過去5回に渡り、 「自由」 を捨てて自らを解き放つというタイトルで考えてきた。やっと次のステップに移れるような気がしている。
「守・破・離」 の教えはこう説いているように思う。型が内在化された時、つまり 「型」 が 「芯」 になり、 「知る」 が 「分かる」 に変わる時、人は自由になる。そしてその時初めて気付くのだ。修行の過程で捨てたと思っていた 「自由」 は錯覚だった、と。
長い時間をかけ、小関先生の教えがようやく僕に 「入った」 時、自分はいかに自由でなかったかを知った。自由だと思っていた自分は、いろいろな人の考えに流され、考えがコロコロ変わり、守るべき信念も揺るがない 「自分」 も無かった。今考えてみると、自分を突き動かしていたのは人に負けない理想と根拠のない自信だったように思う。
逆に言えば、小関先生の教えが内在化された後は、小関先生の目で生徒を見つめ、先生の頭で教育を考え、心で世界を感じようとすることは、少しも 「不自由」 に感じなかった。むしろ、それまでには感じたことのない自由を感じていた。前回の 『信仰と自由の関係』 で、教えの内在化によってもたらされるのは自由であり、その自由とは精神の自立であると書いた。同時に、それは師の教えに閉じ込められるのではなく、逆に新たな思想や出会いに心を開き、身を委ねる勇気を与えてくれるのだ。
子どもは、親とより他の子どもと遊びたがる。
ただ、遊びたい気持ちはあっても、それは勇気がいることでもある。でも、生まれつき勇気がある子などいないと僕は思う。では、子どもの勇気はどうやって生まれるのか。まずは親に愛されることから身につけるのだと思う。親が見守ってくれているという安心感こそが、子どもを解き放つのではないだろうか。
「見ててね。」
そう言って子どもは走っていくのだ。
現在アメリカで学生をやっている僕も、そんな子どもとたいして変わりはない。先生の優しい眼差しを背中に感じつつ、僕は学問の世界を遊び場にして遊びまわっている。
この 守・破・離の教えについてのシリーズ、すごい面白かったです。そしていろんなことを考えさせられました。特に守・破・離の教えでは 「力」(パワー)をどう捉えているのかが今もかなり気になっています。こういう教えをカリキュラムの研究者達にも伝えられたらすごいいいなーと思ったりもしました。と同時に、こういう教えは、絶対的な信頼をおく先生(師匠)との日々の関係の中でのみ伝えられていくものなのかもしれないという思いもあります。どんどん市場化されている教育界を見ていると、計算じゃなくて信に基づいた師匠との関係の中での学びの価値をひしひし感じます。そういう先生と出会う縁も大事なのかもしれないですねー。
返信削除大裕さん、ご無沙汰しております。
返信削除私もこの守・破・離のシリーズ、とても面白かったです。「なるほど、なるほどー」と思うことがたくさんありました。こちらのブログでは教育に関する学びをされている方がたくさんいらっしゃるので、みなさんのコメントからも「なるほど!!」がいっぱいです。
かおるさんのコメントからも、「先生と出会う縁」っていう視点、本当にそうだなって納得しています。『生まれたときに私たちがもっていなかったもので、大人になって必要になるものはすべて教育によって与えられる』というルソーの言葉に集約されるように、私たちは生物体としてのヒトから人になるために、愛という名の教育が欠かせないのだと感じます。それが大裕さんの言うように、信じることだったり、また子どもたちに信頼される存在でいることであったり、見守ることであったり、時には突き放すように待つことであったりするのかなと。
最近、私も教育について勉強し始めたところです。また、色々教えてください☆
かおるさん、
返信削除実はまだ自分の中では終わってないんだけどね。
いつか「不動智」について書いてみたい。でも一段落した感じかな。
かおるさんが言ってることわかるよ。俺もいつか英語で学論という形にできればなと思ってる。でもどこまで理解されるのだろうという不安もある。
もう一つ。教育の市場化は止まるのだろうか?その流れに逆行する守破離の教えが受けいられる土壌はできるのだろうか?はたしてこれを政策で追及することは可能なのだろうか?やはり教育政策ではなくて教育哲学なのかな、という気がしている…。
大裕
美恵子さん、
返信削除同感です。小関先生の哲学を突き詰めていったら、きっと最後は人に対する「愛」というところに落ち着くのだと思うよ。それを教育者や政治家やその他の大人が、「いくらそんな理想を語ったって…」と言わずに、どこまで真剣に考えることができるかなのだと思います。
美恵子さんが教育について勉強中とのこと、心から嬉しく思っています。直接関わらなかったとしても、きっと何らかの形で教えに携わるのだと確信しているよ。人生の恩恵に対する恩返し、一緒に頑張りましょう。
大裕