『来るはずのない春の到来を信じて』て紹介した花たち
今日もあの花たちに会いに行ったら、皆、下を向いていた。
中には、大人になることなく、命尽きて茶色くなっているものもいた。
そんな花たちの姿は、自分が見てきた中学生たちとかぶるものがあった。
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思春期真っ盛りの中学生は、子どもと大人の世界の狭間で様々な苦悩を経験する。多くの子どもたちにとって、人生最初の挫折を味わうのもこの時期だ。自分の夢、明るい未来、「正しい」大人を疑うことなく過ごしてきた幼少期が終わりを迎え、受験、現実、社会や大人の矛盾が見え始める。その一方で、大人への憧れは強く、皆「大人」になろうとする。
そんな生徒たちを相手にする中学校の教員にとって、一つの大事な役割は、どんな「大人」を提示するかだと思う。
残念ながら、上級生になればなるほど冷めていく子どもたちも少なくなかった。それは、「大人」への成長を「子どもらしさ」の否定と勘違いする子たちだ。その子たちにとっては、先生の呼びかけに元気に返事をしたり、校則に従順に従うことが幼稚だったり、恥ずかしかったりする。
でも、そうなのだろうか。
担任として初の卒業生を送り出した直後、教員三年目にして初めて持たせてもらった一年生に僕は衝撃を受けた。
「子どもって大人なんだな。」 これがその時の感想だった。
誰かのふとした行為に、自然と出る「ありがとう」の言葉。
自分の過ちを素直に認める「ごめんなさい」。
頑張っている人を応援できる明るさと思いやり…。
考えてみれば、これらは大人に求められることなのではないだろうか。
子どもこそ大人であり、大人こそ子ども ― 僕がその子たちから学んだことだ。
一年生から三年生に上級するに連れ、段々と素直さを失い人生に冷めていく子どもたち。一年生のこの素直さを保つことこそが自分の使命と強く感じた。 『今こそが未来』もその時の生徒たちに宛てて書いたものだ。
僕は、野球や剣道の大きな大会で、「一流」と呼ばれるチームの中学生に会うたびに、心洗われる想いをしたのを覚えている。子どもならではの尽きることのないエネルギーに溢れ、屈託のない笑顔、大人の心を突き抜ける声、先生や仲間を信じる透き通った目…。彼らは大観衆を前に、支えてくれている人たちの想いを背負い、勝負しているのだ。そんな子たちを目の当たりにする度に、なんて大人なのだろうと心を震わせた。
毎年夏の甲子園をテレビで見ていると、決まって陥る錯覚がある。
大人だったはずの自分が、いつしか、自分より何歳も年上の高校球児にテレビの前で声援を送っているのだ。テレビの画面に映る高校球児が、とてつもなく大きな、大人な存在に感じるのだ。
そんな経験、あなたにはないだろうか。
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本当の大人は、現実をしっかり見据えつつ、子どものような真っ直ぐさを貫いている人だと僕は思う。だからこそ、我々「大人」と呼ばれる者の使命は、子どもたちの信じる力と、素直な心を大事に育てることなのではないだろうか。
笑顔を忘れ、暖かい春が必ずやって来ると信じることを諦めつつある中庭の花たち。狂った環境に翻弄された、あまりにも残酷な運命だ。


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