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2011年3月22日火曜日

生きること

 自分が勤務していた中学校だけじゃなく、今年もいろいろな地で、教え子たちが卒業を迎えた。



そんな中、東北大地震が起こり、多くの方の命と大切な物が奪われた。



 今取り組んでいる日本復興支援活動の中、いろいろな人に優しさと勇気をもらっている。命という最も根本的なところで、我々は皆同じだと教えてくれる。



 今回の活動を通して強く思ったこと、それは、学生、教師、主婦、看護婦、会社員、フリーター…、社会における立ち位置に関係なく、やれることは実はたくさんあるのだということ。もっと言えば、自分にしかできないことが実はたくさんあるのだと思う。そして、それを見つけ、全身全霊で行動した時、人は、「生きている」と感じる。



 先日、野球部の教え子の母親が亡くなったとの知らせを受けた。何度も顔を合わせたことのあるお母さんだった。去年の夏に僕が日本に帰った時、野球部の時の仲間たちが、母子家庭である彼の家に度々立ち寄り支え合っていると聞いた。



 「死」の存在があまりにも身近にある今日、その生徒だけでなく、全ての教え子たちと分かち合いたいこと、それは生きることだ。

2011年3月9日水曜日

卒業する君たちへ

熱く生き、感動に満ちた人生を!!

君たちの卒業を遠くから祝福しています。

おめでとう。

 

                                  鈴木大裕






2011年3月5日土曜日

3年生を送る会、ニューヨークからのメッセージ。

MHG中学校3年生の皆さん、

 ご卒業おめでとうございます。この度、ビデオメッセージを送ることができないので、この場を使って僕からの祝福のメッセージを贈りたいと思います。


 僕は今、アメリカのニューヨークにある大学院にいます。日々、世界中から集まった学生や有名な教授たちと、どうやったら教育を良くできるのかということについて考えています。僕が体育館のステージで君たちにサヨナラを言ってからもう3年が経とうとしています。


 僕が君たちと過ごしたのは2008年の4月から8月までのたったの4ヶ月間。そう思うとちょっと信じられません。英語の授業や、給食、昼休み、委員会や部活動などで、とても密の濃い時間を共にできたような気がしています。一人ひとりのこともよく覚えています。






 さて、君たちも良く知っているサッカー日本代表の本田圭佑選手が、


 「どうして不動のポジションを築いていたオランダからわざわざロシアに移ったのか?」


と訊かれてこんなことを言っていました。


 「常に自分にとって厳しい環境に身を置くことが大事だと思うから。」


 これは、言いかえれば、ちっぽけな想いをたくさんすることなのではないかな、と僕は思っています。一つの環境で一番になれたところで、上には必ず上がいます。自分にとって居心地の良いその場所でぬくぬくと過ごすのと、あえてもっと厳しい環境に移って一から始めるのとでは天と地の差があります。


 僕は、そうやって、ちっぽけな想いをたくさんすることが人を大きくするのだと信じています。自分に与えられた環境で満足することなく、厳しい環境を追い求め続ける。きっとそんな問題意識を持っている人は一生謙虚でいつづけ、走り続けられるのではないかなと思います。


 中学校卒業後、君たちは、それぞれの道を歩みます。新しい環境にて、ちっぽけな想いを楽しんでください。そして、いつかどこかで、ひとまわりもふたまわりも大きくなった君たちと会えることを楽しみにしています。






2011年3月吉日、 鈴木大裕。

2010年8月29日日曜日

再投稿: 君たちに伝えたいこと3 ~Responsibility~

 

 昨日、KAPLAN[1]で生徒にTOEFLを教えていた時、responsibilityという単語に出くわした。

 生徒に、 「この単語の意味知ってる?」 と聞くと、知らないと言う。 「責任」 という意味なのだが、何か良い教え方はないものかと思い、いつものようにこの単語を分解してみることにした。

 Responsibility は単純に大きく分けると、 response と ability に分解することが出来る。 Response は「応答」 、 「反応」 等の意味を持つ。いずれにせよ、漢字の 「応」 という字がその意味に最もふさわしいイメージを持つように思う。そして ability は 「能力」 という意味。

 おや? Responsibility… 応える、能力?それが 「責任」? 予想外の発見に僕は驚くと同時に不思議な説得力を感じていた。その場は responsibility の持つ、 「責任」 という意味、そしてそれを構成する要素を教え、それらの関連性については僕と生徒の次回までの宿題とした。

 家に帰った僕は早速、自分の持つ一番大きな英英辞典を開いた。それによると、 responsibility の元となる respond (応える) という単語はラテン語の respondere という単語に語源を持つ。

Re は 「返す。」
Spondere は 「約束する」 という意味をそれぞれ持つ。

つまり、 respond は元々、 "to promise in return" (約束をもってお返しをする) という意味なのだ。よって、 responsible は 「約束をもってお返しをすることが出来る」 という意味を持ち、その能力を持つ者を描き出す。

そして、論理的には responsibility の持つ 「責任」 とは、 「約束をもってお返しをする、その能力」 ということになるのだが、これがそうではないのだ。面白いことに、それは 「能力」 自体を指すのではなく、その能力を持つ者に 「課せられるもの」 を指すのである。

僕の持つ辞典には responsibility の説明の一つとして次のようなものがある

“a particular burden of obligation upon one who is responsible”
(Random House Webster’s College Dictionary,
1997, NY: Random House, Inc.. p.1107). 

Responsibleの意味を踏まえて訳すと、このようになる。

「約束をもってお返しをする能力を持つ者に課せられる、ある種の義務の負担。」

 能力を持つからこそ義務を背負う。こうして語源を考えると、それは世間一般に考えられている、 「責任がある」 という意味が持つ、外部から強制的に背負わされるイメージとはかなり異質なものであることが分かる。それは本質的に自発的であり、恩恵を受けた人やものに対する約束であると同時に、何よりも自分自身に対する約束、けじめであるように思う。





 教育を受ける機会を得た者として、親や友人に恵まれた者として、人や大地の温もりに触れた者として、学生として、教育者として、大人として、母親として、父親として、女として、男として、人間として、そして一つの生命として、僕達が持つ 「責任」 とは何なのだろうか。僕達はどんな素晴らしいことを約束し、お返しすることが出来るのだろうか?そこには、しばしば 「責任」 とは遠いところに位置付けられる 「自由」 が顔を覗かせているように思う。

1999年作

[1] KAPLANとは自分が教員になる前に努めていた留学予備校。留学を希望する社会人や学生に英語(TOEFLやTOEICなど)を教えていました。

2009年10月11日日曜日

君たちに伝えたいこと⑤ ~「友情」について~ 2005年作


 今回紹介するのは、初めてもたせてもらった一年生の子たちが2年生になった時に書いたエッセイだ。中学2年生というのは非常に難しい時期だ。一年生の新鮮な気持ちや初々しさが徐々に薄れ、先輩になると同時に後輩扱いもされる。部活でも勉強でも目の前の目標がなく、ことあれば不安になりがちな時期だ。そんな不安は友人関係に顕著に表れる。 「もっと大事なものがあるよ」 そんな気持ちで書いたのを覚えている。



 よく友達関係のいざこざを耳にする。やれどこのグループが誰を無視してるだとか、どこのグループが分裂しただとか誰がグループを移っただとか。話はいつも「グループ」単位。いつでもどこでも一緒にいる生徒たちや、トイレにまで誰かと一緒に行きたがる生徒たちを見ていると、「仲がいいんだな」と思うよりも、「いつも一緒にいないと不安なんだろうな」と思ってしまう。

 本当は逆なのに、と思う。もし、本当に大切に想い、相手にもそう想われる友達がいれば、いつも一緒にいなくても平気。それどころか安心して一人でいられるはず。だって相手がどこにいようが、どんな時であろうが、お互いに「つながってる」と感じるから。本当の友情とはそういうものだと思う。

 僕には一人の親友がいる。アメリカの高校で出会った一つ年下のテレンという女の子だ。今はアメリカと日本で離れてしまっていて、年に2回ほど、自分の誕生日と彼女の誕生日に電話で話すくらいだ。もう6年近く会っていないが、いつも話す時には高校時代から何一つ変わっていない親密さと安心感を覚える。最後に話をしたのは3ヶ月前。でも仮に今日テレンに電話をしたとしても、まるで昨日も電話で話したかのような錯覚を覚えるだろう。二人の友情は一日メールをしなかったり遊ばなかったりして揺らぐようなものではないのだ。

 テレンが昔教えてくれたことがある。

「お父さんが私に言ったことがあるわ。『人生で5人の真の友達を見つけることができたら、お前は幸せ者だよ』って。」

 その時は5人なんてすぐ見つかるだろうと思っていた。あれから10年以上経った今も、親友は彼女一人だけだ。でも、満足している。たった一人だが、1000人の「ただの友達」を持つよりも心強く感じる。

 テレンという親友の他に、僕にはずっと一緒に生きていこうと誓い合った女性がいる。その彼女もある意味、僕の親友なのかもしれない。夢を語り合い、他の誰よりもお互いの可能性を信じている、そんな仲だ。

 今は彼女が海外で自分の夢を追求しているため、よく電話はするが、実際に会うのは一年にたった2回だ。「会いたい」と思う。でも淋しくはない。いつもお互いに何しているかなと考えているし、何か嬉しいことがあった時、真っ先に伝えたいと思うのも、自分のことのように喜んでくれるのも彼女だ。特別な理由もなしに 「どこにいる?」 といつも気にかけてくれ、何の用もないのに 「ここにいるよ」 と伝えたくなる。

 愛も友情も、根底にあるのはそんなシンプルなつながりなのだと思う。どこにでもありそうだが、実際はどうだろう。 「ここにいるよ。誰か私を見つけて…。」 そう叫んでいる心も多いのではないだろうか。


 こんな話を聞いたことがある。小さな子を公園に連れて行く時、遊んでいらっしゃいと言っても、親が見ていないと子どもはなかなか離れようとしない。振り返る子どもは親がちゃんと自分の背中を見てくれていると分かって初めて他の子の輪に入っていける。

 滑り台やジェットコースターなどでも良く耳にする言葉がある。 「やってくるから見ててね。」 別に親が見ているからと言って急に滑り台が緩やかになるわけでもジェットコースターが遅くなるわけでもない。ただ、親が自分を見てくれているというそれだけで、その子は 「お母さんが見てくれているから大丈夫だ」 と安心するのだ。

 親友や愛する人を持つということも、そういうことなのだと思う。 「一人じゃない」 という安心感は勇気をくれる。自分が今、朝から晩まで、土日も休みなく教員の仕事に打ち込むことができるのも、テレンと彼女がいるからだと思っている。デートをする時間も、友達と遊ぶ時間もない。でも孤独だとは思わない。テレンも彼女も、自分とは遠く離れた所にいるが、二人との心の絆はいつも僕に教えてくれる。

   「一人じゃない。」

 「先生。どうやったら親友ってできるんですか?」 よくそんな質問をされる。簡単に答えられるものではないが、まずは真実の言葉で話すことだと思う。今の世の中、無意味な言葉で溢れ返っていると思う。テレビ、携帯電話、メール、あらゆるコミュニケーションツールを通して、聞いたらすぐ消えてしまう、どうでもいい言葉が発信されている。学校の休み時間も、たわいのない会話ばかりが聞こえてくるように思う。そのような会話から真の友情が芽生えるはずがない。悩みについて、恋愛について、夢について、将来について ― 自分の心に近いことについて話さないと。

 テレンとも彼女とも、どれだけ語ってきただろうか。「あの時にこんな話をしたよね」と何年経っても記憶から消えない会話の数が、僕たちの友情の深さだと思う。

 良い所も悪い所もお互いのことを本当に良く分かっていて、信じていて、大切に想い合える友達のことを親友と呼ぶのだと思う。親友をつくりたいのだったら、勇気をもって少しずつでも自分をさらけ出し、自分という人間を分かってもらわないと。

 半分の自分しか見せていないのに好きになってくれる相手は、半分の友達にしかならないよ。いくら「分かって」と言っても、それは無理な話。同時に、相手の嫌だなと感じる所を見つけても、もっと深く相手を知ろうとしないと。相手の良い所ばかり見ていても、結局好きなのはその友達の半分だけだよ。

 時にはぶつかることも必要だと思う。だって、ぶつかるということは相手を大事にすることだから。今後もずっと付き合っていきたい、そう思うからこそ、今、譲れないこともある。

 別に言葉で会話しなくてもいい。飾りも偽りもない心と心が触れ合えば、それでいいのだと思う。

 みんなと親友になれとは言わない。一人でもいい。一生涯付き合ってゆきたい、そう思える友達をつくって欲しい。

 「ここにいるよ」

2009年9月15日火曜日

君たちに伝えたいこと④ ~今こそが未来~ 2005年作

             長野のお寺で見かけた言葉


 自分は高校でアメリカに行ってから、第二の人生が始まったと思っている。毎日が未知の連続だったし、分からない英語で、どうやって自分という人間を表現しようかと必死だった。慣れてきてからも、幸福なことに、自分の才能を本気で信じてくれる数多くの素晴らしい先生に出会い、常に新たな課題を与えられ、自分の可能性に挑戦させられた。何かとてつもないことに挑戦することの楽しさを知り、自らの無限の可能性を信じられるようになった今も、挑戦は続いている。だから毎日が失敗、反省の連続だし、自分が日々進化しているように思う。普通、社会に出て職を持った時が「将来」と言うのだと思うが、30歳を超えた今も、自分の将来にワクワクしているし、「将来の夢」もある。今、こうして今までのことを振り返ってみて言えること ― 無駄なこともたくさんしたし、遠回りもいっぱいした。でもいつもがむしゃらだった。

 人は、現在からはまったく創造もつかないような生活を思い浮かべ、自分の「未来」に期待を膨らませる。でも、今日なしに明日はない。何が起こるか分からない未来に期待を膨らませる前に、何が起こるか分からない今日という新たな一日に胸を躍らせるべきだと思う。「未来」なんていつまで待ってもやって来やしない。やってくるのは「今日」だけだ。 

 じゃあ未来とは何なのか。それは灼熱の砂漠の向こうに突如現れ、一人で旅する少年を誘惑する湖の蜃気楼のようなものだと思う。追っても追っても辿り着けない幻。来る日も来る日も懸命に歩き続けた少年はふと立ち止まる。自分自身を見つめた時、少年はいつしか知恵も勇気もある、たくましい男に成長している。そして、鏡を見つめる自分が、小さい頃夢に現れた旅人であることに気付く・・・。未来とはそんなものなのだと思う。あるのは「今」だけであって、その現在とは過去の自分にとっての未来なのだ。

 将来自分は何をしたい?どんな人間になっていたい?もしそれを本気で考えて、本気で実現しようとしたら、そのために自分は「今」というこの瞬間に何をすべきなのか、きっと分かるはず。ある朝、目が覚めたら急に自分が強くなっていた、なんてことあるわけがない。ふと起きたら自分が大人になっていた、なんてあり得ない。だから結局は、一日一日を自分がどう過ごすか、何を学んでどう成長していくかが、その人の未来を決定するのだと思う。今日という一日を精いっぱい、命いっぱい生きよう。
 今こそが未来。
                     1 / 1 / 2005 鈴木 大裕

2009年9月11日金曜日

君たちに伝えたいこと③ ~Responsibility~ 1999年作

 昨日、KAPLAN[1]で生徒にTOEFLを教えていた時、responsibility という単語に出くわした。生徒に、「この単語の意味知ってる?」 と聞くと、知らないと言う。『責任』 という意味なのだが、何か良い教え方はないものかと思い、いつものようにこの単語を分解してみることにした。


 Responsibility は単純に大きく分けると、response と ability に分解することが出来る。Response は 「応答」、「反応」 等の意味を持つ。いずれにせよ、漢字の 「応」 という字がその意味に最もふさわしいイメージを持つように思う。そして ability は 「能力」 という意味。


 おや? Responsibility…応える、能力?それが 『責任』?予想外の発見に僕は驚くと同時に不思議な説得力を感じていた。その場は responsibility の持つ、『責任』 という意味、そしてそれを構成する要素を教え、それらの関連性については僕と生徒の次回までの宿題とした。
 

 家に帰った僕は早速、自分の持つ一番大きな英英辞典を開いた。それによると、responsibility の元となる respond (応える) という単語はラテン語の respondere という単語に語源を持つ。


    re は 「返す」

    spondere は 「約束する」


つまり、respond は元々、"to promise in return" (約束をもってお返しをする) という意味なのだ。よって、responsible は 「約束をもってお返しをすることが出来る」 という意味を持ち、その能力を持つ者を描き出す。そして、論理的には responsibility の持つ 『責任』 とは、「約束をもってお返しをする、その能力」 ということになるのだが、これがそうではないのだ。


 面白いことに、それは 「能力」 自体を指すのではなく、その能力を持つ者に 「課せられるもの」 を指すのである。僕の持つ辞典には responsibility の説明の一つとして次のようなものがある ―― 


“a particular burden of obligation upon one who is responsible”
(Random House Webster’s College Dictionary, 1997). 


Responsibleの意味を踏まえて訳すと、このようになる。


「約束をもってお返しをする、
その能力を持つ者に課せられる義務という負担。」


 能力を持つからこそ義務を背負う。こうして語源を考えると、それは世間一般に考えられている、「責任がある」 という意味が持つ、外部から強制的に背負わされるイメージとはかなり異質なものであることが分かる。それは本質的に自発的であり、恩恵を受けた人やものに対する約束であると同時に、何よりも自分自身に対する約束、けじめであるように思う。


教育を受ける機会を得た者として、親や友人に恵まれた者として、人や大地の温もりに触れた者として、学生として、教育者として、大人として、母親として、父親として、女として、男として、人間として、そして一つの生命として、僕達が持つ 『責任』 とは何なのだろうか。僕達はどんな素晴らしいことを約束し、お返しすることが出来るのだろうか?


そこには、しばしば 『責任』 とは遠いところに位置付けられる
 『自由』 が顔を覗かせているように思う。


[1] KAPLANとは自分が教員になる前に努めていた留学予備校。留学を希望する社会人や学生に英語(TOEFLやTOEICなど)を教えていました。

2009年9月3日木曜日

君たちに伝えたいこと② ~「時間」について~ 2001年作

これは教員になる直前に書いたもので、当時都内の留学予備校で担当していた留学希望の中学生や、未来の生徒たちに宛てて書いたものだ。


 僕にとって、親から与えられた「大裕」という名前を生きることほど難しいことはない。現在28歳。今まで、なんてゆとりのない生活をしてきたかとつくづく思う。もっとも、アメリカに留学するまでは、「ゆとり」なんて概念は僕の中に存在しなかったように思う。その頃は、朝起きて、朝食を取り、普通に学校に行き、友達と笑い、部活に行き、帰って寝るという、決められた生活に自分をハメ込んでいただけだった。普通の生活は簡単だった。

 だけど、日本人が1人もいないだけでなく、留学生を特別扱いしない学校をあえて選んだ僕は、留学を始めてからは毎日狂ったように勉強しなければならなかった。日本の高校とは比べものにならない程の宿題が出され、その上、英語も使いこなせなかった僕は、アメリカ人の友達が30分で片付ける課題を3時間かけても終わらないという始末だった。しかし、僕の可能性を本気で信じてくれる先生方に恵まれ、学ぶことの楽しさをかみしめながら、常に自分にデッドラインを課してがんばった。今日中にこれやって、金曜までにあれを終わらせなくちゃ、という感じ。思いがけず時間ができた時も、自分で新しい課題をつくることによって、無駄な時間を無くそうと心がけた。大学はもっと大変だった。もうこれ以上勉強できないというくらいやった。話に聞いたことはあるかもしれないが、アメリカの大学ではかなりの勉強量をこなしていかないと卒業できない。事実、僕の周囲だけでも落第を食らった学生が5、6人はいた。大学院は大学以上の難しさだった。連続50時間眠れなかったこともあった。

 そんな僕のスケジュールはいつも分刻みで動いていて、僕が時間を使っているのではなく、まるで時間が僕を動かし、時間が僕の命を消費して生きているようだった。ミヒャエル・エンデの『モモ』を思い出す。時間を1秒でも無駄にしないようにとせかせか働く人間たち。でもそうすればする程、時間は貯まるどころかどんどん無くなっていく。理解できない時間の不思議。でも、のんびりきままに生きる浮浪者の少女、モモだけはそれをちゃんと分かっていて、イライラ生きている町の人たちを悲しそうに見つめている。

 「時間」という概念を最初につくり出したのは人間だったはず。海に住む魚が、「昨日は8時まで起きていたんだ」と仲間に言うだろうか。アフリカの森に住むチンパンジーが、「6時までに家に戻っていなきゃ」と気にするだろうか。魚たちは自然に訪れる眠りに身を委ね、チンパンジーたちは闇に伴う危険やその他の自然の摂理せつりに基づいて巣に戻るのだと思う。動物は時間によって動かされるのではなく、自然の移り変わりに合わせて生きているのだ。多くの動物は、明るくなれば目を覚まし、お腹が減れば餌を探し、暗くなれば体を休め、寒くなれば暖かい環境を探して南へ下り、暑くなればまた北へと戻って行く。そんな彼らにとって、時間とは生命の流れであり、生きることそのものである。

 だけど人間は、単位を決め、様々な時計を作り、その生命の流れを計ろうとした。それは、科学がそうであるように、自然を説明し、コントロールしようとする人間の願望の表れだったのではないだろうか。文明の発展過程で時間の単位はしだいに統一の道を歩み、今ではグリニッチ時計台が全世界の時を命令している。時計という機械の狂いはあるが、1年に365日、1日に24時間、1時間に60分、1分に60秒という時間の存在自体は、愛する人と別れようとも、僕が死のうとも、核戦争が勃発しようとも、一秒の狂いもなく刻まれて行く。人類が発明した物で、時間ほど完璧な物が他にあるだろうか…。ただ、あまりにも完璧なために、誕生とともに一人歩きを始めた時間を止めることは、産みの親である人間ですらかなわない。コントロールは失われ、逆に今では我々人間が時間の奴隷どれいとなっている。時計の遅れに恐怖を感じ、時間通りに物事が進むと、良かったと安心を覚え、予定より早く行動すると、時間の先回りをしたことに妙な優越感を見つけている。時間という基準無しには生きられない、何ともむなしい動物。
 
 僕たちの生活の中にどれだけ時計が入り込んでいるか考えたことがあるだろうか。壁掛け時計や腕時計は勿論のこと、寝室のベッドサイドには当然アラーム時計があり、ステレオにデジタル時計、充電器に刺さっている携帯もデジタル表示でしっかりと時を刻んでいる。書斎に行ってコンピューターをつければスクリーンが、キッチンに入れば炊飯ジャーや電子レンジが、居間に行けば電話やテレビが逐一、時間を報告してくれる。チッチッチッチ…。聞こえていようがいまいが、時計の音は僕らの心を確実に縛しばり上げている。

 だけど、そんな人間でも、時間の束縛から解放されることがある。いつも駆け足で生きて来た僕にもそれを感じたことが何度かある。ニューハンプシャー州の高校時代も、宿題が終わらずに徹夜をすることがよくあった。そこは1年の3分の1くらいは地面が雪で覆われているような所だったが、ある晩、眠気覚ましに窓を開けて、降りしきる雪の音に耳を傾けたことがあった。雪が降る静かで神秘的なエコーを、僕は寒さも時間も忘れて聴いていた。
 
 また、何度か夏休みに日本を一人旅したことがある。アメリカ人に「日本ってどんな所?」と訊かれた時に答えられるようにするためだ。ある夏、四国に行った。日本最後の清流と呼ばれる四万十川ほとりの、車の音も聞こえない閑静なユースホステルの庭で、足を投げ出し、夕陽を体いっぱいに浴びた山の上を飛ぶ1羽の鳶を見ていた。上昇気流に身をまかせた鳶が優雅にゆったりと旋回しているのを、心が自由で膨ふくらむような気持ちで見つめていたことを今でも鮮明に覚えている。秒針ではなく、鳶の飛行や空の色の移り変わりのみが、止まることのない生命のサイクルの進行を告げていた。そして僕は、自分もまた、そのサイクルの一部であることを悟った。

 人間は秒針を忘れる時初めて、区切ることのできない宇宙の流れに無限を感じ、その無限の一部である自分の命を感じることができる。ウィリアム・フォークナーは次のように表現した。 “Father said clocks slay time. He said time is dead as long as it is being clicked off by little wheels; only when the clock stops does time come to life”(「お父さんが時計は時間を殺すと言っていた。小さい歯車にカチッ、カチッとはじかれている限り、時間は死んでいる。時計が止まって初めて時間は命を得るのだよ、って。」『The Sound and the Fury』より). 

 この頃僕は時間の命令に逆らうことが多い。夕方、仕事が終わってもすぐに家に帰らずに、スターバックスに寄って本を読んだり、夜御飯を食べた後、家を出て駅前のカフェに手紙を書きに行ったり、夜通し詩を書くのに没頭したり、夜中に近くの海まで散歩に行ったりすることもある。海辺で冬の透き通った星空を見上げていると時間の経過なんて忘れてしまう。時間というものは心のゆとりと比例していて、ぜいたくに使おうとすればする程ゆっくり流れるものなのだ。

 時間に縛られずに自由に生きよう。でもどうやって?確かに、若いうちは特に学校、部活、塾、就寝と、1日のスケジュールが決定されていることが多いだろう。でも、週末や夏休みなどには、心の赴くままにやりたいことを思いっきりやろう。時には昼御飯を食べるのを忘れて何かに没頭したり、夜通し友達と語り合っても良いだろう。自分の心に忠実にいれば、自分にとって何が大切かはおのずと分かる筈。それを時間の命令に従って無駄にするのはあまりにもバカバカしいこと。この年になって、僕にもようやくそれが分かった。                                  文・訳責 鈴木大裕

2009年8月30日日曜日

君たちに伝えたいこと① ~「夢」について~ 1999年作

自分が教員になる前、まだ通信教育で教職課程を取りながら留学予備校で夜教えていた時、当時の生徒たち、未来の自分の生徒たちに宛てて書いた、「君たちに伝えたいこと」というエッセイシリーズがある。この場を使ってシェアしていきたいと思う。26歳の時のものだ。

僕は長い間、学生をやってきた。高校2年生の時アメリカへ留学し、1年半余分に高校生をやった。向こうの高校を卒業後、そのままアメリカで大学へ進学した。4年後に卒業、日本に帰ってきたが、翌年には大学院進学のため、再びアメリカへ飛び立っていた。そして今は語学学校で英語を教えながら、日本の中学、高校の英語教師の免許を取得するために、通信教育で教職課程を履修(りしゅう)している。

時々考えることがある。俺は今まで何を学んできたんだろう?学んだことはたくさんある。本から学んだこと、見て学んだこと、聞いて学んだこと、触れて学んだこと、自分を表現して学んだこと、そして感じて学んだこと。ただ、そのいずれも形を残していかなかった。しかし、それらすべての中で生まれてきたもの、それは僕の理想主義だと思う。この理想主義こそ、自分の財産だと胸を張って言えるものだと思っている。

何を言ってるんだ、と思う人もいるかと思う。当然のことだ。何故なら理想主義はよく、「現実」から目をそらした中身の無いものと思われているから。だけど僕は、理想主義を「無」ではなく、常に前に進もうとする「意志」、「力」だと思っている。理想だけで何が出来るか、と口にする人がいる。逆に問い返してみたい。理想なしで何が出来るというのか?ミヒャエル・エンデの『サーカス物語』の中に僕が大好きな言葉がある。王子様のジョジョは悪の女王アングラマインに対してこう言う。
「おまえどうやら自分の知らないものには価値をみとめたくないらしいな。幻想なんてほんとは存在しないって思ってるんだろ?きたるべき世界は幻想からしか生まれない。みずからつくりだすもののなかでこそ僕らは自由なのだ。」p.192

僕は理想主義の真のエッセンスは、現状に目をつむるなどと逃避的なものではなく、積極的に信じることにあると思う。信じることとはどういうことか。一つには、理想の実現を信じること。そしてそれは同時に、未だそれが実現され得ない現状に、前進の可能性を見出し、それを信じることでもある。そのために現状真っ直ぐに見つめることは不可欠で、その点で理想主義はリアリズムの要素を含んでいるとも言える。そして人間が、ある理想を信じて止まない時、その実現を欲して止まない情熱が生まれる。更にこの情熱は、理想の実現をただの願望として終わらせないために、努力、実践として形を成していくのだ。僕はこのような実践主義こそが真の理想主義のかたちだと思う。

確かに口ばっかりの甘ったれた理想主義者は多い。彼らは大きな夢を持っていながら、そのために何の努力もしない。まるで、自分の思い描く未来がある日突然やって来るかのように思っているのだ。未来はプレゼントされるものでもないし、そんなに遠くにあるものでもない。それは行動によって自分の手で造り出すものだし、今日の延長にあるもの。今日を生きずしてどうして未来の計画を立てることができようか。

ちょっと考えて欲しい。今の自分も、10年前の自分から見れば「未来」であった筈。現在を過去との位置付けにおいて見つめる時、人は現実化された未来を見つめているのだ。未来なんて、そうやっていつの日か振り返る「今」の積み重ねに過ぎない。だから、夢が大きければ大きいだけ、今やらなくてはならないことがたくさんあることを知っておいて欲しい。夢を持つということは、今という瞬間を精一杯生きることなのだ。ミヒャエル・エンデの『モモ』に登場する道路掃除のベッポ爺さんの言葉がこれを良く表している気がする。

「なあ、モモ、とっても長い道路を受けもつことがよくあるんだ。おっそろしく長くて、これじゃとてもやりきれない、こう思ってしまう。
「そこでせかせかと働きだす。どんどんスピードをあげてゆく。ときどき目をあげて見るんだが、いつ見てものこりの道路はちっともへっていない。だからもっとすごいいきおいで働きまくる。心配でたまらないんだ。そしてしまいには息が切れて、動けなくなってしまう。こういうやりかたは、いかんのだ。
「いちどに道路ぜんぶのことを考えてはいかん、わかるかな?つぎの一歩のことだけ、つぎのひといきのことだけ、つぎのひとはきのことだけを考えるんだ。いつもただつぎのことだけをな。
「するとたのしくなってくる。これがだいじなんだな、たのしければ、仕事がうまくはかどる。こういうふうにやらにゃあだめなんだ。
「ひょっと気がついたときには、一歩一歩すすんできた道路がぜんぶ終わっとる。どうやってやりとげたかは、じぶんでもわからん。
「これがだいじなんだ。」             pp.48-49

僕は大学生の頃からずっと、将来、日本の教育を改革しようと思ってきた。これは単なる願望ではなく、来春から教師として学校に入ることが決まった今は、特に本気で考えている。こんなことを疑いもせずに考えられる自分は、「根っからのバカだな」と、あきれて苦笑いがこみ上げてくることもよくあるが、同時に嬉しくもある。今、何か出来るんだ、やりたいんだ、と思える自分を幸せに思う。中学時代、司馬遼太郎の『竜馬がゆく』に、はまったことがある。自分の命を賭けてまで自分の信念を貫(つらぬ)こうとする竜馬の姿に、なぜそこまで熱くなれるのかと憧れた。そして、今、僕の情熱を君たちと分かち合えたらと思う。

僕の信じる力は、自分に対する自信に支えられている。でもそれは、今がどうだから、何をしたから、どこの学校に行ったから、というような結果から来ているものではない。自分が今までしてきた努力が僕の自信につながっているのだと思う。16歳で単身アメリカへ渡ってからというもの、高校、大学、大学院と、本当に良くやったと、胸を張って言うことができる。僕が行った高校では、普通の成績と努力の成績の2種類で生徒の評価が下された。僕にとっては後者が最も重要で、努力点で最高のExcellent(エクセレント)をもらえなくて先生に文句を言いに行ったこともあった。また、大学、大学院では、卒業の節目に大きな論文を一つずつ書いた。書き上げるために、いく晩徹夜したことか。クラスの後、食事をはさみながら夜11時くらい迄は自分の部屋で本を読みあさり、それからキャンパスのコンピューターセンターに向かう。そして朝まで執筆する。6時、町のベーカリーの開店に合わせてコンピューターセンターを出て、そこで朝食を取って仮眠を取りに部屋に帰る。そんな毎日だった。そうして書き上げた論文は、今でも開く度に顔が自然と優しくなるのが自分で分かる。僕は大学で、その論文を書くことによって成績優秀者で卒業することができたのだが、そんなことは今の僕にとって大して重要ではない。本当に後に残るものは、そのような結果ではなく、一生懸命さの記憶なのだ。「寮から大学のコンピューターセンターまでのあの並木道へいつか連れてってあげるから。」僕の愛する人とそんな約束までしてある。




今まで、次々と目標を決めてはいつも全力で挑んできた。だからこれからも新しいことに挑む時は、自分の持ってるものを全部出し切れば、その結果、達成することができるだろうと信じている。逆に、人が何か目標を持って、それに向けて全力を出せなかった中途半端な経験は、どんどんその人の自信を蝕(むしば)んで行くのだ。また、僕だって不安になることはしょっちゅうある。でもそんな時は、とにかく行動することにしている。何もしないで不安でいることほどバカバカしいことはない。安心なんて勝手にやって来るものじゃない。行動によって自分でつくりだすものだと、そう思っている。

今まで、夢を諦めて、いつのまにかつまらない人間になっていく友達や生徒をたくさん見てきた。僕の周りにたまたま元気の良い女性が多かっただけかもしれないが、特に男にとっては、就職をする時が夢の終わりとなるケースが多いようだ。本当に人生を賭けてやりたいことがあるにもかかわらず、あるいはそれも分からないまま、多くの若者が自分にとって何の興味もない会社に就職する。そのうちに自分の夢なんて忘れてしまい、「現実」とか「運命」とかいう言葉を言い訳として使い始める。それだけでなく、自分自身を納得させるために、かつての自分のような若者を見つけては、「現実を見ろ」だの、「甘い」だのと忠告をつけたがる。

「現実」。あまりにも多くの人々の破れた夢を一身に背負う、どこか悲しい響きを持つ言葉。

僕の大好きな本、パウロ・コエーリョの『アルケミスト』にこんなシーンがある。
“What’s the world’s greatest lie?” the boy asked, completely surprised.
“It’s this: that at a certain point in our lives, we lose control of what’s happening to us, and our lives become controlled by fate. That’s the world’s greatest lie.”
「世界最大の嘘って何?」とても驚いて少年は訊いた。
「それはな、我々はある日を境に人生のコントロールを失い、運命によってコントロールされるようになるということだよ。それが、世界最大の嘘だ。」(p.20)

僕は、誰もが総理大臣になろうとか、日本を変えようとか、他人にできない夢を持てばいいなんて思っていない。会社員として、会社の成長に貢献することが夢という人もいるだろうし、結婚して子ども達を立派な人に育て上げることも、ものすごく大変な夢だと思う。重要なのは、他の誰に決められるのでもなく、自分自身が1つの夢を選び、それを積極的に追求することだと思う。それは自由に生きること、そして自分の人生に責任を持つことを意味している。その道を選んだのは自分なのだから、「本当はやりたくなかった」などという言い訳は効かなくなるし、反対に、あっちを選べばよかったと悔やんでも、自らの失敗に納得し、「ちくしょーっ!」と苦笑いで次の一歩を踏み出すことができると思う。サラリーマンを辞めてシンガーの道を歩んだコブクロの小渕健太郎が、『轍』という曲の中でこう歌っている。「こんなに強い自分がいることに気付いたのは、この道が誰でもない自分で選んだ道だから。」

自分を信じて。君たちならきっとできるよ。


文・訳責 鈴木大裕