2011年1月22日土曜日

先生という仕事


自由の女神から見た虹


先生という仕事


世間では、先生の仕事は教えることだという

でも、おそらくそれは間違っている

人は人のために何ができるのか

教えることなんてできやしない

教員だった私が、年月をかけ

子どもたち、一人の先生、そしてその娘さんから学んだこと

それは愛することだった

子ども一人ひとりの無限の可能性を信じ

妥協せずに愛すること



あとがき

書きながら、過去に小関先生から頂いた一通のメールを思い出した。

去年2月、このブログ上で精力的に自分の教員時代の回想をまとめていた時のこと。

小関先生から、「今だったらあの子たちともっと違った係りができただろう」 という内容のメールを頂いた。

僕が、「愛してやれなかったのだ、と反省ばかりです。」 と応えたところ、こんな返信があった。


「愛してやる」 のではなくて、ただ、「愛する」 だな。


この、ちょっとした言葉の違いには天と地の差があった。

一年経った今、自分はようやくそれに気付いた。

2011年1月13日木曜日

Something beautiful 8 ~街角のプロフェッショナル~

 バーを出たら外は大雪だった。

一軒目を出た時に降り始めた雪は、いつしか10cm程積っていた。

夜10:30をまわっていただろうか。

その日出会ったばかりの素晴らしい友人に別れを述べ、雪の中を歩いていたら無性に腹が減った。

さっき食べたあの肉厚バーガーはどこへ行ってしまったのか。

途中、一瞬迷ったが、わざわざ110th とColumbusの大きな交差点を渡り、開いてるか開いてないかもわからないピザ屋に立ち寄った。

客は誰もいなく、イスは全て机に上げられていた。



   “Are you guys still open?” (まだ開いてるのか?)



と僕が訊くと、二人いた店員の一人がジャケットを脱ぎながら、“OK.”と気のない返事をした。

スライスをオーダーすると、その店員が一枚切ってオーブンに放り込んでくれた。

白人の30代かと思われる兄ちゃんで、アクセントから察するところではイタリア系の移民だろうか。ハーレムでは珍しい。

何時に閉まるんだ?と訊くと、壁の時計を見て、あと2分だと言った。

住んでるのがここら辺だといいけど、と雪を心配して僕が言うと、ブロンクスだと教えてくれた。

この雪の中ブロンクスまで帰るのかと思うと気の毒になり、それは悪かったと言ってピザをオーブンから出すように伝えた。

すると、彼は迷わずNoと断り、こう言った。



   “Either you do it right, or you don’t.”
(やるんだったら正しくやる、そうでないんだったらやらない、そのどちらかだ。)



 外に出た僕は、歩きながら熱々のピザをほおばった。

 そのピザのおいしかったこと!

2011年1月11日火曜日

Something beautiful 7 ~All god’s children~

 最近、日曜日によく子どもたちをゴスペルに連れて行く。間違いなく、ハーレムに住む醍醐味の一つだろう。僕が行くのは、116thとAdam Clayton Powell Jr. Blvd (7th Ave)の交差点にあるバプティスト教会。次女の美風をスリングに入れ、長女愛音はベビーカー。急いで歩けば10分もかからない。



 この前の日曜日も行った。着いた時には既にミサが始まっていたので、僕らは2階席へ。係の人が気をきかせて、子どもでも見やすい席へ案内してくれた。来ている人たちはほとんど黒人で、白人もパラパラいるが、いかにも観光客らしくキョロキョロしている。アジア人などほとんどいない。僕が愛音の手を引いて入って行くと、皆優しい笑顔で歓迎してくれた。



 音楽が始まると愛音はいつも釘づけになる。盛り上がってくると自然に立ち上がり、拍手したり踊ったりしている。美風も僕の膝の上で敏感に音楽に反応する。



 いつも教会の中はすごい熱気だ。ど迫力のゴスペル隊のエネルギーがすぐに観衆に伝染し、皆歌ったり踊ったり両手を上げて神を崇めたり。牧師の話も、徐々に上がり調子になり、しまいにはマシンガンのようになる。ああ、黒人のラップはここからきたのかとさえ感じさせる。




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 一週間に一度、こうして一堂に集まって、歌を歌い、聖書を読み、神に感謝する…。何度も言うように、僕は特定の宗教を信じてはいないが、こうしてゴスペルに来る度に思うのだ。何てすてきな休日の過ごし方だろう。



 ミサが終わり、3ドルを寄付の封筒に入れ、外に出た。



 帰り道、教会でもらったマーティン・ルーサー・キングJr.牧師のうちわを楽しそうに振る愛音を見て、黒人のおばちゃんが優しく言った。



              “All god’s children.”


2011年1月9日日曜日

おとうさま

愛音はよく意味のわからないことをする…



 うちの愛音はなかなかの悪女だ。
最近の愛音のヒットは、クリスマスにサンタさんにもらった 『若草物語』 のビデオ。中でも、4姉妹がお父さんお母さんのことを、「お父様」「お母様」と呼ぶのが愛音にとって新鮮だったらしい。

 新しい言葉はすぐに使うのが愛音の主義。

昨日、こんなことがあった。

僕が食器を洗っていた時、玄関から愛音が、サイズ28cmの僕のブーツをはいてキッチンにドタドタ入ってきた。かと思ったらそのままはき捨てて走り去ろうとする。おいおい、ちゃんと直しておいて、と僕が言うと、愛音はおすましして、

 「はいはい。おとうしゃま❤」



そう答え、足で直して走って行った…。
3歳にて男の気持ちをもてあそぶ我が娘。末恐ろしい…。
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2011年1月7日金曜日

どんな走りを




 明けましておめでとうございます。
随分ご無沙汰してしまいましたが、みなさん良い年越しをされましたか?
最新ポストがずっと『討死に』であることがずっと気にはなっていたのですが、僕にとっては師走の忙しさも一緒に年を越してしまった感じです。学会のプロポーザル、新たな奨学金のアプリケーション、妻と始めた音楽療法関係の本の翻訳、子どもたちとの遠足などなど、やることは山積みです。
 本当は年初めに去年一年の反省と今年の抱負から始めたかったのですが、それを書き終えるのを待っていると日々の感動が消化されないまま過ぎていきそうなので、とりあえず今日みなさんとシェアしたいと感じたことから2011年、始めたいと思います。


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 今日、自分にとって最初の 「先生」 であるMr. Walkerに年初めのご挨拶をした。以前、『いつの日か ~ 繋いでいくこと(完) ~』 でも書いたように、Mr. Walkerは脳に癌を患っている。8月後半に彼のもとに駆け付けた時には、もういつ死んでもおかしくないと言われていたが、「闘うんだ」 と言った言葉通り、彼は2011年も迎えることができた。

 電話越しの彼の言葉は、意外とはっきりしていた。

僕は、訊かれるままに、自分の研究のことやら家族のことやらいろいろ話をした。そして、最後に、無駄と思いつつ彼に感謝の言葉を述べた。今までに何度試みたことだろう。僕の第二の人生は、彼との出会いから始まった。彼と出会っていなければ教育を志していなかっただろうし、間違いなく今の自分はない。しかし、言語というものが、そんな感謝の気持ちをこぼさず運んでくれた試しはない。

 いつものように、Mr. Walkerは 「わかっている」 と応えた。



 苦笑いをしたら、涙が出てきた。


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 恩師に挨拶することほど新年を始めるにふさわしいスタートはないと思う。これは、もしかしたら僕が特定の宗教をもっていないからかもしれない。僕にとって、新しい年の始めに恩師に挨拶をすることは儀式のようなものだ。過ぎて行った一年を恩師に報告する自分を見て、去年一年の自分の生き様を問い直すのだ。まっすぐに恩師の目を見つめられているか?堂々と胸を張れているか?それができて初めて次の一歩を踏み出すことができるのではないだろうか。

 新年早々、もう一人の恩師、小関先生にも電話でご挨拶することができた。またしても新たな気付きを頂いてしまった。これに関してはまた改めて書きたいと思う。

 自分が受け継いだバトンの重さを確認し、今年も素晴らしいスタートをきることができた。

 2011年、自分はどんな走りを恩師たちに見せることができることができるだろうか。