2011年10月28日金曜日

その日暮らしでは新しい日本はうまれない




先日、こんな記事を見つけた。



“Tens of thousands protest Spain education cuts”


財政危機による教育予算削減は、今、世界に広まっている。


今年7月下旬にワシントンDCで行われたデモの様子。僕も中学一年生の甥っ子を連れて参加した。




もちろん日本も例外ではない。



 このようなニュースを読むたびに、脳裏をよぎる話がある。以前にも紹介した、長岡藩に伝わる『米百俵』の話だ。(以下、人が育つ社会の在り方 から抜粋。)


 長岡市のホームページには、『米百俵の精神』が次のように書かれている。


「明治初め、戊辰戦争に敗れ困窮を極める長岡藩に、支藩の三根山藩(新潟市巻)から見舞いの百俵の米が送られました。大参事・小林虎三郎は、「食えないからこそ教育を」とその米を売り、学校建設の資金に充てたてたことに由来。」

 この話は山本有三の戯曲『米百俵』で広く世に知られるようになったそうだ。その中でこんなシーンがある。米百俵が送られ、飢えていた藩士たちはたいそう喜んだ。しかし、そのお米を皆で分けるのではなく、国漢学校の資金にしようと言われ、藩士たちは虎三郎に刀を抜いて詰め寄った。それに対し、佐久間象山の門下生であり、当時は藩の大参事を務めていた虎三郎は、こう言う。




この米を、一日か二日で食いつぶしてあとに何が残るのだ。
国がおこるのも、ほろびるのも、まちが栄えるのも、
衰えるのも、ことごとく人にある。


この百俵の米をもとにして、学校をたてたいのだ。この百俵は、
今でこそただの百俵だが、後年には一万俵になるか、百万俵に
なるか、はかりしれないものがある。
いや、米だわらなどでは、見つもれない尊いものになるのだ。

 

 こうして建設された国漢学校には、藩士の子弟だけでなく町民や農民の子どもさえも入学を許可されたそうだ。そして後年、東京帝国大学総長の小野塚喜平次、解剖学の医学博士の小金井良精、司法大臣の小原直、海軍の山本五十六元帥など、ここから新生日本を背負う多くの人物が輩出された。


 詰め寄った藩士たちに虎三郎は最後にこう言ったという。


その日ぐらしでは、長岡は立ちあがれないぞ。
あたらしい日本はうまれないぞ。

こうした苦しい時にこそ子どもたちに伝えられるメッセージがある。


学ぶことがどれだけ大切か。

彼らの将来にどれだけ期待しているか。

どれだけ彼らのことを愛しているか。


            2011年、我々は小林虎三郎の言葉をどう生きるか。

2011年10月22日土曜日

未完成な自分を満喫する

 先日、38歳の誕生日を迎えた。

おかげさまで、年を重ねるごとに人生は良くなる一方だ。

38で学生というのは気にならないわけではない。

でも、遠回りばかりしてきたこの人生、本当は遠回りではなかったこともわかっている。

今の自分に満足はしていないが、成りつつある自分に手ごたえを感じているし、未完成な自分を満喫している。




先日、小関先生と数週間ぶりに電話で話した。


「僕も先生と初めてお会いした時の先生の年齢になってしまいました。」


そうか、と小関先生は笑って言った。


「嫌な感覚だよな。奥村先生なんか46で校長になったんだからな。」


ああ、小関先生も一緒なんだと、僕は思った。


あの時の先生の年になったからこそわかる先生の凄さがある。

もし今自分が教員であったなら、あの時の先生のような強い人間関係を生徒たちとつくれているだろうか?

匹敵する指導力を身につけているだろうか?

到底かなわないと思える存在でいつづけてくれる先生がいるというのは、本当にありがたいことだ。

もっと頑張らなければ…。


今日もそう思える自分がいる。


生徒たちにとって、自分もそんな存在でありたいと心から願う。

2011年10月21日金曜日

コロンビア大学 学生達の震災復興支援 ~Caring for Japan 2~

今回のシンポジウムは、メディアも何社か取材に来てくれた。

そのうちの一つ、TV-Japanの放映(2011107日放送)したものがネットでも見られるのでここで紹介したい。






2011年10月7日金曜日

シンポジウムを終えて ~Caring for Japan 1~


今週の水曜日は、僕にとって一つの節目だった。以前にも紹介した震災から半年にちなんだシンポジウム、‘Dealing with Disaster: Caring for Japan Post 3-11′が終わったのだ。今回、その体験について書いてみないかという話を、僕が奨学金でお世話になっている米国大使館から頂いた。イベントの企画・運営を通して、様々なことを考え、感じ、学んだので、忘れないうちに、まずこの場で綴っていきたいと思う。


東日本大震災から半年が経過した2011年10月5日、僕が在籍するコロンビア大学で、専門家らが放射能、災害対策、政治、経済、メンタルヘルスという5つの分野からあの大震災を多角的に検証するシンポジウムを行った。コロンビア大学学長の他、ニューヨーク総領事・廣木重之大使も招き、会場は立ち見が出る程の盛況だった。


主催はConsortium for Japan Relief (CJR) といい、震災直後にコロンビアの様々な教授や学生によって結成された組織だ。結成当初は、被害状況の把握や情報交換、そしてメンバー達がそれぞれリーダーシップを取って行っている復興支援活動の状況を報告する場であったが、それらの活動が落ち着きを見せ始めた6月、アカデミックな環境に生きる自分たちにしかできないことをやろうと言って動き始めたのがこのシンポジウムだった。


CJRは、日本のために何かしたい、といても立ってもいられなくなった人々が集まり有機的に発展してきた組織なので、予算もなく、全てが手作りのプロジェクトだった。企画・運営に携わった30名ほどの学生や教授らはもちろんのこと、ウェブサイトのプログラマー、様々なデザインを作成してくれたグラフィックデザイナー、フォトグラファー、ビデオグラファー、メディアコーディネーターやゲストスピーカーとして招かれた5人の教授まで、様々なプロフェッショナルが無料でそれぞれのスキルを奉仕してくれた。


(続く…。)