2010年5月31日月曜日

メリットペイを考える ~ まえがき ~

“For every complicated problem, there is an answer
that is short, simple, and wrong.”

(複雑な問題にはきまって短く、単純で、間違った答えがつきまとうものだ。)

- H. L. Mencken





 少し間があいてしまったが、過去二回に渡り 『教員を評価することの難しさ』 というテーマで書いた。今日、教員評価の難しさに対する理解を広めることは、我々教育を専門に勉強する者にとって切実な課題だ。その理由を、オバマ政権が推進する教員のメリットペイ (merit-pay) というコンセプトの考察を通して考えてみたい。







 この春で博士課程2年目が終わった。今年も去年以上に充実した1年だった。ただ皮肉なことに、勉強すればするほどわかるのは答えではなく、教育の複雑さだ。別にそのことに頭を悩ましているわけではない。それで良いのだと思う。きっと、道を究めようとするのはそういうことなのだ。



 だとしたら、我々教育学を学ぶ者の課題は何なのだろう。その最も大切な一つは、研究の果てに見えてくる教育の複雑さを世に伝えることなのではないだろうか。



 これは、自分が実際に中学校の教員であったからこそ強く感じることなのかもしれない。教育が一筋縄ではいかないことを日々、身をもって体験しているのは間違いなく教員だ。しかし、残念ながら、教員にはこのようなことを伝えるための 「声」 がない。いくら教員が、子どもを教えることはとても難しいことなんだ!と言ったところで、それは泣きごとにしか聞こえないだろう。ならば教育を専門に勉強する我々が、教員とのダイアローグを通して大声をあげて発信していくしかないのだと思う。現場と学会、そして実践と理論の橋渡し - 自分がやりたいのはそんなことだ。



 勉強すればするほど問題の複雑さがわかるというのは、おそらくどの学問分野においても同じようなことが言えるのではないかと思うが、教育にいたっては特に切実な問題だ。



 アメリカの教育社会学者、 Dan C. Lortie は、1975年に出版され、今では 「クラシック」と呼ばれている Schoolteacher という本の中で、教員の仕事がいかに世界で最も人々にとって 「身近」 な仕事かということを書いている。子どもたちは、生徒でいる間は教育の現場に立つ教師と毎日直接かかわり、ずっとその仕事を目の前で見ている。そして、これらの経験は彼らの中に着実に良い教師像、悪い教師像を作り上げていく。そして、多くの人間は、大人になる時には既に教師だけではなく、教育についてある程度わかった気になってしまう。



 だからこそ、教育には、教育以外の様々な分野の人間から数多くの意見が寄せられる。ここ数十年、特に多いのはビジネス界からの意見だ。主に教育政策として反映されるこれらの意見には、残念ながら教育の複雑さを無視した短絡的なものが多い。





 

    「そんな単純な問題じゃない。」





 我々教育を勉強する者が声をあげないと、という危機感がある。ビジネスでは、ある事業が失敗しても最終的には会社が潰れたりその会社の株主が損失を被るなどの形で責任を取ったりするが、教育の場合に事業の失敗の痛手を被るのは子どもなのだし、無駄になった子どもの時間は二度と取り戻すことができない。失敗は許されないのだ。




参考文献
Lortie, D. C. (1975). Schoolteacher: A sociological study. Chicago: University of Chicago Press.

2010年5月27日木曜日

再投稿 ~「優等生」を考える~




   「優等生になってはいけない。」

そんなことを言う教師はそうはいない。
でもこれこそが、小関先生が新天地にて子どもに伝えようとしているメッセージだ。



 先日初めてこのブログにコメントを書いてくれた小関先生の新天地の教え子が、今回新たにコメントをくれた。小関先生とは4月からたった一カ月そこらの付き合いだというのに、彼女たちがどれだけ先生に影響を受け、悩み、教えが入りつつあるのかが伝わってくる。その証拠に、今まで 「優等生」 として通ってきた彼女たちが急に困り始めている。以前、 『不自由していないことの不自由さ』 でも書いたように、 「困ること」 こそが学びの条件なのだ。自分は分かっていると思いこんでいる人間には学びも進化もない。知っていることと分かっていることとは違う(「守・破・離」 の前の 「信」)。大事なのは何も分かっていない自分に気づくことだ(『無知の知』)。

 優等生を褒めるのは誰でもできる。求められているのは、優等生に本気でバカと言える器をもった指導者だと思う。

 でも、そもそも 「優等生」 のどこがダメなのか。
決して勉強のことを言っているわけではない。問題なのはそのメンタリティーだ。

 誰の言うことでもハイハイと聞くYesマンに魅力は無い。そして、しまいには誰からも信用されなくなるのだ。これは子どもに限ったことでも学校に限ったことでもないだろう。もっと言えば、誰の言うことでも 「そうか」 と信じているようでは一流にはなれるはずもない。




 初めて留学した時、16歳の僕はその学校での教育に衝撃を受けた。用意された答えを要求されるような授業は一つもなく、君はどう思うのか、何故そう思うのか、どういう証拠があるのか、それではこういう視点についてはどう考えるのかなどという訓練を徹底的に受けた。自分の主張を人前で発表したり、討論したりするだけでなく、授業で質問することも、先生の意見に異論を唱えることも良しとされた。これは大学院のレベルになると尚更だ。

 しかし、日本人留学生にはそのような教育を受けてきていない者がほとんどのため、日本人は残念ながら授業で発表をしないことで有名だ。そして、それでは世界のエリートたちとはわたり合えない。




 教育現場では、よく 「クセのある子」 という言葉を聞く。

クセのある子というと、ネガティブなイメージがつきまとうが、これは教育的に言うと間違っている。少し見方を変えてみれば、クセのある子とは自分を持っている子のことを言う。その場合の 「自分」 とは、簡単には曲げられない自分の信念だと思っていいだろう。仮にそれが間違っていたり不十分な信念であったりしようが、全てを鵜呑(うの)みにするような子よりよっぽど面白いし、見込みがある。

 教育において目指すべき理想は、学校のような狭い世界における肩書だけの 「優等生」 ではなく、世界で通用する一流の生徒なのではないだろうか。

 以下は2009年9月28日の投稿だ。
タイムリーだと思うのでもう一度シェアしてみたい。





「優等生」 を考える

1.すご腕茶師に学ぶ教育の心 

 テレビを持たない僕は、勉強の合間によくYouTubeを見て気分転換をする。よく見るのが歌手のライブ映像、そして実在の人物をテーマにしたドキュメンタリー番組だ。今日は 『プロフェッショナル』 の前田文男編を紹介したい。(2010年5月27日現在では残念ながらネット上から既に削除済み。)

 前田文男さんは日本屈指の茶師だ。前田さんが他の茶師と全く異なる理由、それは彼の茶葉の選び方にあるという。

 全国からお茶が集まる静岡の茶市場。たくさんの茶師で賑わう高級茶のセクションとは離れた人気のない所でお茶と向き合う前田さんがいた。

 そんな前田さんには、お茶を選ぶことにおいて一つの流儀がある。

     「良いお茶ではなく、伸びるお茶」

 年間50種類以上ものお茶を世に送り出す前田さんが一番こだわりを持っているのは、100グラム1000円の一番安いお茶だという。なぜか?彼は言う。

 お金を出せば良いものは提供できる。でも、作って良くなるお茶こそが茶師としての腕の見せ所だ。

 僕は知らなかったが、お茶は通常一種類の茶葉だけでできるわけではないそうだ。味はいまいちだが香りの良いお茶、見た目は悪いがコクのあるお茶、香りは良くないが色の良いお茶、特徴はそれぞれだが、何種類ものお茶を混ぜることによって極上の一杯ができるのだという。

 ではどうやって「伸びる」お茶を選ぶのか。前田さんはお茶の声に耳を澄ますのだそうだ。「お茶が何かを訴えている、そんな感覚」だという。誰にも相手にされなかったお茶を、心を込めて磨き、宝石に化けさせる前田さん。預かったお茶は絶対に最後まで面倒を見て、自信を持って世の中に送り出すという信念を持っている。



2.教員という仕事

 本題に入る前に一つ言っておきたいことがある。僕は教員という仕事は、人にできる最も尊い職業の一つであると思うし、自分が教員であったことを誇りに思っている。今、必死に勉強しているのも、将来、有能な人材が教員になりたいと願い、親は教員を心から信頼して子どもを委ね、委ねられた教員が真に教えに浸れる環境作りに貢献したいと思っているからだ。でも、そんな想いがあるからこそ、現場に立つ教員に求める要求も高くなってしまう。教員批判と取られる所もあるかと思うが、自分では逆に教員を弁護しているつもりだ。

 これは自分の教員組合に対する疑問も反映している。本当に先見性を持って教員の立場を守ろうとするのなら、弱い教員を守ることに奔走するより、頑張っている教員を守るべきだと思う。そうすることが教員の社会的地位を高め、質の高い教育を約束することにつながるのだと信じている。小作農のように、その場しのぎの問題解決を続けたところで明るい未来は拓けない。

 給料も良くない教員にわざわざなろうという人に悪い人はいない。少なくとも僕はそう信じている。ただ、良い人が良い教員になるのかといったら、それは全く別問題なのだ。



3.「優等生」を考える

 前田さんのお茶に対する姿勢は、小関先生の子どもに対する姿勢と通ずるものがある。小関先生も優等生には興味を示さない。

 優等生は、教員であれば誰の言うことでも、 「はい」 「はい」 ときちんと聞く。理由もわからずに大人たちに言われたことをうのみにしてしまうのだ。以前、 『不登校から日本一』 でも書いたが、教員は皆正しいことを言う。ただ、それがその子、その場面において最適な助言であるとは限らないし、それぞれの助言が食い違うことも少なくないのだ。 「あの先生はこう言っていたのに…」 と思ったこと、誰でも一度は経験あるのではないだろうか。最終的には、自分の心と相談し、頭で考えて判断することを学ばなければ、その子は自由に生きていけない。でも、不幸なことに、多くの教員はそんな、自分にとって都合の良い子どもを育てようとしてしまう。

 だいたい、 「優等生」 というのは、大人が勝手に押し付けるラベルに過ぎない。何かの拍子にそのラベルがはずれてしまった時、又は大人の号令なしには動けない自分に気付いた時、ふと自分の心にぽっかり空いた空洞に気がついた時、その子はどうするのだろうか。大人たちに裏切られた、と感じるのではないだろうか。自分の内なる声を押し殺し、ただ盲目に 「正しい」 大人たちの価値観の中で育つ優等生。そんな「自分」のない子どもを育てるのは罪だ。

 2008年に教員の仕事に区切りをつけた時に残してきた野球部の一年生が、今ではチームを引っ張っている。当時副顧問として僕をサポートしてくれた若手の教員が、僕の意志を引き継ぎ選んだキャプテンがいる。バカもたくさんして来たし、多くの教員にとっては扱いずらい子かもしれない。でも、子どもらしいエネルギーがあり、手をかければ間違いなく 「伸びる」 子だと、そう信じている。

2010年5月25日火曜日

卒業式

 先週一週間、キャンパスの至る所で卒業式が行われた。
僕は5月のこの時期が大好きだ。もしかしたら一年で一番好きな時期かもしれない。一つはニューヨークの気候がからっと晴れていて素晴らしいこと。もう一つは卒業式に合わせてキャンパスがお祭り気分に包まれるのだ。アメリカだけでなく、世界のあちらこちらから卒業生の親族がコロンビア大学にやって来て、町全体が活気づく。そこら中でコロンビアのシンボルカラーである空色の卒業ガウンをまとった学生と記念写真を撮ってる家族の姿がある。みな幸せそうだ。

 5月18日には、我がColumbia University - Teachers Collegeの博士課程の卒業式が行われた。そして、10年以上の付き合いであるかおるさんが卒業するということもあり、式に招待してもらった。以下はその時の写真だ。





卒業式はキャンパス近くのSt. John the Divineという世界最大のゴシック教会で行われた。
この写真はちょうど教会の中央近辺で撮ったもの。後方は… 



こんな感じだ。巨大ステンドグラスが美しい。




ファンファーレに合わせ教授たちが入ってきた。それぞれ自分の卒業大学院のガウンをまとうしきたりなので、まるでファッションショーのようだ。以前一人の教授が、ガウンを着たまま自転車に乗って式に登場した時には思わず笑ってしまった。


後ろの方に座った人も式典を見れるように、真ん中にはスクリーンが設置されていた。



式終了後に友人たちと。
Deena, 陽子さん、Joy…真ん中の彼女は誰だろう…。


去年一緒に教育政策の授業を取ったJoeと。
優秀で、カリスマもあり、今後期待の黒人スカラーだ。
黒人が一番この微妙なカラーが似合う気がする。



Natali, Shuti, Judyと。美風もいるのが分かるだろうか。



式終了後の外の風景。まるでお祭りのようで楽しかった。


かおるさんを始め、今年卒業された皆さん。

いろいろお世話になりました。

お疲れさま。

そして、



  おめでとう!!



教員を評価することの難しさ 2 ~「良い子」と「一流の子」の違い~

 今回、またしても小関先生の新しい赴任先の剣道部の他の生徒から、このブログ上にコメントを頂いた。立て続けに中学生の純粋な心と勇気に触れることができて幸せだ。現場にいる教員たちを心から羨ましく思う。



 女子剣道部の部長をしているという彼女は、父親からの一通のメールがきっかけでコメントをくれたのだそうだ。このブログに書いてある小関先生の話を読んで感激して下さったという彼女の父親は、彼女が反対を押し切って塾を辞めたにもかかわらず、彼女が置かれた環境の有難さ、そしてこれからの彼女に対するエールを綴ったそうだ。そして、彼女のコメントからは、自分を信じて支えてくれる親に対する感謝の気持ちと、 「良い子」 になろうとするがあまりにずっと 「自分」 を持てずにきた自身に対する力強い決別の意志が伝わってきた。



 多少話がそれてしまうかもしれないが、関連付けて書いてみたい。



 その前に一つ、皆さんに知っておいて頂きたいことがある。このようなトピックになると、どうしても教員批判をしているように聞こえてしまうかもしれないが、それは僕が意図するところではない。自分はこれでも精いっぱい教員を弁護しているつもりだ。前にも書いたように、僕は教育を志す人にもともと悪い人はいないと信じている。ただ、教育への想いが強くなればなるほど、教員に対する目も厳しくなってしまうのだ。本気で教員を守ろう、教育を変えようと思うのなら、教員のダメなところも変えずには実現できないと思う。教員を守るということの先には常に子どもたちを守るという目的がなくてはならない。



 さて、前回は学級指導のことについて主に書いたので、今回は部活指導における評価の無さについて書いてみたい。



 全国クラスの剣道部の顧問を務める教員であれば、誰もが小関先生の価値を理解している。ただ、前任校では、小関先生が遠征から学校へ戻るとその理解は消えてなくなるのだった。



 どれだけ県外の全国クラスの招待大会に毎週末のように遠征しても 「好きでやってるのだから」 とねぎらいの言葉もなく、そこで優勝しても 「いい子が揃っているから」 とあしらわれる。県大会で優勝しても何のニュースにもならないほど、学校全体の感覚がマヒしていた。残念ながらその価値を分かっている教員は管理職を筆頭にほとんどいなかったのだ。



 小関先生がよく引き合いに出す一つのエピソードがある。前々任校時代のことだ。その学校は、千葉市でも 「ナンバースクール」 と呼ばれる古く由緒正しい学校で、歴任の校長は力のある大物ばかりだった。その中でも特に大物と名高かった校長が、ある日小関先生を呼び止めて言ったそうだ。


いつも学校と子どもたちのために遠くまで大会に行ってくれてありがとう。


小関先生は今でもその一言に感謝している。



 それと比べると前任校で経験した管理職の多くは、週末を使って他県に遠征するのがどれだけ大変でどれだけお金がかかるのかわかろうともしない有様だった。



 最初のうちは親御さん方の理解を得るのも大変だった。きっと何故そこまでしなければならないのか理解できなかったのだろう。 「良い子」 に育てばいいと思っている親と、 「一流の子」 を育てようとしている小関先生との温度差だったのだと思う。子どもに求めるところを「良い子」 に設定している親に小関先生の価値がわからないのは当然の話だ。だから、自腹を切ってでも全国クラスの子どもたちの姿を見せようと先生がしても、多くの親御さんが 「子どもが勉強する時間がない」、 「サポートしきれない」 などの理由で反対した。



 ちなみに、週末の部活指導は、やればやるほど教員にとって赤字が出る仕組みになっている。何故か。週末、6時間以上部活指導をした場合、千葉市で手当として支給されるのはたった1600円程度だ。仮に6時間きっちり部活をしたとしても、時給にしたら300円にも過ぎないのだ。交通費、昼飯代を考慮すればトントンというところだ。他県などに遠征をしても余分な交通費はおろか、宿泊費など支給されるはずがない。小関先生も最初は万単位のお金を毎週末のように自分のポケットから出していた。



 どのくらいの月日が経ってからだろうか。子どもの意識の変容に伴い、親御さんの意識が段々と変わり始めた。 「また行くのか」 から 「また連れて行って下さる」 となり、車出しも始まり、最低限の経費も親の方で何とかしますという好ましい形に変わっていった。



 「好ましい」 のは家庭にとっても同じだった。以前、 『人が育つ社会のあり方③』 でも書いたように、前任校の親たちのほぼ全家庭が、毎週末のように行われる遠征や大会にかかる費用を共働きをして支えていた。その上、つかの間の休暇のはずである週末も遠征のために車出しをして、会場に着けば 「可能性無限」 と書かれた剣道部のTシャツを着て、子どもたちに力強い声援を送り続ける。



 「自分たちにできることだったら何でもするからお前たちは精いっぱい勝負してきなさい。」



 子どもたちに伝わっているのはそんなメッセージなのだと思う。一丸となって子どもと共に勝負をし、子どもの成長に号泣する親御さんたちの姿を見るだけで、こちらまで感動してしまう。



 大会の翌日も自分たちのために弱音も吐かずに働きに出る親。小関道場の子どもたちは、そんな親の背中を見て、中学生の段階で既に親に対する感謝と尊敬の念を抱いていくのだ。本気で一流の子どもを育てようとする親は、気付かぬうちに自らが一流になっていく。



 僕は、一流の親は皆、自分の命よりも大事な子どもを教育者に委ねる器を持っている人間だと思っている。 『人が育つ社会のあり方①』 で僕は、教育において人に責任を持たせるということは、委ねることだと書いた。 「やりたいようにやってくれ」 と言われることは、教員にとって最高の贅沢であると同時に、それ以上ないプレッシャーと責任を与える。そのプレッシャーを困ると感じるようならば教員にならなければ良い。



 説明する必要もないかもしれないが、委ねるということは、親としての自分の責任を放棄することとは違う。今回コメントをくれた生徒の親御さんが良い例だ。



私はおまえの先生を心から信じているよ。

だからおまえも先生の下で一生懸命学びなさい。



 もし親がそんなスタンスでいるならば、子どもはその先生からスポンジのように吸収するだろう。でも、大事なのは、親がまず子どもの心の拠り所(よりどころ)となっていることだ。今回コメントをくれた彼女にとって、父親からのメールがそこまで心に響いたのは、両親が彼女の心の支えだったからに他ならない。



 きっと、彼女が 「良い子」 の殻を脱皮する日は、そう遠くはないだろう。

2010年5月24日月曜日

教員を評価することの難しさ 1 ~目に見えない意志の疎通~

 前回の 『人生の勝者となること』 を書いていて頭をよぎった不安がある。




 小関先生を実際に知らない読者は、彼が学校で管理職や他の先生方にスパーヒーローのように崇(あが)められ、頼られている姿を想像しているかもしれない。



 もしそうだとしたら、本当のことを伝えなくてはならない。実際はそれとは程遠い状態なのだ。









    「評価がない」



 これは小関先生の口癖の一つだ。
 部活での実績にしても、教科指導や学級指導、それに生活指導にしても、卓越した指導をまともに評価できる人間がいないのだ。



 英語では、よく教える行為を芸術に例える。卓越した教えを “art of teaching” と呼ぶのだ。これは非常に的を射ている表現だと思う。教員を含め、多くの人にとっては、何がすごいのか理解できない部分があるのではないだろうか。



 その理由として、良い教員になればなるほど何もしていないように見えるからだ。



 学級指導を例にとってみよう。僕は小関先生と共に働かせてもらった7年間のうち、3度だけ彼の学級指導を見ることができた。 (他の年は小関先生が学校全体の生徒指導主任としてクラスを持っていなかったため。) 最後の年など、はたから見れば小関先生が手を抜いているようにしか見えなかったのではないだろうか。



 例えば、小関先生は朝最初の読書時間も、一日の締めの帰りの会も途中参加のことが多い。朝一番のチャイムが鳴っても小関先生はすぐには教室に向かわない。別に何か作業があるからではなく、意図して行かないのだ。職員室の自分の机でコンピューターに向かったり、ふらっと他のクラスを見て回ったりする。それでも、自分たちが試されていることを知っている小関学級の生徒たちは、互いに声を掛け合い、自分たちで読書を始めているのだ。こんな指導を見てしまうと、急いで教室に行って生徒たちを着席させようとする教員や、 「こらっ!何でお前ら席についてないんだっ!!」 と強面(こわもて)の教員が、大声を張り上げているのが滑稽に見えてしまう。



帰りの会も、小関先生が職員室で作業をしていると、全ての連絡事項 (係の生徒が自ら調べて全体に報告する) や一日の反省が終わった時点で学級委員が呼びに来るのだ。



    「全部終わりました。先生の話、お願いします。」



 そんな学級委員の姿に僕は感動してしまった。できることは徹底的に自分たちでやらせるというのが 小関先生の方針だ。こうして小関学級の子どもたちは自治することを身に付けていく。



 全体の足並みを乱すからといって小関先生を周りに合わせるように注意するのか、何故小関先生にはこのようなことが可能なのかを他の教員に考えさせるのか、管理職の器の大きさが問われるところだ。



 保護者会の資料づくりなども、小関先生は何千ページとある資料と大型ホッチキス数台をドサッと教室に置き、 「これやっとけよ~」 と言うだけだ。後は生徒たちが勝手に考えて大量の資料をきれいに完成させてしまう。 もちろん、これはどの教員でもなせるわざではない。現に、 「これはいい!」 と真似をした新任教員のクラスではしっちゃかめっちゃかになり、結局何時間もかけて作り直しになったという笑い話がある。



 掃除なども、小関先生はただ生徒とおしゃべりしているだけにしか見えないだろう。でも掃除はきちんと終わり、小関学級にはゴミ一つない。あっても生徒たちがすぐに拾うのだ。それを見ると、生徒にわき目も振れずに一生懸命掃除している教員は何なのだろうと考えさせられる。だが、そんな教員が 「素晴らしい!」 と褒められ、小関先生が 「良い子どもたちに恵まれてラッキーね」 と皮肉を言われるのだ。多くの教員は、落ち着いている小関先生のクラスを見て、元はいわゆる 「問題児」 が集められた学級であったことすら忘れてしまう。



 これは学年指導の話にもつながる。そんな子たちが揃った悪名高い学年に小関先生が学年主任として配置されたことを、皆、時と共に忘れていくのだ。一年も経たないうちに学年全体が落ち着き、2年も経てば最初の評判は忘れられ、 「良い子たちが揃った学年」 と言われるようになる。



 反対に、もともと大した問題もない学年と思われていた学年が3年になって大爆発することもある。大抵は学年の教員が子どもに愛情を注いでこなかった場合だ。既に時遅しであるにもかかわらず、3年になってからあたふたと生徒指導に取り組むだけで、今度はその学年担当の教員たちに同情が集まったりする。そしてやっとのことで卒業させると、 「あんな大変な学年をよく卒業させた」 と褒められるのだ。



 本来であれば、目に見える指導をするのは最初の段階にやっておくべきことだ。生徒が進級するにともなって、指導もより高度な、目に見えない繊細なものになっていかなければならない。



 考えてみれば皮肉なことなのかもしれない。教員の究極的な目標は、自分がいなくても良い状況を作ることだ。先生がいないにもかかわらず、先生の存在感が感じられる。そんな状態が理想なのだと思う。



 だとしたら、現場の管理職に求められるのは、そのような理想を追い求めて管理下の教員を鼓舞し、教師と生徒の目に見えない意志の疎通と信頼を読みとる度量なのではないだろうか。

2010年5月23日日曜日

人生の勝者となること

NY、5月の空。


 先生というのは常に教え子を頑張らせてくれる。

今回もそうだ。期末試験が終わり、今週は家族サービス週間として毎日、一日中家族と過ごしている。ブログの方もどこから始めようかと考えていたさなかに、一通のコメント。小関先生の新しい赴任先の教え子からだった。

ここから始めようと思う。





 その子は中学生とは思えないしっかりとした文章で、自分の葛藤をストレートに綴ってくれた。小関先生に出会い、毎日が驚きの連続であること、彼女がどんどん剣道にのめり込んでいること、そんな彼女に対して親が心配していること、それでも「勉強ができるだけの寂しい人間」にはなりたくないという彼女の想い…。



 親が心配するのも無理はない。自分の子どもが朝から晩まで、ほとんど休みもなく剣道に明け暮れていたら、あなたはどう思うだろうか。それで心配しないのはよっぽど変った親なのかもしれない。勉強ができなければ良い高校に行けないし、良い高校に行けなければその先の大学、就職にも影響するだろう。



 こう考えてみると、成功への道のりはたった一本しかないようにさえ思われる。でも、はたしてそうなのだろうか?



 振り返ってみると、自分自身が日本を飛び出したのもそんな社会の窮屈さに嫌気がさしたからだ。高一の冬、このままでは自分がつまらない人間になると僕は確信した。一生懸命勉強して入った高校で楽しい高校生活を送っていたが、心の奥底で虚無感を感じていた。その時感じていた楽しさは持続するものではなく、いつも新しい楽しさを探し求めていた。そしてある時自分の将来がくっきりと目に浮かんだのだ。このままあと2年遊び、受験の時期になったらまた死ぬほど勉強し、そこそこの大学に入り、どこかの会社に就職する…。はっきりとした将来の目的も見えず、なんてつまらない人生なのだろうと愕然とした。



 あの時の自分の決断は間違っていなかった。成功への道のりは一本しか無いだけではなく、成功の形も一つではない。幸せの形が人の数だけあるならば、成功の形も幸せの数だけあっておかしくない。もし幸福と成功が関係のないものならば、そんな成功など必要ない。



 今回コメントしてくれた彼女が、小関先生に習っているのは剣道というよりも人生だ、と言っていた。その通りなのだと思う。



一つ頭に浮かぶ中国のことわざがある。



“Give a man a fish and you feed him for a day.

Teach a man to fish and you feed him for a lifetime.”



(人に魚を与えれば、その人は一日生き延びることができる。

人に魚の釣り方を教えれば、その人は一生生きていくことができる。)



 小関先生が教えているのは剣道ではない。剣道を通して人生を教えているのだ。それを証拠に、彼の教え子は剣道とはおよそ関係のない様々な方面で活躍している。僕が知っているだけでも、少なくともこれだけいるのだ。



 船橋市教員時代の教え子の中では、中学生で船橋チャンピオンになって、船高、千葉大理学部へと進み、トヨタの燃料電池の研究をしている生徒。同じく船橋チャンピオンになり、当時トップの習志野高校に進学、千葉商大を経てアニエスベーのトップセールスマンとなり、今では親の仕事を継いで社長をしている生徒。千葉市の教え子では千葉市チャンピオンとなり習志野高校に進学、現在はピタッとハウスで重職についている生徒。市立船橋高校から赤坂プリンスに就職、プリンスホテルのベルガール全国ナンバー1になり、現在は本部で地区のプリンスホテルをプロデュースする立場になっている生徒。現在安房高の進学クラスにいながら、国体候補選手に選ばれている生徒。有名大学大学院に通っている生徒も多い。



 世間的な価値観からしてもこれだけ優秀な人材が小関道場から輩出されているのだ。でもこれは決して不思議なことではないように思う。



小関先生の下で剣道を学ぶ中学生たちを見ていれば分かることだ。彼らは部活中だけでなく、授業中、休み時間、食事の時間、自由時間、就寝時間など、自分の全生活を剣道に結び付けて生きることを訓練されている。そんな彼らが、剣道の枠を超えて受験や就職などの新たな関門に遭遇した時、どのように対処をし、乗り越えていくのかは十分に想像のつくところなのではないだろうか。



 小関先生が教え子に求めること、それは人生の勝者となることなのではないだろうか。  



あとがき

 先日、日本屈指の法律事務所に勤め、僕と同時期にコロンビアのロースクールに留学した親しい友人とちょうど似たような話をした。彼は新人弁護士の人事採用にも関わったことが何度もあるそうだが、彼が新しい人材を選ぶ時には何か一つでもいいからその人の光る所を探すのだと言う。要は、その場に至るまでのプロセスを見るということなのではないかと思う。日本最大級の法律事務所を受けようなんていう人間は皆優秀に決まっている。だとしたらそこに至るまでの過程でいったい何をして来たのかということになるのではないだろうか。与えられた時間ずっと勉強してやっとそこに至った者と、全く別の世界で勝負した後に勉強を始めた者…、どちらが魅力的かと言えば後者に間違いない。

 もっともっと多くの企業が、会社の戸を叩く若者の、そこにたどり着くまでの過程を大事にしてくれればいいと思う。教育を変えるためには、企業の人事採用の在り方までも変えることが求められている。

2010年5月15日土曜日

終わった

 昨日、やっと期末試験期間が終わった。

夕方5時締切の3分前に最後のグループプロジェクトを教授に送信。

一気に脱力感に襲われた。



 授業をフルに取っていたというのもあり、なんだか今回の試験期間は異様に長く感じられた。何本栄養ドリンクを飲んだだろうか…。毎晩のように追い出されるまで学校にいて、しまいにはエスコートサービス(夜中に帰宅する人のための大学の無料送迎システム)の面々とも親しい仲になってしまった。こんな時には親からもらったこの健康な体と今まで培ってきた体力に感謝だ。



 家族にも相当迷惑をかけてしまった。父親が頑張ってる時は家族も頑張ってるのだ。

…こんなことを書いていたら愛音が起きてきた。今日は久しぶりに家族でブランチでも食べに行こうか。

2010年5月9日日曜日

「あなたはだ~れ?」

 毎学期期末試験の時期になると、どうしても家を空けることが多くなってしまう。今も、ここ3週間ほどは、妻や子どもたちが寝た後に仮眠をとりに家に帰り、家族が起きる前には図書館に戻る生活が続いている。



 そんなある日のこと。前日にプレゼンテーションと論文を一つ片づけ、珍しく朝8時過ぎまで寝入った時のことだ。家族が起きていたのは何となく気付いていた。どうやら、疲れている僕に気遣って、そばで遊びながら僕が起きるのを待っていてくれているようだった。



 むにゃむにゃとやっと目が覚めた僕の上に、待ってましたといわんばかりに愛音が馬乗りになってきた。まだ眠そうな僕の顔を覗き込んで愛音が言った。



    「あなたはだ~れ?」



ドキッとして一気に目が覚めた。

そんな光景を見て横では妻が、 「なんか的をえてるねぇ!」 と大笑いだ。

おぃおぃ、笑いごとじゃねーぞ…と思っていた次の瞬間、

愛音が、



    「がおぉ~!!」



と怪獣の真似でもするかのように天に向かって声をあげた。



あっけにとられた僕と妻は、顔を見合わせて笑った。

なんだ。トトロか。

(映画 『となりのトトロ』 で、森の中で寝ているトトロに遭遇したメイちゃんが、トトロのお腹に乗って、「あなたはだ~れ?」と言うワンシーンがあるのだ。 「がおぉ~!!」 はまだまだ眠そうなトトロのあくびの真似。)



父親不在の影響を考えさせられた一瞬だった。







 今朝、母の日にありがとうの気持ちを伝えようと思い、日本の実家に国際電話をかけた。先日あったこの話を母に話したら、母も大笑いをしていた。そして、僕が小さかった頃の話を教えてくれた。







ある朝、仕事が忙しく家を空けがちだった父と、珍しく顔を合わせた時のこと。



一緒に朝食を取った後、父を送り出す時、マンションの7階から1階まで響き渡るような大声で僕が言ったそうだ。



   「またきてね~っ!!」



慌てた母は急いでドアを閉めて、



   「恥ずかしいからやめなさい!!」 と僕を叱ったそうな。



電話越しに大笑いする母の声を聞いていると、なんだか心があったかくなった。

2010年5月7日金曜日

雨 ~てるみさんから~

 休みの間続いた快晴記録も止まって、今日は雨が降っています。
雨の日は失敗や反省だらけで、いつも良いことがありません。
雨だから気持ちが沈むのか、悲しいから雨が降るのか、どっちが先か
よく分からなくなりますm(_ _)m 

この極端な雨嫌いをどうにかするために、気持ちが沈んだ時は
こう考えるようにしました。

私にとってアンハッピーな1日も、世界のどこかの、他の誰か
にとっては、人生で1番ハッピーな日だったかもしれないって。

結婚のプロポーズをされた人とか、
努力の末に夢が叶った瞬間をえた人とか、
大事な絵や楽譜を遂に完成させたとか、
高額宝くじが当たった人とか!

彼らにとっての「今日」がどんなに素敵だったかを想像すると、
私までワクワクして嬉しい気持ちになります。

そしたらね、自分が最高に幸せだと感じる日にも、
人生で1番悲しい思いをしてる人がいるかもしれないことを、
きっと忘れずにいられるし。

うん、我ながらなかなか良いことを思いつきました!
大裕さんも、落ち込んだ時は試してみてください。
きっと元気がでますよ:)

2010年5月6日木曜日

なんだか

 家出少年が家族に書く手紙のようだ。

長い間何の連絡もせずにごめんなさい。

僕は元気にやっています。だからどうか心配しないで下さい…。

なんちゃって。



期末試験真っ最中。昨年の8月にブログを始めてからこんなに長い間投稿しなかったのは初めてだ。ずいぶんご無沙汰してしまった。来週の金曜日提出の50ページの論文をもって今学期も終わる。本当に様々なことを学ばせてもらっている。今からこのブログを通してどんなことを分かち合えるか楽しみだ。



    Wishing you a wonderful day,

                             大裕