なんというタイミングでニューヨークにいるのかと、つくづく思う。
2008年、留学のため再渡米したのは、オバマが大統領選に勝利した年だった。アメリカ史上初の黒人大統領の誕生という快挙に、アメリカ黒人文化の中心の一つであるハーレムのストリートで涙した。(その後のオバマの政治には僕も大いに落胆しているし、Occupy Wall St.運動は様々な意味でオバマ政権に対する鬱憤の表れだと思うが、2008年の感動を僕が忘れることはないだろう。)
そして、今、ここNYを中心に、また新たな歴史のページがめくられようとしている瞬間に僕は立ち合っている。NYには多くの日本人がいるが、こんな時に家にいるのは勿体ないなどという一言では片づけられない。
Occupy Wall Streetは、今日を境に新たなフェーズに入ったように感じる。
今日、2011年11月17日はOccupy Wall Street運動が始まってからちょうど2カ月。かねてから、この記念日をNational Day of Action(国民運動の日)と称してアクションを取ろうと活動家らが呼びかけていた。
それに呼応した民衆らは、アメリカ全土(少なくとも30都市)でデモを展開し、ここニューヨークだけでもブルックリン橋を32,500人(NY市警推定)がデモ行進したというのだから、全体では5万人を超えたのではないだろうか。
「勉強」をほっぽって僕が駆け付けたのは、Foley Square。NY市役所の目と鼻の先にある広場だ。5時集合の予定だったが、1時間も前についてしまった。
まず驚いたのはおびただしいほどの警官とパトカー、そして上空に旋回する5機のヘリコプター。何よりもこの重厚な警戒態勢こそが政府側の危機感を物語っている。「何かやってるな」くらいにしか思っていない人々は、あの模様を見たらきっと間違いに気付くのではないだろうか。
政府側の危機感は同時に、この運動のポテンシャルを意味している。
Foley Squareに集まった群衆は次第にその数を増し、時の経過と共に四方八方からデモ隊が合流してきた。学生も多い。5時半頃になって、授業をボイコットしたCity University of New York (CUNY)の学生2000人が加わった。高騰する授業料と膨らむ一方の学生ローンは学生にとっても深刻な問題だ。
6時の時点では1万人に膨れ上がっていた。
歴史は受け入れるものではなく、自らが創るもの。
「世界」は自らが名付けるもの (“To name to the world”)
というパウロ・フレイレの言葉が 今ほど心に響く時はない。
というパウロ・フレイレの言葉が 今ほど心に響く時はない。
0 件のコメント:
コメントを投稿