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2011年10月22日土曜日

未完成な自分を満喫する

 先日、38歳の誕生日を迎えた。

おかげさまで、年を重ねるごとに人生は良くなる一方だ。

38で学生というのは気にならないわけではない。

でも、遠回りばかりしてきたこの人生、本当は遠回りではなかったこともわかっている。

今の自分に満足はしていないが、成りつつある自分に手ごたえを感じているし、未完成な自分を満喫している。




先日、小関先生と数週間ぶりに電話で話した。


「僕も先生と初めてお会いした時の先生の年齢になってしまいました。」


そうか、と小関先生は笑って言った。


「嫌な感覚だよな。奥村先生なんか46で校長になったんだからな。」


ああ、小関先生も一緒なんだと、僕は思った。


あの時の先生の年になったからこそわかる先生の凄さがある。

もし今自分が教員であったなら、あの時の先生のような強い人間関係を生徒たちとつくれているだろうか?

匹敵する指導力を身につけているだろうか?

到底かなわないと思える存在でいつづけてくれる先生がいるというのは、本当にありがたいことだ。

もっと頑張らなければ…。


今日もそう思える自分がいる。


生徒たちにとって、自分もそんな存在でありたいと心から願う。

2011年8月7日日曜日

それでいいのだ

 昨日、12歳の甥っ子が帰国した。


僕は、卒業式当日の担任の心持で最終日を迎えた。



あの時ああしてればと考え出せばきりがないが、自分の未熟さの範囲で、できることは全部やった。最後、卒業生は何を胸に飛び立つのか…。



最初は軽く考えていた今回のホームステイだったが、実際にはかなり大変だった。それは、一流の指導者に学んだ者としての自身の責任感と、姉への恩返し、甥っ子への愛情が根底にあったからだと思う。



 僕が中学生を目の前にする時、常に彼らに言い聞かしてきたのは、 『今こそが未来』 ということ。「未来」なんて「今」の積み重ねに過ぎない。だから今この瞬間をどう生きるか、それが将来そのものだと思っている。「いつかきっと」なんてミラクルはあり得ない。



 今回もそのスタンスで甥っ子と係わった。だから、「ああ、楽しかった」で終わるただの観光旅行ではなく、普通ではできない色々なことに挑戦させ、それが良い想いでも悪い想いでも、何か強烈に心に残るような体験をさせようと心に決めた。もしかしたら自分の無力さを感じる悔しい旅になっても良いとも思った。



初日から彼の覇気の無さが気になり、一つのテーマを与えた。



「失うものは何もないから、リスクを冒して冒険すること」



 でもそれがなかなか難しい。いざ誰かに話しかけざるを得ない場面になるとモジモジモジモジ…。



彼にとっては自分の弱さと向き合う、大変な旅だったと思う。ここではとても書ききれないが、滞在中、実にいろんなことを彼にやらせた。




 進んで人に自分の写真を撮ってもらい、何か物を買う時は全部自分でやり、トイレの場所なども自分で質問し、コロンビア大学の図書館で世界の学生達と肩を並べて勉強し、学生食堂でも一人でご飯を食べ、「初めてのお使い in ハーレム」を遂行し、僕の視覚障害者の友人と2人きりでNY自然史博物館に行き、NYメトロポリタン美術館も2日に渡って一人で探索し、お粗末な公教育の現状を危惧する人々のデモに日本人中学生としてただ一人参加するためにワシントンDCに行き、わけもわからないまま人々と一緒にホワイトハウスに行進し、日本の大手学習塾の全国模試でトップ30人に選ばれた小学四年生たちの10日間のアイビーリーグツアー最終日の「決意表明」に立ち合い、世界の第一線で研究している日本人物理学者と食事をし、最後はブロードウェーミュージカルで他の客と一緒になってスタンディングオベーションをした…。






今回のホームステイ、二つ嬉しかったことがある。



一つは、日本で英語習ってるけど、実際にこっちに来てどう思った?との質問に対して彼が、「英語の問題じゃなくて気持ちの問題だってわかった」と答えたこと。



もう一つは、デモのことに対して感想を求めた時、「本当はあれが普通なんだと思う。日本ではテレビなんかでみんな首相の悪口を言ったりするだけで何もしない」との答えが返ってきたこと。それがわかっただけでも、ワシントンDCに連れて行って良かったと感じた瞬間だった。



この旅が彼の人生にとってどんな意味を持つのか…。彼がその答えを理解するのは、きっと何年も先のことなのだと思う。



それでいいのだ。

2011年7月29日金曜日

どんな学びをプロデュースできるか

 一昨日、日本から帰って来た。



 今年も、多くの人に積極的に会い、充実した夏だった。あまりに忙しかったため、まだこの夏の学びをまとめることすらできていない。8月中に時間を見つけてやっていきたい。



 この夏のただ一つの心残りは、短い日程の中、自分の博士論文に関係する人たちを優先に会ったため、何人かの大事な友人に会うことができなかったこと。



 何歳になっても、時間が足りないことだけは変わらない。



 さて、ニューヨークに帰って来たのだが、今回は甥っ子の勇太郎も同伴だ。10日間の日程で学びに来ている。せっかく機会があるのなら早いうちに世界を見てきて欲しい、という姉夫婦の願いが実現したのだ。中学校に上がったばかりの甥っ子が10日間で何を学べるのだろうか、また自分はどんな学びをプロデュースできるのだろうか。



 明日、急遽ワシントンDCに連れて行くことにした。7月30日に、アメリカ公教育の現状に憤りを感じている人々による大規模なデモがある。教員、様々な分野における教育者、保護者、その他何十万の人々が集まり、ホワイトハウスに向けて行進する。僕が甥っ子に見せたいのは、人が集まり、一つの大きな力として動く姿だ。



 1泊2日の強行スケジュールだが、ある年、僕が指導させてもらっていた野球部の子どもたちを0泊3日(車中2泊)で甲子園に連れて行ったことを考えれば何てことない。今考えれば相当な無茶をしたが、あれがきっかけで僕を評価してくれるようになった指導者も中にはいた。今回のDC行きは、いろいろな意味で、あの時のことを思い出す。



 何か少しでも熱いものを感じ取ってくれればと思っている。

2010年1月30日土曜日

「こなす」のではなく

セントラルパークの south edge にある銅像



冬休みが終わり、1月20日から春学期が始まった。
ただ、最初の2週間はクラスの 「ショッピング期間」 だ。この2週間で興味のある様々なクラスに顔を出し、どのクラスを取るのかを最終的に決める。自分も、さんざん迷ったあげく、期限ぎりぎりで最終決定をした。そして、今週から本格的に授業が始まったのだが、最初の週だというのに300ページほどのリーディングが宿題として出された。



それらのリーディングに埋もれながら気付いたことがある。
去年の自分とのメンタリティーの違いだ。



博士課程1年目だった去年、10年ぶりの大学院、英語での学びに慣れようと必死だった。読むのも書くのも遅いし、特に読むことに関しては、出された宿題を「こなす」ことで精いっぱいだった。



だが今は違う。このリーディングから何が学べるのだろうか、教授はここから何を教えてくれようとしているのだろうか、などと考えながらページをめくる。宿題は宿題とは思わず、教授たちが与えてくれている学びの機会だと思えるようになったのだ。



これはおそらく去年からできていたと思うが、授業での発表も余計な計算はしていない。特にマスターの頃は、成績のために発表をしていたように思う。今でも緊張をしたり、 「アピール」 という余計な意識が頭をよぎることがあるが、自分が本当に訊きたいことを質問し、試してみたい意見を放つように心がけている。



「自分は今、何を学べているのか」 という本質的な問いを前に、成績など何の意味も持たない。なにせ、自分はこの勉強に人生を懸けているのだ。スポンジのように学ぼう、そう思っている。





さて、ここらで今学期の授業ラインアップでも紹介しておこうか。

最初のクラスは Educational Policy Making and the Courts (教育政策と司法) というクラス。先学期も取った Professor Michael Rebell 先生の授業で、 Teachers College と Columbia Law School のジョイントクラスだ。 Rebell 先生は我が Teachers College の教授でもあり、現役の弁護士でもある。それもただの弁護士ではない。数年前には Campaign for Fiscal Equity (CFE) v. New York というニューヨークの裁判で、NY市の貧困地区のあまりにも乏しい教育資金の状況を訴え、NY州を相手取り $5.6 billion (1ドル100円としても5600億円) というお金を勝ち取った敏腕弁護士だ。このクラスでは、アメリカで近年目立っている、司法の政策への介入の是非を吟味する。州政府による政策がその州の憲法に違反する時、司法はどこまで介入すべきなのか。また、司法には政策に効果的に介入するキャパシティーがあるのか…、とそのような問題を討議していく。



二つ目は Educational Policy Analysis (教育政策分析) というクラス。 Professor Luis Huerta という、なかなか気合の入った教授が担当する。授業の申し込みが始まって15分で全ての席が埋まってしまうという人気のクラスだ。「かなり厳しい」という評判にもかかわらずそこまで人気が高いところから、 Professor Huerta の教授としての質の高さがうかがえる。このクラスでは様々な教育政策を分析し、自ら政策をシュミレーションしていく。特に policy writing のノウハウを教えてもらえるそうで楽しみだ。



三つ目は Living Justice, Teaching Justice: Studies of World Leaders as Visionary Teachers (正義を生きる、正義を教える: 明日を見据える世界のリーダーに学ぶ) という授業だ。マザーテレサ、ガンジー、ダライ・ラマ等、そうそうたるリーダーたちの視点から明日の教育を考える授業だ。教員時代の学びを振り返り、自分の哲学を深める機会にしたいと思っている。



最後に、 Professor Jay Heubert との independent study (個人授業) だ。1年前から何度も何度もやり取りを繰り返し、やっと実現にこぎつけた。 Professor Heubert も Professor Rebell 同様、 Teachers College の教授であると共に現役の弁護士でもある。話し合いの結果、 Legal Efforts to Promote School Reform (教育改革のための法的試み) というテーマで教えてもらえることになった。同じお金を払うのにこんなに贅沢な授業はない。きっとこの授業から何かが芽生えると確信している。



どのクラスも魅力的で、新しい学びを前に今、ワクワクしている。

2010年1月25日月曜日

Julie, Scott, & Littlefield



Littlefield のバーセクションには多くの
若手アーティストたちの作品が飾られている



  先週の土曜日、あるライブハウスで自分が所属する Curriculum & Teaching (C&T) のドクターの生徒たちと Teachers College の日本人学生の合同パーティーを行った。今回は友人やパートナー、家族も参加OKということにして、25人が集まってくれた。場所はブルックリンにある Littlefield (リトルフィールド)。マンハッタンから多少離れていることもあり、 C&T のデパートメントからお金を出してもらって、2台のバンで行くことにした。




 実はこの Littlefield というライブハウス、オーナーの二人は自分の結婚式にも来てくれた Julie と Scott だ。この二人がなかなか面白い。


Scott、Julie と。2009年のオープニングパーティーで。


 せっかくの宣伝の機会なので、パーティーも盛り上がってきたところで Julie に少し語ってもらった。



 Julie も Scott も元は環境エンジニア (civil engineer) だ。修士号まで持ち、この Littlefield を始める前はニューヨーク市の水源にかかわる仕事をしていた。 Julie は家計を支えるため今でもその仕事をパートタイムで続けている。

Littlefield の話をするオーナーの Julie


 数年前、 Scott は料理を作りたいという自分の情熱に気付き、環境エンジニアの仕事を続けながらフランス料理の学校に通った。そこを首席で卒業、 WD-50 というNYで最もおしゃれと呼ばれる創作料理のレストランに引き抜かれた。


今回参加してくれた同じ Teachers College のりえちゃんとゆりちゃん。



 そして、今度は Julie の長年の夢だったライブハウス立ち上げに二人で乗り出したのだ。これが軌道に乗れば、 Scott は料理の道に戻るのだという。



 この Littlefield 、環境エンジニアの二人が立ち上げただけに、しっかりとしたエコの哲学に基づいている。

 

 このライブハウスがあるのはブルックリンの中心地の外れにある Gowanus という倉庫街だ。昔は工業地帯として栄えていたが、今では使われていない倉庫が軒並んでいる。その工業地帯としての過去とサステイナブルな未来を融合したのが Littlefield だ。

Littlefield のある Degraw ストリート


 廃墟への入り口としか思えないメインエントランスを通ると、突然生きた緑が目に飛び込んでくる。青空の下、木があり、植物が茂っている。外とはまるで別世界だ。



 ああ、だから Littlefield というのだな、とゲストは名前の由来をここで悟るのだ。



 その中庭を抜けるとバーセクションがあり、ゲストたちは中庭を見ながら都会の疲れを癒せるようになっている。



 他にも様々な工夫がされている。例えばバーカウンターとテーブルは、使われなくなったボーリングアレーをリサイクルしたものだし、防音加工の壁は車の使用済みタイヤで作られ、電力は風力発電で賄われている。


オープニングパーティー

奥がライブスペースになっていて、なかなかの広さだ。
 

 

 Littlefield 立ち上げには、二人の家族や友人たちも深く関わっている。スタテン島で小さなコンビニを営む Julie の両親はなけなしの金を出し、 Scott の方ではテキサス州で建設業を営む彼の父親が直属の部下たちを引き連れて Littlefield の建設にあたった。多くの友人たちも彼らの夢を追う姿に賛同して出資している。



 僕が今回のパーティーを Littlefield で企画したのにもそんな理由がある。自分たちのキャリアもお金も親や友人の期待や信頼も全てを懸けて夢を追う二人を是非とも応援したかった。彼らの勇気は尊敬に値するし、成功して欲しいのだ。



同じデパートメントの仲間と
(おぶ紐に入っているはずの美風は友人に預けて…)


 最後に、このブログに何度も登場している Maxine Greene (マキシン・グリーン)教授は言う。本当の自由とは、誰にも左右されぬ自らの意志で己の人生を懸ける者のみが経験できるものである。

Littlefield NYC
http://www.littlefieldnyc.com/info/

ちなみに、Greenzの広美がやっているブログでも紹介されています。
http://greenz.jp/hiromi/tag/green-stores/

2009年12月31日木曜日

Beautiful Japan


中央本線藤野駅から見えるラブレター



 現在、朝7:57。中央本線高尾行きにて山梨県の大月駅を出発したところだ。たまたまリュックに入っていたノートパソコンを取りだしてこれを書いている。



日本に帰ってきてるの?と驚く人も多いかもしれない。そう、昨夜NYから帰ってきた。 それにしても、帰国の翌朝に山梨にいるのにはわけがある。



昨日、成田に着いたのは午後1時過ぎ。空港で携帯をレンタルし、それから成田エキスプレスに飛び乗った。車内では家族全員で爆睡してしまった。



新宿に着き、中央特快に乗った。目指すは武蔵境、妻の実家だ。いかにも海外から帰って来ました、というように周りには見えたのではないだろうか。4人家族の物が一式詰まった大きなスーツケース一つ、僕の背中にはコンピューターなどの貴重品が入ったパンパンのリュック、胸にはスリングに入って爆睡している美風、琴栄が押すベビーカーには2歳になったばかりの愛音が靴もはかずにガン寝していた。



運良く、乗った車両に優先席があり、座ることができた。重そうなリュックを気遣い、琴栄が、「リュック上に乗せたら?」と言ってくれた。やっと肩の荷も下りて、僕らは一息つくことができたのだ。あとは三鷹駅で各駅停車に乗り換えるだけ。もう少しだ。



乗り継ぎも順調で、三鷹駅に着いた時には既に向かいのホームで各駅が僕たちを待っていてくれた。さあ降りよう、と僕はスーツケースを持ち、琴栄はベビーカーを押して中央特快を後にした。 



ただ一つ、網棚のリュックを残して…。







気付いたのは妻の実家について、風呂にも入り食事をしていた時だった。目が乾いた妻が、僕のリュックに入った眼鏡を探したのだ。



「えー、無いわけないだろ。」

「 … 」

「あっ、電車!!」



僕ら二人の顔から血の気が引く音が聞こえた気がした。



「お金!」

「銀行の通帳!!」

「パソコン!!!」

「パスポート!!!!」

 「…、いや、パスポートは俺が持ってる。」

 「どうしよう。」

 「まずは電話だ。」

 「…どこに電話すればいい?」

 「JRの落し物センターだ。あ、東日本!JR東日本の落し物センター!!」

パニックだった。

落し物センターの係員と話すこと約5分。気持ちが動揺してリュックの色を説明するのさえままならない。



と、その時、空港でレンタルしたばかりの携帯が鳴った。

この番号はまだ実家の母しか知らない。

スクリーンに映し出される見慣れぬ番号…。

もしかしたら!

すぐに琴栄に渡し、そっちの電話に出てもらった。



「はい。え?はい、鈴木です。あ、そうですか。ありがとうございますっ!!」



リュックが大月駅にあるという電話だったのだ。

もし、あのリュックの中に借りた携帯の契約書が入っていななったら…、そう思うとぞっとする。



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電話を下さった駅員さんが、朝の9時まで大月駅にいらっしゃるという話だったので、直接お礼を言うために6:01武蔵境発の電車で大月に向かった。行きの電車、僕の心は晴れ渡っていた。



高尾を過ぎると、中央本線の景色は一変する。

ちょうど日が昇り始め、山間の町には朝霧がたちこめていた。幻想的だった。

相模湖を過ぎ、藤野という駅に着くと、ホームから見える山肌に大きなラブレターが描かれていた。いったい誰への手紙なのだろう。



 八王子から自分と一緒に中央本線に乗り換えた一人の青年がいた。

ドアを挟み、僕の反対側に座ったその青年は、ギターケースを持っていた。そして、窓の外の山々を見ながら缶ビールを飲んでいた。穏やかな表情で朝7時にビールをすするその青年は、どこか好感が持てた。これからどこへ行くのだろう。大晦日の今日だから、実家にでも帰るのだろうか。ビールを飲み終わった彼は、しばらくすると寒さを避けてボックス席に移っていった。しかし、すぐに思いだしたかのように、イスの下に置いた空き缶を取りに戻って来た。公共心の低いニューヨークでは考えられないことだ。みな、そこら中にゴミを捨て、通りも電車の中もゴミだらけだ。他の人のことを気遣うその青年のおかげで、僕の心はまた少し暖かくなった。



 電車に乗ること約1時間半、大月駅に着いたのは7:19だった。



大きな駅かと思ったら、何の変哲もない、いたって小さな駅だった。

心の底で別に改札を出なければお金を払うこともない、というせこい気持ちもあったが、恩がある人たちにそんなことをしてはいけないと思い、精算機に向かった。

精算をしていると、精算券が出た後に急に機械が止まった。お釣り切れらしい。20円だったし、そのために駅の方の手を煩わしたくなかったので、僕は走ってきた駅員さんに、お釣りは結構ですと告げて改札を出た。



 どこかお土産を買える店はないかと探したが、そんな朝早くからやっている店があるわけがない。仕方なく、駅近くのコンビニに入り、リポビタンD1ケース、肉まん10個、あったかい缶コーヒー5本と缶コーンスープを5本買って駅に戻った。



 窓口に行くと、先ほどの駅員さんが僕に気付き、小さなジップロックに入った20円を渡してくれた。戻るか戻らないかもわからない客のためにわざわざお釣りを取っておいてくれるなんて…。心がまた暖かくなったのを感じた。貴重品がたくさん入った僕のリュックをちゃんと取っておいてくれたのもわかる気がした。



 リュックのことを告げると、電話で話した方が出て来て下さった。お礼を言い、買ってきたものをお渡しすると、恐縮して受け取って下さった。



 帰りの電車、僕の心はポカポカしていた。NYでの苦い経験があったから尚更だった。2008年、大学院留学のために家族で渡米した時、航空会社の手違いでスーツケース2つが届かず、4日後に届いた時には、中の貴重品が全て抜き取られていたのだ。



 もし、あのリュックを忘れたのがNYの地下鉄の中だったら、発見された10分後にはストリートで全てさばかれていただろう。



 僕は、日本がますます好きになった。そして新年を前に、将来日本に恩返しをすることを強く誓ったのだった。

2009年12月24日木曜日

雪のニューヨーク


雪のコロンビア大学 





 振り返ってみると、今学期もなかなか激しい学期だった。あと1日続いたら、間違いなく両肘、両膝 ともに腱鞘炎(けんしょうえん)またはエコノミー症候群になっていただろう。そう意味では最後が48時間試験で良かったのかもしれない。おかげさまで、最後の試験も、時間制限ジャストである17:00に無事教授に送信することができた。教授も笑ってくれたに違いない。



 終わってからもう何日経ったのだろう。今日が12月23日だから、既に3日が経ったのだ。終わってから今までの時間は、ほとんど脳死の状態だった。家族と時間をたくさん過ごし、今まで(多少)我慢していたビールを昼間っから飲んでいた。そのうまいこと。今度ビールについて書いてみようか。未成年の諸君は大人になってからの楽しみとして読んでくれればいい。大人になってから飲む酒の方が絶対うまいのだから。



 さて、今回の48時間試験中、ニューヨークは大雪に見舞われた。初日、午後5時に配られる予定の試験勉強をしていると、午前中から雪が降り始めた。さらさらの粉雪で、中庭に降る雪が建物の壁に沿って舞い上がっていく不思議な光景に目を奪われた。


秋にこんな感じだった通りが、今は…





こんな感じ。

昼食をとりに外に出ようとした時には既に積り始めていて、仕方なく出前でチャイニーズを頼むことにした。そして、夜9時に図書館を出た時には、両足がすっぽり雪に埋まるほど積もっていた。自分のように天気予報をチェックしていなかった人もいたようで、中にはスリップして坂を上がれない車もいた。タクシーを止めるのにも一苦労だ。



Before






After



次の朝、しっかり4時間ほど寝て起きたら、外は真っ白だった。雪景色を楽しむゆとりくらいは持っていようと思い、雪のニューヨークをカメラに収めながら、学校への道のりを楽しんだのだった。








2009年12月11日金曜日

『来るはずのない春の到来を信じて』 ~ Part II ~

この前紹介した花たちを訪れるのが、僕の最近の日課になっている。

あの小さな花たちは、今日もちゃんと咲いていた。

仲間を増やして。

来るはずのない、暖かい春の到来を信じて。



その花たちを見ていて、一つ思いだしたことがある。

10月、産まれたばかりの美風に会いに、

琴栄の御両親がニューヨークに住む僕たち家族を

訪れた時のことだった。



自分の腕の中で安心しきって寝ている美風を見て、義父が言った。


     子どもの寝顔ほど平和なものはない




風に体を震わせるその花たちを見ていると

冬の寒さが余計に身にしみた。

2009年12月10日木曜日

太陽の恵み





以前紹介したコロンビアの神学校。
自分にとってのサンクチュアリーだ。






神学校にふさわしい荘厳な正門。
図書館3階のリーディングルームの奥には…










2つしか机のない秘密の部屋がある。
論文を書くときはだいたいここに来る。
中庭に面しているこの席からは、向かいの校舎で
練習する人たちのオペラの歌声が聞こえてくることがある。






 昨日、『私はなりたい』 で紹介した1年C組の子から1通のメールが来た。






「なんか恥ずかしいね~。でも私今でも変わらず太陽になりたいよ!」





 試験勉強のため図書館の奥にこもる僕にとって、心まで温めてくれる、太陽の恵みだった。

2009年11月25日水曜日

先日、ドキッとしたこと

11月に中旬にしては驚くほどポカポカした日だった。

みな薄着をし、紅葉と暖かい日差しを楽しんでいた。ランチに友達のケビンと会った。

神学校の中庭のベンチに座り、なんて気持ちの良い日なんだろう、と僕は彼に言った。すると、彼は笑みを浮かべてこう言った。



   「でも考えると怖いものがある。」



ケビンは、あれ見えるかといって中庭の真ん中に立つ木を指差した。

ほら、枝の先に新芽がつき始めているのが見えるかい?急に暖かくなったから、木が、春が来たと勘違いして芽を出しているんだ。



まさか新芽だとは思ってもいなかった僕は驚いた。

 

そんな僕にケビンは丁寧に教えてくれた。



寒さが来たらどうなると思う?芽は取れ落ちて、そうなった木は春が来ても芽吹くことはないんだ。



僕は恥ずかしかった。

2009年10月30日金曜日

報告

 

誰もいない図書館、朝の神聖なひと時。



 つい先程、12:00ジャストに無事論文を提出しました。

結局徹夜してしまったけれど、渾身の作品が書けたと思っています。

コレクションにまた一つ、自分のかけらが増えました。

みなさん、良いエネルギーをありがとう。

              Happy Halloween,

                 大裕