2012年7月31日火曜日

シングルファーザー日記⑥ ~ おねえちゃんといもうと ~

 

 変に思われるかもしれないが、今回シングルファーザーを経験して良かったことの一つは、自分のキャパが非常に限られたことだ。それによって、何が大事なのかがはっきりした。



 今回、僕にとって何よりも大事だったのは、母親がいないからといって子ども達に寂しい想いをさせないことだった。もっと前向きな言い方をすれば、3週間留守にしている母親の分まで子ども達に愛情を注ぐことだった。



 そういう目標設定の中、僕は省ける分は全て省いた。子ども達のリクエストの半分くらいは却下したかもしれない。



 例えば、「えほんをよんで」、「てんとをつくって」、「くまちゃんのおとうさんになって」などという遊びのリクエストは容赦なく断った。



ごめんね。今パパお料理しているからね。

ごめんね。今パパ美風達のおべんと箱洗ってるからね。

ごめんね。パパ用意しないとバスに遅れちゃうからね。



 でも、抱っこしてというリクエストだけは、ほんの少しの間だけでも応えるようにした。



 リクエストの多くは次女の美風からきた。自分のキャパが限られている分、美風の面倒はほぼ全て愛音に見させた。



朝の着替えを用意すること、服のボタンをとめること、(自分と一緒に)お風呂に入れること、飲み物を用意すること、ふたなどを開けること…。挙げだしたらキリがない。



お姉ちゃんにやってもらいなさい、というのが常になった。






これは、美風だけじゃなく、愛音にとっても良かった。



うちの子達は、2歳も離れていない。22ヶ月違いだ。だから美風は年の近いお姉ちゃんをよく観察して、お姉ちゃんがする全てのことを真似をする。次女らしく要領も良いし、運動神経も良い。まだ3歳前だが、高い所だってどんどん登るし、スクーターだって愛音と同じくらい上手に乗りこなす。



その分、自分はお姉ちゃんと同等だと勘違いするところがある。そんな美風は、今回の経験を通してお姉ちゃんの存在を認め、愛音はお姉ちゃんとしての自信をつけることができたように思う。



 そんな意味で、二人とも、少しだけ前よりたくましくなった。



(続く…)
 

2012年7月29日日曜日

シングルファーザー日記⑤ ~ 上下関係 ~



 この3週間の父子家庭体験は、僕に中学校教員時代の部活指導を僕に思い出させた。



中学校の3年間などあっという間だ。それは部活動の顧問としても同じこと。3年生の最後の夏が終わったと思ったら、もうその夏休み直後には次の代の新人戦が始まる。顧問としては、新チーム作りを通して、2年生との人間関係を深めていくことになる。1年生大会の準備も始めなければならない。



 自然、顧問は最上級生との関係が最も強くなる。中学校生活の集大成である第3学年という最後の年に、最上級生となった子達がどんな勝負をし、巣立っていくのかということが最重要課題の一つとなる。



(もちろん弱肉強食の勝負の世界だから、試合の起用は別の話だが) 1年も2年も3年も、学年に関係なくまんべんなく人間関係を築こうとしたら、勝負には勝てない。これがわかったのは野球部の指導を始めてから3年が経過してからだったかも知れない。



一代ずつ、丹念に育てていく。結果的にはそれが、下級生を育てることにも繋がる。



 21年生は無視するというわけではない。ただ、周りにはそう見えるかもしれないし、それでも一向に構わない。係わり方が違うだけだ。



 3年生はじかに係わるが、21年生とは間接的に係わる。3年生に2年生、2年生に1年生の世話を見させる。そして、叱る時も、下級生のミスは直接叱らず、世話役の上級生を叱る。褒める時も同じでいい。そうやって、上に立つ者としての責任感を養うのだ。



ポイントは、3年生しか見ていないように映る顧問が、実は常に全体に目を配っていて、下級生達も、常に先生の厳しくも愛情に満ちた眼差しに見守られているという安心感を覚えることだと思う。



下級生には時折、直接声をかけたり、ちょっかいだしたりすれば、それで良いのだと思う。



「今日先生に直接声をかけてもらった。」下級生がそう思ってくれれば大いに結構だ。



その意味で、3年生は特別待遇だ。ただ、特別待遇と言っても、それは決して楽をできるというわけではなく、その逆だ。ちゃんとした指導者であれば、直接指導をもらえるというほど大変なことはない。練習は厳しく、それに伴う結果も求められ、精神的に追い込まれるだろう。だから、下級生にとっては、自分達の代が来るということは、それが嬉しいと共に、大変な日々が待ち受けているという緊張感も伴って当たり前だ。



 指導者として、ここで書いていることを全て自分ができていたなんて思わない。この場で常に書いてきたように、僕が教員として過ごした6年半は、失敗の連続だった。ただそれは、出口の無い暗闇でもがき続けた時間ではなく、小関康先生という一つの理想像を追いかけ、泣き笑いした素晴らしい時間だった。



今回、シングルファーザーを体験しながら僕が思い出したのは、そんな頃のことだ。



(続く…)

シングルファーザー日記④ ~ 切ない ~

 


必死の弁当作戦をもってしても、埋められない心の穴はある。その度に工夫をし、何とかごまかそうとした。



 例えば食事時の静けさ。食卓に母親がいなくなるというのは何とも寂しいものだ。うちの子達は、いたずらしている時と食べてる時だけは静かだ。それでも、父子3人で食べている時の静けさは妙に気になり、音楽の力を借りるようになった。おかげで2人とも朝からたくさん踊り、多少近所迷惑だったかもしれない。



 ちょっとした女の子らしい格好も、工夫をしなければならなかった。母親がいなくなって急におしゃれじゃなくなったなんて思われたらかわいそうだ。可愛い服を常に洗濯しておくようにした。最初はさんざんだったが、髪の結び方も覚えた。カチューシャの便利さも知った。



 4日目くらいに、バスがなかなか来なくて、愛音を学校に迎えに行くのがいつもより多少遅くなった時がある。その時ばかりは、僕の顔を見ても「ママにあいたい~っ!!」と泣かれてしまった。きっと、友達の多くが、迎えに来たお母さん達と嬉しそうに帰るのを見て、母親の温もりを思い出してしまったのだろう。



次の日、次女の美風はアパートの管理人さんに預けて、僕は自転車で迎えに行った。自宅がある117th StreetからHarlem School of Artsがある140th Streetまでは上り坂がひたすら続くが、帰りは気持ちがいいはずだった。



一番に迎えに行き、今日は美風を置いてパパの自転車で迎えに来たよ、と愛音にヘルメットを渡すと、「ヤッターっ!!」と無邪気に喜んでくれた。頑張った甲斐があった。帰り道、愛音は両手を広げて風を体いっぱいに受け、「とりさんみたいだねぇ~!」と上機嫌だった。



その日から迎えは人よりも早く行くようにした。



 3週間目。愛音のサマーキャンプも終わり、美風と一緒に愛音も近所の日本人プレイグループ、『ココからKIDS』に良き友人であるしげみさんに連れて行ってもらった。その日の午後、愛音はしげみさんのひざをずっと独占していたそうだ。



その日は、グループの子達の中でも一番年上だった愛音(4歳半)。



想像すると、何だか切なくなってしまった。

 

 (続く…)

シングルファーザー日記③ ~ たどり着いた答え ~


次の日、僕は新米パパ丸出しのように、ワクワクして愛音を迎えに行った。学校に着くと、僕と美風を見つけた愛音が、「パパー!!」と言って僕の胸に飛び込んできた。お弁当の効果はてきめんだった。



おいしかった?と訊くと、愛音は「うん!!」と大きな声で答え、「でもね、少しだけ残しちゃった。ごめんねぇ。」と眉をしかめて申し訳なさそうな顔をした。



男なんて単純なものだ。次も頑張ろうとすぐに心に決めた。美風も喜んで食べてくれたようだ。



 結局、3週間、弁当はほぼ毎日作った。ただ、2週間目の真ん中らへんに、わざと一日休みを入れ、お弁当を持っていけることが当たり前じゃないことはちゃんと教えた。



最後の方はだいぶ手馴れてきた。ノリ弁当が意外に好評だったので、多少時間が節約できるようになった。子ども達のリクエストで、「手巻き寿司」なんていう変な弁当もやった。



なんてことはない、海苔、寿司ご飯、きゅうり、シーチキン、アボカド、蟹もどき、おかかを別々に容器に入れたものを持たせるだけだ。どうやら自分達で巻くのがどうにもスペシャルに感じるようだ。



ちょっと娘達のツボがわかってきた。



まずはお弁当包みがかわいいこと。中身の色合いがきれいなこと。いろんな種類のものが入っていること。デザート(といってもフルーツ)とスナックも入っていること。そのスナックは個別にパッケージされていること。(人気はスティックチーズやレーズンの小箱だった。)そして手巻き寿司のようにちょっとしたゲーム性があること…。



 なんだ、要はお子様ランチじゃないか。



(続く…。)

シングルファーザー日記② ~ 意地の弁当 ~


そんなわけで始まったシングルファーザー生活だが、一言で言うとするなら、二人の娘達を精一杯愛した3週間だった。



 たった3週間でこんなことを言ったら失礼なのだろうが、僕にとってはシングルペアレントの気持ちをたっぷりと考えさせられた時間だった。



 シングルペアレントになった影響は微妙な形で長女の愛音に表れた。最初の2週間は、愛音はマンハッタンのHarlem School of ArtsというSt. Nicholas Ave.140th St.あたりにある施設のサマーキャンプに通っていた。朝8:30 ~ 午後4:30というスケジュールだが、ランチは家からの弁当だと僕の負担が大きいので、給食を頼んであった。



しかし、通学初日の夜、愛音がボソッと僕に言った。



「ランチはおうちからもってくんだよ。」



お願いするわけではない、なんとも遠回しな言い方が、妙に切なかった。



母親がいないからといって子どもに寂しい想いをさせるわけにはいかないと思い、早速その夜からお弁当を作り始めた。美風の分も一緒に作ることにした。



お弁当なんか作ったことなかったので、最初はいろいろ考えた。夏場の弁当は、傷みやすいので難しい。



おにぎりにするか、チャーハンにするか。おにぎりは中に入れるものを考えるのが面倒臭かったので、結局チャーハンにした。



ピーマン、パプリカ、玉ねぎ、にんにく、ソーセージを入れた野菜たっぷりチャーハンを夜中に作った。



ちょっと味的には合わないだろうなとは思いつつ、周りをプチトマトで飾ってみたりした。サイドにはまたもやソーセージを少し大きめに切ったものを詰め、ちょっとした小物としてスティックチーズを2本添えることにした。別のタッパにフルーツを詰め、完了。



弁当を開けた時の子ども達の顔を創造しながら料理する時間は、なんだか悪くなかった。



(続く…)

シングルファーザー日記① ~ママは「ぼすとん」でがんばってる~



今日までこの3週間、僕はシングルファーザーだった。



妻の琴栄がこの夏からボストンで音楽療法のPh.Dを始めたのだ。ただ、現場を持つクリエイティブアーツセラピスト達を対象にしたプログラムなので、オンラインでの通信教育を主とし、ボストンでのスクーリングは7月の集中講座のみとなる。



ちなみに、うちの娘たちは二人ともママっ子だ。それがいいと思っている。



中学校で教員をしていた時、マザコンの男の子たちがゴロゴロいた。そんな中ですごく新鮮に、そして健全に僕の目に映ったのは、父親の匂いがする男の子達だった。そんな子達は純朴で、男気のある子達が多かった。



逆に、本来、力のある男の子達を、母親達がダメにするケースも嫌というほど見てきた。いつもは元気も良いし、男っぽくしているのだが、いざという時になると母親の後ろに隠れてしまうような子達が多かった。ただ、それはその子達のせいではない。いざという時にかばってしまう母親達のせいだ。



男の子たちが大きくなった時になるのは母親じゃないし、大人の女性でもない。僕は性別は無視できないものだと思っているし、将来男として生きていく道を示すのは、大人の男性が適していると僕は思う。



逆もまた然りだ。女の子達をファザコンに育ててはいけない。父親より、母親の匂いのする女の子達がいいと僕は思う。だから、父親の大きな仕事の一つは、娘達が母親を敬って育つよう手助けをすることだ。



そんな意味でも、この3週間は、大変でもあり、貴重な時間だった。ママっ子の娘達にとって、急にママがいなくなったというのは大変だったけど、その間ママは一人で「ぼすとん」で頑張って勉強しているんだというプライドにもなったのではないだろうか。



「ママ、頑張ってる?」電話越しの母親にきく愛音の姿が妙に印象的だった。


(続く…)