せっかく 「救世主」 としてクラスにもらった丸を、僕は使おうとしなかった。
勢いと情熱だけでやっていた自分にとって、生徒の力を借りようなどという頭は最初からなかったのだ。また、仮に丸を使おうと思ったところで、当時の僕には丸を扱うことさえできなかっただろう。
「先生」 を持っている人間に教えることの愚かさ ~ 丸 3 ~ でも書いたが、当時の自分は、鈴木大裕としての本音、小関先生の教え、そして教員の建前の狭間でもがいていた。
そのような教師の価値観と自信のぐらつきに、子どもというものは驚くほど敏感だ。それまでは生徒の前で 「語る」 ことを大切にしてきた自分だったが、段々と語れなくなっていく自分に気付いていた。
小関先生が僕の目の前に丸を呼んで、「どうだ、丸。大裕先生は語ってるか?」 と探りを入れるのがどれほど嫌だったことか…。
そして、僕は彼らに勝つことだけを意識するようになっていった。
毎日が勝負だった。僕と特に男子生徒たちとの間には明らかなラインが引かれ、毎日ジワジワと自分たちの縄張りを広げようとする彼らと、それを食い止めようとする僕の攻防戦。
それには、3年の教員としての、周りからの重圧も大きく関係していたように思う。
3年生というのは、中学校の最上学年だ。下級生は皆、上を見て育つし、上がだらしなければ下の学年の先生たちも生徒指導し辛くなってしまう。だから、問題の多い上級生を抑えつけられる先生が、「生徒指導のできる先生」 と思われる節が学校文化にはある。職員会議などで自分のクラスの生徒の問題行動が議題として浮上するたびに、僕はとても惨めな想いをするようになった。そして、クラス編成時は、「大丈夫。みんなでサポートするから」 と言っていた学年の先生たちは、いつの間にかそっぽを向くようになっていた。
生徒をコントロールすることばかり考えていた僕は、いつしか生徒たちを愛せなくなっていた。
(続く…)
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