ここ数日、 「型」 と 「自由」 の関係を考え続けている。
一つが全部だ、全部繋がっている、という小関先生の有機的な哲学を論理的に説明するのはとても難しい…。あれこれ考えたあげく、自分自身の学びの過程を分かち合うことが最善なのではないかという結論に至った。
中学校教員時代、僕は小関先生に服従し、自由になった。
だが、最初から盲目に服従したわけではない。 『小関先生との出会い』 でも書いたが、僕は最初、日本の教育の現状を視察するスパイのつもりで教員になった。だから出会ったばかりの小関先生に服従しようなんて気持ちはさらさらなかったし、他の教員との関係でも、良い所だけ盗んで後は 「はい」 「はい」 と話を合わせるずるい優等生だった。
一見自由に見えるその頃の自分は、極めて不自由だった。いろいろな先生方の様々な教えに自分を支配され、教員としての 「自分」 がなかったのだ。職業柄、教員は皆 「正しい」 ことを言うが、言っていることや教育観はそれぞれ違う。それに、一般的には 「正しい」 答えが、その瞬間、目の前の子や周りの子どもたちのためになるとは限らない。だから、いろいろな先生方のアドバイスを聞けば聞く程自分の中に矛盾が生じ、生徒の不信を募らせた。学びは横に広がる一方で、なかなか前へは進まなかった。
随分と長い時間がかかってしまったが、最終的に何もわかっていない自分 (『無知の知』) に気付き、小関先生の教えに心を開き、服従する決意をした。自分が解放されたのはそれからだ。
服従することはきついと同時に楽でもあった。来る日も来る日も叱られたが、暗闇の中手探りで仕事に没頭する日は過ぎ去り、自分の進むべき道がはっきりと見え始めた。生活の中の無駄が減り、調和が取れていくような感覚を覚えた。初めて自分が真っ直ぐになれているような気がした。
もちろん、修行中も他の教員の指導を見続けたし、自分に教えてくれようとアプローチしてくる教員もいた。でも、いつしか自分は流されなくなった。他の教えに全く心を閉ざしたというのではない。しっかりと聴きながら、何が正しく、何が間違っているのかを自分で判断できるようになったのだ。ただそれは、それまでのように根拠のない直感による判断ではなく、小関先生の教えに対する絶対的な信頼に基づいた判断だった。 「この人が言っているのは、この前小関先生が話していたこと同じだ」 と思う時もあれば、 「この人に対して小関先生はきっとこう言い返すだろう」 と思う時も多かった。
小関先生の教えを守り始め、過信が自信へと変化していくのを感じていた。
(次回: 「自由」 を捨てて自らを解き放つ Part III ~ 「枠」 ではなく 「芯」 ~
0 件のコメント:
コメントを投稿