2010年12月19日日曜日

進化論

生徒は先生の器の中でしか育たないという。



確かにそうだ。



「それでも、自分を超える生徒を育てなければいけないんだ。」
と久し振りに電話で話した小関先生が言った。



「進化論だよね。進化してなんぼだから。」



  それが教員にとっての 「破」 なのだろうか。

2010年12月13日月曜日

「どぉじょ~!!」

 美風 (みかさ) が得意なことの一つに



    「どぉじょ~」 がある。



本や洗濯袋を見つけては、次から次へと 「どぉじょ~」 と持ってきてくれる。



使い方が少し間違っているのが気になるところだ。



美風は自分が何か欲しい時も、やっぱり 「どぉじょ~」 なのだ。



赤ちゃん用のイスに座り、食事が出てくるのを待つ美風。



食べ物がテーブルに運ばれてくると止まらなくなる。



「どぉじょ~、どぉじょ~っ!!」


2010年12月12日日曜日

「ばてぃこぃ ばてぃこぃっ!!」



 我が家の次女、美風 (みかさ) はもう14カ月になった。

どこだって歩いていくし、言葉もしゃべる。

    「まんま」 「ぱぁぱ」

の他にも、絶妙なタイミングでいろいろな言葉を上手に真似る。

NYでは英語に触れる機会も多いので、かなり怪しいが一応バイリンガルだ。

    「るっく!!( “look!!” )」 だって言えるし、

この頃のお気に入りは、「まいんっ!!( “mine!!” )」 だ。

そう、下の子は強いのだ。

お姉ちゃんが何か物を取り上げようとしても、

    「まいん、まいんっ!!」 を連発して応戦。負けてない。




美風は良くわけのわからない言葉もしゃべる。

    「ぶりっかぶりっかぶりっか!」

    「あ~ぢこ~ぢこ~ぢ!!」




中でも傑作なのが一つある。

    「ばてぃこぃばてぃこぃっ!!」 だ。

自分が野球部顧問をしていたからか、長女愛音 (あいね) の攻撃に

泣きながら応戦する美風が発するその言葉は、どうしても自分には、

    「バッチこい!」 と言っているように聞こえて笑えてしまうのだ…。
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2010年11月27日土曜日

愛音とどんぐり 2

 11月のある夕方、ベビーカーを押して近所のスーパーに買い物に行った時のこと。空を見上げると、何とも見事な月が出ていた。


   大裕: 「うわぁ~、愛音見てごらん!」

   愛音: 「あっ、おちゅきしゃま!」

   大裕: 「きれいだねえ」

   愛音: 「おっきい!」


ふと、愛音は太陽と月の関係をどう理解しているのだろうと思い、

   「愛音さ、お月さまは誰のことが好きか知ってる?」 と訊くと、 

   「と、うんと…。」 と一生懸命考える。


しばらくして僕が、

   「太陽さんだよ」 と言うと、

   「へぇ~」 と感心する愛音。


そして、「それでね、太陽さんもお月さまのことが大好きなんだよ」 
と言うと、愛音のテンションは急上昇し、

「そぅ!あいねちゃんね、
どんぐりさんがすきなの!!」


ほんとに好きなんだなと感心しつつ、僕はまたしても大笑いだ。


そして、

   「そっかあ。でもさ、どんぐりさんは愛音のこと好きなのかな。」

ちょっといじわるっぽく僕が訊くと、すぐさま、



と、あしたきいてみる!!」



「あいねちゃんのことすき?」「あいねちゃんのことすき?」 と、どんぐりにかたっぱしから声をかけまくる愛音をリアルに想像してしまった…。


2010年11月23日火曜日

愛音とどんぐり 1



ある晩、ベッドで愛音に姪っ子のまりなの話をしていた時のこと。


  「今年の夏は日本でまりなちゃんにいっぱいおんぶしてもらったね。

  まりなちゃんね、愛音みたいな小さな子がだ~い好きなんだって。

  大きくなったらまりなちゃんのお母さんみたいに幼稚園の先生に

  なりたいんだってよ。」


と僕が言うと、思い出してテンションが上がってきたのか、興奮気味に


「そぅ!あぃねちゃんはね、

おとなになったら

どんぐりになるの!!」 と愛音。



僕が大笑いしながら、


「そっか! でもなんで?」 と訊くと、


と、せっかくなのに(だから)!」



う~ん、大人には絶対にまねできない芸術的な子どもの感性…。

そのまま育ってくれー!!

2010年11月22日月曜日

真理を貫く

 『先生の教え』 というカテゴリーで紹介させて頂いている小関先生が、今年赴任された学校で孤軍奮闘中だ。時折先生から頂くメールには、「不良」 生徒たちを 「やっつける」 ことしか考えていない先生たちと、心を育ててもらってこなかった生徒たちの姿が綴られている。


 柔軟な子どもと比べ、大人を変えるのは難しい。積み重ねてきた歳月が心を固くし、いらないプライドが 「変わろう」 とする気持ちの邪魔をする。


 「自分はまだ何もわかっていない」 と認めることの自由、変われることの喜びを知らないのだ。


 進化することを拒む先生に子どもは教えられない。


 自分を変えるのは勇気がいる。


 その勇気を与えるのが先生なのだ。


 先生がその勇気を持っていなければ、子どもにその勇気を与えることなどできるわけがない。





 今日、小関先生からメールを頂いた。

夜遅くまで頑張っている新採の先生とこんな会話を交わしたそうだ。



   小関先生: 「先生は英語を教える先生だよね?」

   新採:    「はい…」

   小関先生: 「どうやって英語教えるか。難しいだろ?」

   新採:    「はい。教材研究頑張ってます。」

   小関先生: 「英語を教わりたい先生になること考えてる?」

   新採:    「は???」





小関先生は言う。

 どういう教育をどのようにするかという研究はたくさんされている

 でも本当に大事なのは どうしたら

 「あの先生に教わりたい」 と生徒達に思われる先生になれるか

 どうしたらそんな先生を育めるか



小関先生は言う。

 正しいことを教えても子供の心には入らない

 子供に教えるべきは 本当のこと


僕の心に入ったのも、小関先生の真理を貫くそんな教えの数々だった。

2010年11月21日日曜日

「約束」の意味 ~Revisiting “Responsibility” 3~

 ここ3回に渡って "Responsibility" (責任) の意味を問い直している。
僕にとって興味深いのは、Arendt の子どもの捉え方だ。Arendt にとって、「子ども」 は一時的な状態に過ぎない。彼女は、子どもを

“human beings in process of becoming but not yet complete”

「形成途中で未だ不完全な人間」

と表現している。そして、彼らが 「新しい」 のは、彼らの目の前に広がる世界との関係の中だけでのことであり、いつかは彼らも大人として子どもの産み出す力を育み、彼らに自分たちの古くなった世界の行く末を委ねる時が来るのだ。


Arendt は言う。


“Our hope always hangs on the new
which every generation brings.”


「我々の希望は常に新しい世代がもたらす新しきに懸っている。」


 『最大のテーマ ~Revisiting “Responsibility” 1~』 で書いたように、自分は今まで責任を与えられる側からしか考えて来なかった。自分が常に与えられていたのだから無理もなかったのかもしれない。結果、無意識に僕は与える側、与えられる側に生ずる責任の関係を一方的に理解していた。つまり、責任を「与えられる側」だけに課されるものとして、そして心のどこかで、恩返しは与えてくれた本人にすべきものだと考えていたのだ。Arendt の考えは、僕の理解が不完全であったことを教えてくれた。


 亮太君帰国の朝、僕らは出発の数時間前まで飲んでいた。いろいろ振り返りつつ、彼が僕に対する感謝の気持ちを伝えてくれた。そこで、僕は今回の亮太君の訪問を通して自分が学んだことを告げた。


   亮太君が僕を必要としていただけではない。
   僕自身も、自分の責任を果たすために、亮太君を必要としていたのだ。



「私にできることがあるわ」と言った、Naraian教授の顔が思い出される。きっと彼女の使命感も、同じような所から来ているのではないだろうか。きっと、彼女も、亮太君を必要としていたのではないだろうか。


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 最後に、今回これを書くにあたって、一つ気になって調べたことがある。


それは、responsibility の中心的な要素である 「約束」 の語源だ。


ご存じの通り、英語では約束という意味を指すのに promise という単語を使うが、このpromise、本来は、

pro(前に) mise(送る)

という意味を指している言葉だそうだ。



語源を追及して浮かび上がってくる “responsibility” という言葉の意味…。それは、与える者と与えられる者が 「約束」 というバトンを前へ前へと繋いでいく姿だった。



- 完 -

2010年11月20日土曜日

「二重」の責任 ~Revisiting “Responsibility” 2~

 先日、 “Arendt, Greene, and ‘shu-ha-ri’: the Dialectic of Freedom” というタイトルの論文を書いた。時間を十分かけ、格闘の中にも楽しみと情熱を忘れずに書き上げることができた。ここでは、Hannah Arendt (ハンナ・アーレント)の responsibility の概念に焦点を絞って語ってみたい。


 Arendt は大人には二つの responsibility があるという。一つは自分たちの世界に対する責任、もう一つは子どもに対する責任だ。


世界に対する責任
 まず、自分たちの世界に対する責任とは、「世界を子どもから守ること」であり 「古きを新しきから守ること」 だ。子どもに自分たちが守ってきた伝統や価値観を好き放題に壊させてはいけない、自分たちが歩んできた道のりにプライドを持て、もしくは持てるような生き方をしろと言うArendt の叱咤激励が聞こえてくるようだ。


 と同時に、Arendt がイメージする 「世界」 とは、そんなきれいごとだけでは済まない。善いもの美しいものだけではなく、悪しきもの醜いものもそっくりそのまま子どもに教えなければいけない。子どもたちはそうすることによって初めて、自分たちが受け継ごうとしている世界が発展途上で不完全だということを知るのだ。


 Arendt は更に主張する。全ての人間がいつかは死すべき運命にあるように、この世界も進化を止めれば死にゆく運命にある。そして、その進化を為し得るのはいつの時代も子どもだけなのだ。皮肉にも、大人たちは自分たちが守ってきた世界を慈しむが故に、子どもたちにそれを創り変えさせるのだ。


 こうして、世界に対する責任は徐々に子どもに対する責任へと融合していく。


子どもに対する責任
 Arendt は、子どもは “natality” (産み出す力)というものを持って生まれ、一人ひとりが新しさと革新の要素を持っていると断言する。そして、大人の責任とは、「子どもを世界から守ること」、「新しきを古きから守ること」 であり、彼らが世界を創り変えるための準備をすることだ。


 これらの分析から導かれる一つの結論、それは、世界に対する責任を全うすること(古きを新しきから守ること)は逆に子どもに対する責任を全うすること(新しきを古きから守ること)をも要求するということだ。


 これは、大人に課される 「二重」 の責任は、実は古きと新しきの間に存在する一つの緊張の関係であり、我々大人はその両端を包含する教育によってのみ、世界の存続を可能にすること意味している。

(続く…。)

最大のテーマ ~Revisiting “Responsibility” 1~

 「あなたにとっての最大のテーマは?」 と誰かに訊かれたら、僕は間違いなく 「責任」 と答えるだろう。


 16歳の時、両親に多大な経済的負担をかけつつ留学させてもらった時に始まり、留学先のニューハンプシャー州の高校で自分の人生を変えてくれた Mr. Walker と出会い、日本の教育改革を志し、大学、大学院と教育学を専攻し、素晴らしい教育者たちとの出会いや先達の知恵に恵まれ、帰国して公立中学校の教員になり、小関先生との出会いによって自分の芯を持ち、再びアメリカにて教育学に没頭している今も含めて、自分の歩みの全てを、この 「責任」 という一言で説明できる。


 以前にもこのブログにて、日本語英語両方で responsibility という英単語の語源を探求しつつ 「責任」 の自分なりの定義を試みた。 responsibility は本来


    re (return) – spondere (promise) - ibility (ability)

    「返す」     「約束する」     「能力」


という3つの部分から成っており、それを踏まえて英英辞典の定義 (“a particular burden of obligation upon one who is responsible”) を訳すと次のようになる。


「約束をもってお返しをする、

その能力を持つ者に課せられる義務という負担。」


 この探求を通して、僕は responsibility における 「責任」 とは、外部から強制的に背負わされるものではなく、本質的に自発的であり、恩恵を受けた人やものに対する約束であると同時に、何よりも自分自身に対する約束、けじめなのだと考えるようになった。


 しかし、今回、片岡亮太君をゲストとして2週間ほど迎え入れたこと、そして同時期にHanna Arendtを読んでいたことが、僕に新たな気付きをもたらしてくれた。


 以前にも 「責任」 を与える者と与えられる者の関係として認識してはいたが、今になってわかるのは、自分が「与えられる」側からしか責任を考えていなかったのだ。


 しかし、今回の亮太君の訪問で、僕は与える側から責任を考えることができた。もちろん、もらったものもたくさんあった。だが幸運にも、与えられるものもたくさんあった。ただそれは僕自身の力というわけではなく、自分を通して多くの人の力を彼に貸すことができたというだけに過ぎない。


 亮太君がNYにやって来た2日後、僕らは早速、彼の留学の立役者となってくれたNaraian教授に挨拶に行った。彼女は僕が所属するCurriculum & Teachingという学部の教授で、スポンサーとして彼を受け入れてくれた人だ。今年3月、僕自身とも初対面だったにもかかわらず、僕が口頭で紹介した亮太君の受け入れに同意して下さった、非常に懐の深い人間だ。


 その彼女、亮太君との初めての出会いを心から喜んで下さり、ただ単に彼を受け入れるだけでなく、1年間という短い彼の留学をどうしたら有意義なものにできるかということを真剣に考えて下さった。個人授業や学会への参加など、いろいろな可能性を熱く語って下さる中、彼女が言った一言が心に残った。


“I have something to offer.”

「私にできることがあるわ。」

 
(続く…)

2010年11月17日水曜日

「生きているって楽しい!」 ~ 片岡亮太君のメッセージ ~


 2010年3月12日。妻の大学時代の後輩から一通のメールがあった。彼女の友人が、このたび奨学金を得て一年間アメリカに学びに来ることになり、行く場所や学ぶことを具体的に決めるにあたって相談にのってもらえないかということだった。その「友達」というのが全盲の和太鼓奏者、片岡亮太君だった。

 彼のブログを見た妻が感銘を受けメールしたところ、早速返信があった。「何とかしてあげたいんだけど」と言いながら見せられたそのメールに、僕自身も何か大きなエネルギーを感じ、自分にやれることは何でもしようと決意したのだった。


 この場を借りて少し彼の紹介をしたい。


 片岡亮太君、26歳。生まれつき弱視だったが、10歳で完全に視力を失った。その後、静岡の盲学校に編入。そこでの太鼓と出会いによって人生が大きく変わった。東京の全寮制の高校を経て、上智大学文学部社会福祉学科入学。勉強の一環として訪れた様々な福祉施設で、盲目という障害を抱える社会的弱者である自分に対して、多くのご老人や障害を持っている方々が心を開いてくれることに気付き、自分にしかできないことの可能性を実感し、勉強に励んだ。気付けば同学科を首席で卒業していた。その後、全盲にて和太鼓奏者、そして社会福祉士である自分だからこそ伝えられるメッセージと音楽があるのではという想いから、プロの和太鼓奏者としての道を進むことを決意。現在は日本中で活躍している。




 10月30日、その亮太君が我が家にやって来た。来年1月から僕の通うコロンビア大学ティーチャーズカレッジ(TC)にて科目履修生として入学することが決まり、下見のための訪問だ。


 運が良い…というのはおかしいのかもしれない。今回、彼の留学のために、本当に多くの人たちが動いてくれた。僕が所属する学部の教授たち、Office of International Study Servicesの人たち、TCそしてその他の大事な友人たち、太鼓繋がりの先輩夫婦、こっちで新しく出会った人々…。皆、彼の生き方に共感した人々だと思う。滞在中、何か信じられない幸運に出会うたびに、「今までの生き方は間違ってなかったね」と彼に言ってきた。ぼくたち家族にとっても、彼のおかげで様々な人々の優しさに触れた2週間だった。


 しかし、それらの人たちの協力で、彼にとって本当に贅沢で密の濃い2週間となった。TCの日本人留学生の皆さんの協力を得て、彼の訪問前には「片岡亮太君を応援する会」なるものを立ち上げてあったのだが、彼のウェルカムパーティーには約25名もの人々が参加してくれた。それ以外にも、様々な人たちが忙しいスケジュールの合間を縫って、交代ごうたいで彼のガイドを務めてくれた。TCでの授業見学、教授との面接、図書館での勉強、チャイナタウン見学、TC和太鼓愛好会の練習参加、そこでのパフォーマンス、NYマラソンでの彼らとのコラボ、ハーレムでのゴスペルやジャズの殿堂であるブルーノートでの音楽鑑賞、ブロードウェイでのミュージカル見学、NY在住日本人による子どもたちのプレイグループへの参加、視覚障害者施設や音楽療法センター見学とそこでのジャムセッション、メトロポリタンミュージアム見学、セントラルパークやコロンビア大学散策、アッパーウェストサイドでのディナー、本場ニューヨーカー宅でのホームステイ…。そして、帰国前夜にはTCのInternational Education Weekというイベントのレセプションでとりを務め、人々からstanding ovationを受けた。今回様々な形で支援して下さった多くの方々も応援にいらして下さっており、フィナーレとしてふさわしい、華々しい最後だった。その時の演奏はこちら



 そして、帰国前日、彼から応援してくれた人たち宛てにありがとうのメールが届いた。

 12日金曜日から二泊三日のDallasでのスケジュールも無事に終え、いよいよ僕の短期NY滞在ももうすぐ終了です。来年一月には帰ってくるとはいえ、寂しい気持ちを隠しきれないのが正直なところです。本当にあっという間、もないほどに、凝縮された濃密で充実した、素敵な時間をすごさせていただきました。TCで学んでおられる方たちはもちろんのこと、それぞれに皆さんがお忙しい日々をすごしているにもかかわらず、僕にお力を貸してくださったおかげです。本当にありがとうございました。心から感謝しています。本日7時から、TCのGrace Dodge Hall (GDH) 179で行われるイベントでの演奏で(僕は20時半くらいの演奏の予定です)、皆さんへの思い、今ここにいられることの幸せを音にこめたいと思っています。お時間がおありな方はお聞きくださるとうれしいです。

 今年2月、ダスキンの奨学金に合格し、どんなチャレンジをしようかと考え、「音楽家であり、障害や福祉についてのメッセンジャーでもある存在でいるために、改めて勉強をしたい」と考え出したことからはじまった新たな歩み。大学時代の友人を通して大裕さん、琴栄さん夫妻と出会わせていただき、Teachers Collegeで障害学を学ぶチャンスを得られたことは、信じがたいほどの偶然の重なりの結果でした。けれど、そのことを心からありがたいと思う反面、話が進めば進むほど、僕の心には、大きなチャレンジが具体性を帯びていく中で生まれる、さまざまな不安が影を落としていました。


 「英会話が得意ではない、大学卒業後は学問にほとんど触れていない、外国も一度しか行ったことがない…、そんな自分に一年間もアメリカでの生活なんてできるのか?でも、奨学金をもらうのだし、自分は何かを伝えていく使命があるはずなのだからがんばらなくてはいけないんだ。」そのような自問自答を何度も繰り返しているうちに、僕の心は自由さを失ってがんじがらめになっていました。何もかもが怖くなってしまい、身動きがとれない日もありました。


 そんなとき、大裕さんからのメールで、皆さんが僕をサポートするために手を上げてくださっているという連絡をいただいたのです。想像もしていなかった出来事に、うれしい気持ちと感謝の気持ちがあふれ、胸が熱くなりました。今も、あのときの不安と、今回皆さんがくださったたくさんの暖かさを思い出すと目が潤んでしまいます。皆さんに伝えるべき感謝の言葉がうまく見つけられないほど、心からありがたく思っています。あのときから、僕の心にはまた大きなエネルギーが戻ってきました。


 こちらに来る直前に、奈良市内にある中学校で公演をさせていただきました。「道を進む」と題し、太鼓の演奏と僕の話を聞いてもらうというものでした。その準備として、中学生に何を伝えたいのかについて考えていた際、改めて僕が歩んできたこれまでの道のりを思い起こしていました。そして、僕が見てもらいたいこと、伝えていきたいことは、「生きていることの尊さと喜び」なのだということに気づきました。


 弱視で生まれ、絵を描く喜びに目覚めた10歳のときに失明し、どうしようもない悔しさや絶望に近い感情を知りました。生きることを止めてしまいたいと思ったこともありました。けれど、11歳で太鼓に出会えたころから、僕の心に新たな光がさし、たくさんの喜びに触れ、たくさんの出会いを経験し、すばらしい出来事を全身で味わうことができる人生をこれまで歩んでこられました。そして、今新たなチャレンジとしてアメリカという大きな舞台に足を進めようとしています。当然、一筋縄ではいかないこともありましたし、それはこれからも同じだとは思います。けれど、それも含めて、「楽しい」と胸をはれる今があることは、間違いなく僕がずっと行き続けてきたからです。生きていればもちろんつらいことにも出会うけれど、最高の幸せにも出会える。小中学生が生きていることをやめてしまう今、僕に伝えられることは、生きることは無限の可能性に満ちているということ、それを言葉だけでとどめないために、僕自身がすべてを楽しんでこれからも生きていきたい。障害学を学ぶことは、使命ではなくて、僕が片岡亮太という人生を楽しむ大きなエッセンスなのだと今は考えています。だからこそ、真剣に取り組もうと強く思っています。


 「生きているって楽しい」というメッセージを伝えていきたいと考えながらすごしたNYでの短期滞在は、輝きに満ちていました。知らなかったこと、知ろうとしていなかったことにたくさん出会えました。皆さんとお話させていただいた言葉の一つ一つが僕の心を楽しくしてくれました。その中で、「片岡亮太はこういう人間だ」とか、「自分の演奏はこういうものでなければいけない」など、気づかないうちに重ね着をしてきたこだわりという服に気づき、それらを脱ぎ捨てることで何もかもを楽しみ、その楽しさをまっすぐに表現したいと考えている自分の心の核の存在を今まで以上に強く意識することができたように思います。「自分の内側を耕してきたい」とダスキンの面接の際に話していたのですが、心の核を覆っていたたくさんのものに気づくことができた今、耕す準備ができたと思っています。一月からの学びのスタートを前に、このような状体に自分を持ってくることができたことを、心からうれしく思います。皆さんが、お忙しい中僕をさまざまなところにガイドしてくださったこと、TC内でお声がけくださったこと、素敵な時間をアレンジしてくださったこと、さまざまな言葉をくださったこと、すべてに感謝しています。ありがとうございました。

 滞在中にすばらしい条件のアパートも見つけることができ、最高のコンディションで一月からのスタートに備えられます!明日帰国し、再びこちらに戻ってくるまでの時間も、たっぷり楽しんで、いよいよ始まるチャレンジを端から端まで楽しく味わいつくす準備をしてきます!ぜひ来年TCなどで僕を見つけてくださったときには、声をかけていただけるとうれしいです。そして、たくさんお話させていただければ幸いです。


 長文にて失礼をしました。NYはこれからどんどん寒くなることと思います。どうかご自愛ください。約二週間、本当にお世話になりました。これからもよろしくお願いします!!


    心からの感謝を込めて

        亮太





 溢れる想いというのは、こういうことを言うのだと思う。帰国前夜、出発の数時間前まで彼と酒を飲んで語っていた時、前回紹介した『第五の山』のquoteを思い出していた。
心に聖なる炎を持つ男や女だけが、神と対決する勇気を持っている。そして彼らだけが、神の愛に戻る道を知っている。なぜならば、悲劇は罰ではなくて挑戦であることを、彼らは理解しているからである。 
 生きることの喜びを伝える亮太君のメッセージと太鼓は、きっと多くの人々の心に響き渡ることだろう。

2010年11月13日土曜日

宗教における守破離 ~「自由」を捨てて自らを解き放つ 6~

 前回再投稿した 『信仰と自由の関係』 に対して、マサさんがコメントを下さった。彼の真っ直ぐな人柄が伝わってくる、真摯で批判的なコメントだった。彼のコメントを読みつつ、自分が何故、「宗教」 を持ちだしたのかを思い返してみた。そして、そうすることが、小関先生との出会いが僕の宗教観を如何に変えたかということを確認する機会を与えてくれた。


 僕にとって、『信仰と自由の関係』 を書くこと、それは自分の過去の宗教観を問い正すことだった。


 僕の宗教に対する考えは小関先生に出会って完全に覆された。


 冒頭の、「神を信じる人間はきっと自由なのだと思う」 というあの言葉、小関先生に会う前の自分だったらきっとこう言っていただろう。


 「神を信じる人間はきっと心が弱く、不自由だと思う。」


 小関先生も僕と同じように、ある特定の宗教をいらっしゃるわけではない。ただ、宗教に対する深い理解を持っていらっしゃる。それはご自分が、自分自身の先生を信じる感覚と宗教家が神を信じる感覚は似ているのではないだろうかという推察からだ。


 ここで僕が取り上げているのは 「何を」 信じるかではなく、信仰される対象の説得力の問題でもない。僕の興味の中心にあるのは 「どのように」 信じるかということであり、「信じきる」 ことから生まれる精神の自立だ。


 そして、それは宗教にも守破離を見出すことができるのではないかという一つの可能性を示唆している。


 世界中に散らばる無数の宗教を、「宗教」 という名目の下ひとくくりにするのはある意味馬鹿げているし、だからこそ前回の投稿で誤解を生んでしまったのだと思う。


 なので、ここでは 「宗教」 という institution ではなく 「神」 として、神の側からではなく個人の側から、人が神を如何に信じるかという個人的な体験として考えていきたい。





 先ほども述べたように、僕は、神を信じるという行為にも守破離という道筋があるように思う。


 意味も分からずにただハイハイと教えを守るだけの 「守」 から始まり、自分の行動を制限するだけでしかなかった 「枠」 が、いつしか精神の 「芯」 として内在化されていく。初めは困った時だけ、注意した時だけ守っていた神の教えは、いつしか自分の生活における全ての軸をなすようになるだろう。


 自分の弱さとの葛藤が消えることはないが、もはや迷いは消え、目指すべき所、今なすべきことが自ずと見えるようになる。教えには書かれていないことにも神の意志を問うようになり、神との対話から自分の行動を決定するようになるだろう。

 そしていつの日か、神の教えに挑む時が来るのではないだろうか。「挑む」 と言うと傲慢で挑戦的に聞こえるかもしれないが、根本にあるのは謙虚さと共に、我々人間にどれだけ神の言葉や行いを理解することができるのかという問題意識でもある。よって、挑むということは神の意志を真に理解しようとする、譲れない信仰心を持つ者にしか為せないことだ。


 僕の大好きな作家の一人に、パウロ・コエーリョというブラジルの作家がいる。『アルケミスト』、『ピエドラ川のほとりで私は泣いた』、『星の巡礼』など、数多くの素晴らしい作品を世に送り出してきた作家だ。彼の作品の中に、『第五の山』 という宗教と深く関わる本がある。最後に、その中の一節を紹介して終わりにしたい。そこに描かれているのは宗教における守破離のプロセス、そして信仰と自由の関係であるように思えてならない。



 時には、神と争うことも必要なのだ。
人間は誰でも、その人生で悲劇に見舞われることがある。
住む町の崩壊、息子の死、誤った告発、病気による体の障害などだ。
その時神は、自分の質問に答えるよう、人間に挑戦するのだ。


「なぜ、お前はそんなにも短く、苦しみに満ちた一生に
しがみついているのだ?お前の苦闘の意味は何なのだ?」

 この質問にどう答えるかわからない者は諦めてしまう。
一方、神は公正でないと感じて、存在の意味を求める者は、
自分の運命に挑戦する。天から火が降りてくるのは、その時である。
それは、人を殺す火ではなく、古い壁をひき倒して真の可能性を
それぞれの人に知らせる火なのだ。臆病者は絶対に、
この火が自分の胸を焼くのを許そうとはしない。彼らが望むのは、
変わってしまった状況がすぐにまた、元通りになって、
それまで通りの考え方や生き方で生きていくことだけなのだ。
しかし、勇敢な者は、古くなったものに火をつけ、たとえ、
どんなにつらくとも、神をも含めてすべてを捨てて、前進し続けるのだ。


 「勇敢な者は常に頑固である。」


 天界では神が満足の笑みを浮かべている。
なぜならば、神が望んでいるのは、一人ひとりの人間が、
自分の人生の責任を自らの手に握ることだからだ。
主は自分の子供たちに、最高の贈り物を与えているのだ。
それは、自らの行動を選択し、決定する能力である。


 心に聖なる炎を持つ男や女だけが、神と対決する勇気を
持っている。そして彼らだけが、神の愛に戻る道を知っている。
なぜならば、悲劇は罰ではなくて挑戦であることを、
彼らは理解しているからである。 pp. 219-220




2010年11月6日土曜日

信仰と自由の関係 ~「自由」を捨てて自らを解き放つ 5~(再)

 

 神を信じる人間はきっと自由なのだと思う。


 僕は、神の存在を信じているが、信仰する宗教はもっていない。

そんな自分が宗教を語るのはおかしいかもしれないが、 「自由を捨てて自らを解き放つ」 というタイトルは、人が神を信仰するプロセスに通ずるのではないかと思う。神を信仰するということは、様々な欲望を抑え、厳しい神の教えに従うということだと思う。でも、それは自由を失うということではないように思う。


 宗教にはいろいろあるし、一概には言えないのは分かっているが、僕がイメージする宗教を語ってみたい。僕が思うに、宗教を信仰するということは神の教えを内在化させることであり、それによってもたらされるのは精神の自立だ。神の教えが自分の中の 「絶対」 となれば、それは周りに流されない信念を与えてくれるだろう。その信念は自分を神の教えに閉じ込めるのではなく、逆に新たな考えや世界へと踏み出す自信となるだろう。迷いは消え、自分の弱さとの葛藤のみが残るのではないだろうか。




 僕が言う 「先生を持つ」 という感覚は、きっと宗教家が 「神を信じる」 という感覚と似ているのだと思う。先生の教えを内在化させるということは、いつであろうがどこであろうが先生を意識して行動することに他ならない。アメリカにいる今でも自分に問いかける。 「今、小関先生がこの場に入って来られても、自分は胸を張っていられるだろうか。」 そう問い続けることが、自分を鼓舞し、正しい方向へと導いてくれるように思う。


 これを読んでくれている人たちの中でも、僕と小関先生の人間関係を理解できない人も少なくないのではないかと思う。そんな不安もあり、このブログで小関先生のことを書く時にはあえて敬語を使って来なかった。このブログの投稿記事数は今回で109になるが、少なくとも5回に1回は 『先生の教え』(計25本) について書いていることになる。[注: 2010年11月6日現在では209本中の52本だ。]


 『自分を持つということ③ ~周りに流されない信念~』 で、剣道部の生徒たちがいかに小関先生に洗脳されているように周りに映るのかを書いたが、間違いなく自分も周りの教員からはそう見られていた。生徒の前であろうが呼ばれればダッシュで駆け付けたし、夜中だろうが何をやっていようが携帯で呼び出されればすっ飛んで行った。夏休み中、長野の山奥の山小屋に妻を一人残して、 「いざ鎌倉!!」 と言わんばかりに埼玉まで関東大会の応援に駆け付けたこともあった。


 もしその人が間違った方向に導いていたら…、そこまで一人の人間を盲目に信じることは危険なのでは…、と思う人もいるかと思う。だが、僕にとってそんな不安はさらさらない。これはいつか書こうと思い続けてきたことだが、実は小関先生にも二人の先生がいるのだ。一人は大学時代の剣道部の先生である塩入先生。もう一人はまだ船橋市の教員だった頃から師弟関係のある奥村先生だ。二人とも超一流の教育者だ。


 小関先生は言う。


    「俺が言っている言葉は全て先生たちの言葉だ。」


 僕が小関先生に絶対の自信を持てるのは、小関先生自身が自分の先生に学び続け、自分を問い続けているからだ。自分はこれで良いのか。先生だったら何とおっしゃるだろう?


 また、奥村先生も、小関先生の道場の控室に飾ってある奥村先生の師匠の写真を見ながら、 「俺が語っているのは全部爺さんの言葉だ」 と何とも優しい目でおっしゃっていた。


 だから、こうして僕が崇拝している教えは、歴代の先生方によって、何十年、何百年と受け継がれ、磨き継がれてきた 約束のバトン だと思っている。それは決して完成されたものではない。でも、未完全で、満足されることなく追い求めてこられた教えだからこそ、自分は身を委ねることができるのだと思っている。


 小関先生は生徒にも平気で自分が打たれる姿を見せる。


 奥村先生は、よくうちの中学校の道場に顔を出される。大会前などになると、防具をまとい剣道部の生徒に稽古までつけて下さる。そんな時、小関先生は決まって自身も防具をつけ、真剣勝負を挑む。そして無惨に打たれる生身の姿を生徒に見せるのだ。


「お前たちだけじゃない。自分だって修行中の身だ。」 


そんなメッセージを生徒に送り続ける小関先生の教えには、何にも勝る説得力がある。

2010年11月4日木曜日

型は進化する ~Re: 古典的奏法から得られる身体運動の無限の可能性~

 先日マサさんが紹介して下さった締め太鼓の打ち方に見られる可能性から、型の理解を深めたいと思う。


 マサさんの見解やシェアして下さった動画から、締め太鼓の古典的奏法が、一見不自然に見えつつ、実は理にかなっていて様々な応用が可能なすばらしい打ち方であることが分かる。


 この気付きに表れているのは、武道や芸能における 「型」 の重みだと思う。そして、この理解こそが、マサさんが危惧する現代和太鼓音楽の行き詰まりや、源了圓氏が指摘する高度成長の激動で日本が陥った「型なし状態」の危険性を打破するために欠かせないものなのではないかと考える。


 「守・破・離」の前の「信」のコメントで竹越さんが、「過去の叡智の積み重ねの上に成り立っているサイエンス」 における 「守」 の必要性についてシェアして下さった。また、それとは別に、最近仲良くさせて頂いている伊喜利さんが、型を 「最大公約数」 という表現で理解されていた。


 ここで大事なのは、型を静的で arbitrary なものとして理解するのではなく、長い長い歩みの中、先達によって積み重ねられ、時代の流れに合わせて進化してきたとする理解だ。その意味で、竹越さんが紹介して下さった、ニュートンの "Standing on the shoulders of giants." という言葉は非常に的を得ている。大事なのは、"Standing on the shoulders of giant." ではなく "giants" となっている所なのではないだろうか。思い描かれるのはたった一人の偉大な創始者ではなく、各時代を築き、繋いできた巨匠たちの姿だ。


 逆に、伝統や型を無視するということは、先達が歩んできた道を否定し、積み重ねてきた叡智を無視することになるのではないだろうか。マサさんの 「入門者がその持ち方をすると数時間で肩がばりばりに固まり、腕が上がらなくなる。」 という指摘からも分かるように、そもそも、型の真の大切さは守りきった者にしか分からないのだと思う。だから入門者には有無を言わさずやらせるしかない。それを最初から、型が何故大事なのかと問うたり、型を避けて通るのは間違っている。


 最近僕が格闘し続けているHannah Arendtは、次のように主張する。大人たちは、自分たちの生き方や先祖から受け継いできた伝統を子どもたちに有無を言わさず教え込むのだ。そうして型にはめることによって初めて子どもたちは、いつしか自分たちが受け継いだ世界の美しさや守るべき善だけでなく、醜さや改善すべき悪をも理解するだろう。そこに新しい光がもたらされる。立ち止り、進化を止めれば死にゆく運命にあるこの世界も、子どもたちが持って生まれる natality (産み出す力) によって変わることができる。それが世界が生き続ける唯一の方法なのだ。


 だから彼女は、子どもたちが為すべきことが Creation (新しい世界の創造) だとは言わない。常に Re-creation なのだ。そのこだわりに託されたのはこんなメッセージではないだろうか。


世代交代によって新しい世界が創られるわけではない。

新しい世界へと創り変えられるのだ。




2010年11月3日水曜日

型の内在化: 「枠」 から 「芯」 へ  ~「自由」 を捨てて自らを解き放つ 4~(編)

 前回、 「守・破・離」 における型とは自分の行動、思考、信念を制限する 「枠組」 みではなく 「精神の芯」 であると書いた。ただ、修行を始めたばかりの者に、「型とは枠組みではない!」 と言っても理解できないと思う。


 僕自身にとっても、小関先生から与えられた型を守ることは、最初は息苦しくて仕方なかった。小関先生の教えに学ぶことは自分で選んだ道だったが、理解できないことばかりで、言われる通りに従うだけだった。英語の授業をしていても、グランドで野球部の練習を指導していても、小関先生にどこからか見られているのではないかと、いつもビクビクしていた。


 当時の自分にとっては、型とはまさしく自分らしさや 「自由」 を制限する枠組みでしかなかった。しかし、何年目だったかは分からないが、枠組みがいつしか自分の 「芯」 へと変化していたのだ。きっと、毎日まいにち守り続け、先生の教えを刷り込まれるうちに、型が内在化された結果なのだと思う。






 自分の教えを振り返ると、僕が野球部の指導で達成できなかったのはこのステップだったのだと思う。枠を与えることはできた。しかし、それを生徒たちが内在化する所までは持って行けなかった。そのために、僕の意図する教えが彼らの心にまで浸透することはなかったように思う。


 だから、生徒たちはグラウンドでは礼儀正しく一生懸命やっていても、練習以外の時間では服装を乱したり、僕が練習に出られない時は雰囲気が緩んだり、少なくとも学校の敷地の中ではちゃんと教えを守れるようになっても、家に帰ると大会前でも怠惰な生活をしたりして本番で力が発揮できなかったりした。


 野球部顧問として、僕が最後まで苦悩し続けたのは技術指導よりも心の指導だった。どうしたら、人の想いを背負って今という瞬間を大切にできる一流の人間を育てることができるのか…。自分が最終的に目指したのはそこであった。


 今考えてみると、僕の教員生活の大半は、理由も分からずに生活指導をしていた。


   学校生活でも服装を正しなさい。

     挨拶をきちんとしなさい。

       自分の身の回りを整理整頓しなさい。

         時間を守りなさい。

           汚れたユニフォームは自分で洗いなさい…。


 見た目ではなく、自分の内面から滲み出る個性、自律の精神、感謝の心など、これら全てが理解できて初めて僕が目指していた人間の育成が可能になること、そして、それは選手たちにとって、周りの中学生だけじゃなく、時に周りの大人をも超える人間性を身につける必要があるということに気付くまでに何年もかかった。そして気付いたところで、その教えを枠から芯へと導く力は自分にはなかった。これは自分が彼らの「先生」になれなかったことを意味している。


    悔しい…。


でも、だからこそ、今でもそこを目指している自分がいる。

2010年11月2日火曜日

「枠」 ではなく 「芯」 ~「自由」 を捨てて自らを解き放つ 3~




型とは 「枠組み」 ではなく精神の 「芯」 である。


 ここ数回に渡り、 「守・破・離」 の教えにおける型と自由の関係について考えてきた。このテーマの最大のチャレンジは、真逆とも取れる 「型」 と 「自由」 が実は共存するということを言葉で説明することだ。いろいろ考えたあげく、難しさの一因は 「型」 が持つイメージにあるのではないかという結論に至った。


 型というと、一般的には形を決めるための「枠」のことを指すのではないかと思う。もし型を枠と捉えれば、確かにそれは自由と相対するものになる。こうしなければいけない、そうしてはいけない、これが正しい、それは間違っている、これが必要、それは不要…というように、自分の行動、思考、信念など全ての自由を制限するだろう。


 しかし、もし型を 「精神の芯」 と捉えたらどうだろう。その場合、型は行動、思考、信念の枠組みではなく土台を意味する。「守・破・離」 の教えにおいて、自由とは 「精神の自立」 を意味するのではないだろうか。



あとがき (2010年11月2日)

 前回も紹介した 『武の素描 ~気を中心にした体験的武道論~』 という本で、筆者である大保木輝雄先生は次のような結論に至っている。



技の歪みを正し、身体を正すことによって、

何物にもとらわれない自由な心の在り方を会得させる、

それが剣術の 『かた』 習いの本義であった。




 今度改めて紹介したいと思うが、この前も書いたように、先週の土曜日から約2週間の予定で、盲目の和太鼓奏者、片岡亮太君が日本から我が家に来ている。滞在2日目、Teachers Collegeの太鼓愛好会の練習会で彼のパフォーマンスを聴く機会があった。彼の演奏は、DVDでは観たことがあったが、ライブは初めてだった。音楽を言葉で説明するとどうしてもチープになってしまいそうなので避けたいと思うが、少なくとも、彼のビートが和太鼓が好きでそこに集まった人たちの心に鳴り響いたのは確かだった。


 演奏後、音楽療法師である僕の妻が言ったことの中で、一つの言葉が僕の頭から離れなかった。


   「軸がぶれないよね」


亮太君は嬉しそうに、意識しているんです、と答えた。


 そんな亮太君も、そこにたどり着くまでには相当の苦労があったようだ。最初のうちは、師匠である仙堂新太郎先生にいつも叱られていたらしい。


「おまえは太鼓の前に立つだけで体が硬直しているように見える。」


 自分ではそんなつもりは全くなかったらしいが、どうやら、目が見えないがために物にぶつかる恐怖心が体に染み付いてしまっていたらしい。思考錯誤を繰り返したが、先日ゲストとしてこのブログに登場してくれた、亮太君の良き兄貴分でもあるマサさんの助言で始めた 「ゆる体操」 という筋肉のマッサージが大きな転機となった。それにより、硬直していた筋肉の質が変わり、「軟体動物」 のようになったという。


 体をリラックスすること、そして体の軸だけに意識を持って行くようになってからというもの、驚くべき変化があったそうだ。


 まず、駅前などで停めてある自転車などにぶつかっても、それまでのように自分が倒れることが無くなった。古武術のように、体に衝撃を受けても、まるでカーテンのように体が衝撃を後ろに逃がすのだ。面白いことに、意識を体の末端から軸へと移すことによって末端は解放されるのであった。


 もう一つ、亮太君を驚かせたことがあった。それまでは、何台もの太鼓を使って演奏する時、意識は自然と体から遠い所にある太鼓に向かっていた。しかし、いくら遠くの太鼓を意識しようともなかなか正確には打てなかった。それが、逆に意識を中に、体の軸へと向けるようになってからは、亮太君のバチは不思議なくらい正確に、遠くの太鼓をとらえ始めたのだそうだ。


 何故僕がこんな太鼓の話を持ち出すのか。それは外から内へと意識のベクトルを変えることによって解放された亮太君の姿が、小関先生という自分の芯を持つことによって外に散らばる 「正解」 の呪縛から解かれた自分の姿と重なったからだ。


 型が 「枠」 から 「芯」 へと変わっていく過程、それは無秩序であった一つひとつの行動が軸を中心に回り始め、小宇宙としての摂理が生まれていく過程を表しているように思う。

2010年10月30日土曜日

僕は服従し、自由になった ~「自由」 を捨てて自らを解き放つ 2~(再)

 ここ数日、 「型」 と 「自由」 の関係を考え続けている。

一つが全部だ、全部繋がっている、という小関先生の有機的な哲学を論理的に説明するのはとても難しい…。あれこれ考えたあげく、自分自身の学びの過程を分かち合うことが最善なのではないかという結論に至った。


 中学校教員時代、僕は小関先生に服従し、自由になった。
だが、最初から盲目に服従したわけではない。 『小関先生との出会い』 でも書いたが、僕は最初、日本の教育の現状を視察するスパイのつもりで教員になった。だから出会ったばかりの小関先生に服従しようなんて気持ちはさらさらなかったし、他の教員との関係でも、良い所だけ盗んで後は 「はい」 「はい」 と話を合わせるずるい優等生だった。


 一見自由に見えるその頃の自分は、極めて不自由だった。いろいろな先生方の様々な教えに自分を支配され、教員としての 「自分」 がなかったのだ。職業柄、教員は皆 「正しい」 ことを言うが、言っていることや教育観はそれぞれ違う。それに、一般的には 「正しい」 答えが、その瞬間、目の前の子や周りの子どもたちのためになるとは限らない。だから、いろいろな先生方のアドバイスを聞けば聞く程自分の中に矛盾が生じ、生徒の不信を募らせた。学びは横に広がる一方で、なかなか前へは進まなかった。


 随分と長い時間がかかってしまったが、最終的に何もわかっていない自分 (『無知の知』) に気付き、小関先生の教えに心を開き、服従する決意をした。自分が解放されたのはそれからだ。


 服従することはきついと同時に楽でもあった。来る日も来る日も叱られたが、暗闇の中手探りで仕事に没頭する日は過ぎ去り、自分の進むべき道がはっきりと見え始めた。生活の中の無駄が減り、調和が取れていくような感覚を覚えた。初めて自分が真っ直ぐになれているような気がした。


 もちろん、修行中も他の教員の指導を見続けたし、自分に教えてくれようとアプローチしてくる教員もいた。でも、いつしか自分は流されなくなった。他の教えに全く心を閉ざしたというのではない。しっかりと聴きながら、何が正しく、何が間違っているのかを自分で判断できるようになったのだ。ただそれは、それまでのように根拠のない直感による判断ではなく、小関先生の教えに対する絶対的な信頼に基づいた判断だった。 「この人が言っているのは、この前小関先生が話していたこと同じだ」 と思う時もあれば、 「この人に対して小関先生はきっとこう言い返すだろう」 と思う時も多かった。


 小関先生の教えを守り始め、過信が自信へと変化していくのを感じていた。



あとがき (2010年10月30日)
 
 大保木輝雄先生の『武の素描 ~気を中心にした体験的武道論~』という本のあとがきで、次のような源了圓氏の言葉が引用されている。


「高度成長で日本の社会、文化が急激に変化し、今までの文化の 『型』 が壊れ、他方で新しい型は生まれそうもない。いわば 『型なし』 状態になっている。私は特に教育に関心があって、日本文化のなかで人間形成の問題を考えると、『型』 を考えざるを得なくなった。」


 次回も引き続き、守破離の教えに見られる 『型』 の概念を、文化、教育、そして特に 「自由」 と結び付けて考えていきたい。

2010年10月29日金曜日

Re: 不自由無くして自由は生まれない ~古典的奏法から得られる身体運動の無限の可能性~

まえがき

 盲目の和太鼓奏者、片岡亮太君とのかかわりを通して出会ったマサさんからのコメントをピックアップしたいと思います。



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 70年代終わりに始まり、まだ30年の歴史しかない現代和太鼓演奏というのは、甚だ新しい芸術で、鼓童というグループが作った「和太鼓」というイメージを追って、和太鼓音楽は行き詰まりをみせています。

 その大きな理由には、多くの人々がそれまでの古典・伝統邦楽(祭囃子・能囃子・歌舞伎黒御簾音楽を含む)を学ばないため、伝統楽器である和太鼓の可能性や意味に気づいていないというのがあると思います。


 亮太と僕の師匠である仙堂新太郎先生は「汝の足下を掘れ」と常におっしゃり、古典を学ぶ重要性を説きます。能には四拍子と呼ばれる、笛・小鼓・大鼓・締め太鼓の囃子方が舞台後方に並びます。その締め太鼓の打ち方(3つ目の動画)は独特で、正座し、両腕を前方に延ばし、短いバチを手のひらの中に収める形で握ります。


 それはunreasonableな打ち方に見えるのですが、熟練者の太鼓から響く澄んだ音、そして持ち方からは想像もできない信じられないスピードがそこで生まれます。入門者がその持ち方をすると数時間で肩がばりばりに固まり、腕が上がらなくなる。ただ、それを毎日続けていると、次第に解きほぐれてきて、いつしか音が鳴るようになる。そして、それは腕先だけではない、肩甲骨と肋骨を使ったすばらしいストロークであり、どんな打楽器にでも応用が可能な普遍的な打法だということを理解するのです。


 「不自由無くして自由は生まれない」、そのアナロジーとして、古典的奏法から得られる身体運動の無限の可能性を思い浮かべました。

「自由」 を捨てて自らを解き放つ 1 ~不自由なくして自由は生まれない~ (再)

 小関先生はよく過激なことを言うが、その中でも特に過激な名言がある。

「生徒に服従することを教えなければならない。」

もしこの部分だけが全国ネットのTVや新聞で報道されたら、彼は間違いなくパブリックエネミーに祭り上げられるだろう。だが、 『自分を持つということ② ~「守」「破」「離」~』や、 『叱るとは愛すること』や、 『守・破・離の前の信』を読んでくれた人は分かるだろう。小関先生にとって 「服従することを教えること」 とは 「人を信じることを教えること」 であり、 「背負わせること」 であり、 「愛すること」 である。


 それに、もし、 「何のために服従させるのか?」 と訊かれたら、きっとこう答えるだろう。


「彼らを自由にするためだ。」


 矛盾している、と思うかもしれない。でも、僕が解釈するに、これはまさに 「守・破・離」 の哲学そのものだ。 「型こそが自由の前提」 と 「守・破・離」 の教えは説いているように思えてならない。




無から自分独自の型は見つからない。

人を知らずして自分を知ることはできないのと同様に、

人は、型を守ることを通して初めて自分独自の型を持つ。


不自由なくして自由は生まれない。




あとがき (2010年10月29日)


 小関先生が言う、「服従させること」 というのは、ドイツ出身のユダヤ人哲学者、Hannah Arendt (ハンナ・アーレント) が言う 「権力を持って教える」 というのと通ずるものがある。彼女は言う。大人は自分たちの世界を、権力を持って子どもに教え込むのだ。その過程において、大人と子どもが平等の関係にあってはならない。

 Arendt は Crisis in Education (教育における危機) という論文でこう書いている。大人の代表である教師は、子どもたちを前にしてこう言って教えるのだと。


"This is our world." 「これが私たちの世界だ。」


 この言葉には、自らが歩んできた道や築いてきた世界に対する大人たちのプライドと共に、「さあ、おまえたちはここからどこに向かう?」 という子どもの未知なる可能性にかける親の愛情と期待が感じられる。


 また、「不自由なくして自由は生まれない」 という守破離の解釈も、Arendt に見ることができる。彼女の哲学は、リベラルか保守かのどちらか一方に陥りがちな現代教育理論に一つの問いを投げかけているように思う。
 
 
限界を知らずして、どこに自由を求めることができるのか?

2010年10月28日木曜日

自分を信じるために人を信じ、自由を捨てて自らを解き放ち、自由になって不自由を楽しむ (再)

まえがき 


     「一つが全部」


 この言葉を何度小関先生から聞かされてきたことだろう。
その度に、 「はい」 と答えてはきたものの、今になってようやく 「そうだよな」 と思う自分がいる。「一つできる奴は全部できる」 という言葉も今だから納得できる。


 小関先生に教わったこと、自分が先生のもとで経験したことを振り返りつつ、 『先生の教え』 というカテゴリーで実に様々なことを書いてきた。でも、読み返せば読み返すほど、全てが繋がっているのが見えてくる。いろいろな状況でいろいろな言葉を聞いてきたが、先生が教えたいことはみんな同じことで、それはまさに「守・破・離」そのものなのだと思う。


 「守・破・離」 の教えは矛盾に満ちている。小関先生の言葉を道しるべに 「守・破・離」 を考えていくと、一つのメッセージが見えてくる。


自分を信じるために人を信じ

自由を捨てて自らを解き放ち

自由になって不自由を楽しむ


数回に分けて、これらを一つひとつ考えていこうと思う。



1.自分を信じるために人を信じる
① 「信じる」 ことの意味


人は、他人を知ることなく自分のことを知ることができるのだろうか
誰も深く知らずして、自分を深く知ることができるのだろうか
誰も信じることなく、自分を信じることができるのだろうか


 小関先生が頑なに 「信」 そして 「守」 の大切さを中学生に教えるのは、彼の哲学の根底にこのような問いがあるからではないだろうか。小関先生はきっと、人を信じることを通して生徒に自信を持たせ、人を信じ抜いた時に見える世界を生徒たちに見せたいのではないかと思う。


 小関先生にとって、 「信じる」 こととは心を全開にすることを意味している。中途半端に信じることは 「信じる」 うちに入らない。例えば、剣道部の生徒が完全に小関先生を信じた時、生徒は自分がした良いことだけでなく、悪いことや普通だったら言い辛いことまで先生に報告するようになる。隠していてもすぐに見透かされてしまうからというのもあるが、先生が心から自分のことを考えていてくれていることを生徒は分かっているし、先生に叱られることが自分のためになると知っているからだ。上級生になればなる程、自分から先生に叱られに行く。叱られるのが嬉しいのだ。彼らは言う、 「先生に叱ってもらった。」


 もう一つ。小関先生にとって、「信じる」ことは決して一方通行ではない。なぜならば、 『勝って己の愚かさを知る Part II ~可能性無限~』 でも書いたように、子ども一人ひとりが無限の可能性を持っていると信じている小関先生を信じるということは、自分の無限の可能性を信じるということでもあるからだ。だから、信じるということは、同時に先生の想いを背負うことでもある。これが大変なのだ。自分は一生懸命やっていると思っている生徒に先生はさらりと言う。 「お前はまだ10%の力しか出してない。」



② 自信は 「他信」
 中学校で部活の顧問などをやっていると、試合で、 「自分を信じて思いっきりやってこい!!」 などと激励する監督を目にすることがよくある。実際、自分もその一人だったのではないかと反省している。でも今になって、これは非常に無責任なことなのではないかと感じる。試合の命運が分かれるような大事な場面になればなるほど、このような激励は選手にとって酷である。


 中学生に 「自分を信じろ」 と言っても、どこまで信じ切ることができるだろうか。自分に対する自信など脆いものだ。自分の強さを知っているだけでなく、自分の弱い部分も知っているのだから。最後の最後で迷いが生じるのではないだろうか。


 その意味では、自分を信じるよりも他人を信じる方がよっぽど楽だ。 『自分を持つということ① ~信じること~』 でも書いたが、小関先生に対する信頼こそが、剣道部の子たちの自信そのものだ。普通だったら名前を聞いただけでも震えあがるような全国の強豪相手にも、小関先生が 「負けるわけがない」 と言えば、臆さずに闘ってくるのだ。それでも負けた時には、先生が全責任を負うのだ。「自分を信じろ!!」 などと言って子どもに責任をなすりつけたりはしない。


 前に、 『勝って己の愚かさを知る Part III ~人々の想いを背負って~』 で紹介した子が良い例だ。中学校女子個人の部で日本一になった子だ。


 全国大会女子個人の部、優勝候補とのベスト8懸けの試合。 「水入り」 を挟む10分を超える死闘に決着をつけて帰ってきた彼女の言葉が全てを物語っている。


「だって先生笑ってたから…。自分の感覚信じろって言ったじゃない。
先生が笑ってたから自信持って打てた。」


 最初から自分を信じ切れる人間などいないと思うし、もしいたとしたらそれはただの傲慢でしかない。人は努力をし、失敗を積み重ね、人に認められて初めて自信をつける。


 小関先生の教えは我々にこう問いかける。


人は、誰も信じることなく、自分を信じることができるのだろうか?

(続く…)

2010年10月27日水曜日

「守・破・離」の前の「信」 (再)

まえがき


 現在、教育哲学の授業の中間試験として書いている論文がある。

Hannah Arendt (ハンナ・アーレント)、Maxine Greene (マキシン・グリーン) に見る 「守・破・離」 の教えについてだ。

 こんな突拍子もないテーマ、もちろん教授から出された課題ではなく、特別に許可をもらって書いている自分だけのものだ。自分の博士論文とも関係してくる。

 そんなわけで、今後数回に渡り、「守・破・離」 関連の記事を再投稿していこうと思う。一緒に考えて頂けたらありがたい。


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「守・破・離」の前の「信」  (2010年2月2日投稿)

1.修行に必要とされる心の土壌

 今回の帰国で小関先生が口にした言葉で、もう一つ引っかかる言葉があった。


    「守・破・離」 の前には 「信」 が来る。


 「守」 「破」 「離」 については以前も 『自分を持つということ ② ~「守」「破」「離」~』 で書いた通りで、剣道やその他の武道、茶や能などの日本古来の伝統芸能などで、 「道」 を究めるための精進の過程を表している。


 最初の段階は 「守」 で、与えられた型を守ることを意味している。何日も何カ月も何年もその型を守り抜いた者は、初めてその型を破り、応用できるようになる。これが 「破」 だ。しかし、型を破ったことにいつまでもとらわれている者に道を究めることはできない。その執着から己を断ち切った者のみが、何にもとらわれない 「離」 の境地に立つのだという。


 これからもわかるように、この精進過程に 「信」 は見当たらない。では、小関先生が考える「守・破・離」 の前の 「信」 とはどういうことなのか。小関先生は言う。


    「信」 とは人を信じる 「信」 であるし、自信の 「信」 でもある。


 誰もが最初から修行に入る精神の準備ができているのか。誰でも 「今日からこれをしっかりと身につけなさい」 と与えられた型を守ることができるのか。これらの疑問が 「信」 の根底にあり、ここで問われているのは修行に必要とされる心の土壌なのだと思う。


2.「教えが入る」

 小関先生がよく使う言葉に、 「教えが入る」 というのがある。

それは、先生があの手この手で指導してきた子どもが、先生が言い続けてきたことをやっと理解し、先生の教えを受け入れる瞬間を意味している。もっと言えば、それは子どもが変わる瞬間でもある。


 小関先生の剣道部を例にとって話してみよう。子どもたちの誰もが最初から小関先生を信用するわけではないし、先生の教えを受け入れられるわけでもない。実際、うわべだけで話を聞いている子も始めは少なくない。


    「お前たち、わかったな。」


 さもわかったようにうなずく生徒たちに、先生はにやりと笑いこう言う。


    「そうか。でもな、知っていることとわかっていることは違うんだぞ。」


 部内の人間関係、部員の生活態度、試合展開など、あらゆることにおいて小関先生は予言をする。


    今こうだろ?次にこうなって、こうなって、最後はこうなるぞ。見てろ。


そしてそれらの予言が全て当たるのだ。そう考えてみると、小関先生の教え方は剣道そのものだ。自分がこう動いたら相手はこう動く。それに対して自分がこう出れば相手はこうなるだろう。常に先を読んで勝負しているのだ。


 そのような予言的中が繰り返され、生徒は少しずつガードを下ろし始める。そして気付くのだ。


    全部先生の言ってる通りになる。


 そうなってしまえば後は時間の問題だ。タイミングは生徒によって様々だが、ここぞと思う時に小関先生は勝負をかけるのだ。狙っているのは 「教えが入る」 瞬間であり、それは生徒自身の 「無知の知」 の気付きに他ならない。


    自分は知っていただけで本当は何もわかってはいなかった。


 こうして生徒は小関先生の 「バカ!」 を受け入れ、初めて 「守・破・離」 の 「守」 へと入っていくのだ。


3.前提としての 「信」

 一つの疑問が残る。


では、なぜ 「守・破・離」 の教えには 「信」 が明示されていないのか。


 小関先生と話をしていて、きっと 「信」 は精進の道に入るための 「前提」 だったのではないかという結論に至った。新たな疑問が生まれる。ではなぜそれが前提として成り立っていたのか。なぜ今の時代、小関先生のような教員が子どもに 「信」 から教えなくてはならないのか。きっとそれは、 「守・破・離」 の教えが確立された時代には存在し、徐々に失われてきた地域や家庭の教育力だったのだろう。


 もし子どもが、何の疑いも持たず、人の良さだけを信じるまっさらな状態で学校や道場に来たら、おそらくその学校の教員や道場の師範は、 「信」 から取り組む必要はないだろう。これは今の時代、非常に珍しいことなのではないかと感じる。


 今日、多くの子どもは不信感に満ちている。そして、それこそが教育の邪魔をしているように思えてならない。子どもたちは、見知らぬ人に話しかけられても絶対に話すんじゃない、学校の教員より塾の先生の言うことをしっかりと聞きなさい、と家では言われ、テレビや新聞からは信じられないような悪質な事件や学校教育や教員を疑問視するニュースを毎日のように聞かされている。放課後や週末に通うピアノや水泳も、多くの子にとって 「習い事」 の一つでしかなく、子守の代わりと認識している親もいたりする。


 今日、親の言葉はどれだけの重みを持って子どもの心に届いているのだろう。

これは2児の父である自分にとっても非常に重い問題だ。もし、親の言葉が子どもにとって絶大の意味を持ち、その親が 「学校で先生の言うことをしっかりと聴きなさい」 と伝えていたら、教員が 「信」 から取り組む必要はまずないだろう。それに、もし大人たちが地域を挙げて教育に取り組み、学校や道場を支援していたら、子どもたちはすんなり 「守」 から入ることができるのではないだろうか。


 小関先生の剣道部の生徒たちと話をしていると、いつも心が洗われる想いがする。これは以前、 『子どもこそ大人、大人こそ子ども』 で言いたかったこととさして変わりはないように思う。生徒たちが本当に無垢で子どもらしいのだ。何よりも、多くの子たちは人の良さ心から信じている。だから、話をする時は怖いほど近くまで寄って来て、人の話を真剣に聴こうとするのだ。そんな生徒たちを前にすると、話すこちらの方の身が引き締められる想いがする。


 もちろん、小関先生自ら土壌づくりをしてあげた子も少なくないが、中には最初から 「信」 の前提を持ってやって来た子もいる。そんな子たちは決まって、子どもを本気で一流にしようと思っている一流の親を持っている。


 今、こうして書きながら、自分に言い聞かせている。他のことができなくてもいい。ただ、人の良さを心から信じられる子どもを育てたい。そして、願わくば、親が安心してそのような子育てをできる社会があれば、と思う。

2010年10月25日月曜日

「愛というか。」

 次々と出されるペーパーが首まで詰まっていると言うのに、また苦笑いをしながらこれを書いてしまっている。昨夜初めて電話でお会いしたマサさん、そして古い付き合いのかおるさんから、 『世界に一つ』 『(続)世界に一つ』 に書いた自分だけの感性について共感の言葉をもらった。かおるさんはコメントの中で、パウロ・フレイレに言及しながらこんなことを言っている。



 「自分の思っていることを勇気を出して言うことは、人とつながることなんだと思う。愛というか。」



 実は、自分だけの感性や主観性を大事にすることについて書きながら、僕自身の脳裏にもパウロ・フレイレの言葉がちらついていた。



 かおるさんからコメントをもらい、久し振りに自分のquote bookを読み返してみた。そしてこんな言葉を見つけたので、ここでシェアしたいと思う。



 これを読んでくれているあなたへのプレゼントのような気持ちでタイプしました。



“To deny the importance of subjectivity in the process of transforming the world and history is naïve and simplistic. It is to admit the impossible: a world without people. This objectivistic position is as ingenuous as that of subjectivism, which postulates people without a world. World and human beings do not exist apart from each other, they exist in constant interaction” (Freire, P. 1970. Pedagogy of the Oppressed. p. 32).



“Human existence cannot be silent, nor can it be nourished by false words, but only by true words, with which men and women transform the world” (p. 69).



“Dialogue cannot exist, however, in the absence of a profound love for the world and for people. The naming of the world, which is an act of creation and re-creation, is not possible if it is not infused with love. Love is at the same time the foundation of dialogue and dialogue itself” (p. 71).


Paulo Freire

 2009年8月9日に始めたこのブログ、今回の投稿でちょうど200本となった。読んで下さっている皆様から勇気をもらい、続けられています。ありがとう。

                              With love,



                                                                 Daiyu

2010年10月22日金曜日

(続)世界に一つ

 今日これを書いてることそのものに僕の性格が表れているのかもしれない。中間試験中だが、『世界に一つ』 を書き直してみようと思う。昨日書き終えた時点で、どこかしっくりこないところがあり、ずっと気になっていたのだ。



 昨日の記事で、勉強とは関係のないことに没頭しながら、そうすることが 「無駄だと思ったことはなかったし、自分の学びとどこかで繋がっていることにも気付いていた。でも、どこで繋がっているのかがわからなかったのだ」 と書いた。これは嘘だ。



 自分に正直に振り返ってみると、これら 「関係のないこと」 に没頭しながら、どこか焦りを感じている自分がいた気がする。そうだ。決して無駄ではない、きっと自分のためになっているのだと言い聞かせてきただけだ。これらのことに打ち込みながら、どこかで自分の学びとも繋がっているのではないかと思っていたが、それが本当なのか、だとしたらどう繋がっているのかは分からなかった。



 博士課程3年目に入り、博士論文のテーマがいよいよかたまりつつある。今度改めて書こうと思うが、テーマも、切り口も、手法も、人とは全く違うのだ。授業を受けていても、自分が発する問いや主張が他の人にとって極めて新鮮なものらしいということが最近よくわかる。



 この 「自分らしさ」 が何から生まれているのかと言えば、今まで自分が歩んできた人生としか言いようがない。今までめぐり会った素晴らしい書物の数々、一本一本真剣に向き合って書いてきた無数の論文、そのプロセスから得た技術や内在化してきた自分の価値観は、今の自分に大いに関係ある。ただ、自分の最大の強みはと訊かれれば、躊躇することなく、様々な経験や人との出会いだと答えるだろう。そして、それらの経験や出会いの多くは、「関係のないもの」 を通して得たものだ。



 もう迷いはない。無駄になったことは一つもなかった。全ては、世界中で自分だけにしかない感性の源だったのだ。







 意見を述べるにしても、主張を書くにしても、大事なのは自分を隠さないことだと思う。

 自分の感性に心を傾け、恐れずに自分にしかない主観性を表現するのだ。

 それが人生の恩恵に対する恩返しであり、そうしないことは自分の人生、そしてそこで出会った全ての優しさを否定することだ。





 『世界に一つ』 を読んで、同じTeachers Collegeで頑張っているさきちゃんがすてきなQuoteを紹介してくれた。



"The precious, intangible gems like happiness, satisfaction, self-respect,
and pride―they are the thanks to the people who come into your life.
Life is not what you alone make it. Life is the input of everyone
who touched your life and every experience that entered it.
We are all a part of one."

- Yuri Kochiyama -

2010年10月21日木曜日

世界に一つ




 先日、ある決意をした。

    僕は、人生を 「感性」 で生きていく。

 体を動かすのは好きだし、逆に動かしていないと気が済まない性格だが、自分の身体能力で生きていくことはまずないだろう。かといって、今は教育学の理解を深めるためにひたすら勉強しているが、知性のみで生きていくつもりもさらさらない。知性というのは、その人のある一つの側面に過ぎないと思う。







 当たり前のことなのだが、日々の勉強の中、人と同じ物を読んでも、同じ講義を聴いても、同じテーマについて書いても、話しても、自分がどう感じどう表現するかに 「自分」 というものが表れる。もし、純粋な 「知性」 というものが存在するのなら、自分がどう感じどう表現するかということに関しては、知性だけでは割り切れないものがある。自分の生い立ち、育った環境、自分の肌の色、性格、様々な経験や出会い、それら全てが影響してくる。






 
僕は昔から、「勉強」をしながら、一見勉強とは全く関係のないことに没頭することが日常茶飯事の生活を送ってきた。今でも Teachers College にいる日本人のネットワーク作りをしたり、イベントを企画したり、お父さんサークルを作ったり、このブログを書いたり、新たなブログを立ち上げたり…。でも、これらのことが無駄だと思ったことはなかったし、自分の学びとどこかで繋がっていることにも気付いていた。でも、どこで繋がっているのかがわからなかったのだ。



でも、この前気付いたのだ。自分の最大の強みは、今まで読んできた数々の本から得た知識でも、書いてきた無数の論文で練り上げた技術でもない。様々な経験や人との出会いこそが僕の最大の強みなのだと思う。たった37年の人生だが、本当に良い想いをたくさんさせてもらってきた。様々な物事や人からもらってきた優しさの数では誰にも負けない。(もしかしたらみんなそう思っているのかもしれない。だとしたら、そんないいことはないだろう。)そして、それらの優しさが一瞬一瞬自分にどう囁きかけているのかに耳を傾け、対話し、表現していくのだ。 「客観性」 の名の下に聞こえないフリをするのではなく。










 人の一挙一動を統合しているのが感性。






 そしてそれは間違いなく、世界に一つしかない。




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2010年10月15日金曜日

答えのない問い

 このブログにもう何度も登場しているマキシン・グリーン(Maxine Greene)という一人の女史がいる。現在93歳でありながら自宅で授業を教え続ける教育界の巨匠だ。93歳と聞いてピンとこない人も、昔彼女がジョン・デューイ(John Dewey)の隣人だったと聞けばセンスがつかめるかもしれない。



 コロンビア大学Teachers Collegeで彼女ほど重要な人物はいないのではないだろうか。1年に一度か二度、何かのスペシャルオケージョンの時のみ大学に姿を現すが、その時は必ずそのイベントの主催者から、「今日は我らがマキシン・グリーンも会場に来てくれている」 と紹介を受ける。



 その彼女の自宅で、先日ミニコンサートがあった。彼女の授業を受けたミュージシャンの学生が発起人となって、ある晴れた日曜日の午後に行われた。



 僕も娘二人を連れて参加させてもらった。マキシンは、自宅にやってきた子どもたちを見てことのほか嬉しそうだった。



 ミュージシャンたちをソファーやイスで大人たちが囲む中、うちの子たちは最前列の床に陣取り、踊ったり手を叩いたり。下の美風は途中から熱くなって上半身裸になる始末。そんな子どもたちにマキシンはずっと暖かい視線を送っていた。



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 2008年、僕が彼女の授業を受けていた際、彼女が繰り返し言っていた言葉がある。



“The most important questions are
those that are unanswerable.”


「最も大事な問いは答えのない問いだ。」



 教育政策、教育法と、様々な紆余曲折を経て哲学に戻ってきた今だから分かる気がする。マキシンは問いのない、一見安静な状態を恐れている。



 大切なのは答えを出すことではない。動き続けることだ。



 停滞の中から新しいものは生まれない。そして、進みゆく時代の中、止まることは死を意味している。


 人間は、時代から投げかけられる問いのみでなく、20世紀以上にも渡ってずっと格闘してきた問いと向かい合い、問い続けることによってのみ、人間であることを主張できる。


友人のSeungho、そしてMaxineと娘たち。



2010年10月12日火曜日

アメリカ教育最前線!!

皆さま、

 早速アメリカの教育最新情報を専門に発信するブログを創設しました。

その名も…


(上の文字をクリック。または以下のアドレスからどうぞ。)



 とにかく、「教育改革を志す人集まりましょう。そしてどんどん知識を共有していきましょう!」 ということをテーマにやっていこうと思うので、できるならば多くの同志と一緒に作っていければ良いなぁと思っています。

『分かち合いたいこと』 共々応援よろしくお願いします!!

2010年10月11日月曜日

時代のテーマ

 最後の更新から2週間以上が経ってしまった。

思えばこれほどすっぱりとブログから気持ちを切っていた期間も珍しい。今まではどこかで気になり、「何か発信せねば!」 という無駄な焦りがあった気がする。

でもこれは自分がやりたいからやっていること。無理にやるもんじゃない。焦りを感じつつやってしまうと、自然と書くもののクオリティーは低くなったり、小さいことが思いの他ドラマティックな表現になったりしてしまう。

だから決めたのだ。これからは、心から分かち合いたいと思うことだけ、せっかく読んでもらうのだから読むに値するものだけ書こう。

Google Analyticsを久しぶりにチェックしたら、ずっと更新されてなかった間も毎日チェックしてくれていた読者の方たちがいたことを知って心が痛んだ。
ごめんなさい。そしてありがとう。

新学期が始まってからというもの、自分は本業である教育の勉強に没頭している。今学期から授業数は半分に減り、少しずつだが確実に博士論文に向かいつつある。だから気持ちがそっちにフォーカスしてきているのも無理はない。今学期取っている授業はNarrative Inquiryの権威であるJanet Miller教授との個人授業、そして哲学科のSchool & Societyというイスラエルからのvisiting scholarによる教育哲学の授業だ。どちらも面白い。

教育の勉強に没頭すればするほど感じることがある。それはアメリカで教育を勉強させてもらっている自分の責任だ。



パウロ・フレイレ(Paulo Freire)はEducation for Critical Consciousnessという本の中でこう言っている。

“If men are unable to perceive critically the themes of their time, and thus to intervene actively in reality, they are carried along in the wake of change” (Freire, 1973, p. 6).


(もし人々が、自らの時代のテーマを批判的に捉え、現実に能動的に介入できないならば、彼らは変化の跡を追って流されるだけだ。)


自分が今ここにいる意味は何なのだろう?

フレイレが言う、「時代のテーマ」とは何なのだろう?

どんなことが時代のテーマとして設定され、「現実」として我々に提示されているのだろうか?自分はどのようにこの現実に介入していけば良いのだろうか?そんなことをずっと考えている。



先日、Twitterなるものを始め、そこにて自分の責任を追及し始めた。このブログの右端にもリンクされているが、自分が読んでいて感銘を受けたものや、日本が知るべきアメリカの教育最前線のニュースを発信し始めたのだ。

アメリカでは教育破壊が行われている。もはや教育を通してパブリックを語ることも難しい状況になっている。アメリカ主導の消費資本主義が加速する中、日本の社会、そして教育が受ける影響も必至だと僕は考える。日本の教育がアメリカの二の舞を踏まないためにも、今じっくりと、クリティカルにアメリカの教育動向を見つめることが必要だと思う。

とは言っても、Twitterでは字数の制限もあるし、かなり専門的な内容になってしまうので、これからはアメリカ最先端の教育情報を専門に発信する別のブログを作ろうと企んでいる。

ただし、『分かち合いたいこと』はこのままの形で続けていきたいと思う。人生の美しさを共有できるすてきな人たちが集まってくれている。もちろん僕自身も発信していくつもりだし、今まで通り、ゲスト投稿として誰でも発信できる分かち合いの場として使って頂けたら幸いだ。

これからもどうかよろしくお願い致します。

p.s. アメリカの教育最前線ブログの方はでき次第連絡いたします。


                  大裕

訳責:鈴木大裕
(10月12日に新設完了しました! http://us-education-today.blogspot.com/)

2010年9月24日金曜日

縛られている




夏のある朝、ふとスケジュールが気になった僕が言った。


「今日は木曜日だねぇ。」


窓にとことこと歩いて行く愛音。


外をきょろきょろ見ながらこう言った。


「え~?なんでぇ?どこがぁ?」





大人の世界が、急に窮屈に感じ始めた瞬間だった。




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2010年9月21日火曜日

"Responsibility" and its etymology

     Here is an attempt to translate an essay I wrote a while back, in 1999. No translation is ever perfect, and this “translation” turned out to be a completely different essay which, at least, tried to preserve the original essence. For those who can read Japanese, the original version can be found here.




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     When I was teaching ESL in Japan, I came across the word origin of “responsibility.”

I learned that it consisted of three parts:

  “re” (return), “spondere” (promise), and “ability” (ability).

A strange sensation of comfort took over me. I couldn’t make sense of it then, but my heart somehow knew and accepted it.


      Later, I came to interpret the etymology in this way.

The components imply a relationship between the giver and the given, where there is a sense of obligation in the latter to give back for what has been given. In this sense, this relationship assumes continuity and growth of capacity over time.

It is also a relationship that is sustained by trust and a promise. On one hand, the giver waits, believing in the potentiality of the given. On the other hand, the given builds on what was entrusted to him and commits himself to a promise that one day he would return the gratitude in his own way.

Responsibility, then, is proactive in essence rather than reactive, internal instead of external.

It emerges out of one’s appreciation, resolution, and the ability to live it.

2010年9月18日土曜日

Waiting for a Superman





今日、Teachers Collegeにて Waiting for Superman という新作ドキュメンタリー映画の特別試写会がありました。『不都合な真実』 でオスカーを受賞したことでも知られる デイビス・グッゲンハイム (Davis Guggenheim) がアメリカの悲惨な公立教育の現状をテーマに挑んだ映画です。『不都合な真実』 と同様に世論を大いに動かす力を持っている作品だ、とメディアによる前評判も高かったので観に行きました。とりあえず英語でメモをとったのでシェアしたいと思います。アメリカの公教育に興味を持っている人に読んで頂けると嬉しいです。時間があれば今度日本語でまとめたいと思っています。



          Today, Teachers College hosted as the Constitution Day Program an event titled “Special Pre-Release Film Screening and Faculty Panel: Waiting for Superman.” This is a new documentary film on education by an Oscar-winning filmmaker Davis Guggenheim, the director of AN INCONVENIENT TRUTH. As a former public school teacher and an education student very much interested in school reform that mobilizes non-traditional vehicles of communication for reaching out to a wide range of audience, I couldn’t miss this opportunity. There was also a post panel discussion by 4 professors of education, which was very very interesting.

          It was a meaningful learning opportunities in many ways, and I wanted to share my memo with you. If I have time, I want to organize my thoughts into an essay in Japanese in a near future.





About the film

It contrasts the horrible conditions of today’s public schools in the U.S. and a couple of successful charter schools and their leaders’ heroic stories. Although the film does portray hopeful educational interventions, it confronts the audience with harsh realities - “Choice” does exist but is not for everybody and many of our children’s futures are decided by lottery to get into those rare choice schools.





My reaction to the movie

A good film which stirs the audience’s emotions regarding the education of this country’s children…however, the narrative it provides is very one-sided and it fails to understand the complexity of school reform by providing very simplistic solutions…a good example of non-education expert who thinks he has a magical idea for school reform. But then, this film still gives me a slight hope that it might raise people’s consciousness about the failing public school system and stir up a major dialogue on education.



Points made by the film

The primary reasons our public schools are failing are bad teachers and the tenure system as well as teachers’ unions that protects them. There are a few successful charter schools that point to these problems, but the changes are not so easy because of the teachers’ unions that stand in the way.



A major assumption made by the film

“Good teachers” are simply those who can raise students’ test scores.



What the movie didn’t show...

- That only 1 out of 5 charter schools are given “successful” evaluation.

- That those succeeding charters really enjoy the privileged schooling environment such as parents who are extremely committed to their children’s education and enormous funding from the private sector. This begs an important question: Is it still possible to scale up these “hot” school reform initiatives to the national level reform?

- The unfair school funding scheme and the resulting funding disparity between rich and poor districts. Yes, there are hopelessly bad teachers who shouldn’t be teaching our children. BUT, given that there are a number of education finance lawsuits such as Campaign for Fiscal Equity, is it really fair to blame on the failing schools and their teachers without addressing this issue? It was extremely interesting to hear Prof. Michael Rebell’s point about the right to decent education not being a constitutionally guaranteed fundamental right and what’s really needed is a movement to address this issue.





Interesting commentaries

- Charter school movement’s original intent was to understand what standard regulations stood in the way of improving public schools (Michael Rebell).

- The kind of ideology that’s driving today’s mainstream school reform discourse is twofold:

 Get rid of bad teachers

 Recruit teachers from topnotch universities (Jeffrey Henig).

- The title, “Waiting for a Superman”, is completely contradictory because the film starts out giving a message that Superman never comes so we need to start doing something by ourselves but ends up providing a simplistic solution that, most likely, would never come true (Jeffrey Henig).

- The missing voice: Teachers (Aaron Pallas). So, here we are discussing how to improve schools and teachers, but why are we not hearing from the very teachers? Unfortunately, the discourse of school reform is done always in this way even in Japan…

2010年9月13日月曜日

63歳で留学の夢を果たしたある社長の話

 2008年に再渡米してから、毎日のように僕が通って来た場所がある。コロンビア大学Teachers College(TC)の図書館だ。授業の有無にかかわらず、最初の2年間はたいていそこで勉強してきた。



 TCはアメリカで最古にして最大の教育大学院。1889年創立、100以上のプログラムがある。マンハッタンの120丁目、Amsterdam AvenueとBroadwayの間に位置するが、その中央部にそびえ立つ古いレンガ造りの建物が図書館だ。



 1階は本の貸し出しカウンターがある他、コンピューターが並んでいる。2階はディスカッションできるオープンスペースになっている。グループワークをしたりする時に便利だ。3階は静粛な雰囲気で勉強できるスペースとなっている。6人掛けの大きなテーブルが大部屋に左右均等に並べられ、両端の窓際には、より隔離された雰囲気で勉強したい人用に、サイドに仕切りのある勉強机が並べられている。日本の建築では優に2階分のスペースを取るほど天井が高くて気持ちがいい。



 2階と3階の間の踊り場の床石には小さな窪みがある。最初からそうだったのか、誰かがよほど重い物を落としたのか、それとも長年人々に踏まれ続けその重みに耐えかねたのかは分からないが、いつもその窪みを踏んで3階に登るのが僕の習慣になっている。きれいに統一された筈のデザインの中に存在するそんな一つの不規則が愛嬌となり、人に愛着を持たせる。



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 2010年2月、TCの図書館で威光を放つ白髪のアジア人男性がいた。少なくとも50歳後半はいっていると思われた。髪は短く、推定年齢の割にはがっちりしていて、背も高く、アジア人離れした体型をしている。今年に入ってから図書館でほぼ毎日見かけるようになった。



 時折席をはずすことはあったが、たいていは朝早くから夕方まで、常に3階の僕の定位置の後ろ斜め右の席で書物やパソコンと向き合っていた。



 何をしている人なのだろうか。きっと教授に違いない。でも何故毎日ここで勉強しているのだろう。教授だったら自分のオフィスがあるだろうに。まさか学生じゃないだろう…。



 いつからか僕はこの男性のことがとても気になり始めていた。相手も僕がいつもそこにいることを認識していたようだ。



 ある時から互いに会釈を交わすようになっていた。いかにもアジア人らしい、何とも言えない微妙な距離感。周りのアメリカ人にはどう映っていたのだろう。



 ある日、トイレに行く途中すれ違った。僕は思わず話しかけていた。



    “Hi, we have seen each other so many times. My name is Daiyu.”



そう言って僕が握手を求めると、彼も嬉しそうに、 Nice to meet you, too. と握手してくれた。そして今度は Where are you from? と彼が訊いてきたので、Japan と僕は答えた。



 すると、その男性は笑顔で細めていた目を丸くさせて、Oh! と言い、今度は両手で握手を求めてきた。



 まさか、と僕は思ったが、そのまさかだった。



 日本人だったのだ。しかもコロンビアの国際公共政策大学院(School of International and Public Affairs)の修士課程所属の留学生だというではないか。



 がっちりした外見といい、行動といい、僕のデータに無いタイプの日本人だったので僕は仰天した。



 そこでは簡単な挨拶にとどめ、詳しくは後日ランチでもしながら、ということになった。貰ったコロンビア大学の名刺には佐々山泰弘と書かれてあった。





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 数日後、いつものように背中合わせの形で勉強していた僕らは、12時になると荷物をまとめてTCのカフェテリアに向かった。



 この日は終始日本語での会話だったが、まず驚かされたのは、佐々山さんの声の大きさだ。その大きな体から、少ししゃがれた重低音が響いてくる。毎日同じ席に着き、静かに勉強し、静かに帰る、そして顔を合わせた時は目を細めて会釈する…。そんな佐々山さんの姿しか知らなかった僕は、勝手にシャイな男性を想像していた。だが実際の佐々山さんは全く違っていて、いかにも体育会系でパワー溢れる人間だった。



 日本人にしては随分大柄でいらっしゃるけど何かスポーツをやっていらしたのですか、と僕が尋ねると、学生時代にウェイトリフティング部で鍛えたと教えてくれた。これは後で分かったことだが、佐々山さん、実は国体3位という実力の持ち主だ。



 留学する前は何をしていたのかという質問に対しても面白い答えが返ってきた。「Mac Fan」や「PCfan」などの出版でも知られる毎日コミュニケーションズの社長を長年務めた後、最高顧問などのポストに就きながら、最後はその子会社である毎日オークションの社長を務めていたそうだ。



 そんな輝かしい経歴を持つ佐々山さんだが、彼には大学生時代から持ち続けた一つの夢があった。



 それがアメリカ留学だったのだ。



 社会人になった佐々山さんはその夢を持ち続けた。英語の雑誌を購読したり、留学のことを調べたりしながら、しまいには自分の会社で留学ガイド作成の事業部を立ち上げてしまい、それにかこつけてアメリカ中の大学を取材して回った。そうしてできたのが『毎日留学年鑑』という、日本初の包括的留学ガイドだった。



 そして2008年、毎日オークションの社長を務めながら63歳でコロンビア大学School of International and Public Affairs (SIPA)に合格、その結果をもって定年退職を志願した。親会社である毎日コミュニケーションズで当時社長を務めていた元部下には、「コロンビアに受かったから辞めさせてくれ」と言ったそうだ。



 40年越しの夢を叶えた佐々山さんの専攻は、「ずっと知りたかった」 という近代アジア史。でもやはり英語がネックだと言う。



 授業の英語はリーディングをやっていれば何とかなるけど、日常会話がなかなかうまくならない。「若い人は羨ましいですよ。」 そう笑いながら年齢の不公平を訴える佐々山さんは、とても無邪気に見えた。





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 図書館での出会いから3ヶ月後、佐々山さんは晴れて修士号を取得した。卒業式には日本に残してきた奥様だけじゃなく、大学時代の友人3人も日本からツアーを組んで駆け付けた。



 コロンビア特有の卒業式用の水色ガウンに身を包み、卒業証書を受け取る彼の姿を見届けたご友人たちはさぞ誇らしかったことだろう。



 また、自分の夢を追いかけるために63歳で勇退し、実現した社長の後ろ姿を元部下たちはどんな想いで見つめているのだろう。佐々山さんの生き様からはこんなメッセージが見えてくる。



問題なのは、夢を叶えるか叶えないかではなく、いつ叶えるか。



先生なんだな、と僕は思った。



 くじけそうな時、満足してしまっている時、教え子は前を走る先生の背中を見て苦笑いするのだ。



    「まだまだ!!」





あとがき

 先日、佐々山さんから届いた一通のメールを見て僕は思わず吹き出してしまった。



 「メールありがとうございます。
小生の方は日本に帰ってはや2ヶ月がたちました。
怠惰な老年生活を送るつもりでありましたが、
早くも体の底から何かがうごめき始め、
昨日から上智大学の朝鮮語講座に通い始め、
日本のPHD過程で東アジアの勉強を続けてみようかと、
幾つかの大学のApplication書類を取り寄せ準備を
始めたところです。」

2010年9月6日月曜日

軽井沢インターナショナルスクール・サマースクールに参加をして

ゲスト投稿: 野宮あす美さん

 人は、味わったことのない衝撃を受けた時に、life changing な瞬間を迎えるのかも知れない。夏、長野の大自然の中、子どもたちの言葉、表情、涙と笑顔に、心打たれる衝撃を受け、何度もハッとさせられた。信じ続けること、そして、出会いに感謝をしながら、皆で手をつないで歩いていくこと。出会い、共感し、共に考えることで、少しずつでも世界を変えていけるのかもしれない。

 7月、軽井沢インターナショナルスクールのはじめてのサマースクールに参加をした。ミッションは、社会が抱える課題と向き合っていくために、社会的・経済的バックグラウンド多様な生徒同士が互いに学び合い、社会を一緒に変えていく力を養っていく。小林りんさんと創設メンバーが立上準備をしている全寮制のインターナショナルスクールに先立って開催された2週間のプログラム。

 森の中の教室に溢れる彩り。日本、ネパール、ミャンマー、フィリピンなど8カ国から34人の生徒が集まり、いろんな国の、最初は少し緊張した笑顔が広がった。ボランティアとして、東南アジアからの子どもたちの奨学金のファンドレイジング、キャンプ期間中のボランティアとして参加をした。アメリカからの先生、子どもたちのことを熱心に想うStudent Volunteerが集い、少人数・生徒参加型の授業とアクティビティーが行われた。

 生物の生態系について学ぶため、ロールプレイをしながら自然の中、走り回った理科の授業。 「子どもの人権」 をテーマにお互いの国の子どもたちが抱える問題を、調べシェアし合った歴史の授業。Design Thinkingを通じて、子どもの人権の問題を解決するために、何ができるかを皆で考えた。暗号を解きながらのTreasure Huntの数学。夜は、お互いの国の文化に触れるワークショップ。止まることのない質問の数々、体全体で吸収する生徒たち。 

 「同じ11歳なのに、生まれた場所が違うだけで、どうしてもこんなに生活が違うのだろう」 フィリピンの生徒からストリーチチルドレンについて知り、涙した日本の生徒。ポル・ポトの大虐殺を生き抜き、希望を捨てずに歩き続けたエアン・ショー氏の話を聞いて、 「夢を絶対に信じる!」 と誓った生徒。家族から離れて過ごすはじめての2週間、 「寂しさで眠れなかった、だけど、今は笑顔で帰れるよ」 自信のある表情をみせた生徒。

 「ミャンマーは世界で一番多くの子どもが兵士として戦っているけど、今まで知らなかったことが恐い。何ができるか考えていきたい」 と恐れを乗り越え心に決めた生徒。 「言論の自由がないということどれ程苦しいものであるのか、考えたことなかった」 とシンガポールからの生徒。 「ミャンマーについて知ってもらえて嬉しい。友達がたくさんできたから、自分の国を変えられる、絶対変える」 と皆に誓ったミャンマーからの学生。

 あふれる生徒たちの感情、日々の変化、知り合ったばかりの友達への思いやり、友達が住む世界を良くしていきたいという強い思いに衝撃を受けた。そして、はじめは小さな、人と人とのつながりが、やがて大きな力になっていく、そう感じた。遠い国に、思い浮かべられる友達の笑顔があるということで、その国の子どもたちとその社会の平和を願う気持ちにつながっていくと思う。この輪が広がっていくように、できることから一歩ずつ続けていきたい。



軽井沢インターナショナルスクールホームページ: http://isak.jp/isak/

2010年8月30日月曜日

いつの日か ~ 繋いでいくこと(完) ~




 「ありがとう」 そして 「ごめんなさい」



あなたはこの二つの言葉の共通点をご存じだろうか。



 漢字にするとわかり易いかもしない。



   「感謝」 そして 「謝罪」



そう、答えは 「謝」 の字にある。



 1999年、アメリカで修士号を取得した僕は、日本に帰って来て、かおるさんと一緒に Learning Community for Change (LCFC) という名の教育に関する勉強会を立ち上げた。ある日の勉強会で、話に出てきた謝罪という言葉が妙に気になった。



 「ごめんなさい」 を表す言葉なのに、どうして感謝の 「謝」 の字を使うのか。



 当時中国語を勉強していた友人に電話をしたり、自分で 「漢字源」 を使って調べたりした。その結果、非常に興味深いことがわかった。



 「謝」 は、分解すれば大きく二つの部分に分けられる。



   「言」 と 「射」 だ。



 なるほど、共通点は 「言葉」 を 「射る」 ことか、と思うかもしれないが、早とちりをしてはいけない。ただ単に言葉を射るのであったら、別に 「おはよう」 や 「さよなら」 など何でも良いということになってしまう。でもそれらの言葉には 「謝」 の字は使わない。




「ありがとう」 そして 「ごめんなさい」 

共通点や如何に。



 実は 「射」 という字の語源に大きなヒントが隠されている。



 「射る」 とは何を意味するのかと言えば、むろん弓で矢を射ることである。その証拠に 「射」 の字は左側が 「身」、右側が 「寸」 だが、これは元々、人間が矢を放とうと弓を構えた姿が字になった象形文字だそうだ。



 では、 「ありがとう」 「ごめんなさい」 と弓矢の間にどんな関係があるのか。

 

 あなたには、ずっと言いたくても言えていない 「ありがとう」 や 「ごめんなさい」 がないだろうか。



 もしあるのであれば、そのあなたの心こそが弓なのだ。



 ただその一言を放ちたくて、あなたの心の弓は時間が経てば経つほど張りつめていく。その緊張から解放される道はただ一つ。相手を想う気持ちをその相手に向かって解き放つしかない。








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 人生には何とも奇妙なタイミングというものがある。 『ルーツ ~繋いでいくこと 4~』 で僕の高校時代の恩師であるMr.Walkerに触れ、彼の写真をブログ上に掲載したまさにあの日、彼の脳に癌が再発し、今回は手術もできないほど末期であることを彼の愛妻から知らされた。



 ショックだった。Mr.Walkerは自分の人生における初めての恩師だった。彼に出会っていなくても僕は日本の教育に疑問を抱いていたかもしれない。でも彼に出会っていなければ、自分が日本の教育を良くしよう、できるんだ、などと大それたことは思ってもいなかっただろう。前にも書いたが、僕にとっては彼との出会いが第二の人生の始まりだった。



 幸せなことに、僕はそうして、自分の中に潜在する可能性を心底信じてくれる先生に出会えた。Mr.Walkerは、僕が大学の卒業式、大学院合格、教員としての船出、結婚、子どもの誕生など、人生の節目節目に報告をすると、それを自分のことのように喜んでくれた。



 自分なりに先生を大事にしてきたつもりだ。でも、一つやり残したことがあった。



彼のもとに家族を連れていくことだ。それが自分にとっての責任であり、けじめであり、何よりの 「ありがとう」 だということを、心のどこかでわかっていた。



 すぐに妻の了解を取り、同じくMr.Walkerにお世話になった僕にとっての妹分である幸恵を連れ、次の日の夜には彼のいるニューハンプシャー州に向かって車を走らせていた。



 ニューヨークから車で5時間。大したことはない。遥かかなたのように感じていた距離は、せわしない日常が僕に抱かせていた幻想だった。



 久しぶりに会ったMr.Walkerは相変わらず大きく、驚くほど元気だった。あの日は本当に調子が良かったのか、それとも教え子を前に張り切っていたのかはよくわからない。ただ、そんな夫を心配そうに見ていたPhyllisがどうにも痛々しかった。高校生の時からずっとMr.Walkerを陰で支えてきた女性だ。



 話したいこと、分かち合いたいものはたくさんあったが、どうやったって時間が足りないのも事実だった。



 40分程して、僕たちは先生に別れを告げた。








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教えるという行為はリレーのようなものなのだと僕は思う。



一人の努力で完結できるものではない。教える側が渡したバトンを教えられる側はしっかりと受け止めるのだ。



師に感謝の気持ちを伝えたいのなら、自分の生き様を見せるしかない。先生の想いが詰まったバトンを持って走り続けるのだ。



そして自分もまた、いつの日か、そのバトンを後から来る者に繋げるのだ。








心から「先生」と呼べる人間に出会った人は幸せだ。背負うもの、繋ぐべきものを持っているのだから。

そんな教えを育むことこそが 「教育」 なのであり、我々に与えられた責任なのではないだろうか。



(終わり)
 
左から愛音、Mr.Walker、美風。
 
 
 
右から2番目が幸恵とその愛娘ハナちゃん。その隣がPhyllis。

2010年8月29日日曜日

再投稿: 君たちに伝えたいこと3 ~Responsibility~

 

 昨日、KAPLAN[1]で生徒にTOEFLを教えていた時、responsibilityという単語に出くわした。

 生徒に、 「この単語の意味知ってる?」 と聞くと、知らないと言う。 「責任」 という意味なのだが、何か良い教え方はないものかと思い、いつものようにこの単語を分解してみることにした。

 Responsibility は単純に大きく分けると、 response と ability に分解することが出来る。 Response は「応答」 、 「反応」 等の意味を持つ。いずれにせよ、漢字の 「応」 という字がその意味に最もふさわしいイメージを持つように思う。そして ability は 「能力」 という意味。

 おや? Responsibility… 応える、能力?それが 「責任」? 予想外の発見に僕は驚くと同時に不思議な説得力を感じていた。その場は responsibility の持つ、 「責任」 という意味、そしてそれを構成する要素を教え、それらの関連性については僕と生徒の次回までの宿題とした。

 家に帰った僕は早速、自分の持つ一番大きな英英辞典を開いた。それによると、 responsibility の元となる respond (応える) という単語はラテン語の respondere という単語に語源を持つ。

Re は 「返す。」
Spondere は 「約束する」 という意味をそれぞれ持つ。

つまり、 respond は元々、 "to promise in return" (約束をもってお返しをする) という意味なのだ。よって、 responsible は 「約束をもってお返しをすることが出来る」 という意味を持ち、その能力を持つ者を描き出す。

そして、論理的には responsibility の持つ 「責任」 とは、 「約束をもってお返しをする、その能力」 ということになるのだが、これがそうではないのだ。面白いことに、それは 「能力」 自体を指すのではなく、その能力を持つ者に 「課せられるもの」 を指すのである。

僕の持つ辞典には responsibility の説明の一つとして次のようなものがある

“a particular burden of obligation upon one who is responsible”
(Random House Webster’s College Dictionary,
1997, NY: Random House, Inc.. p.1107). 

Responsibleの意味を踏まえて訳すと、このようになる。

「約束をもってお返しをする能力を持つ者に課せられる、ある種の義務の負担。」

 能力を持つからこそ義務を背負う。こうして語源を考えると、それは世間一般に考えられている、 「責任がある」 という意味が持つ、外部から強制的に背負わされるイメージとはかなり異質なものであることが分かる。それは本質的に自発的であり、恩恵を受けた人やものに対する約束であると同時に、何よりも自分自身に対する約束、けじめであるように思う。





 教育を受ける機会を得た者として、親や友人に恵まれた者として、人や大地の温もりに触れた者として、学生として、教育者として、大人として、母親として、父親として、女として、男として、人間として、そして一つの生命として、僕達が持つ 「責任」 とは何なのだろうか。僕達はどんな素晴らしいことを約束し、お返しすることが出来るのだろうか?そこには、しばしば 「責任」 とは遠いところに位置付けられる 「自由」 が顔を覗かせているように思う。

1999年作

[1] KAPLANとは自分が教員になる前に努めていた留学予備校。留学を希望する社会人や学生に英語(TOEFLやTOEICなど)を教えていました。

2010年8月28日土曜日

脈々と流れる教え ~繋いでいくこと 6~



学校が核となって人と人とを繋げていく。



奥村先生がおっしゃったまさにこの一言を僕は帰国2日目のあの日、目の当たりにした。剣道場を訪れ、そこで小関先生の教え子である岩井君と師匠である奥村先生にお会いしたことは既に書いた。その後、毎週水曜日の夜に行われている稽古会に参加するために続々と人が集まってきたのだ。県内に散らばった奥村先生のお弟子さんたちだ。その中には小関先生の姿もあった。以前、このブログに真摯な コメント を送ってくれた新任校の教え子たちを伴って。



 前日、成田に到着してすぐ小関先生には挨拶の電話を入れてあったが、まさかそんなにすぐにお会いできると思っていなかったので嬉しかった。



 それにしても、弟子、孫弟子たちが、それぞれの教え子たちを従えて師匠の下、一堂に会したその光景には強く心を打たれた。そこで見たのは、3代の教育者が何世代、何百年にも渡って脈々と流れてきた教えをしっかりと繋いでいこうとする姿だった。



 その光景に心震わせていた時、後ろで、 「大裕先生!」 と呼ぶ声がした。振り向いたら、立っていたのは僕が初めて担任として送り出した代の女の子だった。この前紹介した の世代だ。今、教育実習生として母校でお世話になっているのだと教えてくれた。そして、もう一人後から挨拶に来た。二人とも親の匂いがする活発な子たちだったので良く覚えていた。



彼女たちは言った。



    教員になりたい。



僕は心から嬉しかった。



    「おまえもしっかり繋いでいくのだ」



きっと、僕にそう伝えようとした神様のいたずらだったのだろう。
(続く…)

「そうか」 ~繋いでいくこと 5~

     「はい。昨日帰って参りました。」



あの日、孫弟子にあたる岩井君の剣道部の指導にいらした奥村先生にそう答えると、先生は、 「そうか」 とだけ言ってすたすたと控室に入って行かれた。



 僕がついて行くと、竹刀を壁に立て掛け、まあ座れとおっしゃった。失礼しますと正座する僕に、いいから足をくずせ、と奥村先生。そうは言われてもこの先生の前ではなかなかそうする気になれない。



 どんなお話が聴けるのだろう、と期待していた矢先、いきなり面が飛んできた。



    「(日本で)教員をやっててなにかアメリカで役に立ったことはあるか。」



 予期せぬ質問に、 8年前の光景 がフラッシュバックとして蘇った。



 2002年3月下旬のある日曜日、同じ部屋、同じように暑い日の昼下がりだった。出会ったばかりの小関先生に開口一番訊かれたのだった。

   

   「なんで教員になったの?」



 あの時と同じ面だと思った。







 奥村先生にアメリカで何が役に立ったと訊かれた僕は無意識に答えていた。



    「先生をもったことです。」



 とっさに出た言葉だったが、嘘ではなかった。博士課程1年目を終えた時に感じたことだが、 『自分を持つということ① ~信じること~』 でも書いたように、小関先生の存在が再留学をした自分に芯を与えてくれ、新たな学びに自信を持って身を委ねることを可能にしてくれたのだ。



 奥村先生はおっしゃった。



    「そうか」


奥村先生は納得されたのだろうか。それとも失望させてしまったのだろうか。余韻だけが狭い剣道場の控室を支配した。



 答えを得られないまま、僕は、自分の恩師のルーツを辿るという今年の夏のテーマを説明し、しいては小関先生の師匠である奥村先生のお話を是非お伺いしたいとお願いした。既に小関先生から話があったらしく、わかった、と了解して頂けた。







 後日、同じ部屋で話をお聞きすることができた。



 まずは、どうして教育の道を志したのかということ。



 奥村先生が教員になってから出会った安藤先生という師匠の話は既にお話しして頂いていたが、今回はもっと以前のお話を聞けた。体が弱く病院ばかり通っていた小、中学生時代。やりたかった剣道をやっとまともにやれるようになった高校生。高校最後の年に経験した一人の強烈な先生との出会い。そこから開けた剣の道。行けと言われるがままに先生の母校である国士舘大学に進み、気がつけば国体選手として千葉県に引き抜かれ、教員の道を歩んでいた。熊本の師匠との関係は今でも続いているという。



 その他にも、教育について実に様々な質問に率直にお答え下さった。資本主義が教育にもたらす影響。歯止めのかからないこの個人主義の時代にいかにしてパブリック ― 「公」 ― の部分を考えていけばいいのか。教員の社会的地位を高めるにはどうしたらいいのか…。



 特に心に残ったことが幾つかある。自分なりに解釈すると、まずは、これからは学校が地域の核となってばらばらになった人と人とを繋げる役割を果たしていくのだということ。そして、家庭の教育力が低下し続ける今、子どもをつかむことが教員の生きる道だということ。奥村先生らしい、非常に複雑な社会問題の真理を貫いた答えだった。







 1時間半ほどお話し頂いたのだろうか。僕とのかかり稽古を終えた奥村先生は一言こうおっしゃった。



    「先生をもったこと…。小関もえらくなったな。」

(続く…)

2010年8月23日月曜日

ルーツ ~繋いでいくこと 4~

 この夏の僕のテーマは、自分の恩師である小関先生のルーツを学ぶことだった。自分の信仰が深まれば深まるほど、その教えの出処を知りたいと思うのは当然のことであり、僕にとっては巡礼のようなものだった。



 思えば2002年、教員として4月からの正規採用が決まった時も、自分にとっての聖地とも言える、アメリカのニューハンプシャー州にある Holderness School を訪れた。その高校は、僕にとって初めての留学先であり、第二の人生が始まった場所であり、教育を生涯の仕事にしようと志した場所であり、僕を発見してくれた Mr. Walker と出会った場所であった。教員としてのスタートを切るにあたって、今一度そこを訪れることが必然のように思われた。


僕が過ごした寮

Dininghallへの道


秋は紅葉が美しい


お土産にプレゼントしたじんべいを着るMr.Walker



 今回の巡礼も似たような位置づけだったのかもしれない。博士課程2年目を終え、必修単位もほぼ履修した今、いよいよ博士論文へと突入していく。大勝負を前にして自分の原点を探ろうと思ったのもまた必然だったのだろう。







 話を帰国2日目に戻そう。あの日、岩井君の次に僕が出会ったのは、前回再投稿した 『自由を捨てて自らを解き放つ Part V ~信仰と自由の関係~』 でも紹介した小関先生の師匠である奥村先生だった。自分の孫弟子にあたる岩井君の剣道部の指導にいらしたのだ。



   「おう。帰って来たのか。」



 Tシャツに短パン姿の奥村先生がその大きな目を少し細めて微笑みかけて下さった。今年退官されたとは思えないほど若く見える。良い指導者になればなるほど、体と言葉にミスマッチが生じるような気がしてならない。見た目は若いが、放たれる言葉はまるで仙人のようだ。ちなみに、もはやこのブログの主人公のようになっている小関先生も若い。どうやら多くの読者が相当ご年配の老人を想像しているようだが、実はまだ47歳、見た目は40いくかいかないかといったところだろう。



 奥村先生を象徴する面白い逸話がある。



 小関先生は、自分の空き時間中によく校舎をぶらぶらする。授業中のクラスを廊下から覗いては生徒の様子を見て楽しむのだ。ある年、もし剣道をやっていなければ極悪人になっていただろうと思われる男子生徒が剣道部の主将を務めていたことがある。その彼は、どんな授業でも、自分が下を向いてノートをとっている時でさえ、廊下側の後ろの窓から覗く小関先生の気配を感じ、バッと振り向くのだった。



 生徒の意識をそこまでもっていくのは相当なことだ。僕などは逆に、自分の野球部の部員に気付いて欲しくとも気付いてもらえないことがほとんどだった。だから、そのことは小関先生も少し嬉しそうだった。



 後日、小関先生がその話を奥村先生に話したところ、奥村先生独特のゆっくりとした口調でこうこたえられたそうだ。



   「気配を消せないようじゃぁ 小関もまだまだだな。」



 あれには参ったと小関先生も大笑いをしていた。



 もう一つ、小関先生が全国制覇をした時の話も面白い。



 優勝直後、小関先生は会場にいらしていた奥村先生に挨拶をした。どんな言葉をかけてもらえるのだろう、そう期待した矢先の一言。



   「やっと勝ったか。」



 剣道6段の小関先生が蛇に睨まれた蛙のように奥村先生に打たれるのもそんなところなのだろうか。素人目から見ればいくらでもよけられそうな奥村先生のスローモーションの面に、小関先生は為す術もない。不思議な世界だ。


(続く…)