2010年7月30日金曜日

いつか必ず返ってくる ~ 翼7 (完) ~

 僕が後悔の念を口にする時、小関先生が必ず言って下さる言葉がある。



    「下手クソでも一生懸命やっていればいつか必ず返ってくる。」



新米教師として、いつもこの言葉を励みにやってきた。教員の仕事は知識ではなく、経験やセンスに頼るところが大きい。そして経験やセンスの無さは、もがいてもどうにもならない部分がある。失敗から学ぶ他ないのだ。失敗を重ねる中、受け持たせてもらった生徒たちに対しては、



    「下手くそだったけどあれが当時の自分の精一杯だった。申し訳ない!」



という開き直ることしかできない。内容はどうあれ、とにかく一生懸命やったと言える自負のみが最後の拠り所となる。









 今回、21歳になった翼が、冒頭で紹介した小関先生の言葉が本当であることを改めて教えてくれた。



 中学校生活最後の日、前日まで金髪だったのをなんで黒くしてきたかという僕の問いに対して、21歳の翼はこう答えた。



 「あれだけいろいろやってもらったのに、最後の最後まで俺が変わらなかったら(大裕が)やってきた意味ねーじゃん。だから髪とか制服とか俺がカッコいいと思ってたことを崩しても最後はちゃんとやろうと思ったんじゃないの。」



 翼は15歳だった自分の心をそう分析した。



ああ、そうだったのか。僕は衝撃を受け、眉間を竹刀で突かれたような目まいを感じた。



 翼は隣に座る嫁さんに語るように続けて言った。



 「だってあきらめなかったもんね。自然教室で俺が教頭殴った時も、(担任)は体調わりぃとか言ってバックレたけど、担任でも何でもなかった大裕が代わりにやってくれたもんね。その後も大裕だけは俺の話聴いてくれた。」



 僕は全身に鳥肌が立つのを感じつつ、そこまで感じていたか、そこまでわかっていたか、と心から感動した。と同時に、自分は何て愚かだったのだろうと思った。







 
 立派な姿で式に出るということは、翼自身にとって大いに意味のあることだった。それは、それまでの人生で何も背負うものを持っていなかった翼が、僕の想いを背負った瞬間だった。



    「偉かったな。」



6年の歳月が経ち、結婚し、子どもにも恵まれ、己の器の小ささも全部受け入れた僕の心からの言葉だった。

~ 完 ~

8 件のコメント:

  1. 素敵な話をありがとう。大裕君がどうして現場を大事にしているのかがはじめてとってもよくわかった気がする。こういう先生には現場を去らないでいてほしいと思うと同時に、こういうことを教育政策者、教育学者 (とくに自分の出世のことで頭がいっぱいになっている人たち)にビッシと伝えてほしいなーとも思う。今後の活躍を楽しみにしています。

    かおる

    P.S. それにしても自然教室でしかも教頭を殴っちゃうなんて翼くんすごいねー。

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  2. 教育者も親も、知識、技術だけではないですね。
    被教育者は、教育者の人柄、熱心さ、などについて行く。
    双方の気持ちがプラスに向かった時に、成長に向うのだと思います。
    近頃はそういう心がけの教師にあまり出会えませんが。

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  3. かおるさん、
     こういうことを経験してしまうと、教育を学力の向上としてしか捉えていないアメリカの教育政策は何だかな、と悲観的になってしまうよ。かといって数字にできないものはファジーだと批判され、政策にはなりがたいし。教育政策から遠ざかりつつある自分の気持もこんなところにある。
                   大裕

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  4. モニママさん、
     はじめまして。ちょうど先日モニママさんの娘さんの部活指導者についての投稿を読ませて頂いたところです。残念ながら、僕の周りにも自分の至らなさを平気で生徒のせいにするような教員が少なくなかったので、容易に想像がつきます。ただ、以前『教員を評価することの難しさ』というテーマでも書いたことがあるのですが、僕や僕の恩師が心がけてきた子どもや教育に対する取り組みは、現場では評価されにくいということも事実です。それは文科省によって打ち出される教育観であったり、教員の社会的な地位の低さであったり、教員にふさわしい人間を育てるためのキャパをもっていない大学であったり、器の小さい現場の管理職であったり、さまざまな要素が影響しているように思います。
     先日、船橋の大校長の話をうかがってきました。その中で一つ思い出すことがあります。「荒れている学校では、本当は能力のある教員が埋もれてしまっていることが多い。問題は(校長が)どうやってそれらの人間を発掘して教育のできる環境を作るかだ」という旨のことをおっしゃっていました。志のある教員が人間の教育に浸れる環境が一日でも早くできればと願うばかりですね。
                        大裕

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  5.  ようやくブログを読める時間ができたよ。7話続けて読んんで、感動したよ~。
     私は(7話目まで)6年前の大裕とまったく同じ目線でこれを読んでいたの。だから、大人目線で「立派な格好、立派な振る舞い」とされる装いで卒業式に現れた翼くんに対して「偉かった」ではなく、複雑な気持ちを抱えてしまった。
     そうだね。背負うもの、失うのが怖いほどに大切なものを何も持っていなかった少年に「想いを背負ってもらうこと」、何よりも大切なことだったのだと思います。翼くんも、大裕も、それはそれは「偉かった」!!
     子どもたちにとって、大人になるということは、ともすれば社会の中にある責任で自分をがんじがらめにすることに見えるかもしれない。(実際、ただそうなってしまっている大人もいるしね)
     でも本当はそうではないんだよね。大人になるということは、たくさんの大切な人たちと出会いを重ねて、その人たちの「想いを背負って」生きるということなんだと思う。そうやって発生した「責任」や「想い」はとても幸せなことだということとあわせて、子どもたちに伝えていけたらいいね。
     素晴らしい視点と体験の共有、ありがとう!!

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  6. 愛さん、
     愛さんのコメントに対する返事のつもりがいつしかエッセイになっていたよ。いつもありがとう。

                     大裕

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  7. 大裕さん、

    感動して、不覚にも涙でした。
    ここには、人間がいて、その関係なんだなとおもいます。

    私の周りは教職ばかりで、私も当然そうなるとおもわれてきましたが、なりたいとおもうような先生には会うことはありませんでした。というか金輪際というかんじがあったのです。

    しかし、どんな仕事であれ、にんげんなんだなあとおもいました。

    翼さんもいきいきと描かれていて、大裕さんのまなざしをかんじました。

    大裕さんに敬意を表させていただきます。

                            陽

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  8. 陽さん、
     なんかとても嬉しいコメントでした。
    にんげん…その通りですね。僕が教員生活を通して学んだ者は間違いなくにんげんでした。にんげんの美しさを他に伝えていくことを自分のライフワークにしたいと思っています。陽さんはそれをもうなさっていますね。

                        大裕

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