先日、こんな記事を見つけた。
“Tens of thousands protest Spain education cuts”
財政危機による教育予算削減は、今、世界に広まっている。
今年7月下旬にワシントンDCで行われたデモの様子。僕も中学一年生の甥っ子を連れて参加した。
もちろん日本も例外ではない。
長岡市のホームページには、『米百俵の精神』が次のように書かれている。
「明治初め、戊辰戦争に敗れ困窮を極める長岡藩に、支藩の三根山藩(新潟市巻)から見舞いの百俵の米が送られました。大参事・小林虎三郎は、「食えないからこそ教育を」とその米を売り、学校建設の資金に充てたてたことに由来。」
この米を、一日か二日で食いつぶしてあとに何が残るのだ。
国がおこるのも、ほろびるのも、まちが栄えるのも、
衰えるのも、ことごとく人にある。
…
この百俵の米をもとにして、学校をたてたいのだ。この百俵は、
今でこそただの百俵だが、後年には一万俵になるか、百万俵に
なるか、はかりしれないものがある。
いや、米だわらなどでは、見つもれない尊いものになるのだ。
こうして建設された国漢学校には、藩士の子弟だけでなく町民や農民の子どもさえも入学を許可されたそうだ。そして後年、東京帝国大学総長の小野塚喜平次、解剖学の医学博士の小金井良精、司法大臣の小原直、海軍の山本五十六元帥など、ここから新生日本を背負う多くの人物が輩出された。
詰め寄った藩士たちに虎三郎は最後にこう言ったという。
その日ぐらしでは、長岡は立ちあがれないぞ。
あたらしい日本はうまれないぞ。
こうした苦しい時にこそ子どもたちに伝えられるメッセージがある。
学ぶことがどれだけ大切か。
彼らの将来にどれだけ期待しているか。
どれだけ彼らのことを愛しているか。
2011年、我々は小林虎三郎の言葉をどう生きるか。