2011年9月30日金曜日

もし橋本府知事が校長になったら…

こんなニュースが僕の目にとまった。



ニューヨークにいても、橋本さんの教育に関する動きには危機感を抱いている。市場原理のみで教育を改革しようとする今日のアメリカに多い指導者の動きに非常に似ているからだ。こうしたらこうなる、ああしたらこうなる、だからこうするべきだ…。あまりにもわかりやすく、単純で、危険だ。以前書が、こういう指導者の言う言葉からは、子どもの匂いも表情も感じられない。


もし、橋本さんが今、校長をやったら、学校は確実に荒廃するだろう。

不登校や「不良」が増え、


精神を病む教員が増えるだろう。


先生も生徒も、挑戦すること、冒険することをやめ、日本をグローバルな視点から考えられる、大胆で豪快な子どもは育たないだろう。彼らが活躍できるのは、しょせん教育者の器の中だけなのだから。


求められるのは「良い」生徒。最初から「できる」教員。


育てようなんて視点は最初から無い。




小関先生が言っていた。
 

      「俺の夢は、自分を超える生徒を育てること。」
 
この言葉の意味が、橋本さんにわかるだろうか?


そもそも、目の前にいる自分を超える子に、橋本さんは気付くだろうか?


気付いたところで、彼はそんな子を評価し、関係を築くことができるだろうか?


締め付けで人間は育てられない。


「完成品」の教員を集めたところで、子どもたちの信頼を得ることも、彼らを伸ばすこともできない。


指導者として大事なのは、部下に教育させるのではなく、まず自分が教育すること。


自分の信ずる教育理念を、自分の生き様を通して


他の誰よりも自分に厳しく追及し、それを伝え、


自分の下に集まった教員を信じ、委ね、


命令ではなく人柄と温もりで人を動かすような、


人間としての器の大きさが求められている。




信じること、委ねることを知らない政治家に「教育」を決めさせてはいけない。


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2011年9月26日月曜日

NY発、『がんばろう、日本!!』


 東日本大震災以降、僕の生活はそれまで以上に忙しくなった。

僕が所属するティーチャーズカレッジの仲間と共にやっていた教育ブログから始まった 『世界から日本へ1000のメッセージ』、NY、アメリカ、そして世界中の日本人留学生との交流から生まれたAction for Japan、コロンビア大学の他のスクールの仲間と共に行った様々な復興支援活動…。

前にも書いたが、勉強、仕事、人生…、それらに境など存在しない。自分の心が動く方向に身を委ねるだけだ。一見、余計だったり、関係なく見えることが、本当は一番大事だったりする。中途半端にやるから、「余計」で終わってしまうのだ。

東日本大震災以降、僕がかかわってきたグループの一つに、Consortium for Japan Relief CJR というのがある。コロンビア大学をベースとする教授・学生から成るグループで、震災直後、コロンビア大学School of Social Workの学長であるJeanette Takamura教授と、コロンビア大学循環器科の本間俊一教授の呼びかけで生まれた。

来月、10月5日(水)、そのCJRが発生から半年が経った今、放射能、災害対策、政治、経済、メンタルヘルスという5つの分野における著名な教授達をゲストに招き、東日本大震災を多角的に検証するシンポジウムを行う。当日は、学内の教授や学生の他、廣木重之ニューヨーク総領事も参加する。

しかし、このように大がかりなシンポジウムを企画・運営することがどれだけ大変か、今回良くわかった。6月から準備を始めたが、8月以降は毎日何十通のメールを他のメンバーたちとやり取りをしている。

このイベントの一番の中心はEmilyという、韓国系アメリカ人の女の子だ。日本には父親の関係で思春期の何年かを過ごしたという縁がある。このイベントが今の段階までこぎつけられたのは、そんな彼女の熱意によるところが大きい。今では10数人のコロンビアの学生とその友人らが、本間先生とTakamura先生のサポートを受けて企画・運営をしている。ティーチャーズカレッジの仲間も何人か手伝ってくれている。

今回のシンポジウムは、世界の日本に対する意識が薄れている中、多くの人間の持続的な情熱とエネルギーが可能にする、とても意義のあるイベントだと思う。来てくれる人たちが、新たな問いや、意識をもつ機会となることを願っている。

興味のある人は是非我々のサイトを覗いてほしい。



シンポジウム詳細

·         日時:10月5日(水)6:00−9:00PM

·         場所: Columbia University Faculty House Skyline Dining Room (64 Morningside Drive, NY, NY 10027)

·         残念ながら予算と会場の都合上、参加者は学内関係者、生徒のみとなっているが、当日の映像はUstreamでも見ることができる。 http://www.ustream.tv/channel/columbiansforjapanrelief

2011年9月21日水曜日

最高の選手宣誓で始まった春

創志学園、野山慎介主将の選手宣誓で始まった


2011 春の選抜高校野球大会。


記憶に残っている人も多いのではないだろうか。


東日本大震災から半年。


当時の想い、大事にしたい。














2011年9月20日火曜日

みな正しいが、どれも間違っている。 ~小関先生からのメール~



一昨日、35歳になる高根台時代の教え子の結婚式に出席してきた。


プロフィールの紹介の中で、自分の宝物を


「小関先生が自前で作ってくれた、銀メダル」  と紹介してくれた。


当時、どんなに小さな大会でも入賞すれば、


一人一人にメダルや盾を作って渡していたことを思い出した。


15万程度の給料からよくやっていたと思うが、


たった数千円のメダルを握りしめて、


人生を戦っている生徒がいた。


価値はあったと実感できた。


「隆一、立派になったな!」  私の一言で、花婿が泣き崩れた (^_^;)


教師冥利に尽きる…。


自分がわたしたはずの銀メダルが、


金メダルになって返ってきた。



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あとがき


 小関先生は、「人」 という言葉が良く似合う。


先生の言葉には、不思議なくらい、人の温もりと、表情が詰まっている。


小関先生が、自分の恩師、奥村先生を語る時、言っていたことを思い出した。

    あんなに子どもの匂いがする校長は、そうはいない。


このような教育者たちを目の前にすると良くわかる。


現代の教育政策が、いかにからっぽか…。


お偉いさん達が、一生懸命教育を語っている。


みな正しいが、 どれも間違っている。 


そこにないのは、人の温もり、子どもの表情。

2011年9月4日日曜日

教師の存在意義

新たな学びに触れる前にと3日間で9件の投稿をして、丸のシリーズを何とか書き上げたのが8月26日。翌日から1週間の予定でベルギー及びハンガリーに行ってきた。今回の旅行のことについても早いうちに書きたいと思っているさなか、小関先生から一通のメールが届いた。




この夏、市内の教員のほぼ全員が集まる研修で、教育長が放った一言についてだった。



    「大震災の教訓から、『自ら判断して行動できる生徒・児童』を育てなければ…。」



どうやら発信元は文科省かどこかわからないが、全国一斉の動きだったようだ。



小関先生はその時のことを次のように語った。



   どの先生も頷きながら聞いていた姿は本当に滑稽だった。
   そんな生徒が本当に育ったら、間違いなくごく一般の先生方には、やっかいな生徒だ。



僕は思った。そもそも、多くの先生はそのような生徒を育てられるわけがない。これについては以前にも 『叱るとは愛すること』 で書いたが、臨機応変に動ける生徒を育てることは、実は最高レベルの難易度にある教育目標だ。



そして、もし何かの間違いでそのような子たちが育ったとしたら、その時は間違いなく 「やっかいな生徒」 として扱われるだろう。



残念ながら、多くの先生たちは、子どもが子どもであり続けることを必要としている。いつまでも 「大人」 である自分の言うことをはいはいと聞き、どんな時も自分の指令を待つ優等生を作ることによって、「先生」 であろうとするからだ。



しかし、そのような教員はいつまで経っても 「先生」 になることはないのだと思う。そもそも、「先生」 なんて自分の意志でなれるものではない。決めるのは生徒だ。



Hannah Arendt が言うように、教師というものは全ての大人の代表だ。そして、教師の存在意義は、最終的に自分を必要としない生徒を育てることにある。



だから、教師の仕事にはビタースウィートな別れがつきものだ。



でも、それさえもが嘘だということを、Mr. Walker が身をもって教えてくれた。



別れなど、本当はない。

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