2011年5月2日月曜日

オサマ・ビン・ラディンの死を考える




アメリカは朝から祝福ムード。


テロリストとはいえ、一人の人間の死を国を挙げて祝福する様子に


違和感を覚える。


もしこれが日本であったら、同じ光景になるのだろうか。


小関先生だったら何と言うだろう?


    勝って反省、負けて感謝


アメリカ人の多くは、「反対じゃないの?」と訊き、理解に苦しむ


小関先生の武士道。


今は祝福ではなく、沈黙の時。


我々に残されたのは、答えではなく、新たな問い。

1 件のコメント:

  1. 私も人々の祝福ぶりに強い違和感を感じました。
    そもそもビンラディンが911の本当の首謀者なのかということ自体に疑問を感じます。
    たとえそうであったにせよ、人の死を祝福するのは、やはり違和感を感じます。

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