今週の日曜日、Mr. Walkerに会ってきた。
彼の住むRyeという町は、New Hampshire州の海沿いの美しい町だ。ニューヨークから車で5時間。行きの車の中、僕は、初夏のニューイングランドにふさわしい、穏やかできれいな別れを思い浮かべていた。
そんな僕の期待は見事に裏切られた。
待っていたのは、自らの死を受け入れ、周りの人間との別れを惜しむ老人ではなく、どろ臭く、どこまでも生にこだわろうとする生身の人間だった。
僕たち家族が着いた時、家の前には既に何台もの車が停まっていた。家族の人が迎えに出てきてくれ、導かれるままに僕らは裏庭に行った。寝たきりかと思っていたMr. Walkerは、ピクニックチェアーに座っていて、僕を驚かせた。
考えてみれば前回もそうだった。癌が再発し、もう会うのは最後かと思って尋ねた去年の8月。あの時も、僕らが泊っていたホテルまで車を運転してきて僕らを驚かせた。きっと家族としては気が気じゃないだろう。
挨拶に行くと、Mr. Walkerはかすれた声で、
“Good to see you.”
「会えて嬉しいよ。」
と言った。
奥さんのPhillisも元気そうで、僕らを歓迎してくれた。次々に家族の人たちが挨拶に来てくれた。僕はMr. Walkerのお子さんたちを何人か知っていたが、どうやら僕が会ったのはほんの半分に過ぎなかったらしい。全部で8人のお子さんがいると知って驚いた。
少し経つと、家族の輪に何らかの緊張感があるのを感じた。原因はMr. Walkerだった。
僕がMr. Walkerの隣に行って、思ったよりも元気だと言うと、彼は何度も首を振った。本も読めないのだ、と。いろいろやりたいことはあるのだが、すぐに疲れてしまうそうだ。本気で悔しがっている彼に、僕はあきれてしまった。きっと自分自身に求めるものが相当高い所にあるのだろう。
Mr. Walkerが何か言葉を発しても、うまく出てこないことがほとんどだ。そんな時は、自分へのフラストレーションなのだろう、極端に大きな声で繰り返すのだ。でもそれが周りには、相手へのうっぷんを晴らしているように見えてしまう。それに、そんな怒鳴ったら体にさわるだろう、と周りは更に気を遣う。
もう打つ手はないため、ホスピスの人を迎え入れ、心の準備をしようとしている家族の人たち。それとは反対に、「まだまだ」と一人で生にしがみつこうとするMr. Walker…。そんな温度差を感じた。
つい先日も、危ないから、と何とか止めようとするナースを無視して海へ歩いて行ったそうだ。実際、僕の訪問に関しても一もんちゃくあったのだ。先週僕が電話をした時、実は彼の状態を懸念した奥さんに訪問は遠慮してくれと言われていたのだ。僕も了解し、家族の写真を送るだけにすると伝えた。しかし、次の日、彼から僕に怒りの電話が来た。僕の訪問を奥さんが断ったと聞いたが、彼女にそんなことをする権利はない、もしこちらの方に来る用事があるのだったら寄ってくれ、と。
相当の頑固じじいだ。途中から、僕はおかしくなってしまった。
それでも、目の前で遊ぶ僕の子どもたちを見ながら見せる優しい笑顔は昔と変わらなかった。
高校時代、あの顔が見たくてどれだけ頑張ったか。もう一人の恩師、小関先生が教えてくれた言葉が思い出される。
「この人に褒められたいと思われる先生になれ」。
自分にとって、Mr. Walkerはまさにそうだった。
「よくやった」 ― 彼のその一言で僕は天にも昇るような気持ちになれたのだった。
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数日後、電話越しの小関先生にMr. Walkerのことを気にかけてもらった。どうだった?と訊かれ、上に説明したようなMr. Walkerの状態を伝えると、小関先生は言った。
「侍だねぇ。おまえな、一流の指導者なんてみんなわがままだぞ。」
確かに。僕は笑った。
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2時間くらいお邪魔したのだろうか。
帰りの車の中、陽だまりの中で遊ぶ子どもたちを見て言った言葉の余韻がずっと僕の中に残っていた。
“What a day.”
「なんて素晴らしい日なんだ。」
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