2009年8月31日月曜日

不登校から日本一



本校の校舎に飾られた横断幕。
写真は小関先生の良き理解者、関先生によるもの。


 今年の夏、小関先生の指導のもと、一人の女の子が中学校剣道女子個人の部で日本一になった。もともと不登校だった子だ。彼女は小学校の頃、担任の先生に算数ができないということでいじめられ、そのうち学校にも行けなくなった。彼女を支えたのは家族と、好きで続けていた剣道であり、剣道を本気でやれる学校環境が中学校に通うための絶対条件だった。そんな中、剣道の指導なら小関先生という評判を聞き、うちの中学校にやって来た。自分の学区からは程遠い中学校だった。


 日本一になるような子は、他の子にない何かを持っているのだと思う。それは必ずしも、ある競技における卓越した技術ではない。例えば、北島幸助を育てた平井コーチが、何故北島を育てようと思ったか。それは彼が水泳でほかの子どもたちから抜きんでていたわけではなく、彼の眼がギラギラしていたからだという。その女の子も、他の子とは違うところがあったのだろう。そして、それが小学校の担任には気にくわなかったのだと思う。どうしたのかと言うと、手なづけることもできずに、彼女の苦手だった算数の授業を利用して、彼女を潰してしまったのだ。不幸なことに、これは画一的な教育を行う日本の学校ではよくあること。出る釘は打たれるのだ。




 小関先生は、よく過激なことを言う。以前、こんなことを訊かれたことがある。


「もし、卓球の福原愛ちゃんがお前のクラスにいたとして、授業中に寝ていたらどうする?」


 普通の教員だったら、「注意する」 と答えるだろう。でも、小関先生は、「そのままにしておく」 と言う。


 周りの子が愛ちゃんが寝ていることに対して何か言ってきたらどうするのかと訊くと、「きっと練習でへとへとになってるんだから寝かしといてやれ」と答えればいいと言う。代わりに、起きた時に彼は愛ちゃんにいろいろ教えてもらうそうだ。練習のこと、普段の生活のこと、試合での駆け引きのこと、大会前のコンディション作りのこと、そして彼女の先生のこと。そのような彼女の体験談が、同世代の子たちに与える影響は計り知れないと言う。生徒のことも知らずに注意をしたり可愛がったりするのではなく、その子を見極めること、その子の良さを認め、その子が人生において勝負できる物を持たせることが大事なのだと教えてもらった。


 小関先生がおっしゃることは、すぐにはわからないことが多い。時間が経った今、愛ちゃんのケースを考えてみると、彼女のように日本や世界の第一線で活躍する子には、既に先生がいるということだと思う。自分一人の力でそこまでになるような子はどこにもいないだろう。やはり、誰か自分の才能を認めて、未知の可能性を信じてくれる人との出会いがあり、その人に完全に自分を委ねることで、子どもは一流になっていく。だから、もし愛ちゃんが自分のクラスにいたとしたら、彼女に 「教える」 ということは、彼女の先生に勝たなくてはいけないということになる。多くの教員は、そんなことも知らずに、勝ち目のない勝負に挑もうとする。世界クラスの子どもを育てる人間に勝る指導力を持つ教員が、全国に何人いるだろうか。残念ながら今の現場の状況では程遠い。ただ、いつか世界クラスの指導力を持つ教員を国が本気で育てようとする日が来て欲しいと願うばかりだ。




 話を今年の夏に日本一に輝いた女の子に戻そう。中学に入り、部活も学校も頑張る日々が2、3ヵ月続いたが、徐々に授業に出るのが辛くなり、毎日遅刻するようになった。特に数学の時間になると、「こんなこともわからないのか!」と他生徒の前でプライドを傷つけられることを極度に恐れ、教室に入れなかった。小学校の時の担任によるいじめが、彼女のトラウマとなっていたのだ。そしてとうとう、放課後の部活しか来られなくなってしまった。


 彼女が部活だけ参加するということについては、職員の間から様々な批判の声が上がった。学区外の子なのに特別待遇をして良いのか、甘やかすことになるのではないか、他の子に悪い影響を与えるのではないか。それを必死にかばったのは小関先生だった。彼はきっと、周りの教員に「自分が勝ちたいから」と思われていたに違いない。実際に、「そこまでして勝ちたいのか」と陰口を叩く教員もいた。


 我々教員は、皆、それぞれ正しいことを言う。子どもに嘘を教えてはいけないという職業柄、知らず知らずのうちに正しい答えを求めるように訓練されていくのだ。そう、子どもたちと同じだ。こうなったら、こうする。こう訊かれたら、こう答える。まるで正しい答えが書かれているマニュアルがあるかのようだ。その理由もわからないでもない。質問する生徒によって、与えられる答えが違ったり、生徒によって叱り方を変えては「不公平」だからだ。ただ、普遍的な正しい答えが(そんなものがあるとするならば)必ずしもその瞬間の真実を貫いているとは限らない。一般的には「正しい」答えが、その瞬間、目の前の子や周りの子どもたちのためになるとは限らないのだ。


 周りの教員がその子の扱いに対して言ったことは皆正しい。確かにあれは特別扱いであったし、普通にいけば甘やかすことになっていただろうし、他の子の影響も考慮しなければならなかった。しかし、誰がその子の今までの経緯を詳しく知った上で、その子の将来を考え、心から救おうと考えていただろうか。少なくとも、その子の面倒を全てみる気持ちでいたのは小関先生だけだった。結局、周りに対する悪影響も特に見られず、一人の生徒を本気で救おうとした小関先生の熱意が、周りの子たちにも伝わった形となった。そして、また不登校になってもおかしくなかった子が、中学生日本一になったのだ。


 小関先生は、一人一人の生徒に全く別のことを言い、応対もまた違う。その生徒、その状況、その生徒との信頼関係、その生徒の指導の経緯、はてはその瞬間によって、求めるものが変わってくるのだ。授業中、一人の生徒があることをして褒められたのに、次に別の生徒が同じことをしても叱られたりする。「差別だ!」 言われると、「ばかやろう、これは区別だ!!」 と言い返す。生徒たちはそんな小関先生が大好きだ。





 不登校だったその子が日本一になった時、一人の教員が小関先生にこう言ったそうだ。


 「どうやったら日本一になれるんだよ。一年生の時に授業出ねーで、部活だけやってればいいのか?」


 その人は、そんなに簡単に日本一になれると本気で思っているのだろうか。残念ながら、「部活だけやっているから当たり前」 と言ったり、彼女のちょっとしたミスを見つけては、「日本一になったからって偉いと思うな」 と陰口を叩きそうな教員も、中にはいるのではないかと思ってしまう。だがそうではない。部活だけやっているから勝てるというものではない(実際に彼女は、二年生になって休まず授業も受けられるように成長した)。


 それに何よりも、日本一 は 「偉い」 のだ。彼女は今後、どんな道に進もうとも、どんな仕事に就こうとも、間違いなく生きていけるだろう。文科省が目指す 「生きる力」 を彼女は既に身につけているのだから(実は文科省が提案することは、元々のアイディアは間違っていないことが多い。方法論が伴っていかないのが玉に瑕だ)。彼女がここまで来るのにどれだけの苦労があったか。どれだけの壁を乗り越えてきたか。友達と遊ぶ時間も削り毎日練習をし、自分の弱さと向き合うことを強いられ、けがを乗り越え、生活の全てを剣道に捧げ、決勝のセンターコートで戦う自分の姿を何千人が凝視する中で力を発揮する器を身につけ、常に反省すること感謝することを10代前半で学んだのだ。実にあっぱれである。


 県大会で個人優勝を果たして全国大会出場を果たした彼女が、団体では力を発揮できずに関東大会で涙した。その後、何が彼女の中で変わったのか、小関先生に訊いてみた。すると、自分がチームメイトや家族やあらゆる人々に支えられ、みんなの想いを背負っていることに気付いたのだと言う。全国大会の初日に、落ち着いた表情で彼女がこう小関先生に言ったらしい。


自分はこの中で一番弱い。でも、みんなの想いを背負って一生懸命やってきます。


 不登校だった彼女がそこまで成長したのか、と心が震えた。そして、小関先生が目指す、「一流の生徒を育てる教育」 の真髄を見せて頂いた気がした。

「自由」について




 Kaoruさんが『失うものは何もない』のコメントに書いてくれた、Maxine Greene(マキシン・グリーン)の言葉をピックアップしてみたいと思う。



「自由とはパンを選ばないこと」



 非常に彼女らしい言葉だと思う。Maxine Greeneは、日本ではあまり知られていないが、現在アメリカのアカデミアで活躍する教育者の多くに、今なお影響を与え続けている教育哲学者だ。今では一人で歩くこともできないほどのお婆さんで、90歳代だと思われるが、今でも僕とかおるさんが勉強するコロンビア大学のTeachers Collegeで授業を教え、TCの学生や教授たちの間では、Maxineとファーストネームで慕われている。そして今年の春、彼女の自宅で教えられる授業を二人で受け、大いに感動した。

 自分の中では、「自由」とは「失うものは何もない」という人生に対するメンタリティーであり、「変わることができる」人間の器だという、二つの考えがあったが、それらが今回のかおるさんのコメントでつながった思いがした。

 アメリカを代表する教育哲学者、John Dewey(ジョン・デューイ)は言う。 我々は自由だ。
ただそれは、生まれつきの自由なのではなく、「我々が変わることができるから」だと言うのだ。(We are free “not because of what we statically are, but insofar as we are becoming different from what we have been.” Philosophies of Freedom, 1928, p. 280.)では、この「変わる」というのはどのような変化を表しているのか。Maxineは、「解放されること」(breaking free)と「打ち破ること」(breaking through)を区別しつつ、次のように解釈する。人間は、個人では真に変わることはできない。何か変えなくてはならない関係、法律、体制、社会などが存在する時、本当の意味で変わるということは、それらから自分だけが逃れ解放されることではない。何にも左右されない自由な意志で動く人々が、人との絆(connectedness)やコミュニティーとしての結束(being together in the community)を通して、その好ましくない状況を打ち破ること、新しい何かを創造することこそが「自由」だ。それこそがPaulo Freire(パウロ・フレイレ)が言う、世界を名付ける(to name the world)ということであり、そのためには命までも懸けなければならない。

あなたは、どんなに新しく、素晴らしい世界が可能なのか考えもせず、他人が名付けた世界の奴隷となりつつも、今日自分が口に入れるパンを選べるということを「自由」と呼ぶのか。

Maxineが言いたいのはそんなことなのではないだろうか。


(Maxine Greeneに興味がある人には、彼女の著書、The Dialectic of Freedomをお勧めする。)


2009年8月30日日曜日

君たちに伝えたいこと ~「夢」について~ 1999年作

自分が教員になる前、まだ通信教育で教職課程を取りながら留学予備校で夜教えていた時、当時の生徒たち、未来の自分の生徒たちに宛てて書いた、「君たちに伝えたいこと」というエッセイシリーズがある。この場を使ってシェアしていきたいと思う。26歳の時のものだ。

僕は長い間、学生をやってきた。高校2年生の時アメリカへ留学し、1年半余分に高校生をやった。向こうの高校を卒業後、そのままアメリカで大学へ進学した。4年後に卒業、日本に帰ってきたが、翌年には大学院進学のため、再びアメリカへ飛び立っていた。そして今は語学学校で英語を教えながら、日本の中学、高校の英語教師の免許を取得するために、通信教育で教職課程を履修(りしゅう)している。

時々考えることがある。俺は今まで何を学んできたんだろう?学んだことはたくさんある。本から学んだこと、見て学んだこと、聞いて学んだこと、触れて学んだこと、自分を表現して学んだこと、そして感じて学んだこと。ただ、そのいずれも形を残していかなかった。しかし、それらすべての中で生まれてきたもの、それは僕の理想主義だと思う。この理想主義こそ、自分の財産だと胸を張って言えるものだと思っている。

何を言ってるんだ、と思う人もいるかと思う。当然のことだ。何故なら理想主義はよく、「現実」から目をそらした中身の無いものと思われているから。だけど僕は、理想主義を「無」ではなく、常に前に進もうとする「意志」、「力」だと思っている。理想だけで何が出来るか、と口にする人がいる。逆に問い返してみたい。理想なしで何が出来るというのか?ミヒャエル・エンデの『サーカス物語』の中に僕が大好きな言葉がある。王子様のジョジョは悪の女王アングラマインに対してこう言う。
「おまえどうやら自分の知らないものには価値をみとめたくないらしいな。幻想なんてほんとは存在しないって思ってるんだろ?きたるべき世界は幻想からしか生まれない。みずからつくりだすもののなかでこそ僕らは自由なのだ。」p.192

僕は理想主義の真のエッセンスは、現状に目をつむるなどと逃避的なものではなく、積極的に信じることにあると思う。信じることとはどういうことか。一つには、理想の実現を信じること。そしてそれは同時に、未だそれが実現され得ない現状に、前進の可能性を見出し、それを信じることでもある。そのために現状真っ直ぐに見つめることは不可欠で、その点で理想主義はリアリズムの要素を含んでいるとも言える。そして人間が、ある理想を信じて止まない時、その実現を欲して止まない情熱が生まれる。更にこの情熱は、理想の実現をただの願望として終わらせないために、努力、実践として形を成していくのだ。僕はこのような実践主義こそが真の理想主義のかたちだと思う。

確かに口ばっかりの甘ったれた理想主義者は多い。彼らは大きな夢を持っていながら、そのために何の努力もしない。まるで、自分の思い描く未来がある日突然やって来るかのように思っているのだ。未来はプレゼントされるものでもないし、そんなに遠くにあるものでもない。それは行動によって自分の手で造り出すものだし、今日の延長にあるもの。今日を生きずしてどうして未来の計画を立てることができようか。

ちょっと考えて欲しい。今の自分も、10年前の自分から見れば「未来」であった筈。現在を過去との位置付けにおいて見つめる時、人は現実化された未来を見つめているのだ。未来なんて、そうやっていつの日か振り返る「今」の積み重ねに過ぎない。だから、夢が大きければ大きいだけ、今やらなくてはならないことがたくさんあることを知っておいて欲しい。夢を持つということは、今という瞬間を精一杯生きることなのだ。ミヒャエル・エンデの『モモ』に登場する道路掃除のベッポ爺さんの言葉がこれを良く表している気がする。

「なあ、モモ、とっても長い道路を受けもつことがよくあるんだ。おっそろしく長くて、これじゃとてもやりきれない、こう思ってしまう。
「そこでせかせかと働きだす。どんどんスピードをあげてゆく。ときどき目をあげて見るんだが、いつ見てものこりの道路はちっともへっていない。だからもっとすごいいきおいで働きまくる。心配でたまらないんだ。そしてしまいには息が切れて、動けなくなってしまう。こういうやりかたは、いかんのだ。
「いちどに道路ぜんぶのことを考えてはいかん、わかるかな?つぎの一歩のことだけ、つぎのひといきのことだけ、つぎのひとはきのことだけを考えるんだ。いつもただつぎのことだけをな。
「するとたのしくなってくる。これがだいじなんだな、たのしければ、仕事がうまくはかどる。こういうふうにやらにゃあだめなんだ。
「ひょっと気がついたときには、一歩一歩すすんできた道路がぜんぶ終わっとる。どうやってやりとげたかは、じぶんでもわからん。
「これがだいじなんだ。」             pp.48-49

僕は大学生の頃からずっと、将来、日本の教育を改革しようと思ってきた。これは単なる願望ではなく、来春から教師として学校に入ることが決まった今は、特に本気で考えている。こんなことを疑いもせずに考えられる自分は、「根っからのバカだな」と、あきれて苦笑いがこみ上げてくることもよくあるが、同時に嬉しくもある。今、何か出来るんだ、やりたいんだ、と思える自分を幸せに思う。中学時代、司馬遼太郎の『竜馬がゆく』に、はまったことがある。自分の命を賭けてまで自分の信念を貫(つらぬ)こうとする竜馬の姿に、なぜそこまで熱くなれるのかと憧れた。そして、今、僕の情熱を君たちと分かち合えたらと思う。

僕の信じる力は、自分に対する自信に支えられている。でもそれは、今がどうだから、何をしたから、どこの学校に行ったから、というような結果から来ているものではない。自分が今までしてきた努力が僕の自信につながっているのだと思う。16歳で単身アメリカへ渡ってからというもの、高校、大学、大学院と、本当に良くやったと、胸を張って言うことができる。僕が行った高校では、普通の成績と努力の成績の2種類で生徒の評価が下された。僕にとっては後者が最も重要で、努力点で最高のExcellent(エクセレント)をもらえなくて先生に文句を言いに行ったこともあった。また、大学、大学院では、卒業の節目に大きな論文を一つずつ書いた。書き上げるために、いく晩徹夜したことか。クラスの後、食事をはさみながら夜11時くらい迄は自分の部屋で本を読みあさり、それからキャンパスのコンピューターセンターに向かう。そして朝まで執筆する。6時、町のベーカリーの開店に合わせてコンピューターセンターを出て、そこで朝食を取って仮眠を取りに部屋に帰る。そんな毎日だった。そうして書き上げた論文は、今でも開く度に顔が自然と優しくなるのが自分で分かる。僕は大学で、その論文を書くことによって成績優秀者で卒業することができたのだが、そんなことは今の僕にとって大して重要ではない。本当に後に残るものは、そのような結果ではなく、一生懸命さの記憶なのだ。「寮から大学のコンピューターセンターまでのあの並木道へいつか連れてってあげるから。」僕の愛する人とそんな約束までしてある。




今まで、次々と目標を決めてはいつも全力で挑んできた。だからこれからも新しいことに挑む時は、自分の持ってるものを全部出し切れば、その結果、達成することができるだろうと信じている。逆に、人が何か目標を持って、それに向けて全力を出せなかった中途半端な経験は、どんどんその人の自信を蝕(むしば)んで行くのだ。また、僕だって不安になることはしょっちゅうある。でもそんな時は、とにかく行動することにしている。何もしないで不安でいることほどバカバカしいことはない。安心なんて勝手にやって来るものじゃない。行動によって自分でつくりだすものだと、そう思っている。

今まで、夢を諦めて、いつのまにかつまらない人間になっていく友達や生徒をたくさん見てきた。僕の周りにたまたま元気の良い女性が多かっただけかもしれないが、特に男にとっては、就職をする時が夢の終わりとなるケースが多いようだ。本当に人生を賭けてやりたいことがあるにもかかわらず、あるいはそれも分からないまま、多くの若者が自分にとって何の興味もない会社に就職する。そのうちに自分の夢なんて忘れてしまい、「現実」とか「運命」とかいう言葉を言い訳として使い始める。それだけでなく、自分自身を納得させるために、かつての自分のような若者を見つけては、「現実を見ろ」だの、「甘い」だのと忠告をつけたがる。

「現実」。あまりにも多くの人々の破れた夢を一身に背負う、どこか悲しい響きを持つ言葉。

僕の大好きな本、パウロ・コエーリョの『アルケミスト』にこんなシーンがある。
“What’s the world’s greatest lie?” the boy asked, completely surprised.
“It’s this: that at a certain point in our lives, we lose control of what’s happening to us, and our lives become controlled by fate. That’s the world’s greatest lie.”
「世界最大の嘘って何?」とても驚いて少年は訊いた。
「それはな、我々はある日を境に人生のコントロールを失い、運命によってコントロールされるようになるということだよ。それが、世界最大の嘘だ。」(p.20)

僕は、誰もが総理大臣になろうとか、日本を変えようとか、他人にできない夢を持てばいいなんて思っていない。会社員として、会社の成長に貢献することが夢という人もいるだろうし、結婚して子ども達を立派な人に育て上げることも、ものすごく大変な夢だと思う。重要なのは、他の誰に決められるのでもなく、自分自身が1つの夢を選び、それを積極的に追求することだと思う。それは自由に生きること、そして自分の人生に責任を持つことを意味している。その道を選んだのは自分なのだから、「本当はやりたくなかった」などという言い訳は効かなくなるし、反対に、あっちを選べばよかったと悔やんでも、自らの失敗に納得し、「ちくしょーっ!」と苦笑いで次の一歩を踏み出すことができると思う。サラリーマンを辞めてシンガーの道を歩んだコブクロの小渕健太郎が、『轍』という曲の中でこう歌っている。「こんなに強い自分がいることに気付いたのは、この道が誰でもない自分で選んだ道だから。」

自分を信じて。君たちならきっとできるよ。


文・訳責 鈴木大裕

失うものは何もない

野球部の生徒たちと
この代を境に、多くの選手が高校でも野球を続けるようになった。


 「渋い」 と言われるかもしれないが、僕が生まれて初めて自分のお金で買ったCDは、高校生の時に買ったJanis Joplin(ジャニス・ジョップリン)のベストアルバムだ。

Me and Bobby McGeeという曲の中に僕が好きな歌詞がある。
“Freedom's just another word for nothing left to lose.” 
日本語に訳せば、「自由ってのは、言い換えれば失うものが何もないということ」 といった感じだ。自由奔放な人生を送ってきたジャニスがこの一節を酒臭そうに歌うのがまたかっこいい。

この、一見、無責任そうで自暴自棄っぽい 「自由」 について考えさせられたことがある。自分が教員を辞めると決めた時だ。

大好きだった教員の仕事を辞め、新しい一歩を踏み出そうと決意した最後の一年、僕は今までに感じたことのなかった自由を感じていた。その一年、今考えるとたくさん無茶なことをした。正直、クビになることなど恐れていなかったのだ。最後にどんな仕事をし、生徒たちに何を残すのか、そればかり考えていた。生徒間の人気、親からのクレーム、上司受けなど、打算的なことは一切考えず、自分の信念のみを頼りに仕事にあたった。

初めて、自分が真っ直ぐになれた気がしていた。

先ほど、「一見、無責任そうで自暴自棄っぽい」 と言ったが、この自由は、背負うものが何もない状態を指しているのではないように思う。

逆に全てを背負って勝負することを意味しているのではないだろうか。

それは力強い決意であり、いさぎよさだと思う。
ある時、小関先生に訊かれたことがある。

何故、剣道では20代の若者が60代のおじいさんにかなわないのだと思う?

彼の答えはこうだった。

剣道とは本来、真剣を使って勝負していた侍の道。

生きるか死ぬかの戦いで、「いつ死んでもいい」 と思っている老人に、20代の若者が勝てるわけがない。

血圧が異常に高いのに大酒を飲む小関先生が、酒を飲みながらよく言う言葉がある。

    「我が人生に悔いなし」

そう言い切る彼の生き方にずっと憧れてきた。

ニューヨークという新天地にて、自分の愛する家族、生徒、先生、全ての想いを懸命に背負って勝負しようと思う。

自分はベストを尽くすのみ。結果は天のみぞ知る。

2009年8月27日木曜日

教員のモラル低下について

 現場のことを思い出していたら止まらなくなってしまった。ニューヨークにいても毎日のようにインターネットのニュースで教員の不祥事が報道されている。「またか」と思わされる。それは、そのような問題を起こした教員に対する同情であると同時に、それに何の疑問も持たずに書き立てるマスコミに対する憤りでもある。当事者である教員のことを思うと、心から哀れに思う。きっと彼(ほとんどのケースが男性だから)は、彼を人生の師と慕う生徒を持てなかったのだ。生徒の想いを背負って生きている教員にはそんな無責任なことはできないから。マスコミや、そのような報道を短絡的に受けて教員叩きをする政治家や役人には、疑問を持って欲しいと感じる。

 何故、多くの教員がそのような犯罪を起こすのか。生徒に対するわいせつ行為などの教員による不祥事が考えられなかった時代とは、いったい何が変わってきているのか。

 どうしてこのような疑問が生まれないのか、逆に不思議に思う。今の世の中、教員に対する不信感の高まりから教員の締め付けが強化される一方、良い学校、良い教員の目安は生徒の学力だけで判断され、学校の教員より塾の講師がレスペクトされる風潮がある。「勉強は塾でやりなさい」と平気で子どもに言う親もたくさんいる。そのような現状で、教員の自尊心やモラルが低下しないわけがない。精神病で学校に行けなくなる教員、1年も持たずに教員を辞めていく新任教員の数が増え続けるのも、決して不思議なことではないように感じる。

 教員の不祥事が今日のようにセンセーショナルに取り沙汰され、「教員なのに」と言われる裏には、ある前提があるように思う。
             
                       「教職」 = 「聖職」

 
 今においては、この方程式は幻想に過ぎない。自分が真に聖職に就いているという自覚を持つ人間が、教え子たちの信頼を裏切るような行為をするだろうか。聖職者としての扱いも受けていない者にその責任感を求めるのは空虚だ。後を絶たない教員の不祥事を止めたいのなら、教員を締め付けるのではなく、彼らに生徒を持たせることだ。

 98歳で亡くなった国語教育者、大村はまさんが亡くなる一週間前に残した最後の詩が思い出される。『優劣のかなたに』という詩だ。その最後をこう締めくくっている。

           学びひたり
           教えひたろう
           優劣のかなたで

 今、この歳になって学生に戻った者として痛感するが、生徒にとってこれ以上ない贅沢は学びひたることであるし、人間の教育を志し、教壇に上がった人間にとってこの上なく贅沢なこと、それは教えひたることだ。そして、そのような環境を設定することが、政治家や役人の本当の仕事なのではないだろうか。

2009年8月26日水曜日

「管理」の再構築(Reconceptualizing “control”)

チェコ人のJana、カナダ人のJamieと


 せっかくコメントを頂いているので、一つピックアップしてみたいと思う。AKIさんのコメントでこんな文があった。

「免許更新講習より、十年に1度、1年間の休暇与えられた方が、よっぽど有意義な時間になるのでは。」

非常に面白いと思う。自分も、日本の公立教育における一年間のsabbaticalの導入を考えたことある。アメリカの公立学校では導入されているかどうか知らないが、少なくとも僕が通ったニューハンプシャーのHolderness Schoolでは、数年に一度、教員にはsabbaticalが与えられていた。教員が一年の有給休暇をとり、その間に自分自身の学びを深める。これはとても大事な視点だと思う。結局は、国が子どもの育成にどこまで本気になれるかだと思う。子どもの成長に何を期待するのか。そのための学校教育に何を求めるのか。どんな器を持った人物を教員に求めるのか。そのような教員を育てるために、国はどこまで力を入れる覚悟があるのかにかかってくると思う。それとも国は広がる格差の存在を知りつつ、次世代の教育を個人任せにするのだろうか。
 
 昨年出会った論文の一つにRichard ElmoreのComplexity and control(Elmore, R. F. (1983). Complexity and control: What legislators and administrators can do about implementing public policy. In L. Shulman & L. Sykes (Eds.), Handbook of teaching and policy (pp. 342-367). New York: Longman.)という大事な論文があった。その中で彼は、教育の存在意義は、個人の選択を取り締まることより教育というサービスを提供することにあり、教育に関する様々な公的機関を規則で管理することよりも、それらの機関のキャパシティーを改善しサポートすることが大事であると述べている。彼が提唱しているのは、hierarchical control(階層的、抑圧的管理)からdelegated control(委任的管理)という教育における「管理」の在り方の再構築だ。彼は言う。教育の質改善のためにどれだけ上が色々計画したところで、最終的には末端の教員がどのような働きをするかによって勝負が決まる教育において、全てを管理しようとするのはナンセンスだと。

その通りだと思う。どれだけ文科省から新しい政策が出されたところで、結局閉ざされた教室の中で何が行われるのかは、その教室を受け持つ教員しだいだし、それを無理やりこじ開けようとしても、教員の中に残されるのは、「信用されていない」という上に対する不信感と反発心だけだと思う。だったらどうして、信頼して、教育という聖なる営みを教員に委ねないのか。どうして、お役人たちが、親たちが、その他の国民が全てを委ねられるような、大きな器をもった人間を教員として育てないのか。

今でも小関先生が昔言っていたことを良く覚えている。校長が変わった時だった。間もなくすると、その校長が小関先生を管理し始めた。遠征ではどこにどうやって何人が行き、いくらかかるのか…。

「ばかだよねぇ。俺なんて単純だから、一つ信頼してもらえれば何だってやるのにな。」

Elmoreが言わんとしていることは、そういうことなのだと思う。人を管理して、人は育つのか。人を育てる教育の場で、どれだけ上からの管理が横行しているか。どれだけその「管理」を可能にするために教員の大事な時間が奪われているか。「こんなことに時間を割くくらいだったら、もっと生徒と一緒にいさせろ」と何度思ったことか。思い出すだけでも腹立たしい。政治家よ、教育の場において、真の管理とは委ねることであり、育てることである。

2009年8月25日火曜日

小関先生 3 ~ 一瞬に永遠を見出す ~

 部活なしに小関先生を語ることはできない。

彼は素晴らしい数学と体育の教師であるとともに、毎年、県、関東だけでなく全国大会にまでチームを導く、剣道界でも有名な監督だ。つい先日、彼の生徒が女子個人の部で全国制覇したばかりだ。そのことについてはまた日を改めて書こうと思っている。

彼が部活を好む理由の一つは、勝ち負けがはっきりしていること。そしてその勝ち負けが彼自身の進化を支えているのだ。 
 

彼の口癖がある。

     「勝って反省、負けて感謝。」

どれだけの人が、この言葉の真価を理解できるだろうか。

小関先生自身、現代に生きる侍のような人だが、その言葉には、剣の道を守り続けてきた侍の在り方が映し出されているような気がする。

それは、生と死のぎりぎりの狭間で勝負する侍の謙虚さであり、自分の手によって倒れた相手に対する敬意でもある。勝って自分の至らなさを振り返り、負けて自分の弱さを教えてくれた敵に感謝する。そしてまた次の闘いに向け準備するのだ。

反省と感謝に支えられたこの終わりのないサイクルは、その瞬間に自分が何をすべきか教えてくれる。それは、一つひとつの行動、言葉、そして呼吸に意味を見出すことである。

このような己に対する意識の極みは、自分が高校時代、Walker先生の英文学の授業から学んだことに通ずるものがある。

それは一字一字、一瞬一瞬に意味、そして永遠を見出すことだ。

2009年8月24日月曜日

小関先生 2 ~狂い始めた計画~

野球部の生徒たちと


 小関先生との出会いが、教員になる前に立てた計画を一つずつ狂わせ始めた。
 
中でも一番大きかったのが、スパイとなって研究者の客観的な目で現代の子どもたちと教員を観察することだっだ。

教員の仕事にこんなにはまるとは思ってもいなかった。子ども達と教員の仕事に頭からどっぷりとつかり、客観性と呼べるものは全て失ってしまった。

教員でいるのも、最長でも3年と思っていた。その後はまた大学院に戻るつもりだった。結局、区切りをつけるのに7年近くもかかってしまった。

また、自分が思い描いた教員像はこうだった。いつもスーツをきちんと着てクールな英語教師…。

現実には、常にジャージを着て休み時間には男子生徒とサッカーをしている、野球部の熱血顧問だった。一年中真っ黒に日焼けしていたので、2年目からは、他の学校の教員からは体育の教師と間違えられるようになった。

他にも、夜と週末は自分の教育の勉強にあてるつもりだった。実際には夜は野球の勉強、練習メニューの作成、選手に書かせたノートや作文などの添削などにあてられ、週末の時間は練習と試合にあてられた。

小関先生の、「朝一番に学校に来て、最後に門を閉めろ」 という教えを守り、朝6時半に登校、家に帰るのは夜10時をまわる生活が続いた。

(続く…)

2009年8月21日金曜日

小関先生 1 ~先生との出会い~

 「なんで教員になったの?」
 

 この一言で僕のスパイとして学校に潜伏する計画は音をたてて崩れ去った。

3月末の日曜日、4月から働くことになった中学校を訪れた日だった。

がらんとした学校を案内してくれていた校長先生が初めて紹介して下さった教員が小関先生だったのだ。

5分前に会ったばかりの人間から、そのような核心を突いた質問が来るとは予想もしていなかった僕は、ひるんでしまった。剣道で言えば面を打たれた気分だった。

剣道場の控室の畳に二人向き合って座り、外では彼の指導する剣道部が沈黙の中、足さばきの練習に打ち込んでいた。控室の空気は一気に緊張した。

僕は、逃げられないと感じると同時に、彼が単なる興味本位で訊いているのではなく本気であること、彼には本当のことを言えそうだということを本能的に感じていた。

僕は全てを話す決意をした。

16歳の時から一人でアメリカに留学をしていたこと、ニューハンプシャーの高校で経験した教育が自分の人生を変えたこと、それがきっかけで日本の教育に疑問を持ち始めたこと、いつの日か日本の教育改革に携わりたいと思うようになったこと、大学院からいきなり学者になるのではなく、日本の教室では実際に何が起こっているのかを自分の目で観ておきたかったこと…。



どんな答えが返ってくるのだろうとドキドキしていたら、また驚かされた。


「なかなかいいセンスしてるよ。」


2009年8月20日木曜日

人生の先生

Norman Walker 先生と奥さん(ちなみに、彼は詩集も出版している。)


 Tuesdays with Morrie(邦題『モーリー先生との火曜日』)という本の中で、Mitch Albomがこう尋ねている。
 
 
 「あなたには本当の先生がいますか。知恵で磨けば誇らしい輝きを放つであろう宝石の原石をあなたの中に見つけてくれた人が?」
 
 
幸運にも、自分にはそんな人生の先生が二人いる。


 最初の先生は、16歳の時、初めての留学で出会ったニューハンプシャー州の高校の英文学教師、Walker先生だ。彼は自分が日本で出会ったどの先生とも違っていた。それは、彼がアメリカの高校生をも圧倒するくらい大柄で、ニューイングランドで有名なアメフトのコーチだったからではなく、彼が求めたのは、暗記よりも自分で考えること、用意された答えよりも僕だけの真実だったからだ。

「俺は今、生まれて初めて学んでいる。」 

彼と会ってそう気づいた時のことを今でも鮮明に覚えている。
 Walker先生は厳しく、生徒から常にベストを求める人だった。僕は決してそれが嫌ではなかった。彼の教えに対する姿勢は、その教室で僕たちが格闘していることが、この世で最も重要なことだと思わせてくれた。また、彼が僕に言葉の大切さを教えてくれた人でもある。今、これを書きながらも、ああでもない、こうでもないと、真実を伝えるために言葉に迷う自分がいる。

どんな言葉を選び、発するのかがその人物の人間性を物語る。そして、次の言葉を選ぶのに最善を尽くした時、我々はその一瞬に意味を見出すことができる。我々はそうして各々の人生を綴っていく。

Walker先生が教えてくれたのはそんなことだった。

 たった数行の文章を書くのに幾晩徹夜したことだろう。彼に認めてもらい、自分がやっていることは間違っていないと知ることが、自分が存在する意味さえ教えてくれるような気がしていた。彼から容赦なく投げかけられる批判からは自分が期待されていることを知り、時折頂いた賛辞からは、僕でさえこの世に貢献できる大事な何かを持っている、そう思わせてくれた。Walker先生との出会いが、僕に教育の道を選ばせたのだ。

 二人目の先生は、教員になってから出会った恩師、小関先生だ。彼からはここで語り尽くせぬ程のことを教えて頂いたが、そんな中でも、教えるということ、愛するということ、先生になるということの意味を教えて頂いた。

自分が生徒たちと分かち合いたい人生のレッスンはいくらでもある。でも、それら全て、一つのことに集約できるように感じる。

人生の先生を持つことだ。

それがどれだけ幸せなことか。

以前、生徒がいるからこそ頑張れると書いたが、その生徒を持たせてくれたのは、自分の二人の先生だ。人生の先生とは、頑張るためのモチベーション、無知な自分に対する謙虚さ、知らないことに対する敬意とそれに挑もうとする勇気、自分の未知なる可能性に対する前向きな姿勢、責任、そして愛、それら全ての源となる。

教員として、自分が目指したのはそんな人生の先生であるし、いつの日かそうなりたいと今でも願っている。

2009年8月19日水曜日

夏休み子育て日記




 昨年一年で経験させて頂いたことで感謝したいことは山ほどある。その一つが学生をしながらの子育てだ。
 僕にはもうすぐ20カ月になる娘がいるが、NYでは日本にいた時とは比べ物にならないほど多くの時間を一緒に過ごせている。日本での教員時代、平日は朝5時起床、9時帰宅、11時就寝の生活を送り、週末も部活でほとんど家にいなかった。それがこちらでは、ほぼ3食、家族と食事を共にしている。朝8時頃、娘に起こされ起床。朝食の後図書館に勉強に行く。12時頃、昼食に合わせて帰宅。1時半頃にまた図書館に戻る。夜の授業がない時は6時に帰宅。娘をお風呂に入れるのは僕の役目になっている。そして8時半にはまた図書館に戻るという生活だ。帰りは夜中の2時をまわることがほとんどだが、それでもなんて贅沢なのだろうと思う。日本では父親が子どもと過ごす時間があまりにもない。三つ子の魂百までというが、発達学的にみても、この大事な時期に子どもと係ることがどれ程必要なことか。

 何にせよ、教員時代には相当寂しい思いを妻にも子にもさせてしまった。今、その穴埋めしている最中である。現在、音楽療法師である妻が、連日コンフェレンスの通訳をしているので、家事と娘のケアは僕の仕事だ。学期中はNYに住んでいながらどこにも行かなかったので、絶好の機会と思い、毎日娘と遠足をしている。セントラルパークのプール、世界最大級のゴシック教会であるセント・ジョン・デバイン大聖堂、そして昨日は自然史博物館に行った。そこでは、恐竜の化石を初めてみたり、世界有数のプラネタリウムを体験したり、彼女にとって刺激的な一日だったようだ。この時期に、彼女が生まれ落ちたこの星と、そこに住む人々の美しさを一緒にシェアできればと思う。さあ、今日はどこに行こうか。

2009年8月9日日曜日

納得の一年

      コロンビア大学のメインキャンパス


 時間がある夏休み中になるべく更新しておこうと思う。

 博士課程一年目を終えた今、この一年を振り返ってみたい。『最初に…』でも書いたが、10年ぶりの留学は、勉強に対する姿勢そのものが違った。約7年間務めさせて頂いた教員の仕事を辞め、将来の保障も何もないまま渡米した昨年、心に決めたスローガンは、「失うものは何もない」だった。

 このメンタリティーが功を奏して、最初の授業からガンガン発言、質問することができた。

 間違えを恐れず、見当違いなことを言って笑われても構わないと思っていた。だから、教授が言ったことで分からない時には、「分からない」と言えたし、授業中のディスカッションが、自分の考えていることとは反対の方向に流れていた時には、「でも、…という考え方もあるんじゃないの?」と異議を唱えることもできた。大事なのは、人にどう思われるかではなく、自分がその授業から何を学べるかだと思った。

 スタンフォード時代の自分と比べて、この点が根本的に異なっていた。あの時は学位を取ること、良い成績を取ることしか考えていなかったので、体力的にはさほどキツくなかったが、精神的には比べ物にならない程辛かったように感じる。今は、自分が学ぶこと自体に意味を見出しながら勉強できているので、成績という狭い枠にとらわれることなく、のびのびと学べている。

 これは自分のお金に対する価値観と同じだ。お金を稼ぐことを目的として働くのは非常にキツいことだと思う。自分の使命を懸命に追及した結果、お金が付いてくるのだと思うようにしている。

 教員になってから始めたマラソンも同じだ。ゴールだけを考えて走ると、一歩一歩が見えなくなり、それらの意味がなくなってしまう。逆に、次の一歩を一生懸命に踏み出し続けた結果が、好タイムにつながるのだと信じている。
 

 今度じっくり書こうと思うが、自分には二人の先生がいる。人生を変えてくれた恩師だ。そのうちの一人は、教員になってから出会った先輩だ。その先生に褒められたことはほとんどない。その数少ない経験の中、マラソンで褒めて頂いたことがある。

 人生初のフルマラソンは、景色や給水所のクリームパンを楽しみながら走り、3:07と思わぬ好タイム。

 2回目は3時間の大台を切れると過信。最終10キロは水分補給の時間を惜しんで激走した結果、ゴール前で意識を失い、無意識のままゴールした(らしい…)。気づいた時にはゴール横のプレハブで点滴をうっていた。記録は3:08。皮肉なものだ。

 その翌年のことだった。とにかく楽しみながら、一歩一歩一生懸命走ろうと思い臨んだレース。記録は3:00と16秒だった。

 後からゴールした先生がその結果を見て、信じられないというように、「もったいねー!!」 と言った。

 それに対して、「いやー、しょうがないっすよ。あの16秒はどう考えても切れなかったから。」 という言葉が自然と自分の口から出た。

 やせ我慢でも何でもなかった。3時間のうちのたった16秒と思われるかもしれないが、レース中、一瞬でも手を抜いた記憶がなかったので、どこをどうすれば良かったのかも分からなかったのだ。残ったのは今回のレースに対する未練ではなく、次のレースに向ける闘志と確かな自信だった。

 先生に褒めて頂いたのは、やりきったという清々しさに浸る自分の姿だった。

 
 それ以来、何においても、「やりきること」 が自分の勝負における目標となっている。おかげさまで、この一年に対しても、やりきったと言える自分がいることを嬉しく思う。

 勿論、もっと上手くできる所、改善の余地がある所は数多くあった。ただ、手を抜いたと感じる所は思い浮かばないので、仕方ないかと割り切れる。それが次年度の課題であり、自分の伸びしろだと思っている。

 結果はどうだったのか。成績も良く、19人で始まったプログラムだったが(うち4人は途中でドロップアウト)、その中でただ一人、来年のTA(教授のアシスタント)に選んでもらえたことが最大の成果だろう。

 自分より成績が良い人はいたはずだ。だから、授業で誰よりも多く発言するアグレッシブな姿勢が評価されたのだと思う。

 良かった。これでこの夏も教え子に胸を張って報告できる。

2009年8月8日土曜日

最初に...



        昨年秋から通っているコロンビアのTeachers College



 8月初旬。いつもなら3年生最後の大会も終わり、彼らの進路指導と新チームの練習に明け暮れている時期だ。3年間の集大成として3年生と共に取り組んできた総体が終わってしまった喪失感と、新チームに懸ける新たな決意とが交錯するこの時期。今年はちょっと違う。教員を辞め、アメリカでの大学院博士課程の一年目を終え、その報告と2年目に向けた決意をもってこれを書いている。
 教員として、教えることとは感動の分かち合いだと思ってきた。今でもそう思っている。このブログを通じて、自分が心動かされたことを少しでも多くの人と分かち合うことができたらと思う。だから、ここに書かれることは全くもって僕の主観なわけで、それを押し付けだと思わないで欲しい。読んでくれる人が少しでも共感してくれたら、それで良いのだと思う。そして、読者の中に元の教え子がいるならば、そんなに嬉しいことはない。心を込めて、書いていきたいと思う。
 コロンビア大学での博士課程一年目、スタンフォードの時より厳しい一年だった。あの時は学位を取ることが目的だったので、ただこなすだけの日々。今年は違った。今勉強していることが確実に日本の教育を良くすると信じて勉強に取り組んだ。10年前と違って、今回は妻も子どもも、教え子もいたせいもあるかもしれない。
 自分の夢を置いてアメリカについて来てくれた妻と、将来日本の学校に通うであろう娘の存在がどれだけ心の支えとなったことか。宿題が終わらずに明け方5時をまわっても、中途半端なことはできない、二人がそう思わせてくれた。
 また、教員を辞める時、教え子たちには、「いつかどこかで君たちに会った時も、胸を張っていられる自分でいるよう頑張から、君たちも頑張れ」と言い残してきた。そんな偉そうなことを言う手前、頑張らないわけにはいかなくなるのだ。
 教員が頑張れるのは生徒のおかげ。話を一生懸命聴いてくれる生徒、または聴かせたい生徒がいるからこそ、自分は頑張れる。教員を辞めた今でも、その気持ちは変わらない。それと同時に、いつまでも大口をたたける自分であり続けたいと思う。人の教育に携わる以上、何歳になっても自信を持って夢を語れる自分でありたいと思うし、そうなれるよう努力し続けたいと思う。
     「熱く生き、感動に満ちた人生を!!」
 いつも卒業生の色紙にはそう書いてきた。その言葉を、自分が全うしようと思う。