『物では満たされることのない心の隙間』 そして 『いただきます』 と、2回に続き日本の物質的豊かさと日本の病理の深い関係、そしてその関係から見えてくる教育の方向性を書いたつもりだ。引き続き、その考えを少し膨らませたいと思う。
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「だってあいつ困ってないもんな。」
小関先生のもう一つの口癖だ。
中学校教員時代何度も聞いたこの言葉から、 「困ること」 が学びの絶対条件であることを僕は学んだ。
このことは 「無知の知」 でも書いたが、自分も身をもって体験したことだ。
自分の教員時代を振り返ると、僕にとって教えた経験とは教えることを学んだ経験に他ならない。ただ、その学びの経験はすぐには始まらなかった。最初に教員になった時、アメリカの大学院の修士号を持つ自分は少なからずうぬぼれていた。英語を教えることなど朝飯前、生徒の人生を変えることなどお安いご用と考えていた。教えるという行為に対し、僕は困っていなかったのだ。
それが、3年目を境に、自分が指導する野球部の子たちと小関先生が指導する剣道部の子どもたちの質の違いが急に見え始めたのだ。自分は何もわかってないということに気付き、僕は愕然とした。
それは、小関先生の教えが「入った」瞬間だった。教員としての僕の成長がようやく始まったのだ。
「困ること」が学びの条件…。それは同時に教えの条件でもある。
10年前の2.4倍、100万人を越えると言われる今の日本のうつ病人口。
小関先生は言う。
「学者達は、不況の影響だとか、以前より軽度の人たちが受診しているからだとか言っているが、実際には近年行ってきた教育の結果そのものだ。」
「満たされている」 と勘違いしている生徒に、本当は満たされていない自分に気付かせること、 「わかっている」 と思っている生徒に、実は何もわかってなかったという衝撃を与えることが大事なのだ。必要とされるのは、仕組んで 「よい子」 に 「バカ」 と言える指導者の器だと、小関先生は教えてくれた。
これこそが 「豊か」 な日本の教育が抱える最大の課題であるように思えてならない。
あとがき
以前も、小関先生のことを自分にとっての 「つまずきの石」 と説明したが、彼のもとで、自分の教えに満足することなく最後の最後まで試行錯誤を続けることができたことは僕にとって幸せなことだった。もっと言えば、それは今も続いている。小関先生のおかげで、僕は 「教え子」 と呼べる生徒たちを持たせてもらった。今も自分に存在意義を感じさせてくれる大事な生徒たちだ。今、こうしてブログを書いているのも、一つにはやり残したことをしようと思っているから。彼らと分かち合いたいことはまだまだ尽きない。
困るってのは確かに出発点かもね。博士論文のセミナーでZ教授が、論文で一番みんなが苦労するのは 第一章のStatement of Problemだという話をした。えー?っと思ったけど、振り返ってみると彼女は正しかった。結局、自分も論文のこの部分は最後の最後まで書き直し続けるはめになった。
返信削除困ってるのと、論文のStatement of Problemはちょっと違うのかもしれないけど、でも、似ている気もする。多くの研究者は重要な問題を見つけられずにいて、とりあえず人が見つけた問題にのっかって重箱の隅をつつくような答え探しをして、競争社会を生き抜こうとする。その中で、いつまでもインスピレーションを失わない優秀な研究者たちもいる。数少ないがそういう器の違う研究者を見ていて思うのは、彼らはみな不自由さや、それに伴う怒りを抱えて生きているということ。自分の不自由さが何処から来ているのかをパズルを解くように毎日毎日考えているのだろう。決して選んでそうなった訳ではないのだろうし、楽でもないだろう。結局人はそれぞれ、人生において学ばなければならないことを学ぶように仕組まれている気がする。確かに、それに気づくかどうかが鍵なのだろうが。学ぶことはあんまり楽じゃないなーと思う。そうすると、教えることも楽じゃないなー。
かおる