2011年6月27日月曜日

木のいのち、木のこころ 1 ~ 個性 ~

 日本が世界に誇るべきものの一つに、1300年前に建てられた世界最古の木造建築物、法隆寺がある。先日、『人と人とを紡ぐ時代に』でも紹介した竹越さんが、その法隆寺の宮大工による本をプレゼントしてくれた。『木のいのち、木のこころ』という本だ。







 読めば読むほど、教育のこと、子どものことを書いているとしか思えない。学ぶこと、命を育てること、伝えること、自然の中に生きること、将来を想い描くこと…。この本には、教育の真髄が詰まっている。きっと僕の博士論文の一部となることだろう。今後、この本からの抜粋をこの場にてシェアしていきたい。



 第一回は「個性」について。我々はどこまで子どもたちの個性を重んじているのだろうか。子どもが変われば、教え方も変わって然り。子どもを知らなければ、教えられるはずもない。





 時代は科学第一になって、すべてが数字や学問で置き換えられました。教育もそれにしたがって、内容が変わりました。「個性」を大事にする時代になったといいますな。

 しかし、私たち職人から見ましたら、みんな規格にはまった同(おんな)じもののなかで暮らしているようにしか見えませんのや。使っている物も、住んでいる家も、着ている服も、人を育てる育て方も、そして考え方まで、みんなが同じになっているんやないかと思っております (p. 13)。

(中略)

 私らが相手にするのは檜(ひのき)です。木は人間と同じで一本ずつが全部違うんです。それぞれの木の癖を見抜いて、それにあった使い方をしなくてはなりません。そうすれば、千年の樹齢の檜であれば、千年以上持つ建造物ができるんです。これは法隆寺が立派に証明してくれています (pp. 14-15)。

2011年6月25日土曜日

「なんて素晴らしい日なんだ。」

 今週の日曜日、Mr. Walkerに会ってきた。

 彼の住むRyeという町は、New Hampshire州の海沿いの美しい町だ。ニューヨークから車で5時間。行きの車の中、僕は、初夏のニューイングランドにふさわしい、穏やかできれいな別れを思い浮かべていた。


 

 そんな僕の期待は見事に裏切られた。

待っていたのは、自らの死を受け入れ、周りの人間との別れを惜しむ老人ではなく、どろ臭く、どこまでも生にこだわろうとする生身の人間だった。

 僕たち家族が着いた時、家の前には既に何台もの車が停まっていた。家族の人が迎えに出てきてくれ、導かれるままに僕らは裏庭に行った。寝たきりかと思っていたMr. Walkerは、ピクニックチェアーに座っていて、僕を驚かせた。

 考えてみれば前回もそうだった。癌が再発し、もう会うのは最後かと思って尋ねた去年の8月。あの時も、僕らが泊っていたホテルまで車を運転してきて僕らを驚かせた。きっと家族としては気が気じゃないだろう。

 挨拶に行くと、Mr. Walkerはかすれた声で、

“Good to see you.”
「会えて嬉しいよ。」


と言った。

 奥さんのPhillisも元気そうで、僕らを歓迎してくれた。次々に家族の人たちが挨拶に来てくれた。僕はMr. Walkerのお子さんたちを何人か知っていたが、どうやら僕が会ったのはほんの半分に過ぎなかったらしい。全部で8人のお子さんがいると知って驚いた。

 少し経つと、家族の輪に何らかの緊張感があるのを感じた。原因はMr. Walkerだった。

僕がMr. Walkerの隣に行って、思ったよりも元気だと言うと、彼は何度も首を振った。本も読めないのだ、と。いろいろやりたいことはあるのだが、すぐに疲れてしまうそうだ。本気で悔しがっている彼に、僕はあきれてしまった。きっと自分自身に求めるものが相当高い所にあるのだろう。

 Mr. Walkerが何か言葉を発しても、うまく出てこないことがほとんどだ。そんな時は、自分へのフラストレーションなのだろう、極端に大きな声で繰り返すのだ。でもそれが周りには、相手へのうっぷんを晴らしているように見えてしまう。それに、そんな怒鳴ったら体にさわるだろう、と周りは更に気を遣う。

 もう打つ手はないため、ホスピスの人を迎え入れ、心の準備をしようとしている家族の人たち。それとは反対に、「まだまだ」と一人で生にしがみつこうとするMr. Walker…。そんな温度差を感じた。

 つい先日も、危ないから、と何とか止めようとするナースを無視して海へ歩いて行ったそうだ。実際、僕の訪問に関しても一もんちゃくあったのだ。先週僕が電話をした時、実は彼の状態を懸念した奥さんに訪問は遠慮してくれと言われていたのだ。僕も了解し、家族の写真を送るだけにすると伝えた。しかし、次の日、彼から僕に怒りの電話が来た。僕の訪問を奥さんが断ったと聞いたが、彼女にそんなことをする権利はない、もしこちらの方に来る用事があるのだったら寄ってくれ、と。

 相当の頑固じじいだ。途中から、僕はおかしくなってしまった。

 それでも、目の前で遊ぶ僕の子どもたちを見ながら見せる優しい笑顔は昔と変わらなかった。

高校時代、あの顔が見たくてどれだけ頑張ったか。もう一人の恩師、小関先生が教えてくれた言葉が思い出される。

「この人に褒められたいと思われる先生になれ」。

 自分にとって、Mr. Walkerはまさにそうだった。
「よくやった」  ―  彼のその一言で僕は天にも昇るような気持ちになれたのだった。

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 数日後、電話越しの小関先生にMr. Walkerのことを気にかけてもらった。どうだった?と訊かれ、上に説明したようなMr. Walkerの状態を伝えると、小関先生は言った。


 「侍だねぇ。おまえな、一流の指導者なんてみんなわがままだぞ。」

 確かに。僕は笑った。

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 2時間くらいお邪魔したのだろうか。

帰りの車の中、陽だまりの中で遊ぶ子どもたちを見て言った言葉の余韻がずっと僕の中に残っていた。



“What a day.”

「なんて素晴らしい日なんだ。」




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2011年6月18日土曜日

"I love you."

 この場に何度か登場しているMr. Walker…。僕の高校時代の英文学の先生である以上に、自分の人生を変えてくれた、生まれて初めての人生の先生だ。あの時彼に出会っていなければ、僕は日本の教育に疑問を持ち、教育の道を志すことはなかったかもしれない。



 Mr. Walkerは、書くという行為を通して生き方さえも教えてくれた。



 同じ意味を持つ言葉でも、構成部分やその言葉の歴史的背景から微妙なニュアンスの違いが生まれる。そして数ある選択肢の中から、常に最善を尽くして次の言葉を選ぶ…。その繰り返しによって綴られるのは、その人の生き様だ。







 『いつの日か ~繋いでいくこと(完)~』 でMr. Walkerの脳の癌が再発したことを紹介してからもうすぐ一年になる。1ヶ月に一度ほど電話してきたが、このところ会話もうまく続かなくなった。



 先週、電話をした。いつものように奥さんのPhillisが電話に出た。キモセラピーはやめたが、旦那は変わらず元気に闘っていると言う。



 おそらくMr. Walkerがすぐ隣にいるのだろう。どこか気丈に振舞っているような気がしてならなかった。



 Mr. Walkerが電話に代わると、僕はいつも通り、自分の勉強のこと、家族のことなどを話したが、それに対して、彼は相槌をうつのが精いっぱだった。



 疲れさせてはいけないと思い、僕は手短に電話を切ろうとした。



 最後に、Mr. Walkerが苦しそうに言った。







"I love you."







迫りくる恩師の死を悟った瞬間だった。



来週、家族を連れて再び彼のもとへ行く。

2011年6月17日金曜日

伝えるのは人と信念




 子育てをしながら、自分の教員時代を振り返ることがよくある。



つい先日も考えていた。



子どもの躾について。



これはやってよし、これはやっちゃダメ。そんなルールばかり教えていたら、子どもばかりか自分までをも無機質な規則の塀に閉じ込めてしまう。



教員時代、最初のうちはずっとそれがわからなかった。ルールを決めることによって子どもたちを管理し、満足していた自分がいた。



伝えるのは人と信念。ルールじゃない。



お父さんはこんな人、お母さんはあんな人。こうしたら怒るし、ああしたら喜ぶ。



そんな不動の親の在り方が、子どもたちに安心感を与える。



子どもたちは自然に、そして自由に、ものの良し悪しというものを学んでいくのだ。




2011年6月3日金曜日

まとも

ある夏の終わり、うちの野球部の3年生の進路で小関先生に相談していた時の話。



小関先生: 「Aはどうするんだ?」



大裕: 「あいつはU高校がいいと思うんですけど。あそこの顧問は結構まともみたいっすよ。」



小関先生: 「ばか。周りからまともと思われているうちはまともじゃないんだ。」



…本気で日本一の子どもたちを育てようとしている小関先生の重い一言だった。







これは、数年が経過し、アメリカの大学院にて学業に励む今でも、時折自分に軌道修正を迫る言葉だ。



そうだ、周りとおなじことやっていても一流にはなれない。

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2011年6月2日木曜日

みかさとカットわかめ

 最近、次女のみかさにはちょっとしたマイブームがある。



カットわかめだ。



お腹がすくと、自分で台所まで行き、取ってくる。



そして、袋の中におもむろに手を突っ込み、黒くてひからびたカットわかめを無造作に口に入れるのだ。そして、



「あかめ おいちーね~」 の一言。



どこかイメージキャラクターとしてうちの子を使ってくれるわかめ会社はないものだろうか。



カットわかめ一年分で手を打ちまっせ~!!