「なんで教員になったの?」
この一言で僕のスパイとして学校に潜伏する計画は音をたてて崩れ去った。
3月末の日曜日、4月から働くことになった中学校を訪れた日だった。
がらんとした学校を案内してくれていた校長先生が初めて紹介して下さった教員が小関先生だったのだ。
5分前に会ったばかりの人間から、そのような核心を突いた質問が来るとは予想もしていなかった僕は、ひるんでしまった。剣道で言えば面を打たれた気分だった。
剣道場の控室の畳に二人向き合って座り、外では彼の指導する剣道部が沈黙の中、足さばきの練習に打ち込んでいた。控室の空気は一気に緊張した。
僕は、逃げられないと感じると同時に、彼が単なる興味本位で訊いているのではなく本気であること、彼には本当のことを言えそうだということを本能的に感じていた。
僕は全てを話す決意をした。
16歳の時から一人でアメリカに留学をしていたこと、ニューハンプシャーの高校で経験した教育が自分の人生を変えたこと、それがきっかけで日本の教育に疑問を持ち始めたこと、いつの日か日本の教育改革に携わりたいと思うようになったこと、大学院からいきなり学者になるのではなく、日本の教室では実際に何が起こっているのかを自分の目で観ておきたかったこと…。
どんな答えが返ってくるのだろうとドキドキしていたら、また驚かされた。
「なかなかいいセンスしてるよ。」
自分の目
返信削除中学校教師としての経験、自分の目で見てきたこと、とても貴重な資料となりますよね。今、現場から離れたからこそ、同僚の先生や学校現場、カリキュラム・部活、教育委員会制度、保護者…などを分析的にまとめると、貴重なデータになるよね。他の誰もできないことだよね。
~2008年までの千葉の公立中学校の現場の事例として、整理していくと、きっと自分の考えもまた改めて見直すきかっけになったり、新たな疑問がわいてきたり・・・。折角有意義は経験をさせてもらったからこそ、記録に残しておくことは礼儀だね。
AKI
そうだね。こうして自分の学びを振り返ることは、教員時代、ずっとしたくてしょうがなかったことだから、心から楽しんでやっている。そういえば小関先生がこんなこともよく言ってた。「負けた次の日が大事なんだ」って。最初の頃はせっかく負けても、次の日に練習休んで良く叱られていたなぁ。
返信削除