この3週間の父子家庭体験は、僕に中学校教員時代の部活指導を僕に思い出させた。
中学校の3年間などあっという間だ。それは部活動の顧問としても同じこと。3年生の最後の夏が終わったと思ったら、もうその夏休み直後には次の代の新人戦が始まる。顧問としては、新チーム作りを通して、2年生との人間関係を深めていくことになる。1年生大会の準備も始めなければならない。
自然、顧問は最上級生との関係が最も強くなる。中学校生活の集大成である第3学年という最後の年に、最上級生となった子達がどんな勝負をし、巣立っていくのかということが最重要課題の一つとなる。
(もちろん弱肉強食の勝負の世界だから、試合の起用は別の話だが) 1年も2年も3年も、学年に関係なくまんべんなく人間関係を築こうとしたら、勝負には勝てない。これがわかったのは野球部の指導を始めてから3年が経過してからだったかも知れない。
一代ずつ、丹念に育てていく。結果的にはそれが、下級生を育てることにも繋がる。
2、1年生は無視するというわけではない。ただ、周りにはそう見えるかもしれないし、それでも一向に構わない。係わり方が違うだけだ。
3年生はじかに係わるが、2、1年生とは間接的に係わる。3年生に2年生、2年生に1年生の世話を見させる。そして、叱る時も、下級生のミスは直接叱らず、世話役の上級生を叱る。褒める時も同じでいい。そうやって、上に立つ者としての責任感を養うのだ。
ポイントは、3年生しか見ていないように映る顧問が、実は常に全体に目を配っていて、下級生達も、常に先生の厳しくも愛情に満ちた眼差しに見守られているという安心感を覚えることだと思う。
下級生には時折、直接声をかけたり、ちょっかいだしたりすれば、それで良いのだと思う。
「今日先生に直接声をかけてもらった。」下級生がそう思ってくれれば大いに結構だ。
その意味で、3年生は特別待遇だ。ただ、特別待遇と言っても、それは決して楽をできるというわけではなく、その逆だ。ちゃんとした指導者であれば、直接指導をもらえるというほど大変なことはない。練習は厳しく、それに伴う結果も求められ、精神的に追い込まれるだろう。だから、下級生にとっては、自分達の代が来るということは、それが嬉しいと共に、大変な日々が待ち受けているという緊張感も伴って当たり前だ。
指導者として、ここで書いていることを全て自分ができていたなんて思わない。この場で常に書いてきたように、僕が教員として過ごした6年半は、失敗の連続だった。ただそれは、出口の無い暗闇でもがき続けた時間ではなく、小関康先生という一つの理想像を追いかけ、泣き笑いした素晴らしい時間だった。
今回、シングルファーザーを体験しながら僕が思い出したのは、そんな頃のことだ。
(続く…)
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