2011年8月23日火曜日

「先生」 を持っている人間に教えることの愚かさ ~ 丸 3 ~

「正直言ってあの時は辛かった。」 僕が丸にそう言うと、彼女は何も言わずに頷いた。



僕は彼女に全部話した。当時、自分が小関先生という新たな兄貴分の言うことに耳を貸しながら、彼を信じ切っていなかったために、理解できていなかったこと。同時に、それぞれ違った価値観を持つ周りの先生たちからも、「一人前」 として認められようとしていたこと。その結果、自分の言動の一貫性を失い、生徒たちを戸惑わせてしまったこと…。自分の口から発される言葉が、次第に重みを失っていったあの感覚は、今でも忘れることができないということ。



ひとことで言うと、当時の僕には  というものがなかった。



中学生というのは、子どもが大人になるにおいて、特に中途半端で、不安定で、難しい時期だ。だからこそ、信じられる大人を子どもはこの時期特に必要とするのだと僕は思う。『伝えるのは人と信念』 でも書いたように、子どもにとって本当に必要なのは明確なルールなどではなく、いつも変わらぬ不動の人格と信念であり、それを持っている親や大人が、子どもにとっての安らぎ、そして自信を与えるのだと今だからわかる。だが、残念ながら、当時の自分にはそういう視点はなかった。



「当時の丸の目に、俺はどう映っていた?」 と彼女に質問した。



う~ん…と考えたあげく、彼女は言った。



小関先生から僕のことをいろいろ聞かされ、あの時もっと話を聞いておけばよかったなと思うようになったけど、正直言ってあの時は聴く耳を持っていなかった。



そうだよな、と僕は言った。



正直言って、丸は当時の僕にとって、非常に嫌な存在だった。今だからわかるが、それは彼女が僕を越えていたという何よりの証拠だった。



丸は、小関先生の指導の下、中学1年生の時から熱心に剣道の練習に取り組み、2年生にして強豪チームのレギュラーを張り、3年生になってからは部長及び不動の大将を務めていた。



「あいつが俺のことを一番良くわかっている」 と小関先生に言わしめたのが丸だった。



そんな丸が自分のクラスにいて、僕がやり辛いと感じないわけもなかった。



いろいろ考え、何か 「ためになる」 話をクラスにしても、丸には全てを見透かされている気がしていた。自分の弱さ、浅はかさ、そして偽り…。



今考えれば、丸は何よりも、既に 「先生」 を持っている人間に教えようとすることの愚かさを教えてくれていたのだった。



(続く…。)

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