一昨日、同じコロンビアのTeachers Collegeで勉強する仲間から嬉しいメールが来た。僕が『物では満たされることのない心の隙間』で書いた最後の文の意味が今ひとつ分からなかったと言う。
「貧しい国々の助けを必要としているのは日本の方だ。」
もしかしたら同じ疑問を持った人もいるかもしれない。
僕が言いたかったのは、一つには、ここまで豊かな日本だからこそ、溢れる物に隠れてどんどん広がっている心の隙間に気付いてないということ。
僕は、日本語が好きだ。その中でも、「いただきます」という言葉が好きだ。
これは、アメリカに長年住んだ経験があるからこそ感じることなのかもしれない。アメリカでは、いろいろな意味で両極端が共存する不思議な社会だ。ムチャクチャ裕福な地域があると思えば、公園を挟んだすぐ隣には、比較の対象にもならないような荒れ果てた地域がある。人権など、アメリカの権利意識はここまで進んでいるのかと思えば、国内にいまだに存在する人種差別に愕然とさせられる。
食文化もそうだ。敬虔なクリスチャンやユダヤ人のお宅に招かれると、目をつぶり、時には両隣の人と手を握って、世帯主が神に捧げるお祈りによって食事が始まる。そうかと思えば、席に着いた順番に、何の合図もなしに勝手に食べ始める家庭も多い。
「いただきます。」
なんてシンプルで、自然な言葉のだろう。いかにも日本らしいと思う。
語源はどうなのか、神道の影響があるのか、誰に向けられた言葉なのか、神、料理を作ってくれた人、それとも食べ物?考えてみると不思議だが、あえて答えを出すことに僕は意味を感じない。
感謝の気持ち、それだけでよい。
ただ、今の日本、どれだけの感謝の気持ちが「いただきます」に込められているのだろうか。子どもたちが、食べ物にすら感謝できない…。これこそが日本の教育における難しさを象徴しているように思う。
p.s. ここで書いたのは、本当は言いたかったことの半分にしか過ぎない。明日、また続きを書こうと思う。試験の真っ最中だったことを思い出した…。
命を頂きます。
返信削除お魚も切り身でしか見たことがない、
お肉も固まりでしか知らない、
お米がどうやって苗から稲になり精米されるかなんて、
知らない子どもや大人も多いはず。
近くに便利なコンビニがあって、
ただお腹がふくらめばいいって生活じゃぁ…。
何に頂きますか、何にありがとうかさっぱりわからない。
命をもらって生きていることが、実感しずらい。
野菜やお魚、お肉、お米・・・、
大人も子どもも、一度でもちゃんと作ったこと、
育てたこと、捕ったことことがあれば、
自然に「ありがとう」って思う。
学校行事で秋のお芋の収穫に行くだけ、
2・3泊の田舎生活体験だけでは、
楽しい行事としての思い出しか残らないんだろうなぁ。
AKI
フランスにいたとき、フランス語には日本語で言う「いただきます」にあたる言葉がないことを知りました。
返信削除かわりに「良い食事を」という意味を持つ言葉を言います。これは残さず食べましょう、といったニュアンスだと教わりました。
どちらも食事の始めに言う、似たような言葉だけれど、やっぱり日本語の「いただきます」のほうがよい気がして、滞在中、食事をするときだけは意識して声に出していました。
一方で、フランス語にあって、日本語にない素敵なフレーズ。それは、買い物などでのお会計を済ませたあとに言う一言。
日本にはこれといって決まったフレーズはなく、無言でいる人も多いと思う。しかしフランス語では必ず「よい1日を」という言葉をお客と店員がレジの後に掛け合う。
するとどうしてでしょう、自然とほほが緩むんです。
これからも、良いところは互いに認め合い、さらに素敵な習慣として日々の生活に彩りを取り入れたいです。
AKIさん、
返信削除コメントを読んでいて、一つ思いだした母の言葉があります。今度それについて書いてみようかな。いつも良い刺激をありがとう。
Mihoさん、
確かに。日本では店を出る時に何も言わないかもね。英語圏の国でも、Have a nice day!! とよく言います。そんなちょっとした心のつながりが、一日の活力になることもあるんだなぁ~、とコメントを読んでいて思いました。どうもありがとう。
大裕