショックに耐え得る力を持つこと)になることだと言っている。そして、インフォメーションこそがその鍵なのだと。少しでもインフォメーションの共有に貢献できればと思う。
では、忘れる前に…。
*ここに書かれている意見は、完全に筆者個人のものであり、このブログやティーチャーズカレッジを代表するものではありません。
およそ一か月前、学会発表のため、ニューオーリンズに行ってきた。自分の発表の他、著名な学者たちの発表を見るだけでなく、2005年のハリケーン・カトリーナが残した爪跡を見学したり、このブログから始まった「世界から日本へ1000のメッセージ」のメッセージを地元の人々から集めたりと忙しく動き回ったが、自分にとっての最大の山場は意外なところにあった。
滞在最後の夜、ニューオーリンズの教員組合とAmerican Educational Research Association (AERA)のSocial Justiceグループが合同開催したイベントに参加したのだ。University of Wisconsin-MadisonのMichael Apple教授が参加するセッションを探していて偶然見つけたものだった。(実際には彼は当日欠席となってしまった。)そこには地元の教員たち、彼らと密接に仕事をしているKristen Burasという一人の若い教育学者(Appleの弟子でもある)、それにAERA参加のためにニューオーリンズを訪れていた大学院生やごく少数の学者たち、およそ40名が集まった。
前半は地元の教員たちとKristen Buras教授が、カトリーナ後のニューオーリンズにおける教育政策について一人ずつ話をしたのだが、そこで聞いた話はどれも耳を疑うような悲惨なものばかりだった。まずはカトリーナの翌年早々に、“disaster unemployment”(災害解雇)と称して、ニューオーリンズ市の教師が4000人一斉に解雇されたこと。そして解雇されたうち4人に3人は黒人であったこと。どうしても復職を希望する教員は、8つの異なるテストをパスすることが条件として求められたこと。そのような屈辱を受けることを拒否し、他の都市で教えることを選んだベテラン教員が数多くいるということ。運良く解雇を免れた者も、それまでの倍以上のお金(月々$790)を自己負担しなければ福祉の手当ても受けられなくなったこと。損害を免れ再び開校した学校も、成績が悪いとの理由で次々と閉鎖、チャーター化され、その度に教員は一斉解雇されたこと。自分が以前勤めていた学校がチャーター化された場合、定年者は福利を受ける権利を剥奪されたこと。それらの理由により、ニューオーリンズでは何歳になっても安心してリタイアできない状態であること…。
これらの実体験を教員たちの口から聞くのは、非常にパワフルな体験だった。5週間前に第一子を出産したばかりというニューオーリンズ出身のKristen Buras教授も、2005年以降ニューオーリンズで「改革」の名のもとに実施されてきた政策を感情露わに批判していた。そのようなことを一つも知らなかった自分は愕然とし、「伝えねば」という強い想いが自分の中に芽生えるのを感じていた。この、「日本への警告」シリーズを書き始めたのは、まだ興奮冷めやらぬニューヨークへの帰りの飛行機の中だった。ニューオーリンズに行ってからトーンが変わったと言われても仕方のないことなのかもしれない。
ニューヨークに戻り、カトリーナ後のニューオーリンズの教育政策をリサーチし始めると、二つのことがわかってきた。一つは、壊滅的な被害を受けたニューオーリンズの学校システムが、市場型教育改革(又は新自由主義的教育改革)の実験場として絶好の機会を提供したこと、二つ目はその「改革」の手法―ショック・ドクトリンの教育政策における適用―が今日のアメリカの至る所で使われており、結果的に公教育の危機を招いているということだ。その意味で、昨年のロードアイランド州に始まった教員一斉解雇の動き、ウィスコンシンから広まった今日の公務員団体交渉権剥奪運動、全国で広がりを見せる教育の民営化運動を正確に読み解く鍵がニューオーリンズにあると思っている。
(続く…)
2011年5月7日土曜日
誰のため、何のための復興なのか? ~日本への警告 4~
(4月30日 アメリカ教育最前線から)
ここ数回に渡り、ミルトン・フリードマンとその崇拝者たちがクーデターや自然災害などの社会危機に乗じて推し進めてきた市場原理主義的経済改革の恐ろしさを、社会危機のさなかにある母国日本への警告として綴っている。
ここ数回に渡り、ミルトン・フリードマンとその崇拝者たちがクーデターや自然災害などの社会危機に乗じて推し進めてきた市場原理主義的経済改革の恐ろしさを、社会危機のさなかにある母国日本への警告として綴っている。
一つ注意しておきたいのは、私は規制緩和や民営化という概念自体が問題だと言っているのではないということ。ただ、1973年のチリのクーデター、2003年のアメリカによるイラク進出、2004年のスマトラ沖地震、2005年のアメリカ本土を襲ったハリケーン・カトリーナなどで、市場原理主義者たちが経済改革の手法として用いてきた「ショック・ドクトリン」(ナオミ・クラインによる命名)は、国の利益を第一に考えたものであり、その「国」そして「利益」のビジョンの大部分を占めるのは一部の企業とエリートだけであり、それ以外の人々、特に被災者や貧困層などの社会的弱者は必然的に恩恵の外へと追いやられることだ。
現に、1973年のクーデター以降、独裁者ピノチェトに経済アドバイザーとして迎え入れられたフリードマンと彼のシカゴスクールの教え子たちによる経済政策によってチリの経済は活性化したものの、現在チリは南米で最も貧富の差が大きい国の一つになってしまった。
イラクでも間違いなく一番恩恵を受けたのはブッシュ政権から様々な事業を委託された大企業たち。そして、彼らが銃弾の飛び交う危険地帯(レッド・ゾーン)の真ん中に造り上げた安全地帯(グリーン・ゾーン)の利権を買えるのはイラク人以外の外国人とイラク人政治家たちだけだ。ほとんどのイラク人はいつ撃たれてもおかしくない状況で暮らすことを余儀なくされた。
スマトラ沖地震でも同じことだ。津波で壊滅した海岸沿いの無数の漁村が、今では一大ビーチリゾート地になっている。パニックに乗じてそれら全ての土地が、地元の人々との交渉もないまま海外の企業家たちにタダ同然の値で手渡されたのだ。それもその筈、スリランカ政府が復興事業を委託するために立ち上げた外的機関Task Force to Rebuild the Nation (TAFREN)のメンバー10人のうち、5人が観光産業の要人だったのだ。(詳細はTourism Concernのレポートを参照のこと。ちなみに、現在ミシガン州で新知事スナイダーにより初の「非常事態宣言」が発令され、町全体が企業の管理下に置かれようとしているBenton Harbor。知事によりそこの非常事態マネージャーに任命された人物は、何年もの間、町の人々の唯一の財産であるビーチラインの公園を一大ゴルフリゾートにするために立ち上げられたNPOの理事を務めてきた人物だ。詳しくはこちら。)
『ショック・ドクトリン』の中で、ナオミ・クラインがスリランカ政府の声明を引用している。
“In a cruel twist of fate, nature has presented Sri Lanka with a unique opportunity, and out of this great tragedy will come a world class tourism destination”
「残酷な運命のいたずらで、自然の力がスリランカにまたとない機会をもたらした。この未曾有の悲劇から世界有数の観光地が生まれることだろう。」
このような地上げ行為はハリケーン・カトリーナが襲ったニューオーリンズでも起こった。一大観光地であるフレンチ・クウォーターのすぐ隣には、幾つもの公団が立ち並んでいて、カトリーナ以前から企業家たちがそれらの土地を狙っていたのだ。カトリーナがそれらの地域に壊滅的なダメージを与えた時、ニューオーリンズ有数の共和党議員がロビーイストたちにこう言った。
“We finally cleaned up public housing in New Orleans. We couldn’t do it, but God did it.”
「とうとうニューオーリンズの公団を片づけることができた。我々はできなかったが、神がやってくれた。」
復興作業がいつまでたっても進まないために避難したニューオーリンズの多くの人々が戻れない状態が続き、空き家になっている家々は次々と没収されていった。カトリーナから一年が経過した2006年9月には、St. Bernard Parishの4000の家が壊され、一年半後の統計ではニューオーリンズの人口はカトリーナ前の約半分の444,000人に減っていた。明らかにアメリカ政府が貧困層の人権を守る努力をしていない状態を見て、とうとう国連が2006年7月28日に非難声明を出したほどだった。(詳細はTeaching the Leveesから。)
前にも書いたが、このように世界中で同じようなことが繰り返される状態を見て、知識人やジャーナリズムにいる多くの人間が訴えている。
これはもはや「ミス」ではなく、実は緻密な計画に基づいたものでる。
(続く…)
*ここに書かれている意見は、完全に筆者個人のものであり、このブログやティーチャーズカレッジを代表するものではありません。
2011年5月5日木曜日
災害を喰いものにする政治家と大企業 ~日本への警告 3~
(4月29日 アメリカ教育最前線から)
1970年代から自然災害やクーデター等による社会危機を利用して市場原理主義を推し進めてきたミルトン・フリードマンとその崇拝者たち。2005年のハリケーン・カトリーナによって壊滅的な被害を受けたニューオーリンズは、アメリカにおける彼らの絶好の実験場となった。
ニューオーリンズの堤防が決壊してから2週間後、ワシントンDCにおいて最も影響力を持つ保守的シンクタンクの一つであり、フリードマンの崇拝者が数多くいるHeritage Foundationが会合を持ち、“Pro-Free-Market Ideas for Responding to Hurricane Katrina and High Gas Prices”(ハリケーン・カトリーナと石油高騰対策としての自由市場推進案。別名Opportunity Zone。)という合計32もの政策から成るリストを発表した。
それらは民営化、規制緩和、そして公的部門の大幅財政カットという、ミルトン・フリードマンとその崇拝者たちが、チリ、イラク、スリランカなどで使ってきたショック・ドクトリンのトレードマークとも言うべき3本柱を要求する内容だった。そしてそれは復興支援とは名ばかりの、人道支援や民主主義とはかけ離れた市場原理主義推進政策だった。
良く考えて欲しい。この民営化、規制緩和、そして公的部門の大幅財政カットという3本柱は、今まさに共和党が実権を握っているほとんどの州で行っていることだ。プリンストン大学のノーベル賞受賞エコノミスト兼NY Timesの人気コラムニストであるPaul Krugmanが、ウィスコンシン州から始まったこの一連の動きを、“Shock Doctrine USA”と分析したのも納得だ。もう一点。約一週間前、アメリカの有力経済誌The EconomistがJapan's disaster and business reform: A good place to start(日本の災害と経済改革:良きスタート地点)という、上の自由市場推進案と非常に類似した提案を日本の指導者に向けて発信している。「まさか日本でも」と危惧して調べていたら遭遇した情報だった。Shock Doctrineが日本でも使われる可能性は無きにしも非ず、その危機感が、今私にこれを書かせている。これらの二点に関してはまた機会を改めて書こうと思う。
話を元に戻そう。先の自由市場推進案は、Heritage Foundationで持たれた会合に出席していた共和党保守派の政策研究グループが提案し、一週間も経たないうちにブッシュ大統領によって採用された。
民営化
カトリーナ後の復興政策で際立っているのは、復興のあらゆる側面における民間企業への委託だ。被災した軍隊基地や橋などの建築、暴動対策などの警備、仮設住宅作り、死体処理に至るまで、災害のどさくさにまぎれて入札なしに委託された。その多くはイラクでもブッシュ政権に委託されて事業を展開している企業で、全てがブッシュの選挙に貢献した大企業だった。入札無く委託されたため、それらの企業は各事業に信じられない程高額な請求書を書く一方で、仕事はなかなか進まなかった。ブッシュは再三追加予算を国会で迫り 、カトリーナ上陸2週間後の9月13日には、実に一日$1 billion(約817億円)ものお金を復興に費やすまでになっていた。イラクの時と全く同じ展開に、スパイク・リー、ナオミ・クライン他、知識人やジャーナリズムにいる多くの人間が、カトリーナの「対応のまずさ」は、実は緻密な計画に基づいたものであったと考えている。
もう少し具体的に見てみよう。仮設住宅作り一つをとっても、入札なしに委託された4つの企業の予算は、当初の$400 millionを遥かに上回り、最終的に$3.4 billion(約2778億円)となった。また、死体処理に関しても、委託された企業は1体あたり平均100万円以上ものお金を州政府に請求した。にもかかわらず、その仕事は驚くほど遅く、1週間経っても炎天下の下で死体が放置され、NGO職員または地元の人間が死体処理した際には、彼らの利権を侵害したという理由で罰金が科される始末だった。
この企業だけではない。驚くことに、ブッシュ政権に委託された企業の多くが、地元のボランティアや救済のために駆け付けたNGO、送られてくる支援物資などが彼らの利権を侵害していると政府に不満を呈した。また、本来であれば被災地で仕事を失った人々を雇用するべきところだが、代わりに多くの企業が非公式に最低賃金以下で違法移民を雇用し、地元の人は手をこまねいて見ている他なかった。(これは、先に述べた自由市場推進案によって、Davis-Bacon prevailing wage lawsという、政府に仕事を委託された人間には生活可能な賃金を支払う義務があるとする法案を被災地においては撤廃するという新たな法案ができたからだ。)これらのカトリーナ復興事業に関わった民間企業の数々の汚職に関しては、約一年後に公表されたレポートに詳しくまとめてある。
(続く…)
*ここに書かれている意見は、完全に筆者個人のものであり、このブログやティーチャーズカレッジを代表するものではありません。
2011年5月3日火曜日
これがアメリカなの? ~日本への警告 2~
*この記事は、元々もう一つのブログ『アメリカ教育最前線!!』に載せたものです。一人でも多くの日本人にこの事実を知ってほしいと願い、この場でシェアさせてもらっています。
【主張】教育政策担当: 鈴木
ニューオーリンズがハリケーン・カトリーナによって水没してから約半年後の2006年2月、メディアや民衆、上院・下院など、国のあらゆる側面から圧力を受けたブッシュ政権は、The White House Katrina Reportを公表し、その未曾有の被害は国の対応のまずさから起きたものであったことを認めた。
しかし、カトリーナ後、一週間経ってもまだ被災者が崩壊した家の屋根から救助を求め、避難所となったスーパードームの外では死体がそのまま放置されているテレビの映像には、「対応のまずさ」だけでは理解できないものがあり、世界中を驚かせた。CNNのレポーター、Sanjay Guptaは「これがアメリカなの?」と問い、ボストンの有力紙、Boston GlobeのDerrick Z. Jacksonも、
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【主張】教育政策担当: 鈴木
ニューオーリンズがハリケーン・カトリーナによって水没してから約半年後の2006年2月、メディアや民衆、上院・下院など、国のあらゆる側面から圧力を受けたブッシュ政権は、The White House Katrina Reportを公表し、その未曾有の被害は国の対応のまずさから起きたものであったことを認めた。
しかし、カトリーナ後、一週間経ってもまだ被災者が崩壊した家の屋根から救助を求め、避難所となったスーパードームの外では死体がそのまま放置されているテレビの映像には、「対応のまずさ」だけでは理解できないものがあり、世界中を驚かせた。CNNのレポーター、Sanjay Guptaは「これがアメリカなの?」と問い、ボストンの有力紙、Boston GlobeのDerrick Z. Jacksonも、
“Here’s the wealthiest nation in the world—gave a Third World response to a major catastrophe”
「世界で最も裕福な国が大災害に対して第三世界並みの対応をした」と酷評した。
「世界で最も裕福な国が大災害に対して第三世界並みの対応をした」と酷評した。
では実際にどのような状態であったのか、アカデミー受賞監督、スパイク・リーの2006年作のWhen the Levees Brokeというドキュメンタリーフィルムが見事に映像として残しているので是非機会がある人は観て欲しいと思う。
そうでない人は以下の抜粋で我慢して欲しい。ちなみにこのフィルムは、George Polkテレビドキュメンタリー賞を始めとした、ジャーナリズムで最も権威のある賞の多くを受賞している。
では、何がそのような「対応のまずさ」に繋がったのか。前回紹介したナオミ・クラインの『ショック・ドクトリン』は、ブッシュ政権の最大の狙いは人的救助にはなく、この社会危機をビジネスチャンスとして利用することにあったことを指摘する。
(続く…)
*ここに書かれている意見は、完全に筆者個人のものであり、このブログやティーチャーズカレッジを代表するものではありません。
2011年5月2日月曜日
オサマ・ビン・ラディンの死を考える
アメリカは朝から祝福ムード。
テロリストとはいえ、一人の人間の死を国を挙げて祝福する様子に
違和感を覚える。
もしこれが日本であったら、同じ光景になるのだろうか。
小関先生だったら何と言うだろう?
勝って反省、負けて感謝
アメリカ人の多くは、「反対じゃないの?」と訊き、理解に苦しむ
小関先生の武士道。
今は祝福ではなく、沈黙の時。
我々に残されたのは、答えではなく、新たな問い。
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