2009年9月5日土曜日

人が育つ社会の在り方 ①

               この代の生徒達は今、高校2年生だ。



 ブログを初めてまだ一ヵ月経ってないが、このような頻度で更新できるとは思ってもいなかった。いざ書き始めると、教員時代から背負ってきた想いがとめどなく溢れ出てくるかのようだった。教え子や、自分を応援してくれている人たちが読んでくれているということも、自分にとっては何よりの励みだ。以前、生徒指導主任になったためにクラス担任を外れた小関先生が、語る場がないと嘆いていた。自分も教員を辞め、その辛さが身にしみてわかった。自分の話を聞いてもらえることの喜びを噛みしめながら、今、書いている。皆さんに心からお礼を言いたい。ありがとう。

 今週からコロンビアも新学期が始まり、いよいよ戦闘モードに突入する。このブログも、今までのような頻度で更新することはできなくなるだろう。その前にかけるだけ書いておきたいと思う。

 以前にも所々書いてきたが、自分は教員時代、野球部の顧問をやらせてもらっていた。小関先生の影響が多分にあり、部活という勝敗がはっきりする場所で、自分の教員としての指導力を試してみようと思った。自分は大学までバレーボールをやっていたので、本当は男子バレー部を創設し、その顧問を務めたかったが、結局は教員一年目に配属された野球部でその魅力にはまり、最後まで務めさせてもらうことになった。

 野球はやったことがなかったわけではない。実は父が、幸町リトルインディアンズという少年野球チームの創始者だったこともあり、自分もそのチームでプレーさせてもらった。中学ではバレー部に入ったが、留学先のニューハンプシャーの高校では野球を3年間続けた。

 ただ、教えるとなるとわけがちがった。何から始めたら良いのかもわからず、最初は、元からその学校で指導していらした外部指導員の方の後ろをついて歩くだけだった。一人でチームを任されてからも、野球雑誌を読みあさり、恥を覚悟で遠方の強豪校に試合を申し込み、様々な監督から指導法を学ぶ日々が続いた。生徒の保護者との関係は、あまり良いとは言えなかった。グランドに足を運んで下さる親もまばらで、ちょっとしたことでクレームが来ることも少なくはなかった。今考えてみると、それは自分の指導力の無さで、生徒の心を掴みきれていなかったからだと良くわかる。

 5年目、転機が訪れた。その代のキャプテンを務める生徒の父親が、インターハイ常連バレー部の監督だったのだ。ある時、新チームの保護者会が開かれた時、部屋を埋め尽くす保護者の方々を前にこんなことを言って下さった。先生がこれだけ一生懸命やってくれているのだから、一つ先生に全てをお任せしませんか。練習試合で他校を招く時など、相手校の顧問の先生の弁当代など、何かと金がかかるでしょう。弁当は当番制にして親の方でお弁当を用意させて頂きます。その他の経費は保護者会費を集めて賄いましょう。先生はやりたいようにやって下さい。

 僕はその父親、そして彼に賛同して下さった保護者の方々の懐の深さに敬服した。いろいろなことが変わり始めたのもそれからである。まずは、試合の時に応援に来て下さる保護者の数が激増した。そして野球部の横断幕が作られ、毎試合、保護者席が用意されるまでになった。相手校を招いて行われる試合では、お茶や弁当のVIP待遇がなされ、相手校の顧問達も驚くほどだった。練習試合では更に遠方まで赴くようになり、毎週末のように市外の学校と試合をした。冬のマラソン大会、その後の保護者の方々による炊き出し、そして0泊3日の夏の甲子園見学なども行った。チームも勝ち始め、小さな大会で優勝できるようにもなった。礼儀の正しさ、精神力の強さに重きを置く多くの強豪校の選手たちを目の当たりにし、我が野球部も少しずつ、締ったチームへと成長していった。

 翌年のキャプテンの父親はもっと過激だった。

「先生息子を頼むよ。殴るなり蹴るなり好きにやってくれ。もしそれで何かあったら必ず守ってやるから。」

 自分よりも遥かに人生経験を積んでいらっしゃる大先輩にそのような身に余る信頼を頂き、自分にやれることは何でもやろうと心に誓った。こうして、多くの保護者の方々から自身の命よりも大事であろう息子たちを委ねられたことが、自分の教員としての成長を大きく促したことは間違いない。

 僕は、教員としての自分を育てくれたのは、生徒であり、自分の先生たちであり、僕を信じて子どもたちを委ねて下さった保護者の方々であると思っている。以前、 『管理の再構築』 でも言った。教育において、人に責任を持たせるということは、委ねることである。「やりたいようにやってくれ」と言われることが、どれだけのプレッシャーを教員に与えるか想像できるだろうか。そのプレッシャーを、気持ち良いと感じる教員もいれば、困ると感じる教員も多いと思う。それで困るようなら教員にならなければ良いと正直思う。 『教員のモラルの低下について』 でも触れたが、教員にとって子どもを委ねられ、教えに浸れることほど贅沢なことはない。
 
 何回も言うが、今、教員は社会から信用されていない。子どもたちを教える立場の教員を信用しない社会において、人を信用できる子どもが育つのだろうか。国が為すべきこと、それは信用に値する器の大きい人間を育てる教職教養プログラムの創設に力を尽くすことであり、その後は教員に委ね、育てることなのではないだろうか。

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