2011年5月23日月曜日

公立学校の解体 ~日本への警告 7~

(5月22日アメリカ教育最前線から)

 ハリケーン・カトリーナ後のニューオーリンズの教育政策で明確なのは、従来の学校システムの解体が、極端な規制緩和と民営化を可能にしたということだ。もともと州の不十分な教育予算のために貧しいコンディションにあったニューオーリンズの公立学校だが、その80%は、カトリーナにより壊滅的な被害を受けた(Buras, 2009)。しかし、瀕死の状態であった従来の学校システムが求めていた支援の手は、いつまで待っても来ることはなかった。 

 カトリーナ直後、ミルトン・フリードマン(Milton Friedman)を始め、Heritage Foundationなどの保守的シンクタンク等に所属する彼の崇拝者たちが、システムが完全にダウンしているその機会に、民営化、規制緩和、そして公的部門の大幅財政カットという、ショック・ドクトリンのトレードマークとも言うべき3本柱を軸とした劇的な教育改革に取り組むべきだと主張したことは既に書いた。カトリーナから5か月後の2006年1月、教育民営化論者として知られるUrban InstituteのPaul T. Hill and Jane Hannawayは、The Future of Public Education in New Orleansニューオーリンズの公教育の未来というレポートにて、全国の学校システムのモデルとして新しいニューオーリンズ市学校システムのビジョンを描き、以下の点を主張した(Saltman, 2007)。

1. 従来の公立学校の再建を拒否
2. 教員の一斉解雇
3. 教員組合の解体
4. 教育における中央集権の撤廃
5. エジソンスクールなどの営利目的の教育企業及びその他の組織などによる学校運営の承認

 結果的に、ニューオーリンズ市の学校システムはこの主張の通りに再構築される形となった。2005年11月、カトリーナ後3カ月というスピードで、Act 35という一つの法がルイジアナ州政府によって採択された。“the state takeover bill”(州乗っ取り法)との異名をとるこの法案は、復興支援法案であるにもかかわらず、「成績不振」校の基準を上げることにより、ニューオーリンズ市のほとんどの学校を成績不振校として州教育委員会の管理下に置くことに成功した。Act 35以前の基準であれば、該当はたった13校であったはずなのに、2005年11月には全128校のうち107校が州の管理下に置かれることになった。

 また、これと時を同じくして4000人の教員(そのほとんどは黒人、ベテラン、組合員)が、災害による財政カットの名目で一斉解雇され、最終的には2006年1月までに7000人いた職員のうち61人以外全員が解雇されるに至った。この同じ月に、ニューオーリンズ市長が、世界レベルの教育を目指すべく完全チャーター制学区の形成を提案したところ、そしてブッシュ政権が$488 million(約400億円)もの予算をバウチャー制度導入に提示したところを見ると、従来の学校システムの再建は、新しいニューオーリンズ市の教育ビジョンには最初から含まれていなかったことがうかがえる。


実際に、カトリーナから4カ月が経過したこの時期に、再び開校にこぎつけた学校は市内128校のうちのたった20校、学校に復帰できた生徒は62,227人中10,000人強に過ぎなかったCapochino, 2007。その後、十分な数の座席が確保されなかったこと、貧しいアフリカ系アメリカ人や障害を持った生徒など、一部の生徒が学校に受け入れられなかったことで数多くの訴訟が発生した。しかし、これらの学校の再建は一向に進まず、カトリーナ後1年経ってもまだ、これらの学校の生徒たちの多くは、教えてくれる先生はおろか、本や勉強するための施設さえも与えられない状態が続いた(Buras, 2009)。

ここで、先に紹介した保守的シンクタンクの一つであるUrban Instituteが発表した「ニューオーリンズの公教育の未来」レポートで掲げられた5つの主張が、今日アメリカの多くの州で現実となっていることを指摘しておくべきであろう。

まず、今のトレンドは、従来の公立学校の「解体」であって、成績の伸び悩む学校を「改善」することではない。連邦政府教育長官のArne Duncan(アーン・ダンカン)は、よく “school turnaround” という言葉を口にするが、彼の理念は実際には学校を一度閉鎖し、チャータースクールとしてリオープンすることで、“school takeover”と呼んだ方がふさわしい。現に、シカゴ市の教育長を務めていた時代に彼が主導したRenaissance 2010というプロジェクトは、成績の悪い100の公立学校を閉鎖し、営利・非営利目的のチャータースクール、コントラクトスクール、マグネットスクールとしてリオープンし、学区の規制に捉われずに運営することを承認するものだった(Saltman, 2007)。アメリカ教育界を翻弄している連邦政府主導のNo Child Left Behind (NCLB)も基本的には同じ路線だ。NCLBは、成績の悪い学校に対してはサポートではなく、段階的な罰を与える。そして、最終的には学校閉鎖、そしてチャータースクールとしてのリオープンに至る仕組みだ。また、NY市でも今年だけで合計27の学校が閉鎖されていて、そのほとんどは来年度からチャータースクールにとって代わられることになる(Gotham Schools, April 29, 2011)。

 NCLBに関して、Alfie Kohnが次のような指摘をしている。

“NCLB itself appears to be a system designed to result in the declaration of wide-scale failure of public schooling to justify privatization.”[1]

NCLBは、民営化を正当化するために、公立学校教育が広範囲で成績不振の結果を生みだすようにデザインされたシステムのようだ。」


 言うまでもないが、これは先に紹介したAct 35の説明そのものであり、Saltman (2007)やTaubman (2009)が、NCLBを教育政策におけるショック・ドクトリンの適用 ― つまりアメリカの教育が危機的状況にあるということをNCLBが証明することによって劇的なショックトリートメントを可能にすること ― と分析するのは、まさにこのような理由からだ。フリードマンの言葉が思い出される。



「現実の、あるいは仮想の危機だけが真の変化を生む」


変化は確実に起こった。現在、既に都市としてアメリカで最多のチャータースクールを誇るニューオーリンズだが、2012年までにはおよそ75%の公立学校がチャーター化されるという。


あとがき
ここまで、いかに従来の公立学校システムの解体がバウチャー制度やチャータースクールの大規模な導入による劇的な教育改革を可能にしたかを述べてきた。今後、これらの取り組みが生む教育機会の不平等を考えていきたい。


[1] NCLB and the Effort to Privatize Public Education, in Many Children Left Behind, Deborah Meier and George Wood (Eds.), Boston: Beacon, 2004, pp. 79-100.

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