2015年8月13日木曜日

僕がダウンタウン松本人志の政治発言を支持する理由

今日、こんな記事を目にした。


それによれば、お笑いコンビ、ダウンタウンの松本人志が、安保関連法案に対して日本各地で展開されている反対デモに、以下のような苦言を呈したという。


「いま、安倍さんがやろうとしていることに対して『反対だ』って言うのって、意見じゃないじゃないですか。単純に人の言ったことに反対しているだけであって、対案が全然見えてこない。じゃあ、どうするのっていうのが。このままでいいわけないんですよ。もし本当にこのままでいいと思っているのであれば、完全に平和ボケですよね。世界情勢は確実に変わっているわけやから。何か変えないといけない。なんかいまいち、だれもそれを言ってくれない」


はっきり言って僕は松本さんの意見には反対だ。でも、何よりも、お笑い芸人である松本さんがこのような政治的発言をするのはとても大事なことだと思う。これについては後で触れようと思う。

まず、なぜ僕が松本さんの意見に反対するのか。

「世界情勢は確実に変わっている」というのはその通りだ。
ただ、戦後70年間で何が一番変わったかと言えば、それはアメリカを目の敵にする国や人々が世界で激増したことではないだろうか。

安保関連法案の国会審議で、僕が何より違和感を覚えるのは、アメリカが「正義」であり、そのアメリカの軍事活動を支援するという前提で話が進められており、その前提そのものの妥当性が野党からも十分追求されていないことだ。

誤解が無いように言うが、僕はアメリカというは大好きだが、アメリカという国家は大嫌いだ。

途中、間は空いたものの、僕のアメリカでの生活は今年で計15年になる。アメリカ政府からの寛大な奨学金も頂き、アメリカが世界に誇るエリート教育の恩恵を受ける中、どんなに劣勢でも自分の頭で考え、しっかりと意見を述べることの大切さを教えてもらった。だから、たとえ相手がアメリカ国家であろうとも、間違っていると思えばちゃんとそれを指摘することが自分なりの恩返しだと思っている。もし人間の自由と平等の理想の下に建国されたアメリカ国家が、他国の人々の自由と権利を侵害しているのであれば尚更だ。

皮肉なことに、世界におけるアメリカ国家の横暴ぶりは、日本よりもアメリカ国内での方がよく認識されている。だから、アメリカが世界中で憎まれていることを、アメリカの知識層の方が日本人よりもよっぽど良く理解しているし、アメリカにいる私の数多くの友人達は、日本が同盟国として積極的にアメリカ軍と行動を共にすることが日本にとってどれだけ危険なことなのかをわかっている。

アメリカはこれまで、様々な国のクーデターや、アメリカの民主主義とは正反対の独裁政権を自国の利益のために支えてきた。

南米だけでもチリ、アルゼンチン、ホンジュラス、ボリビア、ベネズエラ、メキシコ…まだまだある。中東やアフリカでも、ヨルダン、リビア、チュニジア、エジプト、イエメン…、リストはまだまだ続く。

また、9.11後は、「テロとの戦争」を掲げ、テロという見えない脅威を敵とすることで、どこの国でも国境かまわず自由に乗り込んで行けるパスポートを手に入れた。数々の賞を受賞しているアメリカ人ジャーナリストのJeremy Scahillは、アメリカは「テロとの戦争」を宣戦布告したことで「世界中を戦場へと変えてしまった」と指摘している。そして、世界各地でアメリカ軍やCIAやドローンが活躍するたびに、テロとは全く関係のない女性や子ども多く含む市民を巻き込み、新たな敵を作ってきたのだ。

また、アメリカ国家安全保障局(NSA: National Security Agency)による日本を含む他国政府や企業を対象にした諜報活動や、テロ関与の疑いがある者を法的手続きを踏まずに無期限に拘束して拷問を与えてきたグアンタナモ収容所の存在などは、明らかに国際法違反だ。あなたは、無実のジャーナリストや、友人の結婚式に出るためにパキスタンを訪れていた3人のパキスタン系イギリス人青年が不当に拘束され、繰り返し拷問を受けていたことを知っているだろうか。

世界のリーダーを自負するアメリカが積極的に国際法を無視し、罪の無い人々までをも殺しているこれらの事実を認識せずにアメリカ軍と行動をともにする道を安易に選択する方が、僕はよっぽど「平和ボケしてる」と思ってしまう。

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さて、ではなぜ僕がお笑い芸人である松本さんがあのような政治的発言をするのが大事なことだと思うか…。

久々に日本に帰国してテレビをつけると、まるでテレビを独占しているかのような活躍を見せているお笑い芸人たち。彼らは、戦後最大の転換期にある今の日本の政治状況をどんな気持ちで見ているのだろうか、とちょうど気になっていたところだ。

このような国の大転換期に日本の人々がお笑いに夢中になっている姿は、少なくとも僕の目には異様な光景にしか見えない。大衆が笑いこけている間に、安倍政権は民主主義を無視するような形で、国の根幹に関わる様々な大改革を断行してきた。薄々は気付いてはいるものの、みんなそのような暗いことからは目を反らして一瞬の娯楽に走っている…そんな感じに僕の目には映っている。

一つ思い出すことがある。先に紹介したジョージ・W・ブッシュ大統領をロンドンでのコンサート中に公然と批判したアメリカの人気女性カントリーバンド、Dixie Chicksのことだ。それがロンドンの雑誌で大きく取り上げられ、そのニュースはアメリカにも伝わった。彼女らがブッシュ大統領と同じテキサス州出身ということも手伝ってか、Dixie Chicksはひどいバッシングを受けた。予定されていたツアーは中止され、彼女らのCDを一斉に破棄する集会までが催された。「問題発言」をしたリードボーカルの下にはたくさんの脅迫状が届いたが、中には「おまえは黙って歌ってればいいんだ!」という心ないものも少なくなかった。

Dixie Chicksはぱったりとメディアに姿を現さなくなったが、その2年後、彼女らの憤り、不安、葛藤などを赤裸々に歌ったアルバムがリリースされ、アメリカの民衆の共感を呼んだ。そのアルバムからは、プロのミュージシャンである自分たちと、世界の反感を買っているアメリカという国に生きる人間としてのアイデンティティの狭間で揺れる彼女達の姿が見えてきた。ブッシュへの風当たりが強くなっていたことも幸いしたが、アルバムは爆発的なヒットを記録し、その年のグラミー賞も総なめにした。この一連の様子は、ドキュメンタリー映画にもなっている。



今のお笑い芸人達はどんなことを今の政治に感じているのか、それを僕は全く知らない。あまりテレビは見ないので、もしかしたら松本さんの他にも発言している人たちはたくさんいるのかもしれない。でも、もし松本さんのように意見を述べるお笑い芸人が少ないのだとしたら、それ自体がとても異様なことだと思う。

もし彼らも、「黙ってお笑いだけしてろ!」というプレッシャーを世間から感じているであれば、そんな恐ろしいことはない。多くの高校生までもが安保関連法案にこんなに危機感を持っている中、お笑い芸人たちが全く何も感じていないとは思えない。だとしたら彼らはその想いをどう表現するのだろうか。今、この国に生きる人間としての彼らの想いを僕は聞きたい。

さっき、僕はアメリカという国が好きだと言った。本当に面白い国だと思う。その一つの理由は、コメディアン達の中には平気で大統領を笑いのネタにしたり国民の政治的関心を笑いの中で高める力を持った人たちがいるからだ。

真正面からの批判や説教は人々の反発を呼ぶ時もある。でも、ユーモアには人の心を開く力がある。そして、心を開くということは、お互いの間にどれだけの隔たりがあったとしても、人間としての相手の存在を認めることだと僕は思う。

みな、様々な仕事や肩書きを持っている。だからといって、身の回りで起こっていることには何も感じないロボットではない。人によって手段は違うだろうが、それぞれが感じ、考えている様々なことを表現できればいい。みんながそれぞれの意見を言えば、ぶつかるだろうし、収拾がつかなくなるかもしれない。でもそれでいいんだと思う。

お互いを人間として認め合うこと、そんなことから平和は始まるのだと思う。



2015年8月11日火曜日

夢を語ること




昨日、6年ぶりに会った一人の教え子と話していて思った。 

人は、人に夢を語らなくちゃいけない

それは、弱っている人に勇気を与えるだけでなく

自分自身をも、強くするから。




2015年8月2日日曜日

自分の無力さを強さに変えた女の子のスピーチ





国家権力とは全く異質な、

でもそれに負けない「力」を感じます。





以下、IWJ Independent Web Journal掲載のスピーチ書き起こしからの抜粋。
「日本も守ってもらってばっかりではいけないんだと、戦う勇気を持たなければならないのだと、安倍さんは言っていました。だけどわたしは、海外で人を殺すことを肯定する勇気なんてありません。かけがえのない自衛隊員の命を、国防にすらならないことのために消費できるほど、わたしは心臓が強くありません。
 わたしは、戦争で奪った命を元に戻すことができない。空爆で破壊された街を建て直す力もない。日本の企業が作った武器で子供たちが傷ついても、その子たちの未来にわたしは責任を負えない。大切な家族を奪われた悲しみを、わたしはこれっぽっちも癒せない。自分の責任の取れないことを、あの首相のように『わたしが責任を持って』とか、『絶対に』とか、『必ずや』とか、威勢のいい言葉にごまかすことなんてできません。
 安倍首相、二度と戦争をしないと誓ったこの国の憲法は、あなたの独裁を認めはしない。国民主権も、基本的人権の尊重も、平和主義も守れないようであれば、あなたはもはやこの国の総理大臣ではありません。
 民主主義がここに、こうやって生きている限り、わたしたちはあなたを権力の座から引きずり下ろす権利があります。力があります。あなたはこの夏で辞めることになるし、わたしたちは、来年また戦後71年目を無事に迎えることになるでしょう。」

市民らが支えた教員組合スト ~ シカゴ教員組合ストが日本の私たちに問いかけること ~


生徒数40万人を超える全米第三の学校区、シカゴ。

繰り返し行われる大幅な予算カット、学校内の図書館や各種事業の閉鎖、学級生徒数の増加、教科書不足...。そのような過酷な状況下でシカゴの公立学校は生存競争を強いられ、2004年から2011年までの間に、実に100校近い公立学校が閉鎖され、85の公設民営校が代わりにオープンした。学校閉鎖の度に教員の一斉解雇が行われ、職を失った多くの教員は非組合員として公設民営校に悪条件で再雇用され、教員組合は弱体化していった。

そんなアメリカの新自由主義教育改革の縮図のようなシカゴで、2012年9月、教員組合が四半世紀ぶりに一斉ストライキに踏み切った。その裏には、次々と閉鎖されていく学校を前に何もしようとしなかった組合にとって代わり、学校を守ろうと立ち上がった教員たちの姿があった。四年の歳月をかけた教員組合改革の果てに起こったシカゴ教員組合ストは、驚くことに親、生徒、一般市民にも広く支持され、組合側の勝利に終わった。シカゴでいったい何が起こったのだろうか。季刊『人間と教育』で私が担当させて頂いている連載の夏号では、この歴史的ストの舞台裏に迫ってみた




3.11以後、日本でも様々な社会運動が繰り広げられているが、教育における権力の集中と非民主的な運営方法を巧みに可視化することで政治や社会の在り方そのものを問いただし、人々の意識を高め、世論を動かしていったシカゴ教員組合ストに学べることは多いのではないだろうか。



2015年7月15日水曜日

日本人のデモはお行儀が良すぎるのではないか ~ 『‎戦争法案廃案 強行採決反対 714大集会』に参加して ~



今、父が急病で倒れ、急遽一時帰国している。

しかしなんというタイミングだろうか。集団的自衛権に揺れる日本。何もしないわけにはいかず、昨日は父の看病の合間を縫って『戦争法案廃案 強行採決反対 714大集会』なるものに参加した

僕が着いた時には日比谷野外音楽堂には既にもの凄い数の人々がいて、中に入ることもできなかった。本当に色々な人がいた。でもやはりご年配の人々が多かった。若い世代に戦争の苦しみを味あわせたくない、そんな想いが伝わってくるようだった。



僕はアメリカでは数多くのデモに参加したことがあるが、日本では昨日がほぼ初めてと言っていい。以前にも日比谷公園であったデモに参加したが、それが何だったか覚えてもいない。昨日のデモに参加して幾つか気付いたことがある。



際立っていたのは、アメリカと日本の警察官の姿勢の違い。まずは、日本の警官はアメリカの警官のように威圧的じゃない。いかついサングラスをかけていないし、睨んでも来ない。



終始腰が低く、市民が指示に従ってくれるよう礼儀正しくお願いしている。アメリカではあり得ないことだ。そんなナイスなのに警官の皆さんにいちゃもんをつけるおじさんも中にはいて、気の毒にさえ思った。警察官の皆さん御苦労さま、ありがとうと感じたデモの参加者も多いのではないだろうか。

ただ、こんなことを言うとデモを主催した人には申し訳ないが、デモそのものはあまり効果がなかったように思う。デモの申請、警察との交渉、資金調達、協賛団体の確保、広報、メディアとのやり取りなど、一般の参加者にはわからない並々ならぬ苦労が陰であったことと思う。

ただ、一番の問題は、お行儀が良すぎて国家権力と闘う雰囲気に欠けていたのだ。



僕自身、JR総連の後ろについて行進したが、非常にあっけなかった。日比谷公会堂外から国会議事堂を見渡す地下鉄永田町駅まで、シュプレヒコールを唱和しながら歩き、目的地に着いたところで主催者団体の人に今日は解散、お疲れさまでしたー!と声をかけられる。そして待機していた警官に永田町の駅へと随時誘導されるのだ…。


   ...マジか?



いくら大規模とはいえ、政府には声の届かない所で集会を開き、事前に中央権力に許可されたルートを行進するのはあまり効果的とは言えない。それは、辛抱強く交通整理してくれる警察官に対する遠慮のせいでもあるのだろうか。でも、たったあれだけで、笑顔で「お疲れさまでしたー!」と帰るのはどうにも気持ちが悪い。それこそ「デモに参加した」という自己満足で終わってしまうのではないだろうか。


それで政治参加できているような幻想を国民らが抱いてしまうようであれば、はっきり言ってそれは逆効果だ。デモは、あくまでも国民らが自らの声を国家権力に届ける手段であり、目的じゃない。


日本国民がいくらお行儀良く市民の声を届けようとしても、国家権力が一向に国民の声に耳を傾けないのであれば、僕らはルールを破ってでも、なりふり構わず僕らの怒号を届けなければいけないのではないだろうか。




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2010年、ウィスコンシン州では労働組合の団体交渉権剥奪を試みた新知事に対して、市民らは州の議事堂を不法に占拠した。







議事堂に入れなかった人々は、議事堂の外で抗議し、








立ち退きを拒否した人々は、州議事堂の中で寝泊りする始末。





翌年、ウォール街にいいように操られるアメリカの
政治の在り方に不満を持った一握りの青年たちが、
ウォール街のはずれの公園で始めたキャンプ生活は





やがて「ウォール街占拠運動」となって全米に拡大し、
ニューヨークのデモ隊が不法にブルックリン橋を封鎖するなど、





新自由主義が生む経済格差の問題を政府が無視できない形で突きつけた。





2014年に起こったマイク・ブラウン青年の
白人警官による殺害事件では、警察による構造的な
人種差別に抗議する人々が、高速道路を封鎖する
などして都市部の機能を麻痺させることで、
自分たちの抗議の声を政権が無視できないものとした。















社会運動としても著名なNoam Chomsky博士は言う。





いかなる抗をも抑圧
方法は、議論範囲を制し、
その中で活気ある議論奨励することだ。(1)



僕らは、デモができることだけで満足してはいないだろうか。
政権は、狭い範囲の中で活発なデモを許すことで、
僕らの抵抗を抑圧しているのではないだろうか?




(1) Chomsky, N. (1998). The common good. Berkeley, CA: Odonian Press.

2015年3月27日金曜日

負けから学ぶこと Part II



部活での勝負は、単に勝ち負けがわかり易いというだけで、部活動の外で勝負がないわけじゃない。教科指導、学級指導、生徒指導、どこでも勝負はある。ただ、勝負をするかしないか、勝負と見るか見ないかは、教員しだいだ。授業の中に勝負があることに気付かない教員もたくさんいる。

思い返せば、小関先生は授業が始まる前から勝負を仕掛けていた。授業前、生徒たちが席について先生を待つ。次の授業が数学だと気付き、一人の男子生徒が、慌てて机の横に置いてあった鞄をロッカーに入れに行くと、他の生徒数人がそれに続く。チャイムが鳴り、ドアが開くと、クラスに緊張が走る。小関先生が生徒たちを見渡しながら教壇につくと、日直が号令をかける。

   「きをつけー」

   「やり直し。」

   「はい。きをつけー」

   「やり直し。」

困ったように、日直がクラスメイト達を見渡す。

   「きをつけー」

   「...」

   「礼!」

   「よろしくお願いしまーす!!」

生徒たちが一斉に礼をし、顔を上げる。

   「...」

小関先生は何も言わない。ただじっと生徒たちの方を見ているだけだ。気まずい沈黙が続く。

ハッとして、最後の一人が先生の方を向いたところで、初めて先生は沈黙を破る。

「はい、よろしくお願いします。」

生徒たちの姿勢はできた。勝負ありだ。

その後の授業も驚きだった。生徒たちは先生の言うことを黙って聞くだけかと思えば、そんなことはなく、今まで見たこともないような活発な数学の授業だった。生徒たちは先生を恐れる様子もなく、先生に自由に質問をしたり、発表をしたりしていた。何と言ったらいいか、生徒たちが、先生の引いたラインをよくわかっていて、その中で安心して飛び跳ねているような、そんな不思議な雰囲気だった。

前回の、『負けから学ぶこと』にコメントをくれたのは、全て小関先生の門下生達だが、皆、それぞれの形で勝負に挑み、負け、学んでいる。

勝負をしなければ、負けを突きつけられることはない。

だが、そのかわりに、勝利の味を経験することも、誰かの「教師」になることもないだろう。

だが、もっと言えば、何十年勝負しても、きっと負け続けるのだろう。

それはきっと、「守・破・離」という技を極めるプロセスのほとんどが、最初の「守」であることと、似ているのかもしれない。

          俺なんか、ずっと守ってばかりだ。

いつもそう語っていた小関先生の顔は、どこか有り難そうだった。