11月に中旬にしては驚くほどポカポカした日だった。
みな薄着をし、紅葉と暖かい日差しを楽しんでいた。ランチに友達のケビンと会った。
神学校の中庭のベンチに座り、なんて気持ちの良い日なんだろう、と僕は彼に言った。すると、彼は笑みを浮かべてこう言った。
「でも考えると怖いものがある。」
ケビンは、あれ見えるかといって中庭の真ん中に立つ木を指差した。
ほら、枝の先に新芽がつき始めているのが見えるかい?急に暖かくなったから、木が、春が来たと勘違いして芽を出しているんだ。
まさか新芽だとは思ってもいなかった僕は驚いた。
そんな僕にケビンは丁寧に教えてくれた。
寒さが来たらどうなると思う?芽は取れ落ちて、そうなった木は春が来ても芽吹くことはないんだ。
僕は恥ずかしかった。
大人になっても、大裕さんの経験のように、
返信削除自然から、人間から伝えられことにドキとしたり、
恥ずかしいと思える心は失いたくないね。
アメリカの大学では、
取り上げられることはない人物かと思いますが、
「社会契約論」「エミール」の執筆者のルソーは、
教育には3種類の先生がいると。
人間の先生/自然の先生/事物の先生。
人間先生が言葉にしなくても、
多くの自然や本物に目を輝かせ、
多くを感じ取ることしていくよね。
でも東京は、
とても大自然に囲まれた日常とは言えないなぁ。
この1週間、子どもの通学路には、
土に帰ることができない落ち葉が舞い上がって、
区の清掃員の人にゴミとして処理してる。
自然の中のものは、ゴミなんてないはずなのに。
夜空に浮かぶのも、月と一番星だけ…。
今日は、
サウジアラビアの大砂漠で、
大洪水が起きているニュースが。
自然からの警告が、激しく伝わってきる映像でした。
AKI
AKIさん、
返信削除>土に帰ることができない落ち葉
っていいね。その心持、とてもよくわかる。
落ち葉をゴミ処理するなんて、皮肉だよね。
切なくなるなあ。
映画『アメリカンビューティー』を思い出しました。
大裕