2009年12月16日水曜日

命は命によってしか支えられない

 2004年、84歳で亡くなった石垣りんさん。
彼女の詩に出会ったのは、亡くなった直後に見た新聞記事が
きっかけだった。すぐに本屋に行き、『空をかついで』という
詩集を買った。ページをめくるごとに、彼女の生きてきた世界に
吸い込まれていく自分を感じていた。



 先日投稿した『いただきます』のコメントでAKIさんが、現代の
便利な生活では、「命をもらって生きていることが実感しずらい」
と書いてくれた。それを読んで頭をよぎったのが、石垣りんさんの
『儀式』という詩だ。



 彼女の詩には、フェミニズムや環境などを取り巻くいかなる
理論をも超えた、生きた経験に基づく説得力がある。
謙虚に選ばれた言葉の数々からは、彼女の名前の通り、
「りん」とした一人の女性の強さが伝わってくる。 



 母と娘の間で交わされる『儀式』を描くこの詩に、こんな節がある。

 

洗い桶に

木の香のする新しいまな板を渡し

鰹でも

鯛でも

鰈でも

よい

丸ごと一匹の姿をのせ

よく研いだ包丁をしっかり握りしめて

力を手もとに集め

頭をブスリと落とすことから

教えなければならない

その骨の手応えを

血のぬめりを

成長した女に伝えるのが母の役目だ

パッケージされた片々を材料と呼び

料理は愛情です

などとやさしく諭すまえに

長い間

私たちがどうやって生きてきたか

どうやってこれから生きてゆくか

詩集 『空をかついで』より 石垣りん 童話屋発行

(全文はこちら http://homepage3.nifty.com/ja8mrx/rinn-gisiki.htm)



 AKIさんのコメントを読んでいて、もう一つ思いだしたことがある。

 アメリカはベジタリアンの人口が多い。宗教や健康面など、
様々な理由で選ばれている食形態だが、中には動物が可哀想
だからという「道徳的」な理由で肉を食べるのを拒む人々もいる。
これには僕も戸惑いを感じてきた。そこまで意識しているだけ
立派なのかもしれないが、なぜ肉はダメで野菜は良いのだろうか。
大量生産が問題なのだろうか。それだったら野菜も変わりはない。
違いは何なのだろう…。



 と、そのようなことを母に話していた時、賛同した母が
言った一言。



    「命は命によってしか支えられない。」







 何歳になっても、親に教えられることはまだまだあるのだ。




あとがき
 
 石垣りんさんに興味のある人は、wikipediaにも詳しく載って
いるのでお勧めしたい。彼女の詩で僕が好きなものはたくさん
あるが、中でも特に 『私の前にある鍋とお釜と燃える火と』
が僕は好きだ。

3 件のコメント:

  1. 「私の前にある鍋とお釜と燃える火と」読みましたよ。

    小学校頃まで、
    祖父母の家(現在は両親が住んでますが)では、
    かまどのでお釜を使って薪で、
    ご飯を炊いていました。
    炊きあがったご飯は、まずはお櫃へ。
    お風呂も、五右衛門風呂だったし。
    懐かしく小さい頃の生活を思い出しました。
    (随分と時代・世代を感じさせちゃうかも~)

    かまどの火の前では、
    おばあちゃんもその前のおばあちゃんも、
    ずっとこの火の前にいたんだろうと、自然と思い浮かぶ。
    炊きあがるまで、火の前で色々な話を聞かせてくれる。
    その時間もとても大切な時間だったな。
    でも炊飯器の前では、そんなこと思い浮かばないものね。

    かまどで食事を作る生活は、
    本当に今の時期は辛いけれど、
    食べてくれる人がいるから丁寧に作り、
    人間は食べないと生きて生きないことを、
    体が知っているから、
    品数は少なくても、一食ごと大事に食べる。

    便利な生活になり、
    命に支えられているという実感はしずらいけれど、
    それでも、
    ちゃんと受け継ぐことができるのはあると思う。
    おばあちゃんや母が作ってくれたお味噌汁の味や具、
    雑煮の味や具、煮物の味……、たくさん。
    (今時の子どもたちは思い出の味はカレーかなぁ…?)
    それに、11月のブログで紹介してくれた、
    T君と大裕先生との松屋の牛丼も、
    思いが込められた味なんだろう思う。

    石垣さんの詩を紹介してくれてありがとう。
    便利の中でも、日常を丁寧に生きることはできるし、
    自分の役割を果たし、時を待つ幸せもあるなと。

    AKI

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  2. 「フェミニズムや環境などを取り巻くいかなる理論をも超えた、生きた経験に基づく説得力」・・・そう、今いちばん大切なのってこういうことなのかなと思います。

    私も最近、夜泣き中の娘を抱えながら三砂ちづるさんの『産みたい人はあたためて』を読んで、「引き受けて生きる」というキーワードに心打たれていたところ。

    「父は外で稼ぎ、母は家事育児を担当し、家を守る」はもちろん時代遅れとなったけれど、結局、それに代わる規範を私たちはまだよくわからないままなんじゃないかと思う。社会で活躍することができるようになった女性たちは、仕事をしながらどうやって女性を生きていったらいいか、迷子になっている。

    女性も社会に出る時代になったことで、家にいても、なにか業績をあげなくてはいけない、私に何らかの能力があることを示さないといけない、昨日と違う私にならなければけないと思ってしまうところが、きっとどこかにある。
    石垣さんの詩にこめられたような幸せよりも、社会で「役に立つ」業績主義を刷り込まれてしまったという意味で、今の時代の私たちって被害者なんだね。

    パートナーと時間を過ごす、子どもたちを育てる、朝ごはんを作る、家族の洗濯をする・・・毎日の暮らしの中で積み重ねる「再生産」の仕事を引き受けることは決して生産的ではないかもしれないけれど、それこそが幸せと生きがいの温床なはずなのに。

    私たちのおばあちゃん世代がそうしていたように、すべてを「引き受けて」生きるということ、私もしてみようと思う今日この頃です。

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  3. 大裕のブログで紹介してくれていたリンクから石垣りんさんのとても素敵な詩に出会えたので、私のブログでも紹介させてもらいました。大裕のブログにもまたリンク貼っちゃった。事後報告です~!

    ●「引き受けて生きる」ということ
    http://ameblo.jp/sunday0106/entry-10416109342.html

    ファイナルとパパ業の両立、頑張って。
    日本で会いましょう~♪

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