2011年8月25日木曜日

ごめんなさい ~ 丸 (完) ~


あなたは、大人である自分を遥かに越える子に会ったことがあるだろうか。



それは、教えながら、何かの拍子に生徒から教えられるのとはわけが違う。



今夏の最大の気付き、それは 「自分を越える子」 が、実は8年前の自分のクラスにいたということだった。



当時はなぜ気付かなかったのか。



今だからわかるが、それは当時の自分に子どもを見る目がなかったからだ。僕には丸という14歳の少女のすごささえもわからなかった。



以前、『不登校から日本一』 にこんなことを書いた。



小関先生がおっしゃることは、すぐにはわからないことが多い。時間が経った今、愛ちゃんのケースを考えてみると、彼女のように日本や世界の第一線で活躍する子には、既に先生がいるということだと思う。自分一人の力でそこまでになるような子はどこにもいない。やはり、誰か自分の才能を認めて、未知の可能性を信じてくれる人との出会いがあり、その人に完全に自分を委ねることで、子どもは一流になっていくのだと思う。だから、もし愛ちゃんが自分のクラスにいたとしたら、彼女に 「教える」 ということは、彼女の先生に勝たなくてはいけないということになる。



それを読んで下さった小関先生は、「そこまで繋げられるようになったか」 と驚いたと言う。



しかし、今回、改めてわかったのは、自分が何もわかっていなかったということだ。



10回に渡って書いてきた今回のシリーズの最初を飾った小関先生の問い…。



    「もし自分の教えるクラスに中学生の福原愛ちゃんがいたら…」



今だからわかる。



あの問いは、自分を越える生徒に出会ったことのある者にしか答えられない。



そして、多くの者は、そういう子に出会っていることすら気付かない。



だから 『8年の歳月を越えて ~ 丸 1 ~』 で僕が、「実は福原愛ちゃんが自分のクラスにいた」 と書いた時、小関先生は笑って言った。



    「おまえそんなこともわかってなかったのか?」



先生のそんなお叱りに、僕は 「はい!!」 と元気良く答えた。






ほんの些細なその一歩が、僕にとってはとてつもなく大きな飛躍だった。



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あの晩、一通り話した後で僕は丸に訊いてみた。



今だから言えることって何?



ケチョンケチョンに言われる覚悟をしていた僕に、丸は意外なことを言った。



    「ごめんなさい。」



あの時は生意気で。自分が働いて初めてわかる苦労がたくさんありました…。丸はそう付け加えた。



僕は、丸に完全に降伏した。



(完)

3 件のコメント:

  1. 全部読みました(1から初めて)
    丸ちゃんのさいごの言葉 すごい。

    愛ちゃんはきっと私のクラスにもいるんだろうな。

    今の学校現場では、みんなに平等に同じことを教えるふりをしながら、誰に何を教え、誰から何を学ぶのか、賢く選択しなきゃなーなどと考えたりしました。

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  2. 質問です。

    "彼女に「教える」ということは、彼女の先生に勝たなければいけないということになる"

    学校の教師が、例えばイチローや亀田の父に勝つことで、イチローや亀田にとってプラスになるのはどいう面が考えられるのでしょうか?

    偉人伝にも、学校教員が生徒の信念ある歩みを惑わせたケースが非常に多く見られます。偉人でもなんでもないぼく自身も、同じ被害経験があります。

    ”「先生」を持っている人間に教えることの愚かさ”で書かれていることと違うので、「勝たなければいけない」のには、何かぼくが読み落とした前提条件などがあったのでしょうか。福原愛ちゃんのような生徒に教師は教わる態度を持つのは非常に大切ですが、「彼女の先生に勝つ」ことで彼女が受ける恩恵がどこにあるのか、思いつかないので質問しました。

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  3. Takekoshiさん、

     引用の切り方がまずくて誤解を招いてしまったようです。

    教員は教員は皆、すぐに教えたがるものだ。

    でも、"[福原愛ちゃん]に「教える」ということは、彼女の先生に勝たなければいけないということ"

    だから、一流の子に教えようとするのがいかに愚かなことかがわかるだろう、といった意味で書いたのです。その子が既に持っている一流の指導者に勝る教員が何人今の日本にいる?そもそも、その子は教える必要があるの?と。

    大裕

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